10年ほど前のことを振り返ると、私の家族はGLAでの学びにあまり参加しておらず、年に4回の四聖日に参加するくらいでした。
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10年をかけての八ヶ岳奉納への取り組み
私は、もっと家族に神理を伝え、一緒に学べるといいのになと思いつつ、忙しさにかまけて先送りしてきました。
しかし、特別供養の取り組みが始まった頃に、青年塾を卒業したこともあり、年に2回の特別供養は実家に帰り、佐賀の母にお願いして福岡で家族と受けてきました。
ご供養の取り組みを深めることを介在として、家族との関わりも深まり、父母と姉が自然と生活実践に定着し、八ヶ岳のセミナーに参加し、GGPで学ぶように少しずつ変わってゆきました。
そして2022年、とうとう、八ヶ岳の奉納まで結ぶことができました。
初の東京での特別供養 事前の祈りの深まり
前回の記事で書かせていただきましたが、合同セミナーで先生に「またね」とお声をかけていただいたことをきっかけとして、初めて東京での特別供養に申込みをさせていただきました。
今回も、『新 祈りのみち』の「供養の祈り(供養行の歩みとして)」を、約1ヶ月前から取り組ませていただきました。
毎朝祈っていると、八ヶ岳の人生祈念館に奉納させていただいた時の、光に包まれたイメージが思い出されてきました。
親族の皆さんも光の柱に結ばれて、「あー本当によかったな、ありがたい」という思いに満たされてゆきました。
念願が叶って東京での初回の特別供養への参加へ
こうしてご供養の歩みを深めていったのですが、ご供養の場の初回に呼んでいただけることになりました。
この10年、福岡のGLA九州本部でお受けしてきたのですが、東京で行われた特別供養の、初回における先生の祈りや、先生を通して亡き御霊とご家族が対話される映像を見せていただいてきました。
自分の記憶では、1度だけ先生が福岡の特別供養に来られたことがあったのですが、時間がずれていたため、参加することは叶いませんでした。
そのため、先生が司られる特別供養の場を体験したことはありませんでした。
一生の内に、1度でいいから、先生が司られる特別供養の場に参加して、対話をお受けしたいなあと憧れてはいたのですが、九州で受けているので、無理なんだろうなあと諦めていました。
コロナ禍のギリギリの状況でのご供養参加
ただ、初回の場に参加できることが信じられず、何かの間違いかもしれないと思い、同伴者の方に、連絡させていただきました。
確認すると、やはり初回の場だと言われました。
驚くとともに、これは自分だけじゃなくて、父や母にも来てもらった方がいいと思い、連絡しました。
父も母も、来てくれる方向で調整が進んでいたのですが、今回は残念ながら、コロナ禍ということもあって、遠隔からの参加はできなくなりました。
後でわかったんですが、どうも母がコロナにかかっていたらしく、行っていたら大変なことになっていたと言っていました。
ご供養が終わって、1週間後位に、私も初コロナになってしまい、10日間自宅待機することになったんですが、本当にギリギリのところで、ご供養の場に参加することができたんだと思います。
供養当日の準備と葛藤と
ご供養の当日は、午後半休をとって床屋さんに行ったり、身支度を整えさせていただきました。
東京本部の聖堂にも行ったのですが、禅定したところ、自分のことをわかってほしい、認めてほしいという執着心があることが感じられてきました。
この雑念に飲まれてはいけないなと思い、雑念から離れて、神の御心と一つになるように禅定を深める時を持たせていただきました。
そして、少し早めに準備を整えて、GLAの総合本館に向かいました。
ただ、本当に先生が司られるご供養の場に行けるかどうかは分からない、勘違いかもしれないという不安はずっとありました。
待機している最中に、抗原検査がありました。
「ここで陽性になったら受けられないよな」と不安にもなったのですが、陰性でした。
聖堂に移動する前に3Fで待機していたのですが、そのような不安も少しずつ治まってゆきました。たとえ別会場になったとしても、先生が司られる同じ時空でお受けさせていただけるだけでもありがたいことだよな、場に入れる、入れないで差別しちゃいけないよな・・・。
そのような葛藤を少しずつ浄化しながら、待機していました。
司祭の方が来てくださり、プログラムを進行してくださったのですが、これは本当に聖堂に入って、お受けできるのかもしれないという思いが強くなってゆきました。参加者も次第に増えてゆきました。
そして、いよいよ聖堂に移動することになり、聖堂の中に入りました。
聖堂への参入
席を教えていただいたところ、前から2列目の中央の席でした。
奇しくも、「一日一様」特別セミナーで、2ヶ月程前に、新入会のAくんの同伴で座らせていただき、先生に願いについて問いかけていただいた席と同じ位置でした。
祭壇を見ると、供養した親族の写真が飾られていました。ご供養を持つことができて本当によかったなという思いがしみじみと伝わってきました。
先生の特別供養の祈り、そして対話の始まり
移動して、まもなく式が始まってゆきました。
司祭がお越し下さり、供養の場を始めてくださり、祈りをされた後、お1人お1人の名前を読んで下さいました。
そして、先生がお越しくださいました。
最初は緊張とともに、先生は本当に対話してくださるんだろうかという不安や葛藤が湧いてきました。
しかし、先生が祈りをしてくださると、どんどん場が変わってゆきました。
私も、先生の御心と一つとなるように、祈り念じてゆと、なにか場が特別な場に変わってゆくような感じがしました。
先生は、この場にご供養をされたたくさんの方の声が響いていることをお伝えくださり、その声を伝えてくださることになりました。
自分にはわからないけれども、この場には、きっとたくさんの亡くなった御霊が来られていて、光の天使もたくさん来られているんだろうなと思いました。
先生は、最前列の左側の方から、対話を始めてゆかれました。
1人ひとりの方と対話される先生を見せていただいて、あの世とこの世をつないで、霊的な痛みを癒やしていかれるような、究極の同伴者、対話者であられることを感じました。
自分は浅い関わりしかできないけれども、少しでも先生に倣わせていただきたいと思って受けとめさせていただきました。
次に、先生は列を移動されて、目の前の方に対話くださいました。この場で起こっている、亡き御霊との奇跡の再開の物語をお聞きして、人間の絆のかけがえのなさに思いを馳せました。
そして、先生はその後ろに座っていた私の横に来てくださいました。
先生から教えていただいたお祖父さんの後悔
どうなるんだろうとお聞きしていると、先生はお祖父さんの後悔の思いを伝えてくださいました。
「お金を一生懸命稼いで、子どもたちに、お店を継いだ。でもそのことでお互いに争いあい、家族がばらばらになってしまった。こんなことになるとは思いもしなかった」
そのような後悔の思いが深く染み入ってきました。
自分の中では、親族間の争いのことや、お祖父さん自身も豊かになると糖尿病になって苦しまれていたことなど、具体的な今は残っていない当時の風景と共に、さまざまな出来事とその時のお祖父さんの気持ちをお伝えくださいました。そのことを聞いて、1つ1つが私がお祖父さんから聞いていたことで、心深く、魂深くにダイレクトに伝わってくるように感じました。
お祖父さんは周りが悪いとずっと思っていたらしいのですが、「そうじゃなかった、問題を生み出していたのは自分だった」という後悔の思いを、先生を通じて伝えてくださいました。
すると、最近の私自身の会社やGLAでのプロジェクトのことが思い出され、何か自分のことを言っていただいているようにも感じました。私自身も「周りが悪い」とずっと思っていたこの気持ちは、お祖父さんから流れ込んできた「血」の流れでもあったんだと思いました。
そして先生は、お祖父さんが自分に対して感謝の思いを持たれていることを何度か話してくださいました。「孫に救ってもらうとは思いもよらなかった」といったことも話されていました。こうして対話が終わり、先生は次の方との出会いへと向かってゆかれました。
先生の御手に析出した金の輝き
ご供養の最中に、先生の手に析出した金粉も見せていただいたのですが、見た瞬間に魂に衝撃が走るような強いインパクトを感じました。
金というより、白銀色のようにも見え、七色に輝いているようにも見えました。
ちょうど、TLアートの先輩と、ビッグクロスや、ユニバースの次元の表現について、様々相談していたところだったのですが、究極はこの先生の御手に析出した光を表現することなのかもしれないと思いました。
そして特別供養の結びへ
対話を頂いた後で、しばらく放心状態となっていたのですが、その後もずーっと先生はお1人お1人と対話を続けてゆかれました。
お1人お1人に、深い霊的な癒やしがもたらせていることが伝わってきました。
そして最後に、先生は祈りをしてくださって、この場を結んでくださいました。
ご供養をいただいて大きな人生の転換へ
その後、写真撮影をした後で、別室でしばらく待機していました。
すると秘書の方が来られたので、どのような体験を頂いたのかをお伝えさせえていただきました。
秘書の方からは、先生からの対話を頂いてから、大きく人生が転換される方が多いので、今回いただいた出会いの意味を、深めていったほうがいいとアドバイスをいただきました。
前回、八ヶ岳への奉納の申込みをした時に、申し込んだ後で人生が変わる体験をされる方が多いとお聞きして、私もその直後にガラッと変わった経験があるので、今回の出会いも大きく変わるきっかけをいただいたのかもしれないと感じました。
また、秘書の方から、私がニュープロジェクトのフロントを求めて、中京に行った時に、先生がそのことを何度も話されていたことを教えて下さいました。
自分の内側からは、やむにやまれぬ強い憧れがあふれてきて中京の地に行ったのですが、先生はそのような気持ちで見守ってくださっていたんだと初めて知ることになりました。
ちょうどこの期間、『新 祈りのみち』の「感謝の祈り」を書写し、ずっと深めさせていただいてきていました。
すべてが
生かされ
育まれ
見守られているように
私も
生かされ
育まれ
見守られそして導かれています。
ありがとうございます。
『新 祈りのみち』 「感謝の祈り」より抜粋
これまで、足りない足りないとばかり思っていて、頂いた恩恵に感謝する思いがなかったなーと思っていたのですが、本当に先生に見守られ、導かれてきた恩恵の思いが溢れてきました。
改めて、頂いている恩恵を深めて、お返しする人生に変わってゆきたいと思いました。
今後のご供養の取り組みへの願い
今回お祖父さんのご供養をさせていただく前まで、「もうこれくらいでいいのかな?」と考えていました。
しかし、今回おじいさんが、光の天使に同伴していただいてわかったことを教えていただいた時に、あの世にいる魂にとって、特別供養の場で頂く気づき、発見は本当に大きいんだなと思いました。
奉納が終わったからと言って、あの世での修行が終わってしまったわけではなく、まだまだ修行は続いており、一緒に神理を学び、深めてゆく歩みは続いてゆくんだなと感じました。
先生の司られる場に参加できるかどうかにかかわらず、特別供養の取り組みは、可能な限り、続けてゆこうと思いました。
高次の智慧の光によって気づきや発見を頂ける特別供養での亡き魂のことを想像する時、私たちが神理実践報告を拝聴するだけで気づきや発見を頂くことに重なるような気がします。先祖代々伝承してきた「快衰退」の煩悩の眠りから目覚めるためにも積極的に特別供養をするべきだなと思い始めました。
Junjinoさん。特別供養10年ほど取り組んできて、もう取り組みきったのかな?と思っていたんですが、この場で天使に教えてもらえることがたくさんあるようなので、私もまだまだ続けてゆこうと思いました。
天使に教えてもらって、祖父が煩悩に対する後悔が深まったところは、私自身もその煩悩から自由になることにつながってきているようです。「血」の流れを浄化することにつながってきているようですね。