2016年劇役者への挑戦 宿命を超えて深い受信へ

2016年になり、本部の集中プロジェクトのはたらきを担うことになりました。

かつての青年塾を一緒に支えていた仲間も多く、プロジェクトの働きも忙しくなりそうだったので、2年間の劇チームでの歩みへの感謝と、お別れの挨拶のメールを書くことにしました。

しかし、メールを書いていると、心の奥の方からふつふつと、劇を担いたいという願いが溢れてきてしまいました。

そして、いつの間にか、お別れのメールのつもりが、今年もよろしくお願いしますというメールへと変わってしまいました。

Contents

役者チームへの願い

2014年のジョン万次郎、そして2015年のナイチンゲールの劇では、道具チームを担い、CGの作成などもさせていただきました。

道具チームの働きを担いつつ、役者チームの友人のウイズダム実践の同伴をさせていただいたのですが、お世話の課題があることを教えて頂きました。

そこで、今年は役者チームでお世話の働きを担うことを願い、役者のワークショップにも積極的に参加することにしました。

プロの役者の皆さんのご指導の下、発声方法の練習や、ゲームを通して、役者としての基本的な鍛錬を積んでいきました。

鍛錬の一つとして、エチュードという短い劇にもチャレンジしました。

参加するにあたって、ウイズダム基本篇を取り組みつつ、先智慧、実行、後智慧の具現の循環を回していったのですが、演じるときに生じる自分の煩悩を菩提心に転換しながら取り組むことで、毎回の練習で新たな発見を頂きました。

また、役者のはたらきの特徴として、自分とは異なる3つの「ち」を背負った役を演じ、普段の自分とは異なる受発色を生きることになるのですが、改めて自分自身を客観的に見つめる機会にもなりました。

プロの皆さんの迫力のある演技に触れることで、感情が引き出されて、新しい演技が生まれることもありました。

そのような鍛錬の歩みを重ねる中で、念願叶って、役者チームに入れることになりました。

劇のお役拝命

今年の劇は、「波濤を超えて 鑑真とその弟子たち」が上演されることになり、主役のオーディションが行われることになりました。

せっかく鍛錬してきたので、出ようかなとも思ったのですが、豊心大学のプロジェクトが危機的な状況になったので、オーディションは断念し、安全防災のプロジェクトに集中することにしました。

豊心大学のプロジェクトが後智慧まで結ばれた頃には、劇のプロジェクトも本格的に始まっていったのですが、私も思いがけず、名前のついたお役を頂くことになりました。

それは、鑑真和上と一緒に日本に渡り、和上の後に東大寺で律宗を継いだ、中国のお坊さんの役でした。

最初に頂いた台本をさーっと読んで、台詞(せりふ)自体はそれほどなかったので、少し安心しました。

しかし、この安心という煩悩が、その後、様々な試練を起こしていくことになろうとは、この時は知るよしもありませんでした・・・。

台詞がないのが一番難しいという公案

台詞はそれほどなかったのですが、出演シーンは多くありました。

普照、栄叡という日本からの留学僧が、大明寺の鑑真和上を尋ねてから、最後の日本に到着するまで、和上にお供しているお弟子さんとして、ずっと和上の傍にいることになりました。

最初は、自分が出る場面と立ち位置を理解するのでほとんどのエネルギーを使い果たし、何とかその場面にいるだけで精一杯となっていました。

次々にシーンのイメージが作られていったのですが、自分の立ち位置を決めていく際に、幼い頃から抱いていたある思いが引き出されてきました。

それは、「自分はこの場にいない方がいいんじゃないか」、「邪魔なんじゃないか」といった自己否定の思いでした。

私は物心つく頃から母親に折檻を受けていたため、強烈な自己否定が元々あるのですが、その思いが引き出されてくることになりました。

そして、折檻のあまりのつらさに痛みをできるだけ感じなくするために、意識的に心が何も感じないようにしていきました。

それが一見するとボーッとしているような受発色を生み出すことになっていきました。

しかし、演技指導の先輩からはまさにその部分をダイレクトに指摘を受け「ボーッとしないで」と何度もご指導を頂きました。

一生懸命演じているつもりだったのですが、どうにもならず、自分でも無意識なレベルで行っている受発色を超えることを要請されているように感じました。

実は、豊心大学のプロジェクトでも、マイペースであると切磋琢磨を頂いていたのですが、まさにその部分を今回も指摘されてしまいました。

2度も同じような指摘があり、その背後には生まれ育ちも大きく影響していることも感じられてきたので、これは根本から変わることを呼びかけられていると感じました。

演技指導の先輩からは、「台詞があれば、台詞に感情を乗せることが出来るのである意味楽なんだけど、台詞のない人は、自分でその場の感情を引き出さなければならないので、台詞がないのが一番難しい!」といったアドバイスを、何度もいただくことになりました。

台詞がないから安心といった心は、既に打ち砕かれていったのですが、じゃあどうすれば感情を引き出せるのかが分からず、指摘を受ける度に、平静を装いつつも、このままだと役を降ろされるんじゃないかという不安と葛藤することになりました。

このような試行錯誤をし、葛藤している最中に、役者のプロとして活躍している同志の演劇を見に行く機会がありました。

暗闇に射してきた光明 「聞く」ことの重要さの発見

本格的なプロの役者の演技を見る機会であり、話していない人の演技を見るいいチャンスだと思って行ったのですが、何と二人芝居の劇で、台詞が無い役者さんはいませんでした。

それでも、何か参考になるものがあるんじゃないかと思い、これまで以上に熱心に劇を見せて頂きました。

日本兵が、死の恐怖と戦う戦場での物語だったのですが、その演技の迫力に圧倒されることになりました。

劇が終わって帰る時に、芝居を観に来ていた劇チームの皆さんと一緒になったのですが、昨年の劇「ナイチンゲール」で、お姉さん役をされた方と話す機会がありました。

何とその方も、元々は人前に出るのが苦手だったと聞いて、少し安心しました。

また、初めての役者で非常に苦労していることをお伝えしたところ、御自身が10年かけて超えてこられた歩みを教えて頂くことになりました。

それは、「徹底して聞く」ということでした。

深く聞くことができれば、自然とその感情になり、演じるという感覚では無く、その場を生きることが出来ると教えて頂きました。

確かに、それまではどうやったら上手く演じられるのかということばかりを意識しており、相手の演技は自分の演技のきっかけ位にしか捉えられていませんでした。

それだと、結局は物語全体の中に、演じる方の魂がいない状態になっていたんだと思います。

暗中模索で真っ暗闇の中を歩いていたところから、一筋の光が差し込んできたように感じたのですが、まずは徹底的に聞くことで、その役を生きるチャレンジをしてみようと思いました。

ウイズダム実践の本格起動

この頃から、劇のお役を演じることは、自分の魂にとってのかなり高いハードルであり、神理実践で本気でチャレンジしなければ乗り越えられないと腹が据わり、カオス・受発色融合ウイズダムにも取り組み始めました。

劇の上演まで、6枚のシートに取り組んだのですが、取り組む毎にテーマが進化していき、少しずつ今回の働きに呼びかけられていることが明確になっていきました。

このシートは、過去の後智慧と、未来の先智慧の二つに別れており、過去の失敗についても、振り返っていくことになったのですが、かつて呼びかけに応えられなかった後悔の生き直しのチャンスを頂いていることがつながっていきました。

そして、内的必然を確かにしながら応えていきました。

こうして、少しずつレベルが上がるにつれて、演技指導の先輩からも、肯定的な評価も頂くようになりました。

「魂の学」による歴史のとらえ方の深まり

同時に、歴史的な時代背景の調査も進めていきました。

私は、新しい領域にチャレンジするときに、まずは大きな本屋さんに行って必要な本を集めることから始めるのですが、今回も、池袋のジュンク堂に行って、関連する日本史の本や、鑑真和上に関する本を探すことから始めました。

今回の物語は奈良時代に起こった史実に基づいているのですが、その時代の歴史的な事実を押さえるために、古代の日本史に関する参考書の中から、分かりやすそうなものを選びました。

History books

20数年ぶりに日本史の歴史について本格的に調べることになったのですが、高校生の頃は、大学入試のセンター試験の暗記科目として、内容の理解よりテストの点数を取ることを優先していました。

例えば、南都六宗も暗記はしていたのですが、その中の律宗が鑑真和上が開いたものであったことは、全く繋がっていませんでした。

しかし、今回は劇の背景を理解したいと願い、どのような人間ドラマがあったのかな?という視点で調べていったのですが、より大きな歴史的な背景の流れの中で、劇の物語が生まれていたことが見えてきました。

具体的には、藤原不比等とその子孫による権力闘争の歴史があり、為政者が次々に変わっていく中で、時に歴史の中心となり、時に排斥されといった変遷が、劇の登場人物にもあったことなどが見えてきました。

こうして劇に出てくる歴史について、少しずつ情報を調べている最中に、劇チームに対して先生よりご指導を頂きました。

シナリオに対して、指南書を作って下さったのですが、物語の人間ドラマが、一気に深まっていきました。

また指南書の基となったある神理の眼差しを、先生が普段どのように生きられているのかについても教えて頂いたのですが、職場で抱えていた人間関係の問題についても、そのような見方が出来るのかと大変に衝撃を受けました。

そして、私も先生のように神理を普段の自分の眼差しにしていきたいという憧れを深く感じました。

こうして、先生から教えて頂いた神理の視点をもって、歴史の勉強を深めていくと、歴史の物語が、平面的な情報の羅列から、複数の系列が複雑に絡み合う立体的な情報に変わっていきました。

そして、普段の生活にとっても必要な、より活き活きとした生きた智慧になっていくように感じました。

高校時代に、こういった視点をもって勉強ができていたら、もっと楽しく意味のある勉強ができていたのに、もったいないことをしていたと後悔が深まりました。

またもう一冊は、鑑真研究の第一人者と言われている安藤更生さんの「鑑真」という本を読みました。

この本には、劇には出てこない、弟子達の様々なエピソードが載っていました。

また歴史上の文献を引用されつつ、和上一行が辿った旅の記録に対して、新たな視点から洞察もされていたのですが、著者と一緒に歴史書を読み解きながら、旅の真相に迫っていくような体験を頂きました。

また、本の中には、和上の弟子達についても具体的な名前が上げられていました。

鑑真の弟子達Lineの立ち上げ

丁度この頃、弟子のウイズダムに取り組んだのですが、その光転の縁として、鑑真の弟子達のLineを立ち上げることになりました。

その中で、それぞれが取り組んでいる行や、霊操の取り組みについても、分かち合われていきました。

霊操とは、元々はフランシスコザビエルの師匠である、ロヨラが編み出した霊的鍛錬方法ですが、REAT(ルネッサンスアートシアター)の演劇では、役者だけでなく、衣装も、道具も、メイクも、皆さん霊操に取り組んで、その物語にアクセスしていきます。

歴史書の調査も、霊操の取り組みの一つとして取り組んでいたのですが、役者であれば、実際のその時代を生きた人々のライフスタイルを実際にやってみたりして、その時代の空間を呼び出すような取り組みを深めていきました。

弟子の中には、弟子1〜弟子7というはたらきもあったのですが、Lineのグループでこの本に載っていた弟子の名前を共有しました。

そして、それぞれ自分で名前を選択し、以後、名前で呼び合うようにしていきました。

また、各自の行への取り組みや、霊操への取り組みなども分かち合い、智慧と志の交換が少しずつ深められていきました。

(続く)

2 thoughts on “2016年劇役者への挑戦 宿命を超えて深い受信へ”

  1. 劇、とても感動しました。嗚咽が止めれませんでした。ありがとうございました!

    1. コメントありがとうございます。
      観客の皆さんのエネルギーと一体となって具現化でき、本当に素晴らしい体験を私たちも頂きました。

Leave a Reply

Your email address will not be published.

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.