魂主義という生き方 「マルかバツか」を超える生き方への挑戦

前回、「魂主義という生き方」の第三章の反芻を通して、「どうあらんとするか」を問う、魂主義の生き方が、人間の使命の図とつながっており、唯物主義、刹那主義、利己主義という時代の限界を超えて、魂文明を開いていく道が示されていると感じたことを書かせて頂きました。

そこから一つ戻って、第二章を深めていくことにしました。

Contents

第2の自分革命 「マルかバツか」を超える —「カオス」の導入

第2章には、次の御著書である「未来は変えられる」につながっていく内容だと思うのですが、「カオス」について書かれています。

「カオス」で受けとめる対極に、マルかバツかで捉える2分法があるのですが、その根本に生命体にとっての大原則である快感原則があり、更にその基に人生の条件としての3つの「ち」があることを示されていました。

3つの「ち」は、その人の「常識」をつくります。ただの常識ではありません。ほとんど疑うことができず、私たちを強く束縛する無意識となった常識です。その不可避の常識が、快苦のグループ分けとその感覚をつくるのです。

魂主義という生き方 100P〜101P

そして「カオス」について、次のように定義して下さっていました。

もし「快感原則」に従うだけなら、私たちは、「人生の意味」を喪失してしまうことに目を開かなければなりません。

「人生の意味」は、「快苦」を超えたところにあるからです。

ものごとには、単純にどちらとも決められない、定まっていない部分があります。それをここでは「カオス」と呼ぶことにしたいと思います。

魂主義という生き方 104P

非常に短い文章ではあるのですが、「カオス」と受けとめることによって、「快感原則」による「人生の意味」の喪失という根本的なテーマを超えていけることが書かれていました。

「超越の視点を持つ」という魂主義の生き方

更に先生は、「超越の視点を持つ」の節で次のように書かれています。

同じ平面上で快苦に揺れ動いている間は、その動揺を克服することは非常に困難です。同じ平面で生きている以上、そこに波が生じれば動揺せざるを得ないからです。
しかし、どうしても果たしたい願いを抱き、人生に使命を見出すとき–つまり私たちが魂の次元を取り戻すとき、快苦の平面から垂直に立ち上がる軸を持つことができます。そのとき、カオスの視点から、まったく異なる生き方を引き出すことができるのです。

魂主義という生き方
超越の視点
ご著書「魂主義という生き方」 109Pより抜粋
https://www.sampoh.co.jp/books/tamashiishugi/

前回、第三章を深めさせて頂き、「どうあらんとするか」を問う、魂主義という生き方によって、快苦を超え、人間の使命を生きられることが心深くに落ちました。

全ての人類が共通で直面している「人生の意味」の喪失という根本的な危機に対して、魂主義によって人生の目的を意識化することは、「カオス」という受け止め方を導き、それは境地の深化による神意との遭遇という新たなステージへと人類全体を導いていくことを感じました。

イエローハットの創業者である、鍵山秀三郎さんは、この本の帯に次のように書かれていました。

「本書を読んで、魂のことがよくわかりました。
今までどこからも与えられなかった魂についての解答が明かされ、もう人生に難題はなくなるでしょう」

最初、この帯の文章を読んで、「人生に難題はなくなるでしょう」とまで言い切られていることに驚くと共に、鍵山さんがどうしてそこまでの確信を得られているのか分かりませんでした。

しかし、今回御著書の内容を反芻することを通して、改めてこの御著書の内容への理解が深まり、本当に魂主義には、魂文明を開いていく力があることが実感として感じられてきました。

人間のまなざしにお書き下さっていた神理

カオスにいて深めていて、ふと昔読んだ「人間のまなざし」のことを思い出しました。

この本は私が入会する前の、1980年代に書かれているのですが、改めて人間のまなざしの8冊の御著書を読み返してみました。

すると、「人間のまなざし こころの対話」の中に、先程の三角形の絵と似ている絵が描かれていました。

「現実の現象の奥にある本体のありようを見届ける眼」として紹介されており、三角形の頂点は神仏のまなざしとされていました。

内容自体は異なる側面から書かれていますが、快苦を超える超越の視点を持つという点では、通じるところがあるように感じました。

先生のお説き下さる神理で、私が特に感動する点は、過去に説かれた内容と矛盾が無く、全てがつながっているという点です。

神理(神の理)とは、人間を含む万象を貫いている永遠不変の法則であり、高橋先生はその神理を「魂の学」として体系化されています。

私もブログを書いてきて、数年経ちますが、今から振り返ると、修正しないといけない箇所が山のようにあります。

それは、自分自身の価値観や考え方が変化すると、過去の自分との矛盾が発生するからなのですが、先生のお説き下さる神理はそのような矛盾がないように感じます。

具体的には、今回がまさにそうだったのですが、カオス理論について理解が深まってきており、快苦に飲み込まれてない生き方が重要なんだなと実感が深まった視点で、改めて過去の御著書を読み返すと、その本質の部分は既に書かれているように感じました。

ある先輩が、先生は滝のように膨大な神理を説かれているのに、弟子である私たちは、それをスプーンですくう位しか理解できていないと話されていたことがありました。

本当にその通りだなあと、今回も痛感することになりました。

shougo_tamashishugi-3.jpg

医療の先輩からの内なるデストロイヤー発見のヒント

第二章が少し深まってきたところで、前回のプロジェクトでの神理実践の話しに戻らせて頂きます。(今回はカオスという受け止め方によって転換が起きたかなと感じています)

八ヶ岳に向かう前日に共同体のあるプロジェクトの打ち合わせがあり、ネクステージSRSの時に切磋琢磨を頂いた医療分野の先輩と、改めて出会う機会を頂きました。

そこで、私の煩悩の傾向について、更なる切磋琢磨を頂くことになりました。

あの出会いから少しずつ気づきが深まってきたことをお伝えしたところ

「もし今回の気づきが、転換にまで結ばれたら、とても大きな転換になるんじゃないか」

とアドバイスを頂きました。

自分ではそれほど意識化できていなかったのですが、少し見えかけてきた内なるデストロイヤーを、しっかりと捕まえていきたいという必然をより確かにしました。

職場での事件勃発 神理実践シートによるデストロイヤーの発見

そして、とうとう八ヶ岳でのプロジェクトに向かう木曜日となり、三日間八ヶ岳で過ごす準備をして、会社に行きました。

いつも通り仕事を進めていたのですが、青年塾セミナー以降も関わりが改善できていなかった方から、最大級の反発を受ける試練が発生しました。

「何でここまで自分のやってきた成果を否定されないといけないんだろう」という不満を抱えつつ、新宿から八ヶ岳に向かう「あずさ」に乗り込みました。

そして、最新の神理実践シートである「カオス・受発色融合ウイズダム」に取り組んで、この事件の呼びかけを受けとめることにしました。

今回、先生のお作り下さったシートへの取り組みを通して、その神理を実践しました。

当所、どう考えても相手が理不尽にしか思えなかったのですが、シートへの取り組みを通して、過去にも同じような繰り返しがあったことが見えてきました。

「でも、何でこんなに理不尽なことが繰り返されるんだろう・・・、相手はどんな気持ちなんだろう・・・」と繰り返しを生んできた原因を探していきました。

自分から見ると、相手は怒っていて、自分のことを攻撃しているように感じられました。

そこで、どこで相手を怒らせてしまったのか探していったところ、直前に相手のまとめた結果に対して、自分が調べた結果を上書きするように共有していたことを思い出しました。

自分からすると、相手がまとめた情報がちょっとおかしいなと感じる所があって、正しい情報を渡したと考えていたのですが、相手からすると、仕事の成果を真っ向から否定された形となっていたことが見えてきました。

全く無意識だったのですが、自分の方が先に仕掛けていて、相手を怒らせ、反発を受けていたことが見えてきました。

本当に、自分に原因があったんだなあ・・・、そう思うと自然と怒りの心は消えていき、傷つけてきてしまった後悔の方が深まっていきました。

後悔を深めつつ因の転換として「月の心の菩提心」を定めました。

「月」のごとき陰徳の心を育みます。忍土の闇を密やかに照らし続けることが出来ますように。「月の心」で世界の真実を自らに写し、光転へと向かいます。

こうして、人生を壊してきたデストロイヤーへの発見を深めつつ、八ヶ岳へと向かうことになりました。

あの時も、この時も、自分では善意と想いながら、無意識に相手を傷つけてきてしまっていたんだなあ・・・。

その日の夜は、このデストロイヤーによって、人生を壊してきた後悔が、床に就いた後もずっと浮かんでくることになりました・・・。

八ヶ岳への結集 プロジェクトスタート

長坂駅に到着し、タクシーで八ヶ岳いのちの里に到着したのは12時近くでした。

いざ合流してみると、その場には新しいメンバーとして、青年やプロジェクトのエキスパートの方達も合流して下さっており、メンバー数は倍の12名になっていました。

また、今回人数が少なかったこともあり、これまで安全防災が担ってきたはたらきを他チームにお願いした部分もあり、何とかこれで乗り越えきれる希望を感じられてきました。

壁には、今回のプロジェクトで作ったウイズダムの滅が貼られており、一日に何度もこの願いに戻りつつ、プロジェクトがスタートしていきました。(続く)

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