宗教論の本で、キリスト教について、まとめられた章を読みました。
そこには予定説についての説明や、中世の教会の堕落と、宗教革命、そしてイスラム教との関係などについても書かれていました。
読んで感じたのは、宗教の難しい所だと思うのですが、知識としてどれだけ客観的に評価したとしても、魂の次元とつながらない限り、何の意味もなくなってしまうということでした。
具体的に言うと、知識の詰め込みでは、魂、心、現実の変革につながらないということです。
そこで、改めて「二千年の祈り」を読み返してみました。
そこには初代教皇のペトロ、アシジのフランシスコ、ジャンヌ・ダルク、フランシスコ・ザビエル、マルティン・ルター、テレーズ・マルタン、新渡戸稲造、内村鑑三という八人のイエスの弟子たちの歩みが書かれており、高校の読書感想文の課題図書にもなった本です。
はじめにの部分を読んではっとしました。そこには神の心を切実に求め生きた、人間イエスとの魂の対話を始めることについて書かれていました。
確かに、自分もこの本が好きで、何度も読み返しているのですが、読むたびにイエスを求める一人ひとりの弟子の切実な思いと、時空を超えて響きあうイエスの思いが自分の心、魂へと深く染みいっていきました。
ある時はペトロのイエスを裏切った時の深い後悔と、弟子を見守られるイエスの愛情が自分の中に流れ込んできて号泣した時もありました。
キリスト教が世界宗教になっていく起点となった師と弟子の出会いです。
また、ルターの自らの命を狙われるような逆境の中にあっても、神の僕として生きる願いに励まされ、自分の信念を貫く勇気をもらいました。
また新渡戸稲造の太平洋の橋にならんとする志に憧れ、もっと自分を磨きたいという魂の願いが引き出され、転職を決意しました。
また、入会当初には意味がわからなかった内容もGLAでの研鑽の深まりと共にわかるようになった箇所もたくさんあります。
例えば、フランチェスコの完全な喜びの物語がありますが、初めて読んだ時は全く意味がわかりませんでした。
簡単に言うと、奇跡によって死人を4日たって生き返らせても、またこの世界のあらゆる神秘を知ることができたとしても、また不信の者が全部キリスト教徒に改宗しても、そこには完全な喜びはない。
飢えと寒さの中で、修道院の門番にゴロツキと勘違いされて袋叩きに合うような苦難の中でも、忍耐強く朗らかに全てを耐え、イエスの苦難を思い、キリストへの愛のために苦しむことがふさわしいと感じる時に完全な喜びがあると書かれていました。
現代の一般的な常識ではありえないようなことが書かれていました。
しかし、数年前に発刊された「Calling」の中に詳しく書かれていますが、魂の願いと試練との関係について理解が深まり、また自分の実践の歩みを通して、試練の奥に願いがあるという発見が深まる中で、少しずつフランチェスコの語っていた内容が理解できるようになってきました。
改めて、高橋先生の書かれる本は、単なる知識の寄せ集めではなく、時空を超えて先人の魂と響きあう、霊的なご著書であり、一人ひとりの霊的な成長を導く本だと感じています。