2023年の豊心大学で頂いた体験です。
昨年は、この時期に親族との奉納があり準備が大変だったのですが、今年は両親にゆっくりと参加してほしいと願っていました。
また九州の陽春の集いで先生が福岡に来られた時に、父は遊びに行ってしまい、参加してくれなかった後悔もあり、何とか豊心大学セミナーには参加してほしいと願っていました。
昨年母は新研修棟に泊まりたかったと言っていたので、今年は新研修棟に泊まってもらおうと思い、早い時点で申し込みました。
飛行機と宿の手配は2か月以上前に済ませ、会社もプロジェクトのために金曜日を休み、更に両親との八ヶ岳観光のために月曜日も休みを取り、準備を進めました。
Contents
親ガチャの呼びかけ
事前に、飛行機と宿の情報を伝えるために、手紙を両親に書いたのですが、その時に『人生を取り戻す』のご著書も同封させていただきました。
父は、祖母への恨みが強くあり、「親ガチャ」について話すと、「それは自分だ」と言って共感していました。父の祖母への恨みはかなり根深く、この恨みはどうすることもできないと言っていました。
春に祖母のご供養をさせていただいたときに、叔母の話を聞く中で、祖母の父にあたる曽祖父が自殺されていたことが分かったんですが、祖母にとってはきっと、曽祖父に捨てられたような思いを抱いていたんじゃないかな?と思いました。
祖母が10歳の時に、曽祖父は亡くなられており、父が祖母を許せないように、祖母は曽祖父に対して許せない思いを抱いていたんじゃないかな? と思いました。
そこで、父への手紙として、「父が生まれるときには祖母がそれだけ痛みを抱えていることは、父の魂は知っていて生まれてきているので、その条件を背負うことが父にとっての人生修行の願いだったんだろうね」ということを書いて送らせていただきました。
プロジェクトでの繰り返しの発見
この期間は、朝磁石をずっと続けてきていたのですが、ある時に、「自分はプロジェクトでも、結局は『人生のX』をずっと求めてきたんだな」という後悔が深まったことがありました。
プロジェクトの担う立場(リーダー、サブリーダー、メンバー)によって一喜一憂したり、比較競争で心が揺れ動くようなことが多くあったのですが、それも『人生のX』(楽しいこと、うれしいこと、得をすること)をずっと求めてきて、そうならないから苦しんできたんだなと思いました。
本当は『人生のY』(苦しいこと、悲しいこと、損をすること)を引き受けて、Xに運ぶことが願いであったはずなのに、Yを退けて、Xを得ることばかり考えてきたんだなと思いました。
今年は、先生から「観音の心」の神理カードを初めて頂いており、書写行も始めているのですが、観音様は苦しみを引き受け、Yを引き受けようとされているのに、観音様の心とも程遠いことが引き寄せられてきました。
そのような発見を深めつつ、プロジェクトの場に参加すると、普段のちょっとしたミーティングでも、自慢できるようなことをいつも探しており、機会があるとそのことを伝えようとしていたことが見えてきました。
その心に「ちょっと待てよ」をかけ
「どうかともに生きる人々の苦しみを わが苦しみとさせてください
どうかともに生きる人々の歓びを わが歓びとさせてください」
という「観音の心」の祈りの言葉に、戻ろうとすると、ずっと「観音の心」を念じ続けるような状態になってしまいました。このような新たなチャレンジをしつつ、豊心大学セミナーのプロジェクトにも参加するようになりました。
集中プロジェクト 一転生のプロジェクト体験への感謝
お世話プロジェクトを担うようになり、四聖日である、感謝の集いや、新年の集い、善友の集いでは、相談員の働きを担うことが多くなりました。
そのため、集いの運営を支える、集中プロジェクトに参加する機会は少なくなっており、久しぶりの集中プロジェクトとなりました。
とりあえず、両親と八ヶ岳に行ければいいかな?という、軽い気持ちではたらきを担い、通常はお世話のプロジェクトを優先していました。
しかし、ちょうどこの期間に地域のお世話の体制を大きく見直すことになり、いったん恒常的なお世話の展開が持たれなくなり、豊心大学のプロジェクトや、青年のお世話の働きも担える状態となりました。
また、豊心大学のプロジェクトが始まってすぐに、リーダーがご家族の事情で参加できなくなる事件が発生しました。そこで急遽リーダーが交代になり、同時に私にサブリーダーを担ってほしいと依頼が来ました。お世話の働きの負荷が下がっていたこともあり、プロジェクトを担うことにしました。
リーダー サブリーダー展開の充実
サブリーダーを担うようになって、リーダー、サブリーダーのウイズダムにも取り組みました。
最初から、熱い切磋琢磨の出会いが持たれており、リーダーのBさんに対して、快・暴流、苦・暴流の傾向があることが率直に語られていました。
私も、Bさんとは付き合いが長く、快・暴流、苦・暴流であることは痛感していたんですが、ご自身に自覚はなく、「言っても通じないから仕方がない」とあきらめていた部分がありました。
しかし、昨年の一日一葉での気づきが大きかったらしく、「他人を心に住まわせる」に取り組まれたところ、ご自身の煩悩に対する発見があったことを教えてもらいました。
そこで、私もずっと気になっていたことをお伝えしたところ、やっぱりそうだったんだということになりました。
お互いの煩悩について、率直に語り合える日が来たんだという深い感慨とともに、新しい関わりを始めて行ける希望を抱いて、プロジェクトが改めてスタートすることになりました。
プロジェクト展開スタート
当日に向けての準備が進んでいったのですが、リーダーのBさんは、かなりの作業量があり、プレッシャーもあって、たくさんのタスクを一人で背負われていました。
徹夜で作業をされているらしいということは伝わっては来ていたんですが、そのことはあまり引き寄せないまま、自分が担当することになった、ウイズダムのとりまとめだけをしていました。
あるプロジェクト展開の時に、リーダーが作ってきた資料を分かち合う機会があったのですが、それを聞いて、メンバーさんの中から「3日間、作業だけで終わってしまうんじゃないか」という不安を抱かれた方が何名かいらっしゃいました。
これは暗転してきているなと思い、「作業だけに流される」ことを何とか回避しようと、働きかけてゆきました。
小淵沢駅からいのちの里へ向かう出会い
木曜日に、仕事が終わってから八ヶ岳に向かいました。
小淵沢駅から八ヶ岳いのちの里に、プロジェクト用のバスで向かったんですが、ドライバーをされていたのは、かつて一緒に「地上の星」の建設プロジェクトに携わったT君でした。
地上の星の建設プロジェクトは、多くの青年のプロジェクトメンバーが参加したんですが、私とT君は先行部隊として、二人だけ先にお手伝いをさせてもらっていました。
人生祈念館 モザイクプロジェクト 石工の皆さんとの出会いと匠の技の伝承あれから10年経過し、私は地上の星のモザイクを作られたUさんと次のプロジェクトに携わっていることを共有しました。
なんとなく、成り行きで取り組むようになったと感じていたのですが、これも10年法則に導かれての歩みだったんだなと感慨深く感じました。
豊心大学セミナープロジェクトスタート
プロジェクト集会の終わり間際に到着し、チームでの展開が始まってゆきました。
早速リーダーから資料が配布され、今後の予定が分かち合われました。
聞いていると、頭がぼーっとしてきました。何を言っているのかわからなくなり、最初は理解できない自分を責めるような気持になりました。いつもの繰り返しになっていたんだと思います。
はたと、このままではいけないと思い、途中からメモを取ることにしました。
書きながら言われている内容を整理していると、資料の途中途中をかいつまんで話されており、メンバーはどこを話されているかわからない状況になっていました。更に、使っている言葉も専門用語が多く難解でした。
改めて客観的に事態が見えてきて、「これじゃあ分からないよな」と思って、周りを見てみると、メンバーさんもぼーっとされている状況が見えてきました。
「これはまずい」と思って、一方通行の流れになっている所を、何とか変えようと思って、あえて簡単な質問をしてみました。すると
「もうそのことは説明しました」
といった返事が返ってきました。
この言葉は、地域でもよく言われていたなと思い出し、地域のYさんとの関りのことが思い出されてきました。
Yさんも、いつも「何度も説明しました」と言われることが多く、「何度も説明したのに全然伝わっていない」と嘆かれることが多々ありました。
お2人の共通点を考えると、一人で抱えきれないほどの沢山のタスクを抱えられており、そのプレッシャーにイライラされている点がありました。
同じような反応なので、共通の問題点があるんだろうなと思い、リーダー、サブリーダーの展開時にはお伝えしてゆきました。
両親の八ヶ岳いのちの里への到着
翌朝からプロジェクトはスタートし、朝食の配布や、飲み物の配布が始まってゆきました。
時々、両親とも連絡を取り、無事に松本空港に到着し、八ヶ岳に向かってきていることを確認しました。
お昼少し前に、両親は到着し、大講堂の前で父と出会うことができました。
父と話していると、ちょうどお世話になっている、TL科学のI先生と、TLアートのUさんがいらっしゃり、せっかくなので、父と3人で写真を撮ってもらいました。
父は、学歴に弱いので、I先生は東北大学の名誉教授であることをお伝えし、権威のある科学者の方も、GLAで魂の学を学んでいることを伝えました。
プロジェクトも星空教室に参加
今回のチームは、働きが固定化しており、ほとんど休みなく、立ち仕事になる状態が長く続きました。
様々な事件がありながらも、何とかはたらきをこなし、星空教室の時間となりました。
星空教室には、父にも参加してほしいなと思って、電話したところ「今日は朝から早くて疲れたからもう寝る」と言って、宿泊棟に行ってしまいました・・・。
事前の予定では、星空教室の時間は飲み物配布の準備をすることになっていたんですが、先生のお心からプロジェクトメンバーも星空教室に参加できることになりました。
プロジェクトなので、芝生の奥の方に移動したところ、人もまばらだったので、芝生の上に座り込みました。配膳チームの皆は、朝からずっと休みなく働いていたこともあり、思わず芝生の上で横になり、空を見上げました。
お昼には日輪も出ていたのですが、夕方からは雲が出てきており、どうなるか心配していました。(一方で先生は、天気を変えられるんじゃないかと期待している心がありました)
地上の星に到達したときは、まだ雲が多く、月も見えなかったのですが、みるみるうちに雲がなくなって、月あかりが見えるようになり、やがて星々も少しずつ見えるようになってゆきました。
その変化を芝生の上でじっくりとみることができ、奇跡の場に立ち会わせていただいている感動が溢れてきました。
ほどなくして先生はお越しになり、星空教室を開いてくださいました。
お話の後の方で、先生は永遠の転生の中で私たちは出会っていたことを話されました。
先生が私たちの魂に向けてダイレクトに話されるときは、毎回のように衝撃波にぶつかったような感覚に打たれます。
今回は、そこまで強烈に魂の情動が溢れてこなかったのですが、参加者の中には、過去世の記憶を思い出されている方がいらっしゃり、先生が対話されていました。
お聞きしていると、内側からひたひたと、少しずつ魂の約束を思い出してゆくような感覚になってゆきました。
この場にいる皆さんは、約束してきた魂の同志なんだなと、心が開かれてゆきました。
星空教室後の暖かい飲み物の配布
先生が星空教室を終えられて帰られた後、配膳チームのメンバーは、いち早く給水ポイントに戻り、飲み物の配布を始めました。
お声がけをさせていただいて、コーヒーや各種スープをお配りしたのですが、大盛況の場となりました。
先生の星空教室をおうけして、心が開かれて、転生を超えて出会っている友としての友情を深められているんだろうなと感じました。(続く)
「もうそのことは何度も説明しました。」は、広島県安芸高田市の石丸伸二市長が市議会議員の質問に対して使う言葉です。その石丸市長と議員のバトルはYouTubeなどで大人気となっています。私はこの市長が好きですし、変わることへの認識を新たにさせてもらえます。
石丸市長のような志ある方が、GLAで学んで、一緒に日本再生、世界再生に向かいたいですね。