2019台湾新春の集い:餓鬼阿弥のような修行と神理伝承のフロントへの感動

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台湾に新自己診断チャートを持っていくミッション発動

昨年の9月の伝研セミナー3日目に、先生が中央通路を御退場される時に、台湾でいつもお世話になっているCさんが少し離れた所にいらっしゃるのが目に入りました。

何とか、先生と握手して頂きたいと思い、Cさんとご一緒に先生のところに行きました。

先生は、Cさんに話しかけてくださって、台湾に新自己診断チャートを持っていってくださいとミッションを托されました。

あれから半年が経ち、いよいよ先生から托されたミッションを果たすときがやってきました。

今年の台湾のビデオ会は、初めて新自己診断チャートを携えて向かうことになりました。

新自己診断チャートのオペレーションはやったことがなかったのですが、携帯できる軽量のプリンターを購入し、日本でのプリントアウトテストを完了し、台湾に向かいました。

GGP誓願 内なる光との遭遇

丁度、台湾に行く前日が、GGP(グローバル・ジェネシスプロジェクト研鑽)の誓願の日となりました。

この一年間ずっと光が循環するような祈りを続けてきており、また人天経綸図の書写を深める中で、使命の地平に到って、世界に光を放つイメージを深めてきていました。

光の循環を深めることを通して、魂の中にある光の所以についても求めるようになってきたのですが、今世、高橋佳子先生から神理を伝承して頂いたように、過去世も光の大指導霊から頂いてきた智慧の光が魂の中に蓄積されているのではないかということが感じられるようになってきました。

信次先生のご著書に、「偉大な智慧が魂の中に既にあるから、それを思い出せばいい」と書いてくださっていても、これまでほとんど実感がなかったのですが、そういうことだったんだと疑問が氷解していきました。

そこで、誓願のときにも、永遠の歩みの中で蓄積されてきた魂願としての内なる光と、先生、神様、諸如来、諸菩薩、諸天善神、守護、指導霊からの光が響き合って、世界にお応えする願いを生きられますようにと願いを定めました。

台湾に向かう飛行機の中での祈りの深まり

台湾に向かう飛行機の中で、ずっと「新・祈りのみち」と対峙する時間を持たせていただいたのですが、幾転生の歩みの中で蓄積されてきた、神理を求める願いが感じられてきました。

これまで何千回、何万回と祈りを深める中で、祈りの力を実感できるようになってきていたのですが、その根底には、転生を超える願いと必然の物語があるのかもしれないと思いました。

また、祈りをしていて、「諸如来、諸菩薩、諸天善神、守護指導霊よ」と唱える祈りがいくつかあるのですが、これまでは何か、神仏につながる呪文のように捉えていたのですが、幾転生もの歩みの中で、ずっとお世話になってきた光の天使の具体的なお一人お一人が、本当はずっと見守り支え続けてくださっているのかもしれないと感じられてきました。

台湾到着 ビデオ会の準備完了?

台湾に到着し、集いの準備を進めていったのですが、新自己診断チャートは初の試みなので、試練があると想定していたのですが、セッティングの問題は一つもなく、短時間で終わってしまいました。

「こんなに簡単に終わるはずはない、きっと何か試練があるんじゃないか」と警戒しつつ、準備をしていきました。

突然の試練 足から聞こえた衝撃音

翌朝、試練を警戒していたこともすっかり忘れて、公園に行くと、ジャングルジムがありました。

懐かしさと共に少し運動したのですが、最後にジャングルジムから脱出しようとした時に、バランスを崩してしまいました。

転ぶのは恥ずかしいと思って足を踏ん張ったところ、ドスンと音がしました。

何か、足の上にぶつかってきたと思って、振り返って見たのですが、何もぶつかっていませんでした。

不思議に感じたのですが、もしかすると足の中で何か切れた音だったのかもしれないと怖くなってきました。

その予想は当たってしまい、その後徐々に足が痛くなってきて、とうとう歩けなくなってしまいました。

ホテルから公園までは、歩いて10分もかからないくらいの短い距離だったのですが、それでも痛みのあまり歩いて帰れなくなってしまい、途中で断念してタクシーでホテルに帰り着きました。

歩くと痛みが走り、足がつりそうになってしまい、身動きが取れなくなってしまいました。

怖かったので病院に行きたかったのですが、海外で保険が適用されず、大金を請求されたらどうしようと考えてしまい、病院にも行かずにホテルで安静にすることにしました。

餓鬼阿弥のように助けていただく体験による砕き

夕食の時間となり、みなが食事にでかけてしまったのですが、自分もせっかくの出会いを大切にしたいと思い、無理やり外に出ていきました。

痛い足を引きずりつつ、アタッシュケースを杖代わりにして移動していると、その様子を見た仲間から、「餓鬼阿弥みたい」と言われました。

餓鬼阿弥というのは、先生がお作りくださった、ルネッサンスアートシアターの劇「玄説 小栗判官」の主人公が病に侵された姿なのですが、餓鬼阿弥は全身病になって他人の助けなしには移動さえもできなくなったように、私も移動が困難になってしまいました。

最初は、「こっちの苦労も分からずに他人事だと思って…」と感じたのですが、実際に餓鬼阿弥を追体験するようなことになりました。

私の生い立ちは、両親が共働きだったので、物心つくころから、家の手伝いを様々にさせられ、学生時代も家が貧乏だったので、お金のかからない学習方法を探して実践し、大学も、会社に入ってからもできるだけ人に頼らずになんでもするようにしてきていました。

どうせ自分の言うことなんて誰も聞いてくれないという自己不信、世界不信の思いがベースにあり、その巻き返しとしてなんでも自分でやる中で、快・暴流の傾向を強めてきていました。

そんな自分が、自分一人では身動きさえも容易にとれなくなってしまい、何をするにしても他人にお願いしなければならなくなってしまいました。

最初は助けてもらうことに対して、とても抵抗があったのですが、そうはいっても痛みで動けないので、ちょっとしたことでも助けていただくことになりました。

一緒の部屋だった、O君には、本当に色々と助けて頂いて、湿布を買ってきもらったり、包帯を手配してもらったり、食事も買ってきてもらいました。

また、普通の人の1/3、1/4のスピードでしか移動できなかったのですが、それも一緒にゆっくりと歩んでもらうことになりました。

他にも、Nさんがホテルにお願いしてくれて、歩行用の補助具を手配してくれました。

その後、Kさんが杖を買ってきてくれて、更に包帯を巻いてくれました。

また、Mさんが足に光を入れてくださいました。

Mさんから、「人間は一人では生きていけないんだから、助けてもらうことも大切ですよ」とアドバイスをもったのですが、心深くに刻まれました。

痛みを通して共苦共悲の心境へ

自分自身が障害を抱えることで、いつもびっこを引きながら歩かれている方の痛みや、車椅子で移動されている方の大変さが身にしみて感じられてきました。

普段生活しているときは、そのような痛みを抱えている人がいらっしゃっても、ほとんどその痛みは感じられませんでした。

しかし、実際に自分が大変な状況に追い込まれることで、皆さんが大変な痛みをずっと抱えられていたんだなあと、その痛みが引き寄せられてきました。

先日も足が曲がった方が足を引きずり、時々足を捻って痛い思いをしながらも、一生懸命歩かれていました。

その歩みを同伴されている方も傍にいらっしゃったのですが、思わず応援したくなってしまいました。

皆さんから餓鬼阿弥と言われたことも偶然ではなく、自分にとって本当に餓鬼阿弥のように、心を変革していく修行をさせていただくことになりました。

プロジェクトの働きは…止観シート

動けなくなり、プロジェクトの働きもそれほど担えなくなったので、今回は「雨乞い師」のはたらきに徹することにさせていただきました。(雨乞い師とは、先生のご著書「グランドチャレンジ」のイントロダクションに紹介されているユングの物語なのですが、日照りで困っている場所に雨乞い師が来た時に、この場所がタオ(宇宙の意思)から外れていると感じ、小屋にこもってタオに共振すると、雪が降ってきたという奇跡について書かれています)

それで、止観シートを書いて、自分の内側の闇を意識化し、光に転じる時間を多く持つようにしていきました。

丁度、誓願において、内なる光について書かせていただいたので、内なる光を意識化しようと思ったのですが、思いの他、普段の自分の心が真っ黒になっていて、苦しい思いでいっぱいになっていることに改めて気づきました。

また、母方の「血」の流れとして、すぐに眠くなってしまう傾向がありました。

地の底に引きずり込まれるような重い気持ちになって、息が詰まって苦しくなって、気を失うように眠くなってしまうのですが、いつもそうなので、あまり気にしないようにしていました。

そのような重い気持ちになったときも、積極的に光を受ける時間を増やし、普段以上に内なる浄化に努めていきました。

初の海外での「The Path Of Prayer」のおなぞり

個人として止観シートに取り組みつつ、神理実践の同伴もさせていただきました。

Shさんは台湾の会員さんなのですが、英語ができる方だったので、新自己診断チャートの同伴させて頂きました。

同伴を深めつつ、煩悩の浄化のために「新・祈りのみち」の英訳版の「Tha Path Of Prayer」のおなぞりをさせていただきました。

Shさんの煩悩である、快・衰退の祈りを探したところ、

「When You Feel Optimistic, Satisfied, or Comfortable(When You Feel Things Are Going Smoothly)」

がピッタリだったので、ご一緒に読ませていただきました。

「The Path Of Prayer」は、毎朝電車の中で少しずつ読む行を続けてきており、この祈りも、何回か読んではいたのですが、改めて一緒に読ませていただくと、意味が分からない単語が多いことに改めて気づきました。

分からないまま声を出して読んでいると、こんな祈りでは申し訳ないという思いになってきてしまい、*印の前で諦めて終わってしまいました。

Shさんも、丁度他のプロジェクトの働きが入ったこともあり、初の英語でのおなぞりが途中で終わってしまいました。

Shさんにとって人生で初めての「The Path Of Prayer」の取り組みなのに、こんな中途半端では申し訳ないと思い、せめて*印の後の、祈りをするところまで一緒に取り組ませていただきたいと思い、再度お願いすると、快く受け止めてくださいました。

そして最後の祈りの言葉を唱えて頂くところまで、なんとか取り組むことができました。

取り組みが終わると、何か空気が変わったように感じました。

その後、Shさんは奥の部屋でずっと打ち合わせをされていました。

そして、いよいよビデオ会が始まっていきました。

ビデオ会スタート 台湾に神理が浸透していく感動

映像が始まると、皆さん真剣に先生の御講演を受けられており、台湾の皆さんの熱い信仰心が伝わってくるようでした。

御講演が終わった後で、新自己診断チャートの説明を、青年塾でずっと一緒にプロジェクトを担ってきた、Nさんが担われました。

Nさんの流暢な中国語の説明によって、会場の皆さんと心が一つになり、暖かな雰囲気の中で神理が伝わっていくのを見せていただきました。

その様子を見ていて、とても感動しました。

こうやって、異国の地に、神理が伝わっていくんだ・・・神理伝承のフロントが、今ここにあることを実感しました。

後で分かったのですが、Nさんがスムーズに発表できた背景として、Shさんが発表内をじっくり切磋琢磨してくださっており、台湾のみなさんにとって分かり易い表現に修正してくださっていました。

それでNさんは安心して発表できたということでした。

「The Path Of Prayer」のおなぞりを通して、Shさんが祈りを通して先生の御心とつながって、使命の働きとしての日本と台湾をつなぐ働きをされたんじゃないかな?と感じました。

海外で深められた「祈り」のいのち

この体験から、改めて祈りの力について考えることになりました。

私は入会して25年程経つのですが、神理のライフスタイルとして年間千回位祈っているとすると、これまで2~3万回は祈りをしていることになります。

英語版の「Path Of Prayer」を読んだ時に、普段のように祈りの言霊を届けられなくて申し訳ないと感じたのですが、逆に言うと、日常的に取り組んでいる祈りが、自然と神仏につながっていた部分があり、英語の祈りではそうならないことを申し訳なく感じていたことに気づかせていただきました。

異文化に触れることを通して、神理のライフスタイルによって自然と育まれてきていたことに改めて気づかせていただき、自分では全く気づかないうちに「魂主義」を生きる土台を、作ってきていただいていたことへの感謝の思いが湧いてきました。

同時に英語で魂深くからの祈りができず、神理をお伝えできないことに対する後悔を深く刻ませて頂きました。

新自己診断チャートを介在とした出会い

集いの最後に、神理カード授受の場があり、英語が通じる会員のRさんの娘さんのAさんと出会うことになりました。

頂かれた神理カードをお聞きすると、「火の心」でした。

快・衰退もポイントが高かったので、満足→怠惰→停滞の受発色のことをお伝えし、暗転循環から、光転循環へと転換していくために、善我としての自分を育てていく必要があることをお伝えしました。

話していると、神理の言葉が、心深くに伝わっていく瞬間が何度かありました。

最後の方で、「Are You Changed」

と言われたので、「I was Changed Completely」とお伝えすると非常に驚かれていました。

そこで、私自身が幼い頃に、母から人前での折檻を受け、自己不信、世界不信を強めてしまったこと。しかし、高橋先生と出会い、先生のどこまでを自分を信じ、愛してくださる御心に触れて、自己信頼、世界信頼の心を取り戻し、今では心からの笑顔で生きられるようになったことをお伝えしました。

Aさんは、裕福で恵まれた家庭環境だったらしいのですが、裕福な人は、裕福故に引き出される心の闇があり、誰もが宿命の洞窟から人生が始まるのは同じであり、そこから自分の心を変革し、使命を果たす自分へと成長していく道を、高橋先生が教えてくださっていることをお伝えすると、納得されているようでした。

別れ際に、「Special(Thanks)」と言われていました。

日本のプロジェクトにおいても、海外の講演会もそうですが、先生のお説きくださる神理を知りたいという方が、日に日に増えてきているのを感じます。

そして、今回は特に、自分の中にも神理をお伝えさせていただきたい、そして、皆さんが深く神理と出会われて、人生を変えていかれるご縁になりたいという願いがあったことを発見させていただきました。

まだまだ英語力の未熟のためにお伝えできない未熟がありますが、これよりも継続して語学の鍛錬を重ね、世界からの要請に応えられるように、そして自らの魂の願いに応えられるように精進してまいります。

台湾が親日国家となった背景

また、改めて台湾の歴史についても調べる中で、台湾が親日国になっている理由についても知ることになりました。(ちなみに、昨年は日本から台湾へは197万人、台湾から日本へは476万人が訪れています)

一つは台湾統治時に、日本の教育が導入されたことが大きかったようで、それが今の台湾の土台となっているようです。台湾の方も、日本人が台湾を土着の民族から、文化的に高めてくれたと感謝されていました。

また、インフラの整備に尽力した日本人も多かったようです。ダムを作った八田與一さんは、不毛の嘉南平野を緑豊かな穀倉地帯に変革したのですが、台湾の大恩人として、李登輝元総統に紹介されています。

糖業の領域では、最初に日本の砂糖王と呼ばれた、鈴木藤三郎が立て直そうとするのですが、生産量は逆に減ってしまいます。

そこで、新渡戸稲造が招聘されるのですが、半年間の視察の結果、サトウキビの品種改良、工作方法、加工方法と工場の拡大を意見書として提案し、結果として年間5万トンの生産高が140万トンにまで拡大し、世界有数の砂糖大国に成長しています。

また、先の李登輝元総統は、日本の教育によって古今東西の先哲の言葉に接することができたことが大きかったらしいのですが、新渡戸稲造の「武士道」にも大きな影響を与えられたと語られていました。

神理の大河に連なる土地として台湾もあると思うのですが、親日国家である台湾の皆さんへの友情に応えて、神理の光が届けられるように、これからもつないでいきたいと思いました。

2 thoughts on “2019台湾新春の集い:餓鬼阿弥のような修行と神理伝承のフロントへの感動”

  1. 不注意から失敗をしてしまったり、視野狭窄から相手に怒りをあらわにしてしまったりと、苦い経験を何転生も繰り返して魂は成長してきたとは思うのですが、しばしそこから解放されてただ光に包まれていたい、ボーっとしていたい。

    1. 先日の生活実践で、禅定の功徳として、神様との内なる対話の深まりを頂くようになったとお聞きしました。
      イライラから解放されるようになったらしいのですが、禅定の功徳とつながるように感じました。

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