1995年_青年塾 先生のリアリティーを共有して生きる鍛錬の始まり

1995年の青年塾セミナーは本当に衝撃的なセミナーでした。

先生の抱かれる21世紀への切実なリアリティーを共有し、覚醒して生きることという大きな願いが魂から溢れてきてしまいました。

その後、それまでの人生に対して、大きな変革を迫られることになっていくのですが、本当に手探り状態からのスタートでした。

Contents

セミナーで受けた衝撃と現実とのギャップ

セミナーが終わって、九州に帰ってきて普段の生活に戻ったものの、あの八ヶ岳での衝撃の体験をどう生きる現実につなげればいいか考えました。

ただ、先生の切実なリアリティーを共有し生きるという願いの大きさに比して、普通の大学生だった自分には、何をどうすればいいのか全く分かりませんでした。

ただ、このままではいけない、大きく人生を変えていかなければならないと焦るような気持ちはありました。

そんな私たちに対して、先生はGLA誌を通してメッセージを下さいました。

95年5月後のGLA誌 「水のように、火のように」

先生は、毎月GLA誌の執筆をして下さっていますが、その当時は「ボーディ・サットヴァへの道を歩む魂たちに」というシリーズの連載が始まったばかりでした。

そして、セミナー直後に発刊された第二信のタイトルは「火のように、水のように」だったのですが、その中に「二一世紀を担う青年たちー確信の物語へ」という章がありました。

1995_5_GLA

その中にセミナーで衝撃を受けた青年達の状況を深く受信して下さって、様々なアドバイスや示唆を与えて下さっていました。

御文章の一節を引用させて頂きます。

「その場に身を置いていた青年達の真剣な表情を私は忘れることが出来ません。それが、それまでの自分のあまりの幼さに対する衝撃であろうと、何もできない自分の無力さに対する衝撃であろうと、あの時感じ取った世界に対するリアリティーを自分自身のものにしていただきたいのです。
 魂の底に届くほど深く感じたことがあったなら、言葉にはし難くてもその一点から新たな人生を始めることを私は促したいと思います。本当に感じること、内側深くで感じることを通らなければ、皆さんの魂の道が本当に深まることはないと思って下さい。」

私たちの魂がセミナーで感じた衝撃を、先生が私たち以上に深く受けとめて下さっていました。

そして、そこからどのように生きていけばいいのか、様々なアドバイスを下さっていました。

セミナーで感じたリアリティーを鮮烈に保つための方法

この20年、毎回セミナーに参加させて頂いてきていますが、セミナーでもの凄い衝撃を受けて、それまでの生き方に亀裂が入るようなことを、何度も経験してきました。

そして、感じたことを、どのように生きる現実につなげていけばいいのかも、試行錯誤しつつ、様々に智慧を使うようにになってきました。(ちなみに、このブログを書いて、セミナーで感じたことを刻印して、生き方の変革へとつなげていく記録を残しているのもその一つです。)

そのスタートは、この時のGLA誌だったんじゃないかと思います。

「セミナーで刻印したテーマや目標は今も変わりなく生き生きと輝いているでしょうか」と問いかけられる所から始まります。

そして、たとえセミナーで強烈なリアリティーを抱いたとしても、その発露を鮮烈に保つことは容易ではないことを示され、その原因としての意識の構造に触れて下さっていました。

そして、意志を持続するには、意志の反映である行動や言葉にあらわし続けなければならないということが書かれていました。

その当時は、セミナーで感じたことが次第に薄れていくことなども、あまり考えていなかったのですが、セミナーで受けた衝撃が大きかっただけに、この心構えを教えて頂いたことは非常に大きかったと思います。

確信の物語

そして、自分の中に訪れた直観や感動から始まる「確信の物語」として、確信が訪れ、そこから生き方に爆発を起こし、一心に自分を鍛え、技術を磨き、智慧を育んで本当の意味で響働に自らを投げ出していく道が示されていました。

確信(直観)→転換(爆発)→自律(鍛錬)→響働(托身)

当時、このプロセスを見たときは、いきなり大きなことに着手するのではなく、これから一歩一歩鍛錬をしていけばいいことが分かりました。

ただ、数年ほどで響働(托身)へと到れるようなイメージを持っていたのですが、改めて振り返ったときに、数十年という人生のスパンの中で、このような歩みへと導かれてきており、今も道の途上であることを感じました。

自我の衝動と魂の願いの弁別

また、もう一つ頂いた智慧として、自我の衝動と魂の願いを弁別する方法についても書いて下さっていました。

「魂が感じた呼びかけではないか」と思ったときは二度三度それを退けます。

そして、十日間、二十日間と時を隔て、それでも色褪せることもなく弱まることもなく、繰り返し、あらわれてくる疼きであるかを確認することによって、魂の願いと自我の衝動を見極めていく方法を示して下さっていました。

この時は、私も実際にそうやってみて、否定しても、魂の深くからの思いを止めることが出来なかったので、魂の願いであると確認していきました。

また、その後の人生の選択を迫られたときにも、魂の願いであるのかどうかを見極める時に、この方法は使ってきました。

21世紀への切実なリアリティーから神理実践への転換

そして、後半には、賢明の智慧の玉のモデルでもあったガンジーについて書かれていました。

セミナーを受けた後の感覚として、21世紀に応えられるようになるためには、何か大きな力を手にしなければならないと受け止めていました。

そのため、何の力もない自分への焦りがあったんだと思います。

しかし、ガンジーの生き様はそれとは全く異なっていました。

ガンジーは、暴力による侵略が当然の世界にあって、「サチア・グラハ」(真理把持)によって、真理に基づいた国家を作るというより高い理念を基として運動を推進して行かれました。

それは力の道ではなく、いのちの道でした。

この御文章を読んでいて、焦る気持ちが消えていったことを覚えています。

それは、21世紀のリアリティーに応える道は、自分の力を拡大していくことではなく、神理を体得して、自分自身が本物になっていくことがまず必要であると感じたからです。

1995年頃の青年を取り巻く環境

ただ、いざ神理を学ぼうと思っても、あの当時の青年の環境は今とは全く異なっていました。

現在開催されている、週に一回のGGPの研鑽もなく、GLA会員の基本ライフスタイルや、書写行等の取り組みもまだ行われていませんでした。

ましてや、青年塾もそれほど確かなものはなく、青年の鍛錬集会も開催されていませんでした。

1995年から始まった、青年塾シリーズセミナー

しかし、1995年の青年塾セミナーを起点として、青年の研鑽の場や、組織が大きく変わっていきました。

先生は、願いを思い出した私たちが、心を鍛える鍛錬のために青年塾のシリーズセミナーを開講して下さいました。

初年度は、六つの智慧の玉を磨くために、年に6回のシリーズセミナーが開催されました。(セミナーの講義内容については、高橋先生の御著書「レボリューション」に詳しく書かれています)

revolution
https://www.sampoh.co.jp/books/revolution/

初回のシリーズセミナーは、名古屋での開催され、賢明の智慧の玉を磨くセミナーとなりました。

初め、先生がお越し下さることは予定されていなかったのですが、急遽、先生は山から下りてきて下さり、ご講演が持たれることになりました。

その後十年以上に渡って、先生は全てのシリーズセミナーに来て下さり、毎回智慧の伝承を頂くことになりました。

青年鍛錬 金の時

名古屋で開催された、第1回目のシリーズセミナーにおいて、中ブロック(東京、中京、近畿)の夏のかけ橋セミナーの集中プロジェクトが募集されました。

志のある人は誰でも参加できると言うことでした。

当時は、九州から出ることも殆どなく、全国の青年が集まる八ヶ岳の合宿に一人で参加することは、もの凄くハードルが高かったのですが、思い切ってチャレンジしました。

1995年は、本当に特別で、金の時と言われて、なんと約2週間の合宿が行われ、東京のかけしセミナーが行われた後で、更に一週間をおいて中ブロックのセミナーまで参加しました。

私は丁度、大学4年生の夏休みだったため、全て参加することが出来たのですが、朝から晩までひたすらウイズダムの願いについて熱く語り合い、かけ橋セミナーを具現化していきました。

当時を振り返ると、自分の精神状態は本当に荒んでいました。
その上に魂からの強い願いを思い出させて頂いていたため、端から見ると非常に不安定な状態だったと思います。

しかし、こうして先生に鍛錬の場を与えて頂いて、自分を砕き続ける歩みを頂くことになりした。
また、同伴して下さる先輩も、未熟な私たちを温かく見守って下さっていました。

その中で、人生観が根底から転換していくような気づきや発見を頂き続けることになり、心が癒されていきました。

今考えても、もやしの心だった青年が再生していくために、本当に徹底して考え尽くされた鍛錬の歩みの中を歩ませて頂いてきました。

改めて、95年からの青年塾の歩みは、どれほど有り難い恩寵に満ちた歩みを頂いていたんだろうかと思います。

その歩みの中で、世界不信に満ちた心は癒され、白黒にしか見えなかった世界が総天然色のカラーの世界へと変わっていきました。

言葉に尽くせぬほどの感謝の思いを、魂として受けとめています。

そのことへの感謝と同時に、本当は癒された者として、もっとお返ししてこなければならなかったのに、お返しすることが出来なかった後悔も改めて深まりました。

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