礎となる魂 - ペトロ 魂の所以に遡る瞑想で頂いたユニバース体験

「二千年の祈り」に出てくる一人一人の物語を読んで、深まった思いを書いていきます。私自身も、この本の深みに更に出会っていきたいと思います。

イエスが伝道した期間は、わずか2年間しかなかったと言われています。

何でそんなに短い期間しか活動しなかったのに、世界宗教とも言えるキリスト教が起こったのか、本当に奇跡的なことだと思います。

そこには、イエスと弟子たちの物語があったのですが、初代教皇になったペトロの物語に、その秘密が隠されており、ペトロからこのご著書は始まります。

Peter Escape

 

当時のイスラエルは、ローマの属国になっており、ローマの屈辱的な支配から自分達を開放してくれる政治的な指導者が求められていました。

様々な奇跡や、人々の心を打つ説教をするイエスに対して、人々はローマの支配から自分たちを救ってくれる政治的なリーダーであることが期待されていました。

しかし、イエスが求めていたものは、人々の求めるものと全く違っていました。

イエスは貧しく、虐げられた人々、神から見放されていると思い込んでいる人々に、真実の神の愛を伝え、魂を救う同伴者になることを求めていました。(イエス以前は、神は裁きの神として恐れられていたそうです)

弟子達も当時の価値観に染まっていたため、イエスがどれほど切実に神の愛を伝えようとしても理解することができず、その度にイエスを悲しませていました。

師と弟子の間にあった埋めがたい断絶・・・、それなのに、どうして弟子たちはイエスの遺志を受け継ぐ本物の伝道者になっていったのでしょうか。

ペトロは「岩」という意味があるらしいのですが、その名前もイエスからもらったもので、岩のように不動の信仰心を持つものとなれという意味が込められているそうです。しかし、そのようには生きられなかったペトロの歩みがありました。

ユダがイエスから離反し、そのためイエスが罪人として捕らえられる直前のことです。

ペトロは、イエスに「先生、あなたと一緒なら牢に入って死んでも構いません」と伝えるのですが、イエスは「いやペトロよ、お前は明日朝、鶏が鳴くまでに三度私を知らないと言うだろう」と伝えます。

ペトロも師の言葉に驚きますが、イエスの心にはより深い痛みが刻まれていました。

その後イエスが捕らえられるとき誰もイエスを助けることができず、弟子たちは逃げてしまいます。そして、ペトロはイエスの予言通りに、自分の身を守るためにイエスのことを三度知らないと言ってしまいます・・・。

ペトロはイエスの予言通りに師を裏切ってしまった、自らの愚かさ、弱さと真正面から向き合い、身悶えして泣きます。

十字架に向かっていくイエスの姿に触れ、イエスがどれほどの思いで、痛み苦しむ人々の同伴者として生きていたのか、そして自分たち弟子を見守ってくれていたのか、真実のイエスの心と出会って行きます。

これは、ペトロだけではなくイエスを裏切った他の弟子たちにも起こっていたことで、イエスの魂と深く出会う中で、本物の伝道者に変わって行きました。

この文章と出会った時、ペトロの切実な後悔とイエスへの想いが自分の内側にも溢れてきて、涙が止まらなくなりました。実は、今回、改めて読み返している時も、電車の中で人前にも関わらず泣いてしまいました。

また、入会当初に、先生が書かれたイエスに香油を塗る罪女の話を読んだ時も、号泣してしまい、何十分も涙が止まらなくなってしまいました。

しかし、何でそうなるのかはわかりませんでした。

昨年のかけ橋セミナー終了後に、先生は魂の所以に遡る瞑想の時をもって下さいました。その時に、ガリラヤ湖でのイエスと弟子たちの出会いのシーンについて語って下さいました。

その時に、自分の内側から「私は知っている」という強烈な思いが、魂の中心から溢れてきて、強い必然があったことがわかりました・・・。

先生のご著書を読んだ時、そして魂の所以に遡る瞑想の時も、いずれも先生から頂いたユニバース体験だと思いますが、二千年前、私の魂はイエス様と出会っていたようです。

そして、あの時一緒に旅をした仲間と、今もGLAで歩んでいることも思い出しました。

そして、今生、高橋佳子先生の下で、かつての仲間と共に、あの時の後悔の生き直しをしているんだと思います。

ユニバース体験についてはご著書「魂の冒険」を参照ください。

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