新春の集い・沖縄PJ:正直ー愚覚の深まりによる智慧の宝庫との遭遇

新年の集いを通して、「歪曲―独尊」の煩悩と戦い続け、皆さんとの響働によって、温かい飲み物を参加者の皆さんに提供する先生からのミッションに導かれていきました。

その後、各地で新春の集いが開催されていったのですが、沖縄に先生が赴かれることになり、私もプロジェクトに申し込み参加させていただきました。

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新春の集い・沖縄プロジェクト、「歪曲―独尊」への更なる試練

「歪曲-独尊」の受信、発信を「正直―愚覚」に転換する歩みは、その後も継続して取り組んできていたのですが、少しずつですが、「自分が褒められた」と感じても煩悩が動かなくなっていきました。

そこに更なる試練がやってきました。

プロジェクトの働きを見ると、先生が神理カードをお渡しされるところの近くの働きを担うことになっていました。

ようやく「歪曲―独尊」の心が、あまり動かなくなってきたと思っていたのですが、また「認められた、評価された」と心が動いてしまいました。

まだまだ根深くある快・暴流の煩悩と対峙し、飛行機の中でもずっと『新 祈りのみち』を深めつつ、沖縄に到着しました。

プロジェクトを通して「月の心」を生きる挑戦

沖縄ターミナルに到着すると、ここ数年、一緒にプロジェクトを担ってきた集中プロジェクトの皆と、沖縄の皆さんが温かく迎えてくださいました。

早速、ウイズダムの因の転換に取り組みました。

沖縄の新春の集いに参加するには、飛行機代やホテル代もかかり、「ここまでやったんだから認められたい」と思う自分がいました。

しかし、よくよく考えてみると、お金をかけてプロジェクトをさせていただくということは、本当に「あげる幸せ」を生きせていただいているんだなと感じ、「今回は徹底して『あげる幸せ』を生きよう」と思い、「過去最高の『月の心
』 を生きてみよう」と因の転換を定めました。

先生が神理カードをお渡しされる近くで、防災の働きを担ったのですが、先生の近くで目立つ位置でのはたらき故に引き出される、「認められたい、評価されたい」という思いを徹底して浄化して、「自分を無にしてこの場に尽くさせていただこう、頂いてきた恩恵をお返しすることができますように」と、「月の心」を念じながら働きに尽くしてゆきました。

いつも以上に煩悩が引き出されやすい環境故に、徹底して「月の心」の菩提心を念じることになったのですが、「月の心」を深められたことが今回の最終的な発見につながっていったのかなと思いました。

対馬丸記念館―沖縄の戦争の痛みとの遭遇

先生は、沖縄の皆さんとのかけがえのない出会いを果たされて、風のように颯爽とお帰りになられました。

私は、月曜日の夕方に飛行機で東京に帰ることにしていたので、一日観光する時間がありました。

まず宿泊場所の近くを検索してみたのですが、対馬丸記念館がありました。

対馬丸について何も知らなかったのですが、とりあえず歩いて行ってみることにしました。

記念館に入り説明を読むと、太平洋戦争の時に、沖縄から疎開するために使われた荷物船が対馬丸であり、アメリカの潜水艦によって沈没させられていたことがわかりました。

様々な展示物があり、対馬丸に乗る前の家族との会話なども書かれていたのですが、サイパンが陥落し、徐々に沖縄に戦火が近づく中で、民間人には手を出さないだろうと話し合われていた記録があり、いたたまれない気持ちになりました。

記録によると、1661名が対馬丸に乗船し、そのうち1484名が犠牲になり、生存者は177名だったそうです。

海に投げ出された方が、壊れた船の破片に捕まって何日も漂流し、途中で力尽きて海に沈む人も出てくる中で、ギリギリ助かった体験も書かれていました。

また、なんとか九州にたどり着いた方も、極寒の環境の中、飲まず食わずの生活を強いられ、栄養失調で亡くなった人もいたそうです。

沖縄に残るのも地獄、対馬丸に乗るのも地獄、九州にたどり着いても地獄、そして生き残った方は、なくなった方のことを思うと生きていることが申し訳なく、その後何十年も重い十字架を抱えて生きられたそうです。

特に心に深く刻まれたのは、「生存者の苦悩」というパネルを、一部抜粋させていただきます。

「戦争は兵隊が戦うものだと思って、難儀して疎開したのに
帰ってきたら大切な母や兄妹がいない
その時兵隊でもない家族や友人達を奪った戦争を心の底からのろいました

・・・

お盆の時期になると 姉ちゃん寒いよ 助けて 助けて と必死に
叫んでいる夢でうなされる事が多いのです。悲しさのあまり
神様よ罪なき幾多の犠牲者に永遠の安息をあたえたまえ と
祈り続けています」

沖縄へ帰るときに白米を炊いて 亡くなった子ども達へのお供えにと
真っ暗な海へ流しました。冷たい海に沈んだままの仲間に
せめてこのお米を食べて安らかにいてねという気持ちでした。

対馬丸の記録から、改めて沖縄の戦争の悲惨さに想いを馳せることになりました。

首里城で感じた海を覆う黒い船

その後、首里城に行ってみることにしました。

モノレールを降りて、小高い丘を登っていくと、海が見えてきました。

かつて、沖縄の海をアメリカの戦艦が埋め尽くしている写真を見たことがあったのですが、その写真の風景とダブってきて、眼前に真っ黒な塊のように戦艦が海を埋め尽くしている様子が心に映ってきました。

沖縄の人々が、その様子を見た時の絶望感、そして家族を心配し、祈るような思いが伝わってきました。きっと、対馬丸祈念館に行ったことで、痛みへの同調回路が開かれたていったんだと思います。

沖縄には癒やされることを待っている魂がたくさんいらっしゃることを感じました。

そして、この地に神理の光、先生、神様の光が届けられて、痛みが癒やされていくことを心から祈りました。

出会いは人には作れない、「最高の人生の作り方」の空手道場との遭遇

首里城はリニューアルされたばかりで、沖縄の民族衣装や、歴代の大王の肖像画などを見ることができました。

その後、陶器を見たくなり、おもろまちの駅から、やむちん通りに向かうと、先生が赴かれていた剛柔流空手の東恩納師範の道場と偶々遭遇しました。

「出会いはい人には作れない」という神理がありますが、不思議なご縁を感じつつ、3Dモデルのリファレンスとしてのシーサー像とじっくり出会い、沖縄空港に向かいました。

飛行機の中での快・暴流の煩悩との更なる対峙

沖縄の観光も終わって、飛行機で帰る時も、快・暴流の祈りにずっと取り組むことになりました。

集中して祈りを深める中で、本当に快・暴流で壊していることが痛感されてきました。

あるとき、新年の集いのプロジェクトで頂いた光転も、お一人お一人の誠実な神理実践の結果、もたらされていたのかもしれない・・・と気づいた瞬間がありました。

そこから、お一人お一人がチャレンジをされていた尊さが初めて見えてきて、揺るがぬ事実に変わっていきました。

快・暴流の煩悩の歪んだ心の鏡には、皆さんのチャレンジの尊さがほとんど映っておらず、自分の手柄ばっかりが映っていました。

しかし、この歪曲の心では、躍起になって自分のやってきたことを認めさせようと力を入れれば入れるほど、相手からは評価されなくなり、孤立し、その結果を見て、更に自分のやってきことを大きく見せて評価されようとして疎まれることを、ずっと繰り返してきたことが見えてきました。

功徳の発見、煩悩の発見の深まりと共に、月の心がどのように浄化に導いてきていたのかも見えてきました。

月の心は、ある意味で歪曲の受信とは真逆の心で、自己主張の思いをどこまでも小さくし、逆に頂いてきた恩恵を深く深く受信することに導いてくれていました。

その結果、これまで見えていなかった世界の光が感じられるようになり、たくさんの光によって導かれてきた事実が見えるようになってきました。

歪曲の心が動く度に、「月の心」を念じ、頂いている光に意識を合わせていったことで、いただいている光がどんどん大きくなっていきました。

そして、皆さんがプロジェクトを通して、たくさんの気づき・発見を重ねていかれるのを見せて頂いていたことと、私自身が先生からたくさんの神理を伝承頂き、共同体の先輩から教えて頂いていたことがつながっていきました。

気づかない間に、これだけの神理を伝承頂き、功徳を頂いてきたのに、お返ししてこれなかったんだなあ・・・。

功徳の借金状態だった後悔が深まり、これからお返しすることに心を尽くしていきたいと思いに導かれていきました。

会社における恩恵の自覚の深まり

会社においても、同じでした。

これまで、たくさんの技術を身に着けさせて頂いてきたことが急に感じられるようになってきました。

普段の、認めてくれない、評価されないという思いとは真逆の、こんなにも恵まれた環境の中で、技術を修得させて頂いてきた恩恵を痛感するように変わっていきました。

お返ししきれていない申し訳なさが深まるにつれて、皆さんから感謝されたり、お褒めの言葉をいただいても、あまり歪曲の心が動かなくなっていきました。

自分が努力したことよりも、頂いてきた恩恵の方がずっと大きく感じられるようになっていきました。

「実るほどに頭を垂れる黄金の『稲穂』のごとく・・・」、月の心を深めていたのに、自然と稲穂の心につながっていき、いただいている恩恵の大きさをより大きく実感するようになっていきました。

「正直-愚覚」の先に見えてきた魂の尊厳

東京に戻ってからも、「月の心」の書写行を深めながら、プロジェクトでの神理実践を深めていきました。

集中プロジェクトの年間ウイズダム作成時に、大きな試練があったのですが、同志に助けられてギリギリの所で光転に運ばれていった出来事がありました。

最終的に光転に運ばれていった背景の一つとして、この25年の月日を通して、先生に多くの神理を伝承いただいき、智慧をいただいてきたことが意識化されてゆきました。

改めて、先生への恩恵の深まりと共に、その智慧が、これからの転生の歩みを導く智慧になることが感じられてきました。

先生から今世いただいてきた智慧の大きさに想いをはせていった時に、自分の魂は、過去世も、その前の過去世も、何度も光の天使に導いていただいてきたんじゃないかなと、転生の歩みに想いを馳せていきました。

今世の高橋佳子先生のみならず、幾多の光の大指導霊と呼ばれるような方々から、ずっと育まれてきたことに想いを馳せていきました。

すると、幾転生もの歩みの中で、膨大な智慧の光が、神様、先生、そして光の大指導霊の導きの中で自分の魂の中に蓄積されてきたことが感じられてきました。

そしてふと、信次先生が原説般若心経のご著書に書いてくださっていたことが思い出されてきました。

原説般若心経に書かれていた智慧の宝庫

信次先生は、偉大なる智慧の宝庫は一人ひとりの魂に内在しているので、その智慧を思い出すことが大事であると書いてくださっていました。

それまで、智慧の宝庫が存在する実感は全くなかったのですが、転生の中で蓄積されてきた智慧の宝庫の一端が感じられてきたときに、信次先生が書いてくださっていたことは本当だったんだと驚きと共に感じられてきました。

「歪曲―独尊」の心を「正直―愚覚」に転換していくと、自分の未熟ばかりが見えてきて、心が小さくなっていくようなイメージがあったのですが、実際に取り組んでみると、全く予期していなかった、魂の尊厳の光があることが感じられてきました。

神様の御光、そして自らの魂に眠る光を知るためには、煩悩を浄化し、菩提心を育む必要があることが感じられてきました。

今年の沖縄の旅は、プロジェクトとしてはそれほど大きな試練もなく、強く印象に残るようなこともなかったため、どのような意味があるのか分からなかったのですが、沖縄の痛みに触れる事を通して「忍土の自覚」が深まり、「歪曲-独尊」を「正直-愚覚」に転換する歩みの中で、愚かさの自覚が深まり、「月の心」の菩提心発掘を通して、恩恵の自覚が深まっていたことが見えてきました。

自然と「3つの自覚」を深めることになっていたのですが、沖縄の旅を通して快・暴流の転換が進んできた背景に、煩悩の支配から魂を守ることができる「3つの自覚」の深まりがあったのかな?と感じました。

愚鈍な受信では、頂いている恩恵の全体がなかなか掴めないのですが、導かれている感謝を深めつつ、更なる神理実践を深めてまいります。

2 thoughts on “新春の集い・沖縄PJ:正直ー愚覚の深まりによる智慧の宝庫との遭遇”

  1. 「太陽の心」を育む祈りの*印の前に「一人ひとりの内なる「太陽」を想って下さい。」とあります。私は自分のことを大切にしてる人には好感を持ってしまうのですが、お節介な人は違うと思ってしまいます。

    1. お節介と、同伴して助力をすることの弁別は、紙一重の所がありますよね。
      『新・祈りのみち』の「干渉したくなるとき(世話を焼きたくなるとき)」の祈りに次の一節があるのですが、このような祈り心があるのかどうかが弁別する鍵になるかもしれないですね。
      「その人が 人生の主導権を確かにすることが わたくしの歓びです。 その人が輝くことを願うからこそ 本当の助力ができるように どうぞ導いてください。」

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