「恩恵の自覚」の欠如の発見と「新祈りのみち」との対話の深まり

前回のブログでは、N君との関わりの再結を通して、「歪曲」「独尊」の受信、発信によって、「痛み」、「混乱」、「停滞」、「破壊」の現実を見ることができず、また頂いている恩恵の光も見えていなかった後悔を深めさせて頂きました。

同時に、これまでのプロジェクトを担う根本の姿勢についても、改めて振り返ることを誘われる事件がありました。

場が光転したという評価への疑問

PJ集会が終わって、ほっとしていたところで、一緒に窓口を担っていたSさんから、

「今回皆さんの取り組みが深まって、場が光転したのは、運営プロジェクトの皆で、神理実践シートに取り組んで、事前に場を支えるメンバーが転換していたから、このような場になったんじゃないかな、・・・自分達が光転させたとまでは言えないけど」

といった会話がありました。

今まででしたら、「そうですよね」と快の回路で共感して、「自分がやったから光転した」と自分の手柄にして終わっていたと思います。

しかし今回は、「そういう側面もあったかもしれないけども、何かが足りない気がする・・・、このままだと快の受信になってしまうし、どうしたらいいんだろう・・・」と、安易に快の回路で受信する事への不安が生じました。

そこで、この2ヶ月間の歩みを、改めて評価するために、後智慧に取り組んでみました。

快の回路を越える後智慧の模索

2ヶ月前に集中PJを担い始めたときは、あまりエネルギーを注げていないところからのスタートでした。

そこから、窓口のウイズダム、運営PJのウイズダム、そして、新年の集いのプロジェクトと、働きを通してウイズダムに取り組む中で、願いが明確になり、エネルギーが出てきていました。

その過程においては、先生の最新のコンセプトや神理について、皆さんと熱く語り合うことが度々あり、その度ごとに願いが明確になっていました。

となると、自分の力というよりも、神様、先生の起こそうとされている大きな時代衝動のエネルギーに響き合い、同志の皆さんと分かち合う中で、エネルギーを引き出して頂いていたんじゃないかな?と思えてきました。

そのような視点に立ってみると、改めて頂いている助力があったんじゃないかな?と感じ、祈りのみちを読み返してみると、様々な箇所で、世界からの助力について書かれていました。

祈りのみちに書かれていた世界からの助力の発見

     

  • 創造のために(宇宙との響働のために)
  •  

  • 畏敬の祈り
  •  

  • 神との絆を深める祈り
  •  

  • 指導原理の風に乗るための祈り

いずれの祈りも、一人の人間が、大いなる存在にいかに愛され、導かれているのかについて書かれていたのですが、何百回、何千回と同じ祈りに取り組みながらも、これまでそのような助力を頂いていたことに殆ど気づいていなかったため、曖昧にしか受け止めていなかったことが見えてきました。

中でも、

  • 信を深める祈り

の一節は後悔と共に深く刻まれることになりました・・・。

「信を深める祈り」による砕き

「信を深める祈り」には次のような一節があります。

出来事が良かったか悪かったか、そのときだけの判断で時を過ごしてしまうことは現象的な生活。物質的な効用に傾いてゆく心がそこには必ずあらわれます。

自分が今まで身につけてきた快苦・利害の分類箱を駆使して出会いや出来事の値を計ってゆく・・・・・・。

しかし、ただそれだけにはとどまらない生き方があります。

信仰の道はその一つの典型でしょう。

(高橋佳子先生著『新 祈りのみち』 633P〜634P)

改めて、この一節に触れたときに、信仰のいのちを深めることを願いながら、物質的な効用を求め、手応えを求める生き方を選択し続けてきてしまったんじゃないかという後悔が深まっていきました・・・。

そして、快苦で一喜一憂する浅い意識では、その時、その場に呼びかけられている、一回生起の神様からの呼びかけ、魂のテーマに応えることはできてこなかったんじゃないか・・・。

「一回のプロジェクトは一転生」と頭で分かったつもりになっていたけど、その本当の深いいのちには応えることが出来てこなかったんじゃないかと感じられてきました。

一切を支えて下さっていた先生への感謝と後悔の深まり

先日のプロジェクト集会の時に、新年の集いの時に収録して下さった先生のメッセージをお受けする機会がありました。

第1回目の新年の集いの日は、5年に一度の大寒波が大阪から九州を覆っていたのですが、奇跡的に大阪と九州だけ晴れて、無事に集いが開催されていました。

先生の渾身の祈りが、天に通じたように感じたのですが、先生は「そのことは『よかった、よかった』ではなく、私たちに果たすべき使命があるから」ということをお伝えしてくださっていました。さらに先生は、プロジェクトを支える一人一人のためにも、光を送って下さっていたことを分かち合って下さいました。

そのことをお聞きして、改めて、プロジェクトの場に訪れていた様々な気づき、発見も、プロジェクトメンバーお一人お一人の運命の逆転の歩みも、全て先生の祈りに支えられ、奇蹟のようにもたらされていたことがつながっていきました。

恩恵の自覚の欠如を越える生き方の模索

こうして振り返ってみると、神仏からの助力に対しても恩恵の自覚がなく、プロジェクトを通しての転換の歩みを先生に導いて頂いてきたことに対しても恩恵の自覚がなかったことが分かってきました。

頂いてきた恩恵の大きさに対して、これからどのように生きていけばいいんだろう?という疑問の答えを求めて、再度、『祈りのみち』を深めていったのですが、「歩みを深める祈り3(恩恵の自覚を生きる)」の一節が心に深く入ってきました。

歩みを深める祈り3(恩恵の自覚を生きる)の深まり

神理の道を歩むことは
私たちがこの世界からいかに愛され、支えられているかを見出す道のりにほかなりません。
そして、その「恩恵」を自覚するとき
私たちは自らが真に応えるべき道に導かれるのです。
その限りない深みを心に想って下さい。

恩恵の自覚を深めることは、「真に応えるべき道」、ミッションワークにもつながっていくように感じられてきました。

そして、後半の祈りの中に次の一節がありました。

与えられ
注がれる愛をそのまま
巡り合う現実に
巡り合う存在に
具体的に注がせてください。

(高橋佳子先生著『新 祈りのみち』 600P〜603P)

頂いてきた愛を、世界に具体的に注いでいくことが誘われていました。

「こうだったからこそこうなれた」人生の深まりへ

あるご講演で、先生から「人生進化の3段階」※の神理を教えて頂いていたときに、第2段階の「こうだったけれど、こうなれた人生」から第3段階の「こうだったからこそ、こうなれた人生」の間には大きな断層があって、エネルギーが転換する必要があるとお聞きしたことがありました。

それが、何を意味していたのかは分からなかったのですが、もしかすると、恩恵の自覚が究極に深まって、あるがままの神様からの光をお返ししていくような境地に至ることができたら、エネルギーが転換して、使命を生きる人生へと導かれていくのかも知れないと希望が感じられてきました。

それは同時に、神意と出会い、自業が開かれていく、「意味の地層」※※の曼荼羅に描かれていたことにも通じていくように感じました。

(高橋佳子先生著『運命の逆転』 249P)
(高橋佳子先生著『魂主義という生き方』 114P) 

Imi tiso
意味の地層

3年連続の神理カードは・・・

そして、今年の神理カードは、3年連続の「川の心」でした。

先日、ある講師の方から、「川の心」の境地について、教えて頂く機会があったのですが、自分の「川の心」の深め方は自己流で、『12の菩提心』の御著書に書かれている内容を、もっと愚直に取り組むことが大事であることを感じました。

今回の発見も、「川の心」に導かれてたの歩みを頂いたんだと思いますが、「神理カード」に込められた神意に、少しでもアクセスしていきたいと、改めて願いを確かにしました。

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