正師との魂の出会いを求めて三千里 信仰の暗夜の中で深められた先生との絆

9/21~23 の三日間、お世話を志す皆さんを対象としたセミナーが開催されました。

セミナーの冒頭に、96年の頃の先生の先生の祈りをお享けしたのですが

「虚無に浸食された人々の心に、希望の原理を届けることが出来ますように。」といった一節があるのですが、この祈りをお受けすると、かつて私も虚無に侵食されていた時代が思い出され、魂深くに響きました。

また、このときのセミナーで、高橋先生は発売直前だった御著書「Discovery」のイントロダクションを紹介して下さったと記憶しています。
約1万5千年前に、内なるエネルギーを誤った方向で使ってしまい、人間の内なる闇が外に現れ文明を崩壊させてしまったアトランティスの後悔・・・。そこから人類は内なるエネルギーを封印し、外なるエネルギーを解放する文明を築き上げてきました。

しかし、今度は外なるエネルギーの解放によって、地球温暖化や、原子力の問題の問題を引き起こし、崩壊しようとしている人類に対して、そのアトランティスの封印を解いて、内外合一による「魂文明」を創造していく道を先生は開いて下さいました。

改めてその時の映像を見せて頂くことを通して、アトランティスの後悔を生き直し、内なるエネルギーの解放という、人類悠久のテーマに道をつけて頂いていることの重みを深く感じました。

discovery
https://www.sampoh.co.jp/books/discovery/

Contents

普通のプロジェクトは、基本的に志があれば、誰でもGGP(グローバルジェネシスプロジェクト、研鑽奉仕一如のシステム)等に参入して研鑽を深めることが出来ます。また、生活実践などに参入するだけでも、非常に深い学びを承けることが出来ます。

しかし、お世話の働きは、誰でも簡単に担える訳ではなく、一定期間の鍛錬とプロジェクトの経験も求められます。

私は、一回一回の先生との出会いが本当にかけがえがないという思いが強くあり、先生がご準備下さるお世話する人のための研修にも全部参加したいと願いました。

ここで、何でそんなに高橋先生との出会いを求めるのか、一般の方は違和感を感じられる方も多いと思います。

しかし、私の中には、先生と出会う強い必然があります。

「明智の源流へ」に著されている先人の歩みを辿らせて頂くと、釈尊に連なる正師との出会いを、最重要の課題として受けとめられ、時に命がけで海を渡られていました。

明智の源流へ
https://www.sampoh.co.jp/books/meichi/

道元の物語の中に、「正師を求めて」という章があるのですが、師 如浄との出会いについて次のように記されています。

「道元は心の底から如浄との邂逅を喜びます。如浄との出会いは、正師との出会いであるとともに、面授によって連なる、源である仏教の開祖、釈尊その人との出会いでもあったからです」

正師を求めて、海を渡った道元は、ひと目見るなり如浄こそ自分が求めていた正師であると直観し、その後、師の下での修行によって深い悟りの世界へと導かれていきます。

私の魂深くにも、先人と同じ熱い志があるようです。

小学校の低学年の頃から、「人間はこんなに苦しいのに、何で生まれてこなければならないんだろう」という疑問を抱き、その解答を与えて下さる方を求め求めて、ようやく出会えた正師が、私にとっての高橋佳子先生です。

私は本当にこの道にかけたいという思いが強くありました。そのため、人一倍頑張っているという自負心があったのですが、その思いが強ければ強いほど、お世話する側に回れない試練は強烈な自己否定を生むことになりました。自分の全存在が否定されたような思いにもなりました。

そして、「こんなに頑張っているのに、何で自分だけ認められないんだ」と理不尽な思いに陥りました。先生は、変わらぬ愛情を注ぎ続けて下さっていることは深く実感したのですが、でも様々な試練があると、自分は必要とされていないのではないかと落ち込むこともありました。

このような卑屈さ、惨めさを抱えつつでしたが、私はGLA 青年塾のお掃除を実施することを提案させて頂きました。

当時の青年塾は、発足以来の様々な資料やニューズレターなどが蓄積しており、その整理のために莫大な工数を必要としていました。

そうして、有志を募って一緒にお掃除プロジェクトを起動していきました。

丁度、お世話の研修が実施されている最中に、お掃除をしていたことも何度かありました。
また、お掃除して綺麗にするのは、お世話をする人たちがちらかした場所であることも度々ありました。

研修も受けられず、認められることもなく、ひたすらお掃除をしながら、怒りの思いがわき上がってきました。

「何で自分があいつらが汚くした場所を、掃除してあげないといけないんだ」と理不尽な思いに飲み込まれたことも度々ありました。というか、ほぼ毎回、掃除しながら怒っていました。

それでも、怒りがわき上がる度に、止観シートに取り組み、その思いを浄化し続けていきました。

そうして、何ヶ月も続ける中で、怒りの思いが浄化されていき、同時に青年塾も見違えるように綺麗になっていきました。

すると、思いがけず皆さんから、「いつもお掃除してくれてありがとう」と感謝の心を伝えてもらえるようになりました。感謝をしてもらえるなんて、全く考えてもいなかったので驚くのと同時に、荒んだ気持ちが癒されていきました。

実は、この当時、葛藤を抱えながらプロジェクトをやっていたので、プロジェクトの中でも特にお世話役の皆さんとはあまり人間関係が上手くいっていなかった部分がありました。

しかし、こうして怒りを浄化していく日々を通して、自己の浄化と絆の再結へと自然と導かれていきました。

そうして、長い苦難の道ではありましたが、自然とお世話する側への道も開かれていくことになりました。
また、この浄化の歩みはその後の、職場での上司との再結と響働の歩みにもつながり、実践報告で紹介して頂くことになりました。

こうして、仕事もプロジェクトも、両方を光転させていくチャレンジをしているのですが、そのことはGLAにおいて非常に大切にされていると感じています。

神理実践とは、それぞれが魂願成就、カルマ克服に挑戦することだと思いますが、そのフィールドは生きている世界そのものです。

なので、GLAは天国ではなく、GLAにおいても沢山の試練はやってきます。

GLAでプロジェクトをするいのちとして、次のことが大切にされてきました。

「日頃の立場、役割から離れ、未体験の立場、役割を背負うことにより、新しい自分を発見し、引き出す(我と我の対話)」

これは先生が作って下さった原則の一つですが、本当にこの原則に従って展開されています。

先日は、ある外交官のエリート官僚の方が、普段は皆さんから頭を下げられる立場なのに、GLAでは一メンバーとして、先生の舞台作りのプロジェクトを、時に恐い大工の親方に怒鳴られながらも、楽しく担われていたことが分かち合われました。

しかし、GLAのプロジェクトの鍛錬のお陰で、治安の悪い国に派遣されたときに、マフィアの抗争を仲裁する思い切ったチャレンジをされたことを話されていました。

他にも、会社の社長さんや、校長先生とかも、普通に何気ない受付プロジェクトを担われていたり、場内誘導のプロジェクトを担われていたりします。

皆さん、こうして新しい自分を引き出すチャレンジをされているのですが、魂願とカルマは同じなので、営みでの試練と同じような試練はプロジェクトでもやってきます。

なので、両方を担いながら、神理実践を深めるチャレンジをする方が、効率よく、カルマを浄化し、魂願を果たせる自分となっていけるかなりの近道になっていると実感しています。本当に、先生がGLAに作って下さった、原則、システムは無駄がなく凄いとしか言いようがないです。

こうして、プロジェクトの試練を通して内を見つめ、カルマを浄化していく日々を頂いていたのですが、丁度その直前において、先生に誓願する機会を頂きました。以下はそのときの記録です。

「先生、私は19歳の時に、本当にもうどうにもならないほどの絶望の底で先生に出会い、救われて参りました。でも、本当に先生にお応えしたいと願いながらも、私は自分は出来ているというつぶやきのために、本当はもう一切を先生に捧げて、ビッグクロスに使って頂ける私として、先生にお応えしたい・・

〇〇君の願いもよく分かっているし、〇〇君のカルマもよく分かっているし。
だって、願いがあるからあーやってねえ、いつもあなたは祈りの場に来るわけでしょう。そして願いがあるからプロジェクトも続け続けてきた。今回分かったじゃない、名もなき一人として、黒子として、劇の中であーそうか、羽岡さんのあの歌の一節を、最後の一節を聞いたときに、いつも手応えがあって、そして出来る自分をやっていたい。どうだみんな俺はできるだろうと。一番でいなきゃ何かスッキリしない気持ち、認められなければスッキリしない気持ちではない気持ちが、〇〇君の中であの瞬間、あー顔が見えずとも誰でもいい、支えさせて頂きたい。やっと一歩目まで来たのよ、ねー〇〇君。これが捨てられなかったんだもん、やっとここまで来ることが出来ました。始まりの一歩につくことが出来ました。ならばもう後は、砕いて砕いて砕いて、私達が愚かさの自覚を知って、後は神様に使って頂きましょう。」

今思えば、先生は私の願いも苦しみも、全部知った上で、ずっと見守り、導き続けて下さっていたんだと思います。
このときもそうでしたが、実践報告の時にも感じたのは、先生は私以上に私の魂のことをご存知で導き続けて下さっているという思いでした。

GLAにおける、求道の道のりにおいても、様々な試練はあります。でもそれらは先生、神様に見守られた中での、本当にかけがえのない歩みだと実感しています。その願いへの道はずっと続いており、更に深まりゆくことを誘われています。

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