前回まで欧州の旅を通して、世界の人々は平和を願っているという安易な希望が打ち砕かれ、世界の闇の深さが見えてくるのと同時に、世界を支配しようとしてる悪者がいるという世界不信が神理によって浄化されていきました。
Contents
生活実践で頂いたアドバイス 苦暴流の爆発の回避
自分の心を浄化をしている最中に、GLAの生活実践である事件が発生しました。
実は、会社では、システム部門に対して、この数年の検証の結果、見えてきた問題点を追求する報告書を準備していたのですが、その報告の前日に、生活実践がありました。
自分の近況について話したところ、同じ劇チームの先輩から、「劇で担っている役と逆のことをしようとしているんじゃない?」と言われてハッとしました。
私は劇の中で、杉原千畝に不備を追求されて、千畝に恨みを募らせる役を演じていたのですが、もし問題点を追求してしまったら、千畝と同じように恨みを買うことになり、結果として願いを果たせなくなってしまうことが感じられてきました。
ギリギリの所でストップをかけて頂いて、問題点の追求は辞めることになりました。もし、あのまま追求していたら、今後数年間は埋まらない溝を生んでしまい、後悔することになっていたと思います。
青年塾収穫のセミナーでの実践報告 もたらされた嫉妬の心からの転換
このように、自分の中で、善と悪の世界観が、大きく転換している最中に、青年塾の収穫のセミナーが開催されました。
私は、新しく参加した人の同伴の働きがあり、プロジェクトとして参加していました。
ご講演の内容は進み、今回の実践報告は、一緒にプロジェクトを担ってきた、K君が壇上に呼ばれることになりました。
最初、一瞬嫉妬の想いが出て来て、「認められたK君と、認められていない自分、どうせ自分なんて」と拗ねるような気持ちが引き出されてきました。
しかし、次の瞬間、その心に「ちょっと待て」がかかりました。
もしこのままの拗ねてしまったら、それはK君のいのちの尊さを否定することになってしまうんじゃないか・・・、それは同時に自分自身のいのちの尊さも否定することになってしまうんじゃないか・・・?
K君の尊さを刻印することは、自分自身の魂の尊さを刻印することになるんじゃないかな?
という思いがなぜか心の中から湧いて来ました。
そこで、嫉妬の思いに飲まれて卑屈になるのではなく、K君の実践報告を、K君のいのちの尊さを刻印しながら受けさせて頂こうと心に定めました。
先生によって証された光と闇
それで、K君が背負うことになった宿命、そして、引き出されてきた魂の光を、ご一緒に深めさせて頂こうと、一生懸命にその実践報告をお聞きしました。
K君とは、転職の試練の時など、何度か深く話しを聴かせて頂くことがあったのですが、一度も聞いたことがないような、生まれた環境のことや、ご両親の教育方針と、その後の学校での試練の話しなどを先生の実践報告から教えて頂きました。
長い間一緒にプロジェクトをやってきたのに、そのような「3つの『ち』(血・地・知)」故の苦しみがあったとは、全く分からなかったと申し訳ない思いとなりました。
改めて、先生の同伴の深さ、「3つの『ち』」の見取りの深さに砕かれていったのですが、あるときに、思いがけず、私の名前が呼ばれることになりました。
「何かK君に対して、厳しいことを言ってしまったのかもしれない、参ったなあ、先生は何を話されるんだろう」
そのような不安を抱えて、自分の失敗を責められるかも知れないなという思いで、聞いていました。
しかし、予想に反して、先生はK君にとって、大きな転換点となったかけ橋セミナーのプロジェクトにおける、切磋琢磨の相手として、私のことをご紹介下さいました。
切磋琢磨した私の方が、曖昧にしか覚えていなかったのですが、その一回の出会いが、K君の人生にとっては非常に大きく、身体的な不調も解消し、上司との関わりが変わっていったことを教えて頂きました。
切磋琢磨をしていた私よりも、先生の方が鮮明に当時の出会いの様子や、その結果起こったK君の人生の転換について、深くご存知でした。
お聞きしていて、そんなことが起こっていたのかと、感動と驚きと共に聴かせて頂きました。
これまでK君から佐渡の「呪い」について、何度か聞いていたのですが、先生もそのことに触れて下さいました。
ただ、K君からは表面的にしか聞いておらず、具体的な内容については分からなかったのですが、実践報告をお聞きしていると、K君がその中で本当に苦しんで来たことを教えて頂くことになりました。そして、そこから本当に自由になって、転生の願いを生きて、使命を果たし始めていることが、自分事のように嬉しく感じられてきました。
先生から頂いたニヒリズムの転換
K君の実践報告は、自分にとっても非常に大きな転換を頂くことになりました。
というのも、私自身は、青年塾時代の活動について、光転の出来事があったことを殆ど意識化できていませんでした。
先生のヴィジョンの具現のために、お応えしたいと願ってはいたのですが、お応えしきれなかった後悔の方が大きく、申し訳ない思いばかりが強くありました。
しかし、先生がお作り下さった、「切磋琢磨」という出会いのシステムを通して、K君の人生が光転し、人生が光転したことを教えて頂くこと通して、光を生み出していたこともあったということを教えて頂くことになりました。
その後も、数名の方から、「K君だけじゃなくて、私も光転の縁になって頂きました。」「そのように感じている青年は多いと思いますよ」と感謝の言葉を頂くことになりました。
その出会いの全てが、驚きだったのですが、自分の中では本当に全くと言っていいほど、光転の縁になってきたという自覚がなかったのですが、そこに亀裂が入ることになりました。
今年は、ニヒリズムを転換する一年としたいと願っていたのですが、2006年に頂いた実践報告の時に、先生は私の魂の場所に、「ニヒリズム」と書かれたカードをカルマとして貼って下さっていました。
ただ、ニヒリズムとは何で、どうやって超えればいいのかも、全く分からなかったのですが、自分の光も、世界の光も、そして何よりも既に注がれていた先生、神様からの光を見いだせないのがニヒリズムだったのかもしれません。
そこに転換がもたらされ、「ニヒリズム」の闇に対して大きな癒やしがもたらされることになりました。先生に導いて頂かなければ、このような転換は決してもたらされなかったと思います。
ユダヤ人への祈りの深まり 地上の星でもたらされた救い
こうして様々な根本的な転換を頂きながら、伝研セミナーでの劇の上演に向かいました。
特別御供養が終わっても、ずっとユダヤ人への御供養の祈りは続けていたのですが、地上の星で祈りを捧げていると、先生は、ユダヤ人お一人お一人の痛みを受けとめて下さっていて、全ての人々に光が届くように関わって下さっていることが感じられてきました。
そして、劇が上演される大講堂の空間と、第二次世界大戦のガス室やゲットーがつながっていくように感じました。
一切の痛みを集約して、この場で、大いなる癒やしがもたらされることを感じました。
約束の地をずっと求めてきたユダヤ人にとって、この劇の上演の日が、約束の地に到る時ではないかと感じられてきました。
更に二日目も、地上の星で祈りを捧げたのですが、自分の国を持たず、約束の地を求めてきたユダヤ人と、自分自身の歩みが重なっていくように感じました。
ニヒリズム故に、「どうせ自分なんて」という思いが強く、仕事においても、GLAのプロジェクトにおいても自分の居場所を探してきた部分がありました。しかし、GLAに辿り着いているだけで、既に救われていたことを思いました。信次先生、佳子先生とつながって、もう何も要らないという心境へと導かれていきました。
そして、職場とGLAの関わりの両方に光を注ぎ、とらわれこだわりを洗い流していきました。
劇の空間と第二次世界大戦の世界とのシンクロナイズ
こうして、ずっと祈りを捧げ、劇の内容と自分自身を重ね合わせながら、劇の上演へと向かいました。
劇の上演中は、大講堂の空間自体が、本当にその時代とシンクロしてしまったようで、些細な食事のシーンでさえ、本当に味がしてきて驚きながら演じていました。
ユダヤ人のシーンも、演じるというより、ユダヤ人の気持ちが乗り移ってきて、当時の心境のままに生きるような状態となっていきました。
いつ殺されるか分からないという死への恐怖・・・。
一縷の望みを託して、日本領事館の杉原千畝を尋ね、ビザの発給を待っていたこと・・・。
そして、千畝からビザを頂いた時に溢れてきた感謝・・・。そして日本へ・・・。
是非、その内容については、DVDが春に発売されるとお聞きしているので、ご覧下さい。
劇の上演を通してもたらされた魂の救い
劇の上演が終わり、挨拶をしてから舞台裏に向かいました。
そして、最後に感謝の祈りを捧げることになりました。
その時に、ユダヤ人からの感謝の思いが魂を直撃しました。
やっと、求め求めてきた約束の地に到着することが出来た。そのような感謝の思いが伝わってきました。
同時に、私自身の魂願としての「地をはうように生きざるをえない人々の同伴者になりたかった」という願いがつながっていきました。ユダヤ人の底なしのような苦しみの底へとずっと祈りを捧げていったのですが、どこまで深いのか分からない暗闇が広がっており、自分の中でストップがかかりました。
自分には闇の深くまで光を届けることは無理だったのですが、その底にまで先生、神様の御光が届いていることを感じました。
そして、私には到底背負えないような深い戦争の闇にも、先生、神様の救いの御光が注がれていくように感じ、私自身の魂も深く癒されていきました。
もう一つのニヒリズムの転換
この期間、御供養を通してお爺さんの魂の救いと、ユダヤ人の魂の救いを、見せて頂くことになりました。
半身不随になって、虚ろな目で世界を見ていたお爺さん。
そして、数千年の間、民族の虐殺の試練を何度も経験しながら、約束の地を求めてきたユダヤ人。
どちらも、本当に深いニヒリズムを抱えられていたんだと思います。
時に、神を呪い、絶望するような思いにもなってこられていたんだと思います。
そこに、先生、神様の光がもたらされ、約束の地に導かれていったように思えたことは、私自身のニヒリズムを救って頂いたからだと感じました。
伝研セミナー最終日に頂いた先生との出会い
劇も全て終わり、伝研セミナー最終日のご講演は、参加者としてお受けすることが出来ました。
ご講演をお受けしていて、自分が死んだ後で、先生があの世から向かえに来て下さり、「使命を果たしてきました」とご報告している姿が見えてきたように感じました。
それが、本当に自分の魂の願いであることをしみじみと感じていた所、先生の香りが伝わってくるように感じました。
何度か伝わってきたので、これは行かないといけないのかなと思い、握手へと向かいました。
すると不思議と道が開かれていき、先生と握手させて頂くことになりました。
劇のことや、御供養のことや、色々と感謝をお伝えしようかとも思ったのですが、それらを一旦止めて、先生の御心に托身しようと思いました。
先生は、先日のK君の実践報告について触れて下さいました。
私は私の関わりによって光転したようにお伝え下さったのですが、自分が何かやったとはとても思えず、全ては先生がお作り下さったシステムによって運んで頂いたことをお伝えさせて頂きました。
すると、先生は更に、公案としての御言葉を下さいました。その内容については、まだ受けとめ方が浅い状態なので、これから深めさせて頂きます。
先生の御言葉によってもたらされた再結
後日談となりますが、先生から御言葉を頂いたことで、更なる再結へと導かれることになりました。
実を言いますと、劇チームの中で新しく出来たチームの中で、波動戦争が激化してしまって、修復不可能なほど厳しい状態となっていました。
劇が終わってしばらくして、最後の後智慧のために集まったのですが、また波動戦争が再燃しそうになりました。
しかし、先生が私に関わって下さったことが皆さんの心の中にあって、自分達の見方と、先生の眼差しが違っており、受け止め方を見直すように誘われたことが分かち合われました。
そして、同伴を願っていた私たちのことを、見えないところで、先生が同伴して下さっていたこと皆で発見し、先生がこのチームの困惑も全て吸い込んで転換して下さっていたことに気づいていきました。
そして、お互いを尊び合う心が生まれて、再結へと導かれていきました。
先生こそは同伴者としての、究極のモデルであったことが皆の実感となった時に、わだかまりも消えていくことになりました。そして、それぞれの使命が証されていくことに繋がっていきました。
本当に、先生は個人の困惑、プロジェクトの困惑、世界の困惑、一切を困から願へと運び続けて下さっており、お応えし切れていない後悔ばかりが募ってしまいますが、更なる神理実践、使命への道を歩み深めていきたいと思いました。