東北復興支援プロジェクト 2011年 三陸被災地訪問とクリスマスカードプロジェクト

震災が起きた春から、夏の期間はずっとボランティアは続き、たくさんの青年が東北へと向かいました。

GLA会員のお宅はもちろんのこと、その周辺で噂を聞きつけて要望のあったお宅にも伺って、様々に復興のお手伝いをさせていただきました。

しかし、秋になると、瓦礫やヘドロの撤去も進み、ボランティアの必要性は小さくなっていきました。

ただ、東北の厳しい状況は変わらないため、ボランティアは継続していくことになったのですが、何をどう支援していくのか模索する状況が続きました。

GLAの青年塾には様々なプロジェクトがあり、その中の一つとして東北復興支援もありました。

私は別のプロジェクトだったため、直接は関わっていなかったのですが、急に私が担当者となりました。

そこで色々検討する中で、丁度クリスマスが近づいてきたので、全国からメッセージカードをお届けし、同時にまずは現地に赴いて現地では何が必要なのかを聞かせていただくことになりました。

しかし、急遽始まったこともあり、当初は何の見通しもなく、立てた計画の半分も具現できれば良い方かなと思う所からのスタートでした。

丁度、全国の皆さんが集まる横浜アリーナでの感謝の集いの開催が近づいていたので、メッセージを書いていただくブースを設置することになりました。

私自身も偶然が重なって他のプロジェクトがキャンセルになり、ブースに立てることになりました。

初め、目立たない場所にブースが設置される予定だったのですが、調整する中で、二階の正面に設置されることになり、最終的には300を超えるメッセージが集まりました。

更に不思議なことに、ブースの位置は東北の皆さんが座られている座席のすぐ近くになっていました。東北の皆さんが側を通られる際に、GLAはここまでしてくださるのかと涙を流されていました。

そのお一人お一人の心のこもったカードを持って、いざ東北へと向かいました。

東京発の夜行バスに乗って、6名で仙台へと向かいました。

仙台に到着すると、洞窟のようなモニュメントがあり、その中に「私はしあわせ」と微笑むお地蔵さんがいらっしゃいました。震災とその後の放射能汚染など、言語を絶するような試練の中にあるはずなのに、それでも「私はしあわせ」とほほえむお地蔵さんと出会い、涙があふれました。その後も、あのお地蔵さんの姿が心から離れなくなってしまいました。

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朝になってバスが動き出したので、宮城研修センターに向かいました。

到着してすぐに、メッセージカード共にツリーを設置しました。

丁度その日は、GGP(グローバルジェネシスプロジェクト)の先生の御講義があり中継で先生のご講演をお受けしました。

その後、東北全土をつないでの中継となり、全国の仲間からツリーとメッセージが届いたことを皆さんにお伝えすることができました。

中継が終わった後で、被災を受けた皆さんとの出会いを持たせていただきました。現地がどのような状況になっており、何が必要なのかなど伺いましたが、寒いので靴下があればという話以外は、物資はもう必要ないということでした。

翌日は、二手に分かれ、私たちは盛岡へと向かいました。

途中、仮設住宅の会員のTさんのお宅に立ち寄りました。

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震災のダメージから毎日病院に通われる家族を抱えられており、そのサポートだけでもかなり厳しいはずなのですが、Tさんは「ありがたい、ありがたい」と何度も言われて、明るく元気な姿に照らされました。

そのような方なので、必要な物資についての話しをしても、物資は必要ないということでした。

何か気になることはないかとお聞きしたときに、震災でショックを受けて立ち直れない方や、空元気な方もいらっしゃるということでした。

同じ試練を受けても、ここまで生き方が変わるものかと感じ、改めてGLA会員として、「試練は呼びかけ」と受けとめられることの大きさを感じました。
同時に、多くの人にGLA会員になって欲しいと思いました。

また、震災時にTさんは、奇跡的に救われた体験を持たれていました。

震災直後すぐ車に乗って逃げたそうなのですが、声が聞こえてきて、その声に従って逃げることで、すっと普段使わない道が開かれて、ぎりぎり津波から逃れることができたそうです。普段使われていた道は渋滞していたため、その道を通っていた皆さんは津波にのみ込まれてしまったそうです。

また、Tさんだけではなく、急に仕事がキャンセルになったり、自転車がパンクしてしまったり、また中にはGLAの三陸ターミナルにプロジェクトとして呼ばれたことで、奇跡的に救われた方がたくさんいらっしゃいました。

亡くなられた方もいらっしゃいましたが、障害を抱えて動けない息子さんを守り続けた方など、最後の瞬間まで「他人の苦しみ我が苦しみ、他人の歓び我が歓び」と生きられて、天国へと導かれて行かれたたことを、後で先生からお聞きしました。

その後、南三陸へと向かいました。

気仙沼、陸前高田、大船渡と北上していったのですが、瓦礫は撤去されてはいたのですが、地盤は沈下したままで海の水が残っており、ほとんど手つかずの状態となっていました。

復興が遅々として進んでいないことが伝わって来ました。

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石巻日本製紙周辺7

そして、大船渡に向かい、約半年ぶりにKさんのお宅に伺いました。

「必ず復興することを信じています」と励ましの言葉をお伝えして、別れたものの、その後どうなったかずっと気になっていました。

お宅に入ると、震災直後のドロドロだった状態からは見違えるように綺麗になっていました。経済的には厳しいため、津波に浸かった家具なども綺麗にして使われており、慎ましくも、心のこもった手作りの温かい空間となっていました。

Kさんは、様々なNPOに働きかけて、ご近所の家庭におせち料理などを届けてもらえるように調整されていました。

またGLAの法務の皆さんのアドバイスに従って、何度も足を運んだ結果、近所の皆さんを含めて認定してもらえたということでした。

地域の皆さんの喜ぶ顔と出会うことが何よりもの歓びですと言われて、自分の家だけではなく地域を支えられていました。

そして、嬉しいことに旦那さんと、息子さんもGLAに入会され、家族全員がGLA会員となられていました。

震災後の、あの厳しい状況からここまで復興するものかと、本当に感動しました。

その後、三陸を後にして、盛岡ターミナルへと向かいました。

車で山道を越えていったのですが、盛岡は雪が積もっていました。

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翌日の鍛錬プロジェクト集会では、クリスマスだったのでクリスマス会として、メッセージカードと共にツリーにはクリスマスのデコレーションをして、サンタとトナカイの格好で全国へと発信しました。

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そのときに、東北を巡っての写真のスライドを共有し、現地はまだまだ厳しい状況があるけれども、これからこの試練を皆で背負って共に超えていきたいという志を分かち合いました。
その後、次々にボランティアで東北に赴いた全国の仲間からも志の分かち合いがバトンリレーでつながり、東北復興、日本復興に向かう願いで全国が一つになっていきました。

その後、東北の皆さんとのささやかな手作りのワッフルを囲んでの出会いの場に参加させていただきました。

震災のあったこの一年間を振り返り、亡くなられた元会員さんを探して遺体安置所を回られた話や、改めて絆の大切さが深まり、GLA共同体との絆、先生との絆に支えられたことなど、深い後悔と願いを涙涙で語って行かれたのですが、その真心に本当に感動し、私もご一緒に支えていきたいと思いました。

初め、計画の半分でも具現できたらと思っていたプロジェクトだったのですが、東北の皆さんの助力、全国の皆さんの助力、たくさんの助力に支えられて、予想を大きく超える現実へと導かれました。

また、先生、神様にも見えないところで支えられ、導かれていていたんだと思います。

東北復興プロジェクトには、自分たちが考える以上に大切な意味があり、様々な助力によって運ばれていくことを感じ、これからも引き続き応えていきたいとの願いを確かにしました。

「東北復興支援プロジェクト 2011年 三陸被災地訪問とクリスマスカードプロジェクト」への2件のフィードバック

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    > 佳子先生個人が、東日本大震災の義援金を送られたのですか?それともGLA名義で?

    *本の帯に次のように書かれています
    本書の印税の全額及び収益の一部は、震災復興のため、被災地に寄付させていただきます。

    印税は全額なので、先生は全て寄付されるようです。

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