GLAの親友の一人に、X君がいます。
X君は、年齢も同じであり、東京の青年塾で一緒にお世話のプロジェクトを長い間やってきていました。これまで、福祉の分野でケアマネージャーとして活躍されてきたのですが、数年前から司法書士の資格取得にチャレンジされています。
何で司法書士なのか聞いてみると「資格を取って、ご老人の財産を守りたい」という願いがあることを教えてもらいました。
かなり高いハードルだなと思いつつ、応援していました。
そのX君が、司法書士に受かる前から、今度は、司法試験にチャレンジすることになったと教えてくれました。
40前にして、そのチャレンジは無謀じゃないかと思ったのですが、青年塾を卒業されて、関わる機会も少なくなっていました。
しかし、何人かの共通の友人から、X君に司法試験のチャレンジは目的(願い)がよく分からないのでやめた方がいいと伝えても、全然話しを聞いてくれないという声を聞くようになりました。それこそ、何時間も説得しても、話が通じないとうことでした。
また、GLAで司法書士の専門学校で教えている方からも、「せっかくあと少しの所まで来たんだから、まずは司法書士の資格をとればいいのに。もったいない」とお聞きしました。
丁度、同じ時期に、そういった出会いが重なり、これは「呼びかけ」だと思い、しっかりと出会わせて頂こうと心を定めました。
率直なぶつかり合いスタート
まず一度出会ったのですが、初めはやんわりと、何で弁護士なのか聞いて、その後、周りの友人から聞いたことを少しずつ話していきました。
話しが本質に近づいていけばいくほど、X君の表情は頑なになっていきました。
最後は、かなり怒ってしまったのですが、それでも何とか自分の意見だけではなく、複数人の視点を入れた方がいいとアドバイスをさせていただきました。
その後、X君の方から、共通の友人に他者視点をお願いしたいとメールを打ったらしいのですが、誰からも返信が来なかったので、この話はもうやめたいという連絡が来ました。
これはまずいことになったと思い、私の方でウイズダムを書いて、共通の友人に背景を説明して一緒に出会って欲しいとお願いしました。その結果、改めて出会いの場を持つことになりました。
X君はこれまで、試験のために、もう何年もお金と時間をかけてきているので、それを今更止めるのは、至難の業であることは重々承知していました。
それでも、本当にT君の魂の願いを思ったときに、彼の魂は止めてくれる友人を求めているのではないかと思いました。私の方も、覚悟を定めて出会うことにしました。
先生の御講義の後に、集まることになっていたのですが、来れると言っていた友人からことごとくキャンセルの連絡があり、結局私とX君だけで出会うことになってしまいました。
先生の切磋琢磨の御経文によって頂いた功徳
ここで、改めて切磋琢磨についてご紹介させて頂きます。切磋琢磨の風土は、GLAの中ではとても大切にされています。
中でも、青年塾のお世話役には、先生が約10年ほど前に原則を整えて下さり、取り組むシートもご準備下さいました。私たちは切磋琢磨の御経文と呼んでいます。
GLAには、様々な研修が準備されています。それぞれの年代や、はたらき、プロジェクトによって、異なる困惑を抱え、超えるべきテーマがあるが故に、先生が一つ一つ心を砕いてご準備下さり、降ろされる神理や取り組むシートも異なっているんじゃないかと受けとめています。
ただ、いかなる環境であろうとも、それぞれの研鑽の場で、深く神理を学ぶことによって、誰もが歩める菩薩への道を整えて頂いているんだと思います。
原則を整えて頂く前にも、切磋琢磨はやっていたのですが、相手の未熟(煩悩)を的確に指摘することを切磋琢磨だと思い込んでいました。
切磋琢磨する側は、どれだけ相手の煩悩を突けるかを競い合うようなこともあり、指摘される側は煩悩を指摘されて受けとめがたい気持ちになることも度々ありました。
以下の図は、魂の因果律の曼荼羅ですが、心の次元にある煩悩は、魂の次元にあるカルマと繋がっています。
カルマは、無自覚、繰り返しを生むという特徴があるため、自分では発見しがたい場合も多々あります。
そして時に、人生の深い痛みとつながっていることも多くあります。それを、煩悩で指摘し合えば、お互いの心の傷を深めるようなことも起きてしまいます。
今思えば、波動戦争そのものだったのですが、そういう関わり方しか当時の私たちは分かりませんでした。
しかし、先生に切磋琢磨を頂くと、そのようにとらわれを深めるのではなく、全く別次元の発見が起こっていきます。
自分自身の可能性を閉ざしてきたものの正体を掴めるようになり、いかに自分で自分の可能性を閉ざしてきたのか後悔が深まります。そして、生き直しに向けてのまっすぐな願いが立ち上がり、スッキリした思いになります。
先生が関わられると、こんなに心が変わり、関わりが変わり、現実も大きく変わって問題が解決されていくのに、何で自分たちが切磋琢磨をすると、そうならないのかずっと疑問がありました。
この切磋琢磨の水準を一気に上げたのが、先生が降ろして下さった先生の御経文でした。
詳細は、青年のお世話役のみに降ろされた御経文なので割愛させていただきますが、「お互いを斬り合う切磋琢磨」から、「お互いを磨き合って輝きを引き出し合う切磋琢磨」に変わっていきました。
私も、切磋琢磨によって、本当にたくさんの気づき、発見を頂いてきました。
そして、自分と世界への信頼感が根本的に転換していきました。私は元々苦暴流で不信感が強いのですが、切磋琢磨を通して、こんなにも自分のことを大切に見守ってくれている友人がいたんだと癒されていきました。
これまで一緒に、切磋琢磨もやってきた経緯も有り、その先生の御経文にたち帰ってから、切磋琢磨を始めました。
(続く)