人生史セミナー・卒活講座への家族での参加と人生祈念館への一族奉納の悲願へ

2月の末に人生史セミナーと卒活講座が、2日連続で開催されることになりました。

自分自身はどちらも参加できていなかったのですが、続けて参加すると、2つのセミナーがつながって、とても良かったという噂は聞いていました。

また以前、父が豊心大学セミナーに参加した時に、卒活の重要さを知って、遺言書を書きたいと言っていたのですが、卒活講座を受講してもらうタイミングも逸してきていました。

昨年来、リモートで様々な学びが受けられるようになり、今回、人生史セミナーと卒活講座を、全国のターミナルでも受けられるとお聞きして、家族全員で受けることができたら、とてもいいんじゃないかと思いました。

ただ、父が「うん」と言ってくれるかどうか分からず、心配ではあったのですが、電話で「以前お世話になったM弁護士にも色々と教えてもらえる卒活講座があるけど、遺言書が書けるようになるから参加したほうがいいよ、自分も参加するから」と伝えると、あまり乗り気ではなかったのですが、渋々参加してくれることになりました。

申込みの締め切りギリギリではあったのですが、父と母と自分の3名で、佐賀ターミナルで受講させていただくことになりました。

テレーズマルタンの反芻行を通して見えてきた信仰のテーマ

お正月から始まった、「GLA会員の基本ライフスタイル」の禅定の取り組みは、この期間も試行錯誤を続けてきていました。

禅定を深める中で、神様の光、神の愛を受け止められるようになることが大事なんだなと思うようになったのですが、ふと『二千年の祈り』の中に出てくる、テレーズマルタンのことが思い出されました。

それで、テレーズの反芻行に取り組んでみました。

テレーズの生き様は自分とは本当に真逆でした。

私は自分の力をいかに主張するかにエネルギーを注ぎ、「歪曲→独尊→孤立」の現実を生み出してきました。

しかし、テレーズマルタンは、自らをどこまでも、どこまでも小さくしていって、イエス様だけに見ていただけるようにしてゆかれました。そして、信仰の核心、愛の使命へと到達されていました。

テレーズの生き様に感動し、自分もテレーズを真似て、自分を小さくしていくようにしてみました。すると、神様の偉大さが感じられてきて、同時に神様にお応えしたいという願いも強くなってゆくように感じました。

テレーズの歩みを反芻しつつ、その後禅定を深めると、神様の愛情、巨大な光がダイレクトに感じられてくることがありました。こんなにも、神様に愛され、光を頂いてきたんだなと改めて思い、認められるために努力する必要はなかったんだなと思いました。

生まれる前から、ずっと神様に愛され、光を与え続けていただいてきと思った時に、先生と出会って、強烈に救われたと実感した、入会当初の頃のことが思い出されてきました。

入会前の心が絶望的に重すぎて、一日生きるのがやっとと思えるほどの苦しみがあり、自分は絶対に救われないと思っていました。その心が、先生と出会い、奇跡のように救われてゆきました。

その差があまりに大きすぎて、もっと癒やされたい、救われたいと執着するようになったことが見えてきました。

かつて先生から「私をモデルにしなさい」とお言葉をいただいたことがあったのですが、「先生をモデルとするってどういうことなんだろう?」という疑問に思っていました。そのうちに、先生をモデルにするとは、先生が神様を求められているように、先生に倣って私も神様を求めることなんじゃないかと思えてきました。

当時の自分は、どちらかというと、先生をモデルとするんじゃなくて、先生に甘え依存していたんだと思います。

改めて、自分にとっての信仰とは、そして先生との絆を問い直すことが求められているように感じられてきたのですが、どう変わればいいのかが分からず、モヤモヤした思いを抱えつつ、佐賀に帰ることになりました。

佐賀ターミナルでの人生史セミナーへの参加

金曜の夕方に佐賀に到着し、土曜日の朝、早く起きて、父と母と一緒に人生史セミナーの事前取り組みシートに取り組みました。

事前に人生の暗転、光転の事件を思い出してゆきました。自分自身はスポーツについては、あんまり良い結果を残すことはできていなかったのですが、勉強に関しては比較的にいい結果を出せていたことなどが客観的に見えてきました。

そして、佐賀ターミナルでの人生史セミナーに向かいました。

佐賀ターミナルの前にある川の鯉

到着すると、参加者としては九州の最初の映像プロジェクトでお世話になったTさんがいらっしゃり、Tさんと父と母と自分の4人でプログラムをお受けすることになりました。

人生史セミナーでの人生の振り返り

プログラムではモデルの方の取り組みをお受けして、次に自分たちの取り組みを深めてゆきました。

最初に人生を俯瞰するような図に取り組んだのですが、先生との出会いが本当に大きかったことや、その前の人生への絶望的な気持ちのこと、セミナーでのかけがえのない体験や、職場やGLAでの試練のことなど、光転、暗転を意識化してゆきました。

ただ自分としては、今の状態に対して、モヤモヤしている部分もあり、色々と悩みを抱えつつ、シートに取り組んでゆきました。

問いかけに応えながら、自分の人生を一歩一歩振り返っていったのですが、それまで何となく人生を振り返るよりも、もっと細かい視点で、振り返ることができました。

家が借金を抱えていたのですが、親が無理して教材などを買ってくれると、せっかく買ってもらったものを無駄にしてはいけないと思って、何度も繰り返し使っていました。

今思うと、それが成績にも影響していたようなのですが、ミーティングの中でその思いを語ると、父も全く同じように、親に迷惑をかけてはいけないと思って頑張っていたことを教えてもらいました。

父は、初めてGLAの学びが楽しいと思ったと語ってくれたのですが、親子で一緒に人生史に取り組み、ミーティングを深めることで、様々発見があったようでした。

両親への恨みから感謝への転換

私自身も幼少期を振り返っていて、つらかったことも思い出したのですが、それまで自分はどちらかというと被害者で、苦しいけれども頑張ってきたと思っていた所があったのですが、こうして振り返ると、経済的にも厳しい中、親族間の骨肉の争いの中、両親が守ってくれていたんだなと初めて思えて、感謝の思いが湧いてきました。

特に、母は大変で、365日、ほとんど休みはなく、朝から晩までずっと仕事をし続けていました。

そうして、人生の振り返りをして、最後の取り組みへと向かってゆきました。

内容は伏せさせていただきますが、セミナーの前に人生のはじまりから、原点回帰するような心境へと導かれていたのも、このセミナーの全体の願いに導かれていたのかもしれないと感じました。

ただ、自分としてはモヤモヤがまだ様々あって、迷いつつ、1日目の取り組みが終わりました。

初めて見えてきたGLA入会に至った因縁

家に帰ってからも、両親と人生の転機となった事件を話していったのですが、その中で初めて分かったことがいつくかありました。

私自身は中学の途中まであまり勉強していなかったのですが、中学3年になった時に急に勉強をするようになっていました。

公立の佐賀西高(地域で一番の進学校)を受験する前に、練習で私立の仏教校である、龍谷高校を受験したのですが、それまでの成績が悪かったので、特進科(特別進学科)を受けることができず、普通科を受けていました。

ただ、試験の成績がなぜかとても良くて、特進科を含めて全体で2番の成績だったそうです。

父は、長男が私立に行ったのに、自分は私立に行かせてもらえなかったことで親を恨んでおり、私にも私立には絶対に行かせないと言っており、佐賀西高の受験に失敗した結果、あわや高校浪人をせざるを得ない状態になりました。その時の中学の先生が父の知り合いのお姉さんであり、わざわざ家まで訪ねてくださって、龍谷高校に行けるように説得してくださっていたことが分かりました。

結果として高校は龍谷高校の普通科から特進科に編入され、その後、九州大学に行くことになりました。また、本当は大阪大学に行きたくて、準備していたのですが、センター試験直前に姉の風邪が感染って受験に失敗し、九大に行くことになりました。

自分としては、高校受験も大学受験も失敗し、ものすごく落ち込んだのですが、今振り返ると、龍谷高校に行くことで仏教の限界を感じ、その後、九大に行くことで福岡でのGLAの入会につながっていったのですが、必然に導かれていたのかもしれないと思いました。

私が実践報告を頂いたときも、先生は、高校受験に失敗したときの気持ちや、私立に行かせないと父が言っていたことなど、話してくださっていたのですが、今回初めて意味がつながっていった部分があり、不思議な感じがしました。

卒活講座による死への恐怖からの解放

1日目の取り組みが終わり、翌朝、また早く起きて、卒活講座のための資料に取り組みました。

普段、生命保険のこととかあまり考えていなかったのですが、自分の持っている財産なども全部棚卸しすることになりました。

このセミナーの前半、円環的人生観や、人生の卒業式である死についての、先生の様々なご指導をしっかりと学ぶことができました。

母は、死ぬのが怖かったけど、死に方が分かって安心したと言っていたのですが、自分も本当にその通りで、死を過度に恐れることなく、人生の卒業式として前向きに捉えられる心境になってゆきました。

遺言書への取り組みによるモヤモヤの解消

そして、遺言書の最初に、願いに取り組んでゆきました。

最初は、昨日までのモヤモヤが心に残っていて、こんな気持で遺言書の願いに取り組むのは難しいと思っていたのですが、改めてこの人生の最後に残すべき願いへと思いをはせてゆきました。

そうして、自然と人生を振り返ることへと誘われていったのですが、先生と出会い、様々な神理を学ばせていただき、自分の魂が願っていた人生へと、先生、神様が導いてくださっていたという感謝の思いがあふれてきてしまいました。

自分の魂には本当に感謝しかないんだなということが実感されてゆきました。

そうして、スッキリした気持ちで、お世話になった両親に残しておきたい資産と、GLAに寄贈させていただきたい資産をスッキリと認めさせていただきました。

人生祈念館への奉納問題の解決へ

また、人生祈念館には、家族と、祖父母と、先祖代々の御魂を奉納させていただきたいと願っていたのですが、全部で10人となると、それなりにお金も必要でした。

無理をすればギリギリ可能な額ではあったのですが、本当に自分1人で進めてしまっていいんだろうかという不安もありました。

というのも、GLAの研鑽費もそうですが、自分でお金を払ったほうが、学びにも熱心になるように、先祖供養につながる人生祈念館奉納も、家族でお金を出し合った方がより1人ひとりにとって「人は永遠の生命の魂である」という実感も湧くと思うのです。それゆえ、できれば親や、姉にもいくらかは出してほしいと思っていたのですが、額も大きいため、なかなか言い出せないでいました。

しかし、卒活講座を通して、母は死への恐怖心がなくなり、人生祈念館への理解も深まっていたので、自分からも素直な気持ちで人生祈念館のことも相談すると、父と母も自分たちの分はもちろんのこと、先祖の分も少し出してもらえることになりました。

その後、母が姉にも話してくれた結果、姉も出してくれることになりました。

こうして、それぞれが無理のない範囲でお金を出して、親族の人生祈念館への奉納を家族で分担することになりました。

こうして心に引っかかっていた色々なことが解消でき、死を見据えた上で、自分の魂の後悔と願いもスッキリとすることができました。

2日間のセミナーを通しての思いがけない功徳

翌朝、家族で集まって、セミナーの感想を分かち合ったのですが、母は死が怖くなくなってよかったことを話してくれました。

父は、またいつものように、GLAへの反発を語るんじゃないかな?と思っていたのですが、予想外に、初日の人生史セミナーでの実践報告に感動した話をしてくれていました。

実践報告された方が、家に居場所がないと感じていた所から、親との再結へと導かれていった話をされていたのですが、父も同じような境遇で親を恨んでいたところがあり、そのことに感動したと言っていました。

そのことを聞いて、自分の心の中でもつながった部分がありました。自分も人生史セミナーの最中に親への恨みが感謝に変わる体験を頂いていたのですが、それは自分のルーツである父親の祖父母への恨みが浄化されることで、自分の親への恨みも解消されていったことが見えてきました。

たった2日間の家族での取り組みだったのですが、根本にあった恨みが浄化され、人生祈念館への一族の奉納の話が進み、予想以上の大きな転換へと導かれてゆきました。

実践報告から見えてきた宿命から使命への物語の深まり

東京の家に帰ってきて、翌朝誘われるように、2006年の神理実践報告をお受けしました。もう一度、人生全体への眼差し、死を見据えた視点で、私の人生を隈取ってくださった先生との対話をお受けしたいと思いました。

対話の最後の部分で、「先生と出会い、世界中の人が自分の事を否定したとしても、先生だけは自分を信じてくださっているという思いがあって、自分を信じられるようになった」と語っている部分があるのですが、それは、「魂が抱いていたカルマとしてのニヒリズムの転換が起こった」からということを先生がお話ししてくださっていました。

先生と出会ったからこそ、ニヒリズムの転換が起こったことを改めて刻印しました。

自分の魂は、ニヒリズムのカルマを超えることを願って、ニヒリズムが引き出さざるを得ない3つの「ち」を背負う環境に生まれて、それを超える挑戦を、先生に導かれ、GLAで学んで実践させていただいていたんだなと思いました。

またもう一つのカルマである、「自分はいないほうが世界のため」について、「深い所にあった思い」であると先生はお話くださったのですが、きっと幾転生もの過去世から抱えていた深い痛みだったんだろうなと思いました。

「カルマ」としてのニヒリズムがあり、「心」は苦・暴流で、「暗転の現実」がねじれた人間関係となっており、「カルマ」、「煩悩」、「暗転の現実」から抜けられなくなっていたところから、「魂願」、「菩提心」、「光転の現実」へと、少しずつ導かれていたことがはっきりと見えてきました。

そして、人生そのものが、神様が作られた「宿命の洞窟くぐり」の挑戦であり、GLAのプロジェクトは、先生が作ってくださった、宿命の洞窟くぐりの場だったことが感じられてきました。

先生と、神様の響働の中で、見守られ、育まれ、転換へと導かれていたことが見えてきました。

先生を最高のモデルとして同伴者としての使命へ

翌日、この取り組みを振り返りながら、禅定を深めてゆきました。

これまで以上に、神様の愛、神様の光が感じられて、神様の信に応えようとしている自らの魂からのエネルギー、願いが溢れてきました。

今回、2日間のセミナーの前に、自分自身の信仰について振り返り、先生に救われた思いが執着となり、先生への依存心になっており、そこからどのように真の信仰心を深め、神様との絆に回帰するのかを求めての取り組みとなりました。

今思うと、救ってくださった先生のご存在のことがあまりに大きくて、その奥にあった、神様のことが見えていなかったんじゃないかなと思います。

人生史セミナー、卒活講座、そして、改めて先生から頂いた神理実践報告の対話を深めさせていただくことで、「魂・心・現実」の関係を深く理解し、神様、先生の響働によって、宿命の洞窟から使命の地平への転換が開かれ、これから果たすべき同伴者としての使命への道がスッキリと心に落ちました。

まだまだ本当に未熟ですが、先生を最高のモデルとして、私も先生のように、神様との絆を深め、魂からのエネルギーを湧出し、世界にお応えするゴールデンパスへの道を歩んでゆきたいと思いました。

「人生史セミナー・卒活講座への家族での参加と人生祈念館への一族奉納の悲願へ」への2件のフィードバック

  1. この世に生まれ、この世の価値観を吸収して、それにふさわしい自分になるために努力する。覚醒した人に本当の価値観を教えてもらって転換してゆく。転換した自分がこの世の価値観さえ転換してゆく。
    親の仇を打つのが当たり前の時代にあって、それを止めた法然を訪ねて岡山の誕生寺に巡礼に行かれた先生が「豊かになることではなかったんですね」と法然に言うシーンが思い出されます。

    1. Junjinoさん、GLAで先生の下で研鑽できたからこそ、奇跡のような転換が起こっていることを改めて感じました。
      先生は法然の魂にそのように語りかけられていたんですね。昔のGLA誌探してみますね。

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