9月のご講義で、恩恵の自覚を深める取り組みを先生に誘っていただき、講演会の準備においても、恩恵の自覚を深める取り組みが続いていました。
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合唱を通しての恩恵の自覚の深まり
その流れの中で、GLA合唱団の練習でも、恩恵の自覚を深める取り組みが進んでいきました。
恩恵の自覚が深まっていないと、どうしても、あれが足りない、これが足りないという飢渇感がベースにあって、それを埋めるように比較競争の心が出てきてしまうのですが、恩恵の自覚が深まると、すでに頂いていた功徳によって、心が満たされてゆき、新たに獲得することよりも、頂いた功徳をお返しする方にエネルギーが向かうようになっていきました。
そして、恩恵の自覚を深めてから発声練習をすると、自分を主張するような思いがどんどん消えていって、その後の歌の練習でも、競争する気持ちが、とても小さくなっていきました。
そして、「歌を通して思いっきり感謝の思いを表現できる合唱の働きは、なんと尊い働きなんだろう」と皆で話すようになっていきました。
先生より、3つの自覚「忍土の自覚」「愚かさの自覚」「恩恵の自覚」を深めることで、魂を煩悩から守ることができると教えていただいていたのですが、合唱の練習では「恩恵の自覚」を深めることを通してそのことがダイレクトに感じられ、あらためて神理の奥深さを感じました。
先輩の気づきから深められた更なる恩恵
指揮者のTLミュージックの先輩は、ずーっと、77年の頃から先生と御一緒に歩まれてきていたのですが、練習の合間に、様々な先生との出会いのエピソードや、作曲の時の話など、貴重な体験を分かち合ってくださいました。
ある時、「先生が信じてくださったから、気づきや発見をいただいてきたことが最近になってわかりました」と話されたことがあったのですが、自分の心にも深く響きました。
神理を学び始めた頃に、人生観が根本から変わってしまったのですが
「お金を儲け、偉くなることが何より大事」
↓
「 人生には目的と使命がある、魂は願いを抱いて生まれてきた」
となることで、自分や世界への不信感、ニヒリズムが根本から癒され、その後の人生の選択も全く変わった体験がありました。
それまで、その発見は自分で気づいたと思い込んでいたのですが、あの発見も、先生が自分の魂を信じてくださったから起こっていたことが分かり、恩恵の自覚が一気に深まる体験がありました。
その日の練習の最後は、新曲エネルギーに全体が包まれて、個を超えて、全体が一つとなった響きが生まれていったように感じました。
指揮者の先輩からも、音が音楽になったと、その変化を伝えてくださいました。
後からお聞きすると、同じように感じた方も多くいらっしゃったのですが、自分たちの恩恵の自覚が深まり、境地が上がると、もう一つの次元にある、この曲の本体、青写真にアクセスすることができるようになるのかもしれないと話し合いました。
本当に、このGLA合唱団は、歌を通して菩薩の境地を育んでいく、菩提心合唱団である実感が深まってゆきました。
サンフランシスコでのK御夫妻との出会いの深まり
感謝の集いの2週間前に、サンフランシスコ(以下 SF)のビデオ会のお手伝いに行ったことは、先月の記事でかかせていただきました。
SF には、サンフランシスコ交響楽団のK御夫妻がいらっしゃり、毎年、感謝の集いでは、器楽と合唱のコラボレーションがありました。
ただ、殆どのメンバーがアマチュアである合唱団の自分たちからすると、プロの皆さんを恐れるような気持ちがずっとあったのですが、それでも回を重ねるごとに少しずつ距離が近づいてきていました。
SFでは、プロジェクトメンバーもそれほど多くないこともあり、いつもは距離があったK御夫妻と色々とお話しすることができました。
特に旦那さんのSさんとは、同じ映像チームになり、神理実践シートの取り組みを深め、一緒にカルマを浄化する取り組みを深めていきました。
その後、日本に帰ってからもLINEでのやり取りはしばらく続き、日本の合唱団の取り組みをお伝えしたり、SFからの歓びの分かち合いがしばらく続いていました。
初めての器楽からの響働の歓び爆発の分かち合い
感謝の集いの前々日の金曜日に、最後の浅草での練習があり、器楽の皆さんとの練習が初めて持たれました。
毎年練習はしてきていたのですが、音合わせや、舞台の出捌けのシミュレーションがメインで、器楽の皆さんとは挨拶程度で終わっていました。
しかし、今年は練習が終わった後も器楽の皆さんが残られており、最後にSさんが前に立たれて、マイクで分かち合いをしてくださいました。
内容としては、日本から3人が来てくれて、「響働」を運んできてくれたという分かち合いだったのですが、爆発するような歓びを話してくださいました。
そして、器楽と合唱の「響働」を果たしていきたいと、感謝の集いの舞台への願いを分かち合ってくださいました。
Sさんは、普段は温厚なジェントルマンなのですが、そのSさんが歓びに溢れた分かち合いをしてくださって、大変に驚きました。
その様子をみて、SFに届いた神理の光は、自分たちが思っている以上に、大きかったのかもしれない?と感じました。
Sさんの分かち合いを受けて、合唱団でも、これまでになく、器楽と響働していきたいという願いが語られるようになり、これまであった器楽と合唱団の溝が一気に小さくなっていきました。
舞台で明らかになった課題
翌日は、横浜アリーナに入り、更に練習が深められていきました。
混声合唱は通常、ソプラノ、アルト、テノール、バスの4つのパート(女声2部、男声2部)で構成されているのですが、シミュレーションで、舞台上で実際に歌ってみると、思ったよりもバスの声が揃っておらず、バラバラに感じられました。
そのことを気にしつつ、楽屋に戻ったのですが、「Maxima」をソロのパートで歌ってくださる、Iさんとお話しする機会がありました。
Iさんは専門的に声楽を勉強されてきており、バスのパートがいかに大事であるのか、プロの視点から教えてくださいました。
また、新曲の「歓びを伝えよう」は、バスのパートがとても大切な役割を担っていることを教えてくださり、そんなに大事だったのかと、衝撃を受けました。
そこで、Iさんから、バスのいのちを、他のメンバーにも分かち合って欲しいとお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。
バスのパートのいのちの深まり
そして、感謝の集い当日の午前中のシミュレーションが終わってから、Iさんにバスのいのちについて教えてもらう場が持たれました。
バスの音域は、音響機器でいうとウーハーなどの巨大なスピーカーになるらしいのですが、ウーハーには大量のエネルギーが必要なことや、目立たないけれども、バスが全体の土台として支えていることなどを教えてくださいました。
バスは陰徳で支える働きなんだなと思いました。
そして、バスが共鳴し出すと、テノールの音が出るようになり、更にアルト、ソプラノと連鎖していくことを教えてくださいました。
なので、そのような連鎖を起こすためには、バスの音が一つに揃うことがとても重要であることがわかりました。
働きのいのちを深めた上で、実際にお互いの音を聞き合いながら歌ってみて、音を一つに揃えていく練習をしてみました。
ちなみに、それだけ重要なパートを担うバスの人数は、合唱団の中では一番人数が少なく、心をひとつにしてエネルギーを出さないと、その重要な働きを担えないこともわかっていきました。
本番の直前に、最後の練習を持ったのですが、練習後、バスの皆から「全然響きが変わった」という喜びの声があり、Iさんからの伝承を頂いて、バスが本来果たすべき働きへと、次元が一気に変わったように感じました。
そうして、いよいよ本番の舞台に向かいました。
新曲「歓びを伝えよう」 歓びの爆発
舞台の横から、Kさんのバイオリンでの演奏を見せていただいたのですが、リハーサルとは全く違う、神がかっているような雰囲気が伝わってきました。
器楽の後で、メドレーが続き、最後に合唱団で「MAXIMA」と、新曲の「歓びを伝えよう」を歌いました。
新曲としてお披露目することになった「歓びを伝えよう」は、青写真にアクセスしていくプロセスを通して、途中でサビの部分からスタートするように変わってききました。
歌い出しは
「惜しみなく応えよう 奇しき 御業に
限りなく 降り注ぐ 光を浴びて 歓びを伝えよう」
という歌詞から始まるのですが、合唱団の練習で、初めてサビから始まるヴァージョンを歌ったときに、感謝の集いで圧倒的な光が注がれるこの歌の世界のイメージが伝わってきて、感動のあまり、練習が終わってからもずっと涙が止まらなくなってしまったことがありました。
そのイメージをずっと深めながら練習してきたのですが、感謝の集いの当日は、きっとそのようなことが会場で起こっていたんじゃないかな?と思います。会場で聞いていた方がいらっしゃったら、あの時の感想とか、よかったら教えてください!!
TLミュージックの先輩からの喜びの分かち合い
舞台を終えて、控室に戻ってしばらくすると、指揮をしてくださっていたTLミュージックの先輩が戻ってこられて、感動の舞台が現場した歓びを分かち合ってくださいました。
何か凄い場を、体験させていただいたなという感覚はあったのですが、改めてGLA50周年の前半プログラムの最後のパートの器楽と合唱という、大切なはたらきに応えさせて頂いたんだなと感じました。
器楽に起こっていた奇跡
感謝の集いが終わってしばらくしてから、器楽で舞台に立たれていたSさんから共有を頂いたのですが、当日何が起こっていたかを知り、改めて驚きました。
一般的にプロの音楽家の皆さんは、普段は厳しい競争の中でお仕事をされており、一緒に演奏する人に対しても、問題点を指摘する気持ちが常にあるそうです。
しかし、感謝の集いの器楽の演奏では、そのような気持ちが全くなく、ミスが一つもなかったということでした。
プロの方でもそのような舞台を経験したのは、初めてのことだったそうです。
演奏の前に、器楽の皆さんで円陣を組まれて、祈り心で演奏がスタートしていったらしいのですが、演奏しながらも、皆が支えてくれている思いがひしひしと伝わってきて、安心して演奏することができたということでした。
そばからバイオリンの演奏を見せて頂いて、神がかっているように見えていたのは、これまで一度も見たことがない奇跡の演奏が現場していたんだなと改めて納得しました。
器楽の皆さん、そしてメドレーの皆さんとの響働の上に、合唱団が歌わせていただいていたことを考えると、本当に奇跡の場に立たせていただいていたことを感じました。
先生がお作りくださる感謝の集いのコンサートを通して、プロもアマチュアもそれぞれが神理実践することによって、世界に2つとない、神様とつながる稀有なるコンサートが生み出されていたことを感じました。
最後の「希望の故郷へ」の大合唱で訪れたユニバース体験
50周年の感謝の集いのご講演の最後に、先生とご一緒に「希望の故郷へ」を歌いました。
映像として、この50年のGLAの歴史の映像が映されたのですが、GLAに、そして先生のもとに集いたかった魂の必然がこれまででも最大級と言えるくらいに溢れてきてしまって、ほとんど号泣して歌うことができませんでした。
でも、改めて感動とともにこの曲のいのちに迫ることができたのも、合唱を通して、何百回もこの曲を歌ってきたからであり、この仲間とともに歩ませていただいたからこそ、このような思いが引き出されてきたのかなと思うと、合唱団への感謝も深まっていきました。
SFに行くときに先生にお声をかけて頂いたのですが、先生の御心には、器楽と合唱の響働に道がつくように、そして感謝の集いのコンサートの青写真が具現されるように、ずっと導いてくださっていたんじゃないかなと思いました。
一切を導いてくださった、先生、神様への感謝の思いを深めつつ、これから使命の働きへと向かっていきたいと思いました。
演奏者が求める境地には、的に当てようとせずに的に当てなさい、とか、自分でない者に引かせなさい、と言う弓道の極意に通じるものがあるように思いました。
Jujinoさん、弓道においても、芸術の道においても、道を極めていくと神様の領域に近づいていくんでしょうね。
今月号のGLA誌に、「今を生きることは、永遠を生きることなのです」と書いてくださっていますが、同じことなのかなと思いました。