母の手術の試練 神理実践シートで「早く死にたい」から「病は呼びかけ」の受納へ

9月の初旬に突然母から連絡がありました。

私の実家は靴屋を営んでいるのですが、一緒に働いている親戚のFおばちゃんと些細なことでぶつかってしまい、その理不尽さを訴えられました。

ただ、なんで急に電話してきたのか不思議に思い、更に話しを聞いていくと、病院での検査の結果、腫瘍があることが分かり、手術をしないといけないということでした。

母にとっては初めての手術で、まだ何の病気かもハッキリ分からず、そのことへの動揺と、職場で理不尽な目に遭った事への怒りが混じり合って、その思いをぶつけられました。

「どうせ自分はガンになって死ぬんだ。おばあちゃんを見ていても、年を取って人に迷惑をかけるくらいなら早く死んだ方がましだ。自分はこれまでまじめに一生懸命生きてきたのに、誰も手伝ってくれなかった。何で自分ばっかりがこんな目にあわないといけないんだ」

病気の理不尽さ、人間関係の理不尽さ、父への不満、これまでずっとためてきた思いが、病気という試練を通して一気に噴出していました。

大変だった母の人生を思うと、母の気持ちも分かるのですが、もう死にたいという母の気持ちをどのように受けとめていいか分かりませんでした。

電話を切った後で、この試練を引き受けるには先生のシートに取り組むしかないと思い、GGP(グローバルジェネシスプロジェクト)で先生に降ろしていただいた三枚のシートに順番に取り組んでいきました。

これまで仕事の試練においては何枚も何枚も取り組んできており、その度ごとに、同志が現れ、思わぬ所から道が開かれるという奇蹟をいただいてきていました。

しかし、家族や親族との関わりにおいては取り組んだことがなく、この重い試練に対して、本当に道が付くんだろうかと不安を抱えつつ、まずは取り組んでみました。

まずは「魂の発見-根源の力を発見するためのシート」に取り組みました。

すると、私は東京で様々な要請に追われており、家のことに関しては無関心になっていたことが見えてきました。

1年後、そしてこれからの人生に思いを馳せたときに、親族を含めて皆でGLAで学びたい、そして母にも本気でセミナーに参加して学んで欲しいという願いが溢れてきました。

それまで母は生活実践と四聖日には参加するようにはなってはいたのですが、それ以外の学びについては、書くのが苦手という理由で消極的でした。

しかし、病気によって時間が無いかもしれないと思ったときに、そんなことを言っている場合ではないと思いました。

そして次に「魂の発見-無限のエネルギーを発見するためのシート」に取り組みました。

このシートは波動戦争を見破る取り組みになります。波動戦争とは、四つの煩悩それぞれに特徴的な武器が有り、その武器を使って相手のエネルギーを奪い、関わりにおける主導権を奪い合う行為のことを指します。

私自身が苦暴流で波動戦争の「脅し」の武器を使っており、母の気持ちを受けとめる余裕を持っていなかったことが見えてきました。

そして、何より母が先生との絆を深め、自己不信、世界不信のカルマを超える挑戦を一緒に果たすために、先生の下で一緒に学びたいという願いが深まりました。

そして、今回の試練は、人間メタモルフォーゼ(進化、成長)開始のホイッスルを神様が鳴らされていると受けとめました。

更に三枚目のシート「魂の発見-限界を突破し、生まれ変わる力を発見するためのシート」に取り組みました。

自分の中にあった思いを更に深く見つめたときに「色々言い訳して、GLAに対しても心を開くことができず、本気で学ぼうとしてこなかった母が悪い」と責める思いがあったことが見えてきました。

その思いを「空の心」の菩提心で転換したときに、母も一緒にGLA共同体に托身し、皆さんとご一緒に使命を果たす道へと向かっていきたいという願いが深まっていきました。

そのように気持ちが転換したときに、どなたかに心を開いて相談したいと思ったところ、丁度、事務局のYさんが目の前を通られました。

母が病気になって荒れている事を相談したところ、試練を受けとめる「山の心」がいいと教えていただきました。また、話しを聞いていただいたお陰で、私の気持ちも落ち着いて行きました。

早速、まずは私が「山の心」の菩提心を読んでみました。

様々な試練が避けようがなく襲ってくるのがこの世界であり、たとえいかなる苦難や試練であっても、揺らぐことなく安らぎの心で受けとめる「山の心」が定まっていきました。

すると、改めて自分の中に母の病気を真正面から受けとめる気持ちになっていなかったことが見えてきました。

更に言うと、人間は永遠の生命であり、いかなる苦難や試練を背負おうとも、試練を呼びかけと受けとめて超えていけることを、心深くに受納できていなかったことが見えてきました。

そうして、「試練は呼びかけ」、「病は呼びかけ」という神理を更に心深くに受納していきました。

calling

その思いで、改めて母に連絡しました。

電話をかけると、また母は周りの人を責め始めたのですが、私は率直にその思いは煩悩であり、いくら周りを責めてもこれまでずっとそうだったように、人生は変わらない。

お母さん自身も、これまでGLAで学んでその煩悩を超える事を怠ってきた。先生に本当に托身することが呼びかけられているんじゃないかと伝えました。

すると、それまで動揺していた母の心が静まり、「この試練を通して、私が変わらないといけない」と試練を受けとめる気持ちに変わっていきました。

母の病気にしても、これからどのような試練が訪れるかは分からないけれども、先生からいただいた神理を杖に、超えていこうと心が定まりました。

また今回の出会いを通して、改めて、煩悩を菩提心に転換したときに、いかなる試練であっても、同志が現れ、思わぬ所から道が開かれ、最善の道へと導かれていくことを実感しました。

この出会いの後、しばらく母のことを思うと涙もろくなってしまいました。

よく自分の臓器を、親族に提供する話しなど聞く事もありますが、どのような気持ちなのか正直分かりませんでした。

しかし、いざ自分の母親が病気になった時に、自分のこと以上に相手のことを大切に思う心があり、自分の肉体を削っても助けたい思いが自分の中にもあることが分かりました。

自分のこと以上に相手を大切に思う心は、自己保存を第一の目的とする肉体の快苦を超えた魂の感覚であることを実感しました。

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