年末年始、家族で響働し親族に特別供養の出会いをお伝えするチャレンジ

ここ数年、年末ギリギリまで東京で年賀状を作り、12/31に名古屋に移動し総合新年祈りの集いに参加してきました。

今年は、12/30の年末最後のご講義に名古屋で参加できるとお知らせが来ました。そこで早めに年賀状を終わらせて、12/30から名古屋に行くことにしました。

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2023年の年賀状の青写真へのアクセス

これまで、3Dモデルを作って年賀状を2Dで印刷してきたのですが、せっかく3Dを作ったので、動画も作っていました。

仕事では2Dの絵を見て、3Dのデータを作ることが多かったのですが、2Dにも興味が出てきたので今回は敢えて2Dでウサギの絵を描いてみました。

2023年賀状

Facebookでも共有しましたが、何名かから、顔が似ていると言われました。

住所も打ち出して、後はコメントを入れるだけの状態まで作り、名古屋に向かいました。

年末最後の先生のご指導

名古屋に昼過ぎに到着し、先生のご指導をお受けすることができました。

先生が、この一年に説かれた神理が、一枚の曼荼羅に集約されてゆくのを見せていただきました。

お受けしながら、今年は本心によって、人生の目的に導かれていったことは本当に大きかったなと改めて思いました。

それまで、自分自身の変化しか見えていなかったのですが、ご講義の途中で先生が会場の皆さんに尋ねられた場面があったのですが、この場に参加されているお一人おひとりが、本心によって人生の目的に導かれる経験をされていたことが伝わってきました。

先生がどのようなお気持ちで神理を説かれているのかをお聞きする機会があったのですが、受講者がどのように神理を受け止められているのかにものすごいエネルギーをかけられ、AIで分析までされていることがわかりました。

改めて、講義を受ける私たちとの信と応えの歩みの中で、神理が説かれている事を感じ、本当にありがたい時を頂いていることを実感しました。

年賀状を完成し「2つの扉」プレゼントへ

12/31のお昼に、年賀状一つ一つにコメントを書き込んでゆきました。昨年は、『2つの扉』のご著書を100名の方にお届けする願いを立てていたんですが、なかなか進んでいませんでした。

年賀状を書きながら、お一人お一人に、『2つの扉』のご紹介をさせていただき、ご著書をプレゼントすると書かせていただきました。

ようやくきっかけができ、後日、新年の集いの案内とともに、ご著書をお届けする一歩を踏み出すことができました。

総合新年祈りの集いへの参加

12/31の23時から、総合新年祈りの集いが始まりました。

先生のご指導を通して、希望は他人に与えることによって、希望の共鳴を起こしてゆけると教えていただきました。

ちょうど、年賀状で『2つの扉』のご著書をプレゼントすることをお伝えしていたので、まさに神理をお伝えすることが、希望の共鳴を起こしてゆくことにつながるんだなと思い、背中を押していただいたように感じました。

先生のボーディサットヴァウイズダムへの感動

一連のプログラム終了後に、先生が書いてくださったウイズダムが掲示されているフロアで、先生のウイズダムをじっくりと見せていただきました。毎回同じ内容だと思っていたんですが、提示する箇所は変わっているそうです。

ウイズダムを通して、先生がどのように共同体を導いてくださっていたのか、その一端に触れさせていただきました。

世界の問題についても書かれていた箇所があったのですが、科学技術によって、エネルギー利用は拡大し、豊かさをもたらしたのと同時に、地球温暖化やオゾン層の破壊により、人類存続が危ぶまれる状態を生み出していることなどにも触れられていました。エネルギー問題については、ご著書の『Discovery』にも書かれているかと思います。

科学者の皆さんと温暖化についてLine上で議論していたこともあり、改めて科学の皆さんにも共有させていただきました。

また、ウイズダムの中に大いなる存在と人生の設計図の関係について書かれている部分がありました。

非常に強い衝撃を受けたのですが、そういうことだったんだと深く納得し、大いなる存在と、自らの魂との絆が深く結ばれてゆくように感じました。

「出会いは人には作れない、神意の縁の結びつき」という神理を教えていただいてきましたが、そのことも改めて得心しました。

2023年最初の聖堂での祈り

少し仮眠をとったあとで、早朝聖堂に行き、年初の祈りをさせていただきました。

そうして、最後の年賀状として、高橋先生への年賀状を聖堂で書かせていただきました。

改めて、大いなる存在と魂の設計図について書かせていただき、先生・神様に使っていただく人生に向かってゆく願いを認めました。

佐賀ターミナルでの家族揃ってのお正月

1/1の早朝に、名古屋で新幹線に乗ってお昼すぎに佐賀に到着しました。

GLAの佐賀ターミナルは、駅のすぐそばに移転したので、歩いてすぐでした。

GLA 佐賀ターミナル

父が来るかどうか心配していたのですが、父も一緒に来てくれて、プログラムをお受けすることができました。

終了後に、聖堂で祈りの時を持ったのですが、こうして家族で聖堂で年の始まりを迎えられること自体、本当にありがたいなと実感しました。

お正月の父への伝道

母が準備してくれたおせち料理を頂きながら、年末に先生に教えていただいたことを父に話すことになりました。

コペルニクスが地動説を発見してから、25年も発表しなかったとお聞きしたのですが、先生が説かれる「魂の学」も真実であったとしても、その時代の常識と違えばそう簡単には理解されないことを話しました。

父はいつも、魂の学に対して「一般常識と違う」と言っていたので、コペルニクスと同様に真理を伝えるのは大変であると話すと共感してくれているようでした。

また、11月に親戚で集まれなかったので、このお正月に親戚で集まりたいと父にお願いしました。

父は最初、家ではなく外で食事会をしようと言っていたのですが、映像を見ていただきたいので、家で食事会をしたいと考えました。

そこで、翌朝の1/2から家の掃除を始めました。

軽い気持ちで掃除を始めたのですが、どんどんその範囲が広がってゆき、丸二日間ずっとお掃除をすることになりました。

年始からの家の大掃除

小学校時代の図工の道具とか、剣道の竹刀、ありとあらゆるものを捨て続けることになり、結果として大きなゴミ袋、40個分のゴミが出ました。

掃除をしていると、掃除の仕方を説明している本が数冊出てきました。パラパラと読んでいると、部屋を明るくすることで運気が上がると書かれていました。

家の中で、電球が切れている箇所も結構あり、暗いために通るのが怖くなっている箇所もありました。そこで、一通り電球も変えることにしました。

家が建てられてから半世紀ほど経過していますが、電球が切れ積もった埃をきれいにすると、美しい照明の光が現れてきました。

仕事で、デジタルテクスチャーを作っていますが、同じような美しさが現れてきたように感じました。ちなみに、この家の前の所有者は絵描きさんで、元々そのようなこだわりのある装飾をされていたんだと思います。

こうして、光が溢れてきた家に、親戚を招待することになりました。

親戚の宗教に対する拒否感への対策

年末に親族で集まった時のことを母から教えてもらったのですが「なんでbuyanは宗教なんかやっているんだ」と言われたそうです。

特に、政治家の方が、GLAへの応援メッセージを書かれていることに対して、「広告塔にされている」と言われて、母は応えることができず泣きそうになったと言っていました。

コペルニクスのように、新しい考え方は「理解されないのが当たり前」という気持ちで、どのような場を持つか考えました。

まずは、高橋先生の紹介映像を見ていただいて、高橋先生に対する誤った先入観を取り払っていただこうと考えました。

また、特別供養での祖父の言葉をお伝えするために、高橋先生がお正月に近畿に赴かれた際に、会員さんと特別供養の出会いを振り返られた映像を見ていただくことにしました。

皆さんは食事会を楽しみに来られるので、あまり時間はとれないので、15分以内でお伝えすることを目標とし、プログラムを準備しました。

そうして、夕方になって親戚が集まってきました。

親族への伝道スタート 災害時に道を開かれた先生

新年の挨拶をしてから、ご供養の出会いをお伝えするために、15分ほどお時間を頂きたいとお願いすると、映像を見ていただけることになりました。

現在のウクライナ危機について、先生が8年前に既に予見されていた映像を見ていただいている時に、思いがけず父が「先見の明がある」と説明してくれました。

また映像の中で、先生が東日本大震災の時に、現地に赴かれた映像があったので、少し説明させていただきました。

東日本大震災が起こった時に私自身も被災し、東京は都市機能が麻痺して帰宅困難者が溢れ、自分のことで一杯一杯になってしまいました。

お聞きすると、多くの政治家も同じように自分の事で手一杯となり、あまり動けなかったらしいのですが、高橋先生は震災が起こった翌日に、全国をつないでGLAでお世話の働きをされている皆さんを招集されました。私もその場に参加していました。

深く祈られた後で、被災地を救うための方針を次々に出され、物資の運搬や、医療的、法務的なケアをする体制を整えられたことをお伝えしました。

そして、ご自身もすぐに東北に赴かれ、当時、国土強靭化の担当をされていた二階さんと花巻空港で出会われたことをお伝えしました。

二階さんは、いいことを言う指導者はたくさんいるけど、実際に行動している人は少ないと言われ、政治家も高橋先生に学んだほうがいいと言われて、その後多くの政治家を講演会にお連れくださっていたことをお伝えしました。

佐賀の隣の熊本地震の時にも、先生がすぐに駆けつけてくださった映像もあったのですが、先生が熊本に来られたのに、佐賀出身の自分は何もできなかった後悔をお伝えすると。

「先生が来られたのに、何もしなかったのはまずかったばいねー」

と言われたので、「先生のほうが先に動かれて、自分は何もできずに後悔することの方が多いんですよ」とお伝えしました。

自分も知らない真実をお伝えくださる先生

その後、先生が近畿に行かれた時の、映像を見て頂きました。

映像の中で、特別供養で先生から対話を頂かれた方が、亡くなられたお父さんの気持ちを初めて先生に教えていただいて、お父さんを許す気持ちになられた出会いを見て頂きました。

先生が、亡くなられた方と、その方しか知らない思い出を話してくださっているシーンがあったのですが、私自身もそのような出会いを先生から頂いていたことをお伝えすることになりました。

幼い頃に、あまりにも気持ちが落ち込みすぎて、ずーっと下を向いて歩いていたために、電信柱にぶつかって足がアザだらけになっていたんですが、母は頭が大きいためにバランスを崩してアザを作っていると思っており、父はアザがあることすら知らなかったのですが、両親が知らないことを先生がご存知だったことをお伝えしました。

他にも、父しか知らない床屋さんのことを先生がご存知だったこと、自分も気づかなかった硫黄の匂いについて、先生がご存知で、家の下に温泉が流れている水路があったことを両親に教えてもらったことなど自然と話すことになりました。

両親と響働しながらお伝えすることになったんですが「おじいさんが何て言っていたか教えて欲しい」とおばさんに言われ、先生からいただいた言葉をお伝えさせていただくことになりました。

先生から教えていただいた祖父の後悔の分かち合い

最初に、先生がお話しくださった、おじいさんの後悔をお伝えしました。

資産を子どもたちに残してあげたことで、兄弟間で争うようになり、家族がばらばらになってしまったが、まさかこんな結果になるとは思っていなかったという後悔をお伝えしました。

もともと父もおじさんも他の仕事をしていたんですが、祖父から「商売のほうが儲かるから」と言われて靴屋をすることになった経緯がありました。

「当時は商売は儲かっていたからねー」と叔父さんも話されました。

コーベヤ1号店 開店の感動

また、コーベヤ1号店ができた時におじいさんが感動していたことをお伝えしました。

事前に父に1号店があった場所を教えてもらい、Google MapでTVの画面に映すと今は飲食店になっていました。

その時の事をおばさんが覚えていて、あのときはおじいさんが親戚を呼んで、お店がオープンしたお祝いをしたことを話してくださいました。

おじいさんにとっては本当に歓びの瞬間だったんだなと思いました。

祖父が天使に教えてもらったことの分かち合い

そうして最後に、おじいさんが天使に教えてもらったこととして「周りがずっと悪いと思っていたけど、問題の原因は自分だった」と後悔されたことをお伝えしました。

すると、おじさんが当時のことを思い出して、「そういえば、じいさんはよく長男とぶつかって、あいつが悪いって怒っていたなあ。俺はいつも、あんたの息子やろうもん自分が原因でしょって言ってた」と当時のやりとりを教えてもらいました。

改めて、実際にそんなことがあったんだなあと思いました。

また、このおじいさんが天使に教えてもらったことを先生からお聞きしていて、おじいさんのことを言われているのか、自分のことを言われているのか分からなくなったこともお伝えしました。

というのも、私自身もあいつが悪い、こいつが悪いとずっと周りのせいにして、会社の中でもGLAのプロジェクトでも相当ぶつかってきた過去がありました。

私の「周りが悪い」と考える事態の受け止め方は、おじいさんから流れ込んできていた部分も大きかったと感じたことを分かち合いました。

でも、この先生のお言葉を頂いたことがくさびのように自分の心に突き刺さり、「あいつが悪い、こいつが悪い」という考えがあまり出てこなくなってきていました。

その結果、人との衝突が少なくなり、願っている仕事ができるように変わってきたことをお伝えしました。

「会社でもそんな問題あるの?」と質問があったので、「実家の争い以上の、もっと大規模でドロドロした問題ありますよ」とお伝えし、ご供養でおじいさんから流れ込んできた恨みの思いが消えていったことはとても大きかったとお伝えしました。

過剰に長男を大切にしていた祖母の背景への理解の深まり

その後も、様々実家での出来事を話し合ったんですが、一つ大きな謎が解けた部分がありました。

実家では、父の兄のSさんが座る場所は決まっていたらしいのですが、父がそれを無視してSさんの場所に座った時に、おばあさんが髪を逆立てて、「その場所には座るな」と怒っていた話は何度か聞かされていました。

それ以外にも、おばあさんが過剰にSさんを大事にしていた話はいくつかあり、なんでそこまでされていたのか、分かっていませんでした。

しかし、今回話しをお聞きする中で、Sさんが暴力を振るわれていたことが分かりました。

おばあさんが過剰にSさんを大事にされていた背景に、おばあさんがSさんの暴力を恐れていたことがわかり、そういう背景だったんだと納得しました。

また今回、父が幼い頃に栄養失調になっていたことも教えて頂きました。

父のおばあさんへの恨みは非常に深く、なんでそこまで恨んでいるのかわからなかったのですが、そこまで過酷な差別を受けていたことがわかりました。

予定以上に、様々話が盛り上がったんですが、「亡くなった方のことを話し合うとご供養になるらしいよ」いう話が出て、おじいさんもきっとこの場に来られているねと話し合いました。

新年の集いへの誘い

おせち料理を頂いた後で、帰られる時に「2月に先生が福岡に来られるので、よかったらぜひお越しください」とお伝えすることができました。

最後は、母と姉が車で送迎してくれました。

その間に、父と一緒に後片付けをしました。父は、九州男児なのでほとんど家事をすることはないんですが、初めてだったんじゃないかと思います。

その後、母が戻ってきて今回の出会いを振り返ったんですが、それまで家の中がごちゃごちゃしていて人に来てもらうのが嫌だったけれども、家の中がスッキリしたのでこれからは人を招待できるようにしたいと言っていました。

今度はぜひ、親戚の皆さんを先生におつなぎしたいと思いました。

2 thoughts on “年末年始、家族で響働し親族に特別供養の出会いをお伝えするチャレンジ”

  1. ご法事で親戚が集まってお寺様から法話を聞く習慣がありましたが、断捨離をして親戚に先生をお伝えする場を設けるなんて時代の最先端です。アフターコロナです。いつものトライアングルを発見し観浄発結の力によって魂として生きることが当たり前の時代がくるのですね。

    1. Junjinoさん、この考えを時代のスタンダードにしてゆきましょうと、先生からお声をかけていただきましたね。
      魂主義が世界に広がってゆくように、一歩一歩神理実践を重ねてゆきたいですね。

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