特別御供養_おばあちゃんの御供養を通して見えてきた魂の願い

昨年亡くなったお婆ちゃんのために、供養行への取り組みを深め、春期特別御供養に参加してきました。

今回も30日ほど前から、「新祈りのみち」の「供養の祈り(供養行の歩みとして)」に取り組みました。

「新祈りのみち」には、供養行は三つの期間に分けて取り組むことを誘われています。

第一の期間:亡くなられた魂の事を様々に思い出し、なつかしむ、心の同調回路を開く
第二の期間:同調回路を開いた上でその魂との関わりやその魂から受けた影響など自分自身の振り返りをする
第三の期間:自らのきづきや発見を基に亡き魂に愛念をもって語りかける

最初は、おばあちゃんとの思い出を振り返るところから始めました。

祈りを続ける中で、それまでほとんど意識化することがなかった、おばあちゃんの人生に対して様々な思いを巡らせるようになりました。

お婆ちゃんは、魂として人生をどのように振り返られているんだろう。

人生が始まるときに、お婆ちゃんの魂が抱いていた願いは、はたして成就されたんだろうか?

そうして、日が経つにつれて少しずつお婆ちゃんとの絆が深まっていきました。

実家に帰る少し前に、帰る時間を伝えるために連絡しました。

たまたまつながらなかったため、ふと父の携帯に電話しました。

話しながら、今回の御供養は父が参加した方がいいんじゃないかという気持ちが湧いてきました。

「お婆ちゃんの魂にとって、とっても大事な転換の場になるから、お父さんも来た方がいいよ。きっとお婆ちゃんも喜ぶと思うよ」と伝えました。

すると、いつものように、自分は興味ないと言って断られてしまいました。

それでも、父は参加した方がいいんじゃないかという思いは強くなっていきました。

こうして祈りを深め、少しずつ準備を整えて、金曜日の夜に羽田を発って実家についたのは夜中の12時過ぎでした。

Moon

優しい光で迎えてくれた佐賀の月

翌朝、福岡に行く準備の時間に、母と一緒にGGPのシートに取り組むことにしました。

母は、いくら学んでも身につかないので、次のGGPは参入しないことにしたと言っていました。

その気持ちも受けとめつつ、一緒に取り組んでいきました。

最初に、現在抱えている試練を見つめていったのですが、先日入会して下さったおばさんとの関わりを取り上げました。

現在起きている問題を意識化し、それを生み出している心を見つめていったのですが、根本にあった煩悩が見えてきたところで「新祈りのみち」の「嫉妬を感じるとき」の祈りを一緒に深めることにしました。

一文一文、一緒に読みながら深めていったのですが、「この通り」「この通り」自分の心がそのまま書いてある、と改めて祈りのみちの先生の御言葉が、母の心に深く浸透していきました。

「まさか、自分が嫉妬しているなんて思いもよらなかったけど、本当に嫉妬によって人生を壊してきてしまった・・・」そのような後悔の想いが深まっていきました。

煩悩によって現実を壊してきた後悔の深まりと共に、願いも深まり、叔母さんと一緒に神理を学びたいという願いも深まっていきました。

実は、叔母さんの入会後、なかなかGLAに集えない状況があったのですが、その原因の一つとして母が影響していることは何となく感じていました。

その原因が母の叔母さんへの嫉妬にあったことがハッキリし、浄化されていきました。

次に、煩悩を転換していく菩提心を探していったのですが、今年の神理カードを確認すると「大地の心」を母は頂いていました。

ただ、「大地の心」の意味が全く分からず、「このカードをもらったのは何かの間違いなんじゃないかと思っていた」と語ってくれました。

しかし、嫉妬の煩悩を発見した後で、改めて大地の心を一緒に読んでみると、自己卑下し、他者をずっとうらやんできた母にとって、大地の心はピッタリであったことが見えてきました。

煩悩地図の理論からしても、苦衰退の煩悩に対して、大地の心は善我を育む菩提心にあたるため、ピッタリの組み合わせなんですが、煩悩の発見が深まることで、菩提心の必然がつながっていきました。

ここまで深まって、母は凄いことを発見したと喜んでいたのですが、そこですかさず「悟りの九段階」の神理を取り出しました。

「お母さんの発見は、この悟りの九段階での最初のステップの『心の発見』に当たるんだよ」

と伝えたところ、また衝撃を受けていました。

「GLAの神理はものすごく深いから、一歩ずつGGPとかで学んでいく必要があるんだよ」と伝えると、

「じゃあ学ばないといけないね。」

とGGPで研鑽することに、自然とつながりました。

準備を整えて、一路、福岡のGLA九州本部へと向かいました。

声をかけると、父も素直に準備してくれて、一緒に参加できることになりました。

後で何で来てくれたのか、聞いてみたら、東京からわざわざ息子が戻ってくるのに、参加しないとまずいかなと思ったようです。

本部まで向かう途中に、父にお婆ちゃんの両親のことを聞いてみたのですが、その時に初めて、父は母方の祖父母とも会ったことが無かったことが分かりました。

お爺ちゃんは、養子として育てられており、父はその両親にも会っていなかったため、なんと父は祖父母に一度もあったことがなかったことが今回初めて分かりました。

福岡の荒江にある、GLA九州本部に到着しました。

Fukuoka gokuyo

御供養の同伴者の方との出会いがあったのですが、不思議なことに、その方も祖父母に会ったことがないという境遇を抱えられていました。

「宗教に頼る人は弱い人」という同じつぶやきを持たれていることなどを話して下さったのですが、絆の切れた環境の中で、不信感を土台として強がって生きざるをえなかったことなども話して下さいました。

また、それだけ不信感を持たれていたのに、GLAでの様々な奇跡的な体験を頂かれて不信感が砕かれてきた歩みも分かち合って下さり、父も色々質問をぶつけ納得しているようでした。

同伴者の方との不思議な出会い、そして司祭との出会いを経て、聖堂へと向かいました。

司祭の方の誘いの後で、東京で行われた特別御供養における、先生のご指導を受けさせて頂きました。

先生の祈りをお受けする中で、先生との絆が強く結ばれていきました。

そして、異言での祈りをお受けする中で、祈りの場の空間が変わっていくように感じました。

先生は3組の皆さんへの対話ご指導をして下さり、その後5分間、御霊との対話の時間が持たれることになりました。

そこで、お婆ちゃんの魂に思いを馳せていきました・・・。

おばあちゃんの思いが自然と伝わってきました。

最初に伝わってきたのは、お婆ちゃんが、特別御供養の祈りの場に来ることができた感動の思いでした。

諸如来、諸菩薩の光に満たされた宇宙的な広がりのある空間の中で、とうとう辿り着くことができたという思いが伝わってきました。

お婆ちゃんは、ある仏教系の信仰をされてきており、私も小さい頃はお経を読まされたりしていました。

苦しみい現実を乗り越えるために、どこかにある真実の教えをずっと求めてこられてきていました。

その願いが特別御供養の場で成就し、仏典に描かれているような極楽浄土の光の世界に辿り着くことができた感動の思いが伝わってきました。

それからしばらくして、今度はうつぶせになって、後悔をしている姿が見えてきました。

神仏の光に触れて、魂の境地を瞬間的に引き上げて頂くことを通して、お婆ちゃんの人生に対する魂の目が開かれていったようです。

その結果、自分自身の心と、その心が生み出してしまった光と闇の現実がつながっていったようです。

過去 現在 未来

また、自分のことを真心を尽くして大切にしてくれる方と、お金目的で近寄ってきていた方を、見誤ってきてしまってきたことにも気づかれていきました。

現在、親族間で生じている様々な問題の根本に、お婆ちゃんの関わりもあったことも、はっきりと掴まれていきました。

特に父に対して、愛情を注げず差別的に関わってきてしまったことが、どのように父を傷つけ悲しい思いをさせてきてしまったのかが分かり、父に対する後悔の思いが伝わってきました。

そして、もっと愛情を注いで、関わってあげたかったという思いが伝わってきました。

お婆ちゃんとの交流の後で、ふと思いを広げていったときに、これまで御供養に取り組んできた親族もこの場に来られていることが感じられました。

何か宇宙的な広がりの世界の中で、私たちの親族のつながりの一つ一つに光がともり、私が知らない親族にまでその癒しの光は広がっていくように感じられました。

御供養が終わって、再度、同伴者の方との出会いながら、それぞれが感じたことを分かち合っていきました。

私は、お婆ちゃんが子供達に対して、差別的な関わりをしてきてしまったことを後悔している思いが伝わってきたことを伝えました。

その時に、父は「犬猫と同じような関わりをされてきた」とポツリとつぶやきました。

その時の父の表情は、まるで幼子のような表情になっていました。

小さい頃に味わった父の深い悲しみが自分の心にも伝わってきました。

父が、祖母から愛情を注がれることなく、差別されて育てられたために抱えることになった心の空洞は、私にも流れ込み、私の心の中に黒い塊となって存在していました。

特別御供養を通してお婆ちゃんの中で深まった後悔と願い、そしてもっと父を愛したかったという愛情は父へと流れ込み、そして私自信へと伝わり黒い塊が解けていきました。

翌朝、朝一の飛行機で帰るために、福岡空港直通のバス停まで母が見送りに来てくれてました。

バスを待っている途中に、改めて母が嫉妬で苦しんできたことを話してくれました。

涙ながらに、母も様々な習い事をさせてもらっていた長女に対して、次女として愛情を注がれることなく差別的に育てられた中で、そのような卑屈な思いを抱えることになった痛みを語ってくれました。

東京に戻ってきて、ふと今回の旅を振り返っていていきました。

そして、父と母が背負うことになった差別の苦しみについて改めて思いを馳せました。

その時に、内側深くから突き上げるように、父と母の痛みを背負いたかったという願いが溢れてきました。

「痛み、苦しみの分かる人になりたい、そして痛みを共に背負う同伴者になりたかった・・・」

私の魂に刻まれた深い願いが、痛みを抱えた両親の元に生まれることを選び、その中で苦しみ、心を歪めざるをえなくなることも全て承知で、生まれてきたことが改めて分かっていきました。

2006年の青年塾セミナーの時に、先生から実践報告をきました。

親族のドロドロの苦しみの中で、自己不信、他者不信の被害者の心を抱えることになった私が、GLAで先生と出会い、魂深くから癒され、地の底ではいずるように生きざるをえない人々の痛みを共に背負う同伴者になりたいという願いを思い出していった歩みを分かち合って下さいました。

実践報告が終わった後で、神理実践報告の曼荼羅を前にして、先生は次のように誘って下さいました。

「同伴者として生きるということは当然人間関係です。にもかかわらずかつては最後は人間関係捻れていたんです。異端児として孤独でした。

その〇〇君が、皆さんの問題を響働して共に解決して、何よりも自分が生きたいのは同伴者として生きるということ自体が不思議だと思いませんか。

一番できなかった、捻れていた人間関係で苦しんでいた彼が、同伴者として自分が生きるのが私の願いであるという発見をすること自体が、私は魂の不思議であり、人間の素晴らしさであると思っています。」

先生は私の魂願の所に置かれた「同伴者として生きる」のカードを、声を詰まらせるように話して下さっていました。

改めて、先生によって、魂の奥に眠っていて決して引き出すことができなかった「同伴者として生きる」という魂の願いを思い出させて頂いてきたことに思いを馳せました。

特別御供養もそうですが、GLAの研修の一つ一つが、先生の御心によって自らの魂を発見していく、奇跡のような体験の場であることを刻印し、魂の願いを生きる歩みを連ねていきたいと思いました。

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