神の僕-マルティン・ルター 職場での神理実践

前回は、ルターの人生について、高橋先生の著書、「二千年の祈り」から、その生き様について一部抜粋し紹介させていただきました。そして、今回はルターを深めながらの私自身の神理実践がどのように深まったか共有します。
ルターの反芻期間にも、ルターの魂から智慧を伝承して頂きました。

このブログの連載を通して、二千年の祈りの反芻行を深める中で、ザビエルから謙遜と愛徳の智慧を伝承して頂き、他にも様々な先人から智慧を伝承していただく中で、これまでどうにもならなかった課題に道がつくようになりました。

また、もちろん高橋先生から四力シートをはじめとして、様々な神理を伝承して頂いていることによって転換は起きていますが、今回「二千年の祈り」の反芻によって一気に深まりました。。

具体的に言うと、職場の大先輩が、私が推進してきた教育のプロジェクトの重要性を認知してくださり、積極的に他の部署へと展開することになりました。

そのような変化の中で、ルターの反芻期間は、丁度、自分の仕事を他の部署に、具体的にPRする機会が多くありました。

しかし、それぞれの部署の担当者は何年もかけて技術の蓄積をしてきた人々であり、ある意味、自分の仕事はその技術に対して真っ向からぶつかる内容でした。

これまで、多くの人が部署間の技術の共有に挑戦してきましたが、上手くいった例しはほとんどありませんでした。

私も、自分のやってきた分野に関してはエキスパートであるという自負もあり、それぞれのプライドがぶつかりあい、時には「レベルが低すぎて話にならない」というような罵倒に近い言葉を浴びせられることもありました。

しかし、厳しい批判にさらされながらも、私の心の中にはルターが批判されていた時の姿が写っていました。

二千年の祈りの中には、批判されていたときのルターの様子について、このように書かれています。

「彼はどんな場合でも、自分を適応させていける。・・・いつも楽しげで快活であり、反対者が彼を脅かしているときでも、明るい顔つきをしている。だから彼が難局に立っているときでも、神の力は彼と共にあることが見られる」

ルターに倣って、どんな批判されようとも揺らぐことなく、笑顔で全てを引き受けようとしました。

すると、相手のグループの中から助力者が現れて、私が構築してきた技術のいい点を認めてくれる発言をして下さり、責められる一方だった場の雰囲気が一変しました。

そして、次々と話が進展し、対立してきた部署の溝が少しずつ埋まってきています。まだ途上ですが、課題の共有化が起こり、新しいチーム体制の構築へとつながりそうです。

また、もう一つルターに倣って挑戦したことがあります。それは、改革文章の発信です。

ルターは三大改革文章という三つの著作を著しました。第一の書において、ローマ教会を支える三つの原理を鋭く批判しました。
そして、第二の書において神の恩寵を信徒に与える秘蹟について批判しました。秘蹟の変更は、教会制度の崩壊を意味するほど危険な内容でした。
そして、第三の書において、自らの信仰を表明し、「自由なる主人」と「奉仕する僕」というキリスト者の生きるべき道についても明らかにしました。

ちょうど、私の方で構築した教育のWebでのeラーニングシステムで、Blogの記事が書けるようになりました。

そこで、教育に対する思いを文章として発信しはじめました。

第一回目は、スキルを抱いた人が物として扱われるようになり、スキルのある人を買えばいいという風潮によって、即戦力が重要視されて教育が軽視されるようになったことについて書きました。
また、その背景として、2000年以降派遣法の改正等によって、企業が固定費としての人件費を嫌って、いつでも首を切れる派遣社員を増やし、更にリーマンショックによって大量に解雇したことで会社の戦力が大幅にダウンしたことを述べました。

二回目では、成果主義の導入によってそれぞれが目先の業務に追われるようになり、それぞれが自分のことで一杯一杯で、若手の教育は軽視されるようになってきたことを書きました。
また同時に、成果主義によって、会社としての共同体の絆自体がが壊れてきていることについても明らかにしました。

初めは、ルターのことを意識していた訳ではなかったのですが、一回、二回と発信した所で、三大改革文章に倣ってみようと思いました。

そして三回目は、それらの価値観の根底にある、高橋先生が説かれる時代の三毒という視点で深めてみました。

2013-02-24_0102_時代の三毒.png

唯物主義 見えるものしか信じない
刹那主義 今さえよければいい
利己主義 自分さえよければいい

という三つの価値観が、原発問題や、ユーロ危機等、人類の存続を脅かすほどの巨大な問題の根底にあることを先生は明らかにしてくださっていますが、教育の視点で捉え直してみると

唯物主義 人はお金で買える、スキルのある人を買えばいい、育てるものではない
刹那主義 成果主義で目先の利益を追求。中長期で、人材を育成するシステム不在
利己主義 自分の成果を出すことを重視、他人を育てることは軽視

となり、今の時代が抱える限界がそのまま教育の領域にも現れており、それがどれだけ会社の体力を奪ってきたのかについて見えたことを書きました。

この原則のまま突き進めば、会社は更に弱体化していくことは明らかなので、今こそ、改めて教育の大切さについて見つめ直し、中長期での人材育成や、OJTについて考え直すことが重要になっていることを述べました。

しかし、こういった記事を発信するかどうか、実は大変に迷いました。

これまで、会社の制度や、運営の方針について批判しているような内容はほとんど見たことがありません。

ましてや、何の力も無い、一社員がそんな発言をしたら、どうなるのか全く見えませんでした。せっかくプロジェクトが上手く進み出したのに、批判をしたために中止になったらどうしようという、マネジメントに嫌われて飛ばされたらどうしようという恐怖心もわいてきました。

不安を抱えるからこそ、より真剣に、ルターが権力に屈することなく、立ち上がった瞬間を反芻しました。

皇帝に自らの説を否定するように詰問されたときに、良心に逆らって行動はできないことを述べ最後に

「ここに、私は立つ。私はこのほかなにもごともできません。神よ我を助けよ、アーメン」と宣言しました。当時、絶対的な権力者である皇帝に対して、自らの信念を曲げないことは、いつ殺されてもいいくらいの危険に晒されることになります。

それほど厳しい状況に合って、ルターは自らのいのちよりも、神に応えることを大切にしました。

このルターの姿を何度も心の中で反芻しました。「神よ我を助けよ」と心の中で念じ、神に托身し思いきって発信しました。

ここからどのような未来に繋がるか、未だ見えませんが、ルターが神に托身して新しい時代を切り開いていったように、私も、先生とご一緒に、一人一人の魂が大切にされる新しい世界を切り開いていきたいと願っています。

「神の僕-マルティン・ルター 職場での神理実践」への1件のフィードバック

  1. まとめteみた【菩薩への道 あるGLA会員の物語】

    前回は、ルターの人生について、高橋先生の著書、「二千年の祈り」から、その生き様について一部抜粋し紹介させていただきました。そして、今回はルターを深めながらの私自身の神理…

コメントを残す