2017欧州への旅4 ワルシャワの闇の歴史と世界不信の浄化

カウナスを夕方に発って、夜中にワルシャワのホテルに戻ってきました。
結局ワルシャワのホテルに泊まれたのは、初日と最終日だけで、あとは遠距離バスでの移動中に休むことになりました。

ホテルでの朝食

昨年の上海に行ったときもそうだったのですが、あまり食事にエネルギーを使うことができず、一番ワルシャワらしい食事は、ホテルの朝食となってしまいました。

BF

また、ワルシャワのホテルで驚いたのは、エレベーターに部屋と同じようにドアノブがあり、最初はこれがエレベーターとは思わず、迷ってしまいました。

Elevator

ワルシャワでの歴史探訪

今回の旅の起点はワルシャワだったのですが、クラクフ、ベルリン、カウナスとその周辺を回る中でワルシャワがミッシングリンクになっていました。

Airplane2 2

ワルシャワは音楽の都としても有名なのですが、それより第二次世界大戦の起点であり、多くのゲットーが作られていた歴史について調べるため、「ワルシャワ蜂起記念館」と、「ワルシャワユダヤ人博物館」に行くことにしました。

欧州を回っていて、ポーランド語やドイツ語しかなく、日本語どころか英語がなくて意味が分からなかった場所も多かったので、ユダヤ人記念館は英語のガイドがあるコースを事前に予約しました。

夕方には飛行機のフライトとなっていたので、まずは午前中に、ワルシャワ蜂起記念館に行くことにしました。

移動中のワルシャワの街は、清々しい晴天でした。

Town

ワルシャワ蜂起記念館

ワルシャワ蜂起記念館自体は、ワルシャワ蜂起(Warsaw Rising)、といってドイツの支配に対してレジスタンス(Home Army)が立ち上がった歴史の記念館となっていました。

最初の方に、戦争が始まった経緯が書かれていました。

Beginning of the war

この戦争では、子供達もレジスタンスとして活動していました。

Child Fighter

当初、ポーランドのレジスタンスが立ち上がれば、ロシアの赤軍が助けに行くという契約を結んでいたのですが、ロシア軍は進撃を停止してしまい、ワルシャワは壊滅的なダメージを受ける結果となりました。

Figure

壊滅した街の様子を3Dで見ることができたのですが、大行列が出来ており、残念ながら見られませんでした。

3DCityOfRuin

展示内容は、ナチスの侵攻に対して、ワルシャワのレジスタンスが、いかに勇敢に立ち向かったのかが主題となっており、どんどん武器の展示が増えていきました。

Gun

Weapon

ナチスに対するあからさまな嫌悪感を表現しているような展示も増えていきました。

HateNati

Firing

また、戦時中のゲットーの写真などもありました。(ちなみに、ゲットーとは、ナチスによって各地に作られたユダヤ人の強制居住区です。)

Gettho

そして、最後は、湾岸戦争で勇敢に戦った、ポーランド軍の様子が紹介されていました。

BayWar

ソ連に裏切られ、ドイツに侵略され街は壊滅した・・・、その恨みの巻き返しの思いは消えることなく残っていて、戦争へと突き進んでいくエネルギーとなっていました。

最後の方は、気分が悪くなって耐えられなくなっていきました。

展示場の最後は、地下の方まで降りていったのですが、レジスタンスが闘っていた、迷路のような地下水路の施設に入り込んでしまいました。

「もう無理、限界、早く出たい」と思って、出口を探して走り回ったのですが、ぐるぐると同じ所を回って、出たいのに出られず、意識の迷路に入り込んで抜けられないような状態となってしまいました。

Cave

しばらく走り回って、命からがら入り口に辿り着くと、外は土砂降りの雨となっていました。

そして、雨の中をずぶ濡れになりながら、この建物から飛び出すことになりました。

Rain

世界平和への甘い希望の粉砕

この記念館を回る前まで、当然の前提として、世界中の人が世界平和を求めていると思っていました。

そのため、戦争の記念館というものは、戦争への後悔を深め、平和を願う内容になるはずと思っていたのですが、この記念館は、戦闘意欲を鼓舞するような内容となっており、ポーランド人の皆さんは共感を深められているようでした。

後で、ポーランドにホームステイされた方からお聞きしたのですが、そのご家庭も、ドイツに対する強い恨みを持たれていたそうです。

第二次世界大戦時、日本は人口の5%が亡くなったのですが、ポーランドでは17%ほどが亡くなっており、最も戦争の被害が激しかった国として、多くの痛みと恨みが根強いことを感じました。(ちなみに、リトアニアは14%でポーランドに次いで、多くの人が亡くなられています 第二次世界大戦の犠牲者より

ショックと共に、戦争に向かう明確な意志を持っている人たちが世界には多くいることを、知ることになりました。

次の、ユダヤ人記念館のツアーの時間が迫ってきていたので、雨のワルシャワを傘も差さずに走り回って、電車を乗り継いで博物館へと移動しました。

ポーランド・ユダヤ人歴史博物館探訪

ポーランド・ユダヤ人歴史博物館に到着すると、沢山のユダヤ人の方がいらっしゃって、キッパを被っているかたもいらっしゃいました。

YudayaMuseum

博物館自体が、3年ほど前に開所したばかりであり、一つ一つの展示物が、CGを駆使して、芸術作品のように美しく作られていました。

シナゴーグを再現された天井画は、圧巻でした。

Sinagog

この記念館の建っていた場所は、かつてポーランドの最大のゲットーがあった場所に立てられていました。(「戦場のピアニスト」という映画の舞台になった場所になります)

Gettho2

博物館には、ポーランドにどのようにユダヤ人が移り住んできたのか、その歴史について書かれていました。

また、この博物館を回っていて、クラクフにあったバルバルカン要塞と、ヴァヴェル城、そしてユダヤ人の歴史がつながっていきました。

Kurakuf Kingdom

バルバルカン要塞は、モンゴル軍のチンギスカンの侵攻を阻止するために作られていたとタクシーの運転手さんに教えてもらっていたのですが、元軍によってこの地域の住民が殺されてしまい、空白地帯となった場所の復興のためにユダヤ人が呼ばれたことが分かりました。

そして、ユダヤ人をこの地に呼んで、庇護した歴代の王様がいたのが、ヴァヴェル城となっていました。何となく通った場所が、歴史上重要な意味を持っていたことが証されていったのですが、導かれての旅であったことを改めて強く感じました。

KurakufKing

ユダヤ人は、教育にかなり熱心な民族で、殆どの人が文字を読むことができ、文字を書ける人も多かったため、ポーランドの有力者に、庇護されるような形で、経済的な側面で力を発揮するようになっていきました。

当初は、キリスト教徒とも仲良くしていたそうです。

ユダヤ人の数が増えていき、力を持つようになると、ポーランド人との衝突も起こっていきました。

ただ、権力者に庇護されていたので、それほど大きな迫害はなかったそうです。

しかし、ポーランドが、侵略されて、3つの隣国に分割された時に、ロシアの支配者から迫害されてしまいます。

そして、最大の悲劇は、ポーランドがドイツとソ連に分割された時で、ドイツはワルシャワにゲットーを作りました。食事は、通常の1/3になり、飢餓で亡くなっていく人たちも多くなっていきました。

DeutchSoviet

そして、アウシュビッツ、ビルケナウ等の絶滅収容所が作られていくことになりました・・・。

残念ながら、飛行機の出発時間が近くなってしまったので、ツアーの最後の方で中断し、空港へと向かうことになりました。

ワルシャワで、二つの博物館を見ることを通して、ミッシングリンクだったワルシャワの歴史に止まらず、ユダヤ人の歴史全体についても認識を深めることとなりました。

ヘルシンキでの更なる歴史の追究

トリムと、電車を使って、ワルシャワ空港へと移動し、飛行機にのって、ヘルシンキへと向かいました。

ヘルシンキには、夜中の12時位に到着し、次の日本行きの飛行機は、翌日の夕方の4時となっていました。

ヘルシンキでは、空港泊をすることにして、旅で得た情報を整理し、更に調べて、しっかりとした理解につなげることに時間を使いました。

以下は、この期間に調べた記録ですが、

ユダヤ難民に関する5大クエスチョンとして

  • Q1 ユダヤ人はどんな民族? ユダヤ教ってどんな宗教?
  • Q2 西欧の歴史におけるユダヤ人
  • Q3 何で迫害されてきたの?
  • Q4 ユダヤ陰謀説って何?
  • Q5 ユダヤ人の歩みから、今の時代に呼びかけられていること?

を設定し、旧約聖書からのユダヤ人の歴史、主に技術の進化と、社会構造の変遷という視点からの世界史の理解、そして第二次世界大戦とユダヤ人の関係について調べていきました。

History jude

ユダヤ人、イスラエル、エルサレム、パレスチナ難民、・・・。

ニュースで単語としては聞いているけれども、よく分からなかった断片的な情報を、世界史の過去の流れから紐解いて、理解していきました。

イスラエルの建国には、第一次世界大戦の時に、イギリスに資金的な援助をしていたユダヤ人資産家のロスチャイルド家の影響が大きいのですが、イギリスのバックアップがあって、イスラエルが建国された後で、中東戦争がはじまってパレスチナ難民が発生し、未だに解決の道が見えていない状況となっていました。

宗教と民族の問題が解決しない限り、この問題に答えはないようにさえ思えてきました。

世界を支配する悪の組織という幻想の消滅

また、調べる中で、これまで何となく抱いていた、「世界には人類を支配する悪の組織がある」という概念が、どこで生まれたのかを発見していくことになりました。

まず、歴史的な事実として、反ユダヤ主義が生まれてきた経緯を調べていったのですが、「シオン賢者の議定書」というかなり偏った書籍によって、ユダヤ人とフリーメイソンというドイツの秘密結社が結びつけられたことが見えてきました。

そして、ヒトラーによってそれらの思想が具体的な政策に結ばれ、ユダヤ人の虐殺へとつながってきていました。

そして、未だにマスコミ等のメディアを通じて、ユダヤ人の陰謀論として世界に影響を与え続けていたことを知ることになりました。

また先生の御著書の「魂の発見」には、優生学という思想が、ヒトラーの絶滅政策にも影響していたことが書かれていたのですが、先生が歴史についてお書き下さった内容も改めて調べていきました。

原点としての、「人間の絆──基盤篇」への理解の深まり

日本に帰ってからは、ナチスのSSの役を演じるKさんと一緒に、役の背景を調べることになったのですが、調べる中で先生の御著書「人間の絆──基盤篇」へと辿り着きました。

実は、この御著書は、私の入会のきっかけになった本なのですが、何となく「ヒトラーについて知りたい」と友人に話したことがきっかけで、この本と出会い、本格的に神理を学ぶことにつながった本でした。

この御著書には、同じように厳しい人生の条件を与えられながら、全く異なる人生を歩むことになった、ヒトラーとガンジーについて対比するように書かれていました。

反芻する中で、ヒトラーと、ドイツの民衆と、戦争の関係が改めて深く見えてくることになりました。

ヒトラーの人生の初期は、理不尽とも言えるような試練が続くのですが、その中で強い「挫折感」と、「不充足感」を抱えることになりました。その彼の中にあった恨みが、「劣等人種」としてのユダヤ人と、絶対的に優秀な民族としてのアーリア人という世界観を生み出すことになりました。

ドイツは、第一次世界大戦の敗戦による多額の負債を抱えており、ドイツの民衆は誇りを喪失し、屈辱感に苛まれていたのですが、ミクロとしてのヒトラーの心と、マクロとしての民衆の思いが響き合って、第二次世界大戦へと突き進み、世界に破滅的な破壊をもたらすことになっていました。

世の中には、分かりやすい悪というものは、存在しなくて、多くの人が知らず知らず、「3つのち」に飲まれて、心が闇に染まり、カオスから暗転の現実を引き出すことになっていったことが見えてきました。

闇の底で見えてきた世界の真実

今回の欧州の旅は、ある側面、人間の最も深い闇を見るような旅となってしまったのですが、先生の御著書に同伴して頂きながら、その根っこの方までずっと見ていくことによって、根底にある人間の光と闇、人間と世界の関係を知ることになりました。

そして、自らの中に流れ込んでいた世界不信の根っこも見定めることになり、その正体への理解が深まる程に、より深く神理の眼差しが自らの中に浸透し、世界不信の思いが浄化されていくことになりました。

そのことは、会社やGLAプロジェクトでの人間関係を大きく転換することにもつながっていきました。

(続く)

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