2023 沖縄新春の集い 歴史の痛みに注がれる先生神様の光

新春の集いが全国各地で開催され、高橋先生が沖縄の新春の集いに行かれるとお聞きし、私もGLAのプロジェクトとして行かせて頂きました。

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沖縄のホテルでの夜中の技術習得

前日の夜に沖縄に到着したんですが、今回は前日のプロジェクト集会はなかったので、直接海沿いのホテルに向かいました。

ちょうど、Unreal Engine5(高忠実度のデジタルヒューマンや風景を短時間で作成できるフレームワーク。ゲーム開発に使用されていたが、最近は映画やアニメ、CM、自動車のインターフェース、シミュレーション、VRなど活用の幅を広げている)を、仕事においてもGLA共同体においても、活用することが求められてきており、その初歩的な技術をUdemy(動画で学ぶオンライン講座)で習得しつつ、Evernoteにマニュアルとして整理している最中でした。(このブログのタイトルのロゴも、最近UE5で作りました)

一旦休んでから、目が冷めたのが夜中の2時過ぎだったのですが、続きに取り組もうとしたところ、不穏な空気を感じました。

沖縄では、霊的な体験をすることが多く、青年のころに来た時に非常に怖い体験をしたことがありました。一番安いシェアハウスを選んだんですが、一晩中ラップ音がして、ずっと怖い思いをして眠れなかったことがありました。

できるだけそのような場所は避けようと思い、街中を避けて、海の近くのホテルの5Fを選んでおり、今回は流石に大丈夫かな?と思っていました。

しかしいつもの空気がビリビリとする感覚がしてきました。ちょっと怖いなと躊躇したのですが、でも技術習得は何とか進めたいという思いも強くあり、先生の善友の集いのご講演をお聞きしながら、勇気をいただきつつ学習を続けました。

菩薩の祈りへの托身

明け方の4時過ぎくらいに、ちょうど菩薩の祈りをお受けすることになったのですが、一旦作業をやめて、祈りに集中しようと思い手を合わせました。

目を閉じて、先生の御心に合わせて菩薩の祈りを深めてゆきました。すると、真っ暗闇の中で、所々に火が上がっている戦場の様子のような場面が心に映ってきました。

海の近くとはいえ、ここも戦場だったんだなと思い、その時に亡くなられて、今も彷徨われている霊の皆さんがいらっしゃるんだろうなと思い、その痛みに思いを馳せました。

更に菩薩の祈りに集中してゆくと、雲間から光が差してきて、光の天使が救いに来てくださるようなイメージが伝わってきました。

「世界に不幸せな人がいる限り、私たちは幸せになることはできない」という先生の祈りの言霊がその場に響いていったのですが、先生の祈りの言霊と響き合うように、天上の天使も苦しんでいる魂を救いに来てくださっているように感じました。

これまで霊的に問題があるような場所は怖いし、できれば避けたいなとずっと思っていたのですが、そういう痛みのある場所にこそ先生神様の御光が注がれ、天上の天使も救いに来てくださるんだなと思い、世界不信が癒やされてゆくように感じました。Y(苦しいこと、悲しいこと、損をすること)の中に人生の宝があるというのは本当だなと思いました。

菩薩の祈りをお受けした後は、その場が光に包まれたように感じたんですが、改めて『新 祈りのみち』で祈りをお受けし、光を注いでいただいたことへの感謝を深めつつ、少し仮眠をとって講演会の会場に向かいました。

沖縄での喜びの爆発

会場に到着すると、プロジェクトの皆さんの行列ができていました。

私自身は、今回は自己診断チャートの相談員の働きをさせていただくことになっていました。

お世話部門に移ってからは、毎回のように相談員の働きをさせていただいていますが、初めて来られた皆さんに自己診断チャートの結果について説明させて頂きました。

今回は、3人の方に説明させていただいたのですが、そのうちのお2人は内容が当たっていると共感されていました。

プログラムを受けて、高橋先生の対話のシーンを見られた後で「なんで高橋先生は、相手の方のことがわかるんですか?」という質問があり、拙いながらも説明させていただきました。

神様は、この現象界で起きるすべての出来事をずっと見守ってくださっていて、先生は神様の御心とつながることで、過去の出来事を知ることができるとお聞きしたことがあると説明させていただきました。

先生はそれだけすごい力をお持ちで、キリスト教の牧師さんや、仏教のお坊さんもGLAに学びに来られていることや、世襲で大きな宗教団体のトップになられた方が、ご自身はそういう宗教的な体験をされたことはなかったらしいのですが、高橋先生と出会われて、伝説で伝え聞いているような聖人と初めて会えたと感動されていたことをお伝えしました。

深く共感してくださっているようでした。

相談員を通して功徳を一緒に深められる恩恵

また、入会をためらっていた青年との出会いもあったのですが、青年の頃に、プロジェクトを一緒に担っていた看護師のFさんも一緒に同伴くださいました。

Fさんも、海外の紛争が起こっているような、大変厳しい医療の現場に行かれた時に、神理実践で道を切り開かれた話をしてくださり、神理には現実を切り開くちからがあるんだなと共感を深めました。

青年の方は、苦・衰退の傾向が強く、恐怖心を強く抱かれていました。その様子を見ていて、自分が入会したばかりの頃を思い出し、当時はGLAに行くのもものすごく緊張していたけれども、何度も何度もチャレンジする中で、少しずつ知り合いが増えて、心を開けるようになっていったことを思い出しました。

相談員の働きを通して、同志とともにそれぞれが頂いてきた功徳を意識化し、共有させていただくのは本当にありがたい働きだなと実感させていただきました。

沖縄での先生のご講演

これまでの新春の集いでは、横浜などの大きな講演会での映像が流されていたんですが、先生は今回はライブでご講演下さり、その後更に神理カードの授受を通して、お一人お一人と出会ってゆかれました。

さらに終了後、先生はプロジェクト集会にもお越しくださり、最後に歓びのカチャーシーをご一緒に踊ってくださいました。

先生は、このプロジェクト集会で沖縄にまた来ることをお伝えになったんですが、また先生との旅をご一緒に続けられる深い喜びがあふれてきました。

沖縄で頂いた歓びの輪を、広げてゆきたいと思いました。

朝の磁石映像反芻の智慧の共有

今回の新春の集いでは、200名を超える方が入会されたのですが、その原動力となった朝の磁石映像反芻、通称、朝磁石に取り組み続けられたお医者さんの話を伺いました。

講演会からは98回、新春の集いに向けては、46回あり、毎回功徳の意識化に取り組まれていました。

最初は、そんなに功徳あるのかな?という始まりだったらしいのですが、分かち合うほどにどんどん功徳が意識化されて、同志が頂かれている功徳に励まされたとお聞きしました。

功徳の意識化には、本当に力があることに感動し、自分たちもチャレンジしたいなと思いました。

沖縄の風を受けて、東東京でも朝磁石のチャレンジをすることになりました。TL人間学シンポジウムが今年も予定されており、開けの皆さんがチャレンジされるのに、自分たちは何もしないのは申し訳ないなと思い、シンポジウムまでチャレンジすることになりました。

「そんなに功徳のミーティング続けられるかな?」と思ったんですが、いざ取り組み始めると、これも功徳、あれも功徳と、功徳を発見する歩みがずっと続きました。

あるご指導で、先生から功徳を頂きすぎていて麻痺していると伝えていただいたことがあったのですが、本当にその通りなんだなと実感しました。

あるご指導で、先生から功徳をいただきすぎていて麻痺していると伝えていただいたことがあったのですが、本当にその通りだなと実感しました。

そして、功徳の意識化が深まるほどに、「これはお伝えしないと本当にもったいない」と思い、自然とお伝えするようになってゆきました。

沖縄で体験させていただいたことが、その後の光転の連鎖を起こすことになりました。

沖縄のガラス細工の煌めき

余裕をもってもう一泊し、月曜は沖縄の美術館に行ってみようと考えていたんですが、休館日となっていました。

それで、お昼は引き続き国際通りのスタバでUnreal Engine5について調べ、ひと段落ついて、国際通りで稲嶺盛吉さんのガラス細工の展示を見ました。

一つ購入したんですが、仕事やプロジェクトでの新しい表現として活かせないかと模索しています。

琉球王国の歴史との遭遇

もう一か所、「那覇市歴史博物館」が月曜もオープンしており、見に行きました。

那覇市歴史博物館 (city.naha.okinawa.jp)

これまで、太平洋戦争での沖縄の悲惨な歴史については見てきていたのですが、もっと昔の薩摩に対する恨みをお聞きすることも多く、どのような背景があるのか知りたいと考えていました。

資料館には、戦国時代前後からの「琉球王国の歴史」、「尚王家の歴史」、「都市~首里・那覇の歴史~」が展示されていました。

尚王家の統治の後で、薩摩に侵略され、明治新政府による沖縄処分によって、500年続いた琉球王国が消滅し、日本の一つの県となっていました。

沖縄は、貿易によって栄えた時代もあったようなのですが、同時に国と国の間の駆け引きによって、悲惨な目にあってきた歴史についても紹介されており、こういうことが起きていたんだなと納得しました。

そうして、高橋先生が何度も沖縄に来られているのも、「そういった歴史の深い痛みに、光が注がれ、癒されているという側面もあるんじゃないかな?」と感じました。

沖縄と佐賀のつながり

写真の中に、初代沖縄県令 鍋島直彬さんの写真がありました。

名字から佐賀の人かな?と思って調べてみると、鍋島直正公(江戸時代末期の大名。肥前佐賀藩10代藩主)の甥っ子であったことが分かりました。琉球国王が首里城を退城された後、初代の県令(今の県知事)として勧学と勧業を重点施策に掲げて実行し、沖縄の基礎作りに貢献されたそうです。

直正公の下で育てられた方々が、日本の礎作りに貢献された話は、様々聞くようになってきたのですが、沖縄にも貢献されていたことを初めて知りました。

ちなみに、佐賀の鍋島直正公をご存じない方もいらっしゃると思いますが、困窮していた藩の財政を立て直し、明治維新で薩摩と長州が争っている最中に、長崎で海外の脅威を体験し、「内輪もめしている場合じゃない」と言って、いち早く西洋の技術を導入。大量の武器を製造し、明治維新の最終段階で桂小五郎にその武器を渡すことで、一気に戦争を終結させ、西洋の日本への侵攻を防いだ功労者とお聞きしています。

佐賀藩は人材育成に力を注ぎ、明治維新を推進する人物を輩出した藩を指す薩長土肥(佐賀藩は肥前藩に相当)の一つとして、新しい日本の基盤を作る人材を多数輩出しています。「佐賀の七賢人」と言われていますが、早稲田大学を作り、総理大臣などの大臣を歴任した、大隈重信もその一人ですね。

佐賀の七賢人 – Wikipedia

私自身も、GLAのプロジェクトでも、仕事でも、教育システムを作ったり、基盤づくりに貢献することが多いなと感じていたんですが、佐賀に流れている光転の因子があるのかもしれないと思いました。邪馬台国も佐賀にあったという説を最近お聞きしたんですが、国造りの起点になってきたのかもしれないですね。

今回、沖縄の歴史に触れて、琉球王国から沖縄県へ国の形も大きく変わったことを知り、これから日本や世界においても、国の形が変わるような変化も起こりうるのではないかなと思いました。

そして、先生とご一緒に21世紀魂文明の創造へ!

高橋先生は、2014年の時点で、ロシアがクリミアに侵攻した際に、『ウクライナ問題は第2次世界大戦以降の世界秩序に対する揺さぶり』が始まったということとお話しくださっていました。まさに、今起こっている問題を、10年ほど前から予見されていたんだと感じています。

また先生から、「21世紀魂文明の創造」、「新しい国造り」というヴィジョンを示していただいたことがあったんですが、未だにそれがどのような意味があるのか分かっていませんが、これからの「まさかの時代」に、先生が話されていたことはより明確な形に結ばれてゆくんじゃないかな?と改めて感じました。

その青写真具現に向かって、私もさらなる神理実践に向かいたいと思いました。

2 thoughts on “2023 沖縄新春の集い 歴史の痛みに注がれる先生神様の光”

  1. -100の地獄を救う為には+100の境地が必要。過去何度も暗い世界に落ち、何とか境地と智慧を身につけたいと願って先生と同じ時代に転生してることを忘れずに残りの人生を送りたいと思います。

    1. Junjinoさん、今ちょうど八ヶ岳の地上の星で、「人生を受納するための祈り」を読んでいたところだったんですが、「人生のすべてを愛することができますように」と書かれていて、愛せてないなと改めて思っていたところでした。
      今の人生も本当に救われてきましたが、過去世でも、暗い世界から救われる体験も、何度もしてきたんじゃないかな?と感じました。

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