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みそ汁配布の後智慧
初日が終わった後で、私が所属していた運営プロジェクトの配膳チームでは、みそ汁サーバーの改善案について、皆で話し合う時間が持たれました。
様々なアイデアが次から次に出てきて熱い議論の場となりました。
私が担当したサーバーは、回転率が早く、みその量がかなり減っていました。その背景として、机の端で3人が効率よく動くことができ、ほとんど途切れることなくみそ汁サーバーを動かし続けていました。
そこで、できるだけ机の隅を活用できるようにするために、机と机の間をあけるようにし、みそ汁サーバーの向きも変え、お湯の通る経路も変えることになりました。
全体での打ち合わせが終わった後で、リーダー、サブリーダーで後智慧をし、更に急遽依頼された、宿泊棟のセッティングをすることになりました。
少しの休息をとって、朝の5時半から、準備をしてゆきました。
防衛省の青年との国難への危機感の共有
朝食の時間に、防衛省で働いている青年と出会う機会がありました。
何で日本がこんなにもデフレが続いてきたのか、ずっと謎だったんですが、最近になって、MMT(現代貨幣理論)に関する経済の本を読み、更にChatGPTに色々と教えてもらう中でようやく全体像が見えるようになってきていました。
そのことも話してみると、同じような問題意識を持たれており、やっぱりそうだったんだなと納得することになりました。
ざっくりいうとデフレの原因としては
・プライマリーバランス0目標、財務省の方針
・グローバル化
・所得税、法人税の減税と、消費税の増税
といったことがあると考えていたんですが、官僚からの視点につても教えてもらいました。
また、防衛省でのお仕事内容や、日本の国を守りたいという熱い志と危機意識について教えてもらいました。
官僚という組織の中で、どのように神理実践すればいいか悩みも抱えられていたのですが、私自身も会社という組織で様々な試練があり、神理実践によって『3つの「ち」』を浄化し、神理実践シートに取り組む中で少しずつ転換が起こってきていることなど分かち合わせていただくと、共感されていました。
働きのフィールドは違うけれども、それぞれの専門の領域で、神理実践によって国難に対して道を開かんと戦っている同志なんだなと感じました。
神理実践シートの運営プロジェクトでの深まり
また、今回も「正見のまなざしを育むためのよすがとして 7つの視点」という、先生が運営プロジェクトのために準備くださったご経文に、皆で取り組む時間を持ちました。
運営プロジェクト中の事件として、湯茶を出すための熱湯を扱っていて、火傷をしてしまった方がいました。
「正見のまなざし」を深めることを通して、その事件の背景にあった思いをずっと探してゆかれたのですが、自分が傷ついてでも、周りからの要請、眼差しに応えようとしてきたことを発見され、人生の繰り返しとなっていることに気づかれました。
他人のまなざしから自由になって、自律する生き方を模索されることになり、運営プロジェクトの働きとしても、皆がみそ汁サーバーで動いている時間に、手薄になっている給水ポイントの働きを担ってくださることになりました。
また、今回初めて娘さんが八ヶ岳の運営プロジェクトデビューをされており、ご自身が自律される歩みと、娘さんが自律して運営プロジェクトの働きを担われることが一致しているということも発見されてゆきました。
親子で新しいかかわりを始めて行かれる記念すべき時になっていることが伝わってきて感動しました。
メンバーさんの不満爆発事件発生
これまでの運営プロジェクトの中でも一部では光転は起こっていたのですが、プロジェクトが進むほどに、メンバーさんからの不満が蓄積し、とうとう、先生のご講演の後に、メンバーさんからの不満が爆発する事件が発生しました。
それまで、メンバーさんが感じている不満は私自身も感じており、リーダーに改善提案をずっと続けてきたのですが、理解されない状態が続き、半ばあきらめてきていました。
具体的に言うと、プロジェクトの始まりに、Bさんが快・暴流に気づいた出会いがありましたが、具体的に要請が来ると、また快・暴流の「優位―支配/差別―枯渇/反感」の受発色となり、「不満の増大」という現実が煩悩地図の通り現れていました。
メンバーさんからの不満がかなり大きくなり、このまま放ってはおけないという思いが引き出されました。
その後、夜中にリーダー、サブリーダーで翌朝の準備することになった時に、リーダーに思い切って、メンバーさんからの不満があることを伝え、サブリーダーに任せてほしいとお願いしました。
Bさんからは、怒りをぶつけられることになったんですが、それでもメンバーさんの思いを大事にしたいなという思いが強くなり、お願いしたところ働きを担うことになりました。
「観音の心」の菩提心への転換
翌朝、準備しているときに、ターミナルのIさんとの出会いがありました。どこからか、話を聞かれて、心配して関わってくださったんだと思います。
そうして、改めてどのような気持ちで臨むのか、切磋琢磨を頂くことになりました。
最初は、「リーダーはうまくチームを運用できていない、だからリーダーに『私が変わります』のチャレンジをしてもらわなければならない」という思いがあったのですが、そんな上から目線の関りだと暗転するよねと切磋琢磨いただきました。
確かに上から目線だし、このままだと暗転するのは分かるんだけど、でもどう変わっていいかは分からず、しばらくうなっていました。
「相手に変わってもらうんじゃなくて、自分事として問題の責任をとって引き受けるべきなんじゃないかな?」というアドバイスを頂いて、「現場の問題を一緒に解決させていただきたい」という気持ちに転換してみることにしました。
そうか、「観音の心」になればよかったんだなと実感しました。
菩提心による響働
そうして、朝のミーティングを行ったところ、皆さんから様々な活発な意見や提案が出てきました。
リーダーのBさんからも様々視点を頂いて、それらを全部踏まえてコーディネーションしなおして、作業を皆で分担してゆきました。
その後、トランシーバーが足りなくなり、私のトランシーバーは使えなくなってしまいました。
調整する働きが大事になってくるのに、このままだとできない状態となり、困ってたところ、サブリーダーの青年のKさんがいらっしゃったので、トランシーバーでの調整役をお願いすることになりました。
Kさんはどんどん現場の情報を収集し、それらを踏まえて、次々に発生するタスクを解決する働きに皆さんについていただく調整をされることになり、私もサポートさせていただきました。
その結果、大量の作業量があったのですが、他チームからのエイドを通常はお願いしているのに、今回は0で、目標時間の15:00までにほとんどすべての作業を終えることができました。
Kさんは快・衰退の傾向が強く、大丈夫かな? と心配していたのですが、「火の心」の菩提心によって、まったく変わってゆかれた姿に触れて、青年の中にはすごい力があることを実感しました。
そのようなコーディネーションをしつつ、なんとか父に先生と握手してほしいと願っていました。
両親と先生との出会いの奇跡
先生はご講演が終わった後で、1時間半から2時間ほど、会場を通って1人ひとりと出会ってくださっていました。
普通だったら、父は絶対に先生と握手しないなと思って、先生が会場から出て来られるタイミングで、なんとか父を入り口のところに連れて行こうと思っていました。
一度会場の様子を見て、あと30分くらいかな? と予想し、配膳のプロジェクトの働きを担いつつ、タイミングを見計らっていました。
そろそろかな? と思って、父に「そろそろ、行こうか」というと、素直に移動してくれました。
入り口のところで、待っていると、東北のTさんご姉弟がいらっしゃいました。
父を紹介したところ、大船渡でボランティアをした時の話を色々としてくださいました。
「父は、あんまり先生の所に行くつもりはないんですよ」と話したところ、それはもったいないと言われて、どんどん父を前の方に引っ張っていってくれて、列の最前列に並ぶことになりました。
更に待っていると、ちょうど父の携帯に母から連絡が入りました。「外で待っているから、お母さんも一緒に来たら」と伝えると、しばらくすると母もやって来て、父と母と3人でお待ちする状態になりました。
それからほどなく、先生は外に出てこられました。
最初に父が握手をし、その後、母も握手することができました。自分は後ろにいて、父と母の肩に手をかけて見守っていたんですが、先生との間に何もなくなって、ゆったりと時間が流れているような感じになりました。
自分から先生に話す気は当初はなかったのですが、ふと「父と母を連れてきました」とお伝えしました。
すると、先生はもう一度振り返って、父と握手してくださって、
「東京でご供養をした時に、靴屋をされていたお父さんの話をさせていただいたんですよ」
といったことをお伝えくだいました。(自分も驚いて言葉を覚えておらず、後で母から教えてもらいました)
父もびっくりしていたようですが、受け答えしていました。
私も、まさか先生が話してくださるとは思ってもみなかったので、ただただ聞いていました。
後で、父から話を聞いたら、2〜3分話をしてくれたと言っていました。
母も感動して嬉し涙を流していたようで、父も感極まって、涙目になっていたようでした。
実際には、1分もなかったんじゃないかな? と思いますが、時間感覚が変わるくらい、父にとっても、深い出会いになっていたんじゃないかな?と思います。
父も後で、「よく憶えてるね」と驚いていたんですが母が「覚えているんじゃなくて事実を見られているから」といったことを伝えてくれていました。
八ヶ岳観光へのご招待 いのちの里の満喫
今回は、運営プロジェクトは少し早めに終わらせていただいて、両親をタクシーでホテルに届けることにしました。
私自身は電車で甲府駅に向かい、レンタカーを借りてホテルに戻りました。
ホテルでゆっくりと食事をし、翌朝から八ヶ岳観光に向かいました。
今回は、清泉寮に行こうと思っていたんですが、いのちの里の近くを通ることになりました。
せっかくなので、いのちの里を通ってゆこうという話になり、改めてゆっくりといのちの里を案内することになりました。
南講堂、大テントの跡地、農場近くのウバラの写真も撮りました。また、前日先生と握手していただいた場所にも行って、記念写真を撮りました。更に、刻銘碑や地上の星まで行かせていただきました。
母も、「いろいろなところを回るより、ゆっくりといのちの里を見ることができて、こっちの方がよかった」と言っていました。
また今回は、初めて宿泊棟に泊まれたのもとてもよかったみたいで、お部屋の皆さんといい出会いを頂いたと言っていました。
「いのちの里」でゆったりと時間を過ごした後で、改めて清泉寮に行きました。
清泉寮での不思議な出会い
少し迷いながらも到着して、売店から外に出たところ、なんと地上の星を作られたUさんご一家とばったり出会うことになりました。“ ヒマラヤの青いケシ ” と言われている 「 メコノプシス(Meconopsis) 」のツアーに参加されていました。
Uさんの奥様は、しばらく前に臨死体験をされ三途の川を渡りかけていた所から、先生に呼び戻されて救っていただいた体験をされていたのですが、その時の貴重な体験をあの世を信じていない父にも話してくださいました。偶然のように、本当にありがたい出会いを頂きました。
様々な10年法則が環に結ばれて、Uさんとの響働のプロジェクトをさせて頂いているんですが、そのご家族に父と母を紹介でき、先生につないでいただくことになり、本当に不思議な出会いを頂いたなと感じました。
平山郁夫シルクロード美術館での仏教の源流との出会い
清泉寮の次に、「平山郁夫シルクロード美術館」に行きました。
あまり調べもせずに、なんとなく訪れたんですが、非常に充実した美術館で驚きました。圧巻だったのはシルクロード関連の美術品、9000点が収められていたことです。
日本に仏教が伝わるはるか前の、紀元前のガンダーラの仏像などもあり、仏教の源流に近い貴重なコレクションが多数ありました。
三蔵法師がガンダーラを目指して旅をする、西遊記はとても好きなTVドラマだったんですが、仏教の源流を訪ねての旅への熱い求道心が流れ込んでくるように感じました。
また、仏教の源流に近い大量の美術品が、いのちの里のそばに納められていることの不思議を感じました。
たくさんのオブジェの中にお釈迦様の「四門出遊」が表現された石像がありました。
今年の豊心大学セミナーの中で、先生が「四苦八苦」についてお話しくださっており、その原点となるお釈迦様が生老病死と出会う物語と時を超えて出会うことになり、2500年前と現代がつながるような感じがしました。
父も母も、すごい美術館だったねと感動していました。
その感動を抱いて、小淵沢駅から九州に帰ってゆきました。
プロジェクト後のY(試練)から智慧の宝を取り出す歩みの深まり
東京に戻ってから、引き続きプロジェクトの後智慧に取り組んだんですが、一通り終わった後で、何か心に引っ掛かる部分がありました。
このまま終わってしまったら、また同じ繰り返しになることが予想されました。
そこで、たとえ認められなくても、未解決のままになっているY(試練)を引き受けることの方が大切なのかもしれないと思い、毎日20分を目標に、後智慧に取り組み続けることにしました。
結果としては、1時間ほど後智慧に取り組み続け、問題を解決するための方法についても具体的に明確化してゆきました。
みそ汁サーバーの作業フローとレイアウトについてもスライドでまとめさせていただいた所、次なる合同セミナーを担う中京にも共有されました。
誰に評価される訳でもなく、改善案を地道に準備することは無駄なことをしているような気持ちになったんですが、続けてゆくと問題を解決するための様々な智慧が生み出されてきて、途中から楽しくなってゆきました。
Yから人生の宝を取り出す、ありがたい歩みを頂いているのかもしれないなと感じました。
かけ橋セミナーで、また配膳チームを担うことになると予想していたんですが、予想外のプロジェクトを担うことになりました。これも後智慧をしっかり環に結ぶことで、次なる働きに導かれたのかな?と感じています。
またリーダーのBさんとは、次なる響働のプロジェクトに導かれることになりました。これも10年法則が環に結ばれることになってきたんですが、セミナーでの再結が次なる転換につながってきていると感じています。
仕事への光転の連鎖 そして使命の地平へ
プロジェクトが終わった翌週に、会社での大事な企画提案をすることになっていました。その内容も、最初は相手のデザインの部署の問題を正すような内容になっていたのですが、途中から、設計の自分たちの問題を解決することがメインに置かれることになりました。
もしプロジェクトでの転換が起こっていなければ、仕事もうまくいかなかったんじゃないかなと思うと、危ないところを救ってもらったのかもしれないと感じました。
プロジェクトにおいても、仕事においても、また家族との関りにおいても、10年、20年スパンで様々な問題が解決へと導かれてきているのですが、改めて先生、神様に宿命から使命へと道かれてきていることを感じています。
先生、神様が導いてくださろうとしている青写真、約束の未来へと向かってまいります。
「相手に変わってもらうんじゃなくて、自分事として問題の責任をとって引き受けるべきなんじゃないかな?」というアドバイスを頂けるような「響働の場」だからこそ、安心してお父様やお母様をお連れすることが出来るんだと思います。素晴らしいです。
そうですね、この時に頂いた転換が、ここ最近の響働にもつながってきています。
もし転換できず、波動戦争していたら、今は全然違う状態になっていたんだろうなと思うと、一つ一つの転換が大きいなと実感しました。