神の僕-マルティン・ルター

二千年の祈りの、五番目の先人はルターです。

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カルビンと同時期に宗教改革を起こして、カトリックに対するプロテスタントの流れを作った人として、歴史の教科書にも登場する偉人です。近代の資本主義の成立も、ルターが起こした宗教改革とは切れない関係にあるという説もあり、世界史に多大な影響を与えた方です。

 運動家としての側面ばかりが取り上げられ、内的な側面についてはあまり語られてこなかったらしいのですが、二千年の祈りの中には、どのような環境で育ち、宗教改革を起こすことになった内的な深まりの歩みが書かれています。以下にその一部を抜粋させて頂きます。

 ルターは元々は農民の家系なのですが、父親が粗銅を生産する小工場主になったおかげで勉強する機会を与えられます。優秀な成績を修めていたため、父親はルターが法律家になることを望んでいました。

 しかし、22歳の時に突然の回心の時が訪れます。ルターがシュトッテンハイム付近を歩いていたとき、晴天だったにもかかわらず、急に雷雨となり、突然ものすごい稲光とともにルターの近くに雷が落ちます。

 大地に叩きつけられたルターは、「聖アンナ様、助けて下さい、私は修道士になります」と気がつくと祈りの言葉を口にしていました。このような突然の回心によって、修道院に入ってしまいます。

 当初父親は、修道士になることを許さないのですが、二人の息子がペストで死んだことをきっかけとして修道士になることを許します。

 こうしてルターは厳しい修道院生活を始めるのですが、24歳の時に初めて司祭としてミサを執り行います。しかし、その最初のミサでルターは言いようのない恐怖に捉えられ、逃げ出したい衝動に駆られます。罪深い人間がどうして永遠の真理である神に、ほとんど対等に語りかけることができるのだろうか-と感じ、その後従来の神学に対する疑問が強まり、修道院生活は安らぎの場ではなくなりました。

 神は、神聖であり、完全なる正義であると思えば思うほど、その神のよりの審判は恐ろしいものと感じてしまいました。

 その後、苦悩の期間を経て、ルターの中に一つの新しい開けが訪れます。十字架上でイエスは、人間の罪悪と苦悩を一身に引き受けて下さったと知ったとき、恐ろしい審判者であったイエスが、誰よりも憐れみ深く、罪深い自分を含めて全ての人々を受けとめ、癒して下さる愛そのものの存在であったことに目が開かれます。ルターは自らの苦悩の内に、イエスの苦悩と愛を知り、そしてイエスの苦悩と愛の中に、神の哀しみと愛を発見したのです。神、イエスへの恐れは、深い信仰の喜びへと転換していきました。

 聖書を介在として、ルターの中に揺るぎないイエスとの絆、神との絆が生まれることになり、その後、聖書学の教授となります。こうして、信仰者としての内的な深まりと共に、仕事も聖書学の教授という働きにつき、更に聖書の研究が深められるのですが、そのことが宗教改革を起こすことへとつながっていきます。

当時の教会は、財政的な問題を抱えており、大切な財源として贖宥状を販売していました。贖宥状を買うことで、人々は自らの罪を悔いることなく、罰から逃れようとしていまし。

しかし、ルターにとって「悔い改め」とは信仰者が生涯をかけて自己の罪を悔いる、存在の根源に関わるテーマでした。贖宥状が誤っていることは火を見るより明らかでした。

ルターは、初めは誰か責任ある人が解決してくれるだろうという思いで、贖宥状の問題点を指摘するのですが、その内容がわずか一ヶ月でヨーロッパ中に知れ渡り、熱狂的に人々に受け入れられます。そのことがローマ教会に思いがけず打撃を与えることになります。

その後、ライプチヒの論争で異端者の立場に立つことになり、三大宗教改革文書を出版することで、宗教改革の指導者とみなされるようになります。本人の意思というより、時代のうねりに巻き込まれ、またルター自身の転換が、時代を変える流れを生み出していくことになります。ルターが抱えていた葛藤は、時代の抱える限界そのものであり、その葛藤を超えることはそのまま新しい時代を開くことに繋がっていきました。

また、ルターの大きな業績の一つとして、新約聖書のドイツ語訳があります。当時は、上級の修道士しか聖書を持っておらず、しかもラテン語訳の聖書しかありませんでした。ルターの地道な作業の積み重によって翻訳された聖書は、当時開発されたばかりのグーテンベルグの活版印刷術によって大量に印刷されました。教会に対して希望を見いだせなくなっていた人々が、教会を介してではなく、ドイツ語の聖書を介して、直接神の御言葉、イエスの心に触れられるようになりました。それは、ある意味で教会から人々が解放されるという大きな歴史的な転換点となりました。

このように、印刷術の開発という技術の進歩と同時期に、ルターが宗教改革者として活動したことが重なって、宗教革命は成就していきました。

97年の青年塾セミナーのご講演で、高橋先生は宗教改革についても触れて下さいました。技術の進化と、時代を変革する人々の連帯の動きが、同時に起こっていたことを示され、それは、偶然ではなく人間を超えた大いなる存在によって導かれた必然であったことを教えて下さいました。

そして、21世紀の現代にも、魂文明創造という時代衝動の風は吹いていることを示されました。私は、時代衝動の中心で人類全体を次なる次元へと導いて下さっているのが高橋先生であると感じています。ルターを読んでの実践は深めている最中ですが、長くなったので次回に記させて頂きます。

「神の僕-マルティン・ルター」への1件のフィードバック

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