夏季連休中は、ご供養のご報告もあるので、実家に帰ろうかな?と予定していたのですが、家族がコロナにかかったようなので、帰らない方がいいと言われました。
東京で大人しくしていようと思って喫茶店で色々と取り組みをしていたのですが、ちょっと調子が悪くなったので、TLクリニックを受信した所、なんと私もコロナの陽性となってしまいました。
症状自体はそれほど厳しくはなかったのですが、在宅で仕事をすることになりました。
TL人間学シリーズセミナーの先生のご講演がある日が、隔離の最終日となり、SRSも自宅で受講することになりました。
Contents
そこはかとない虚無感の侵食
仕事としては、特に大きな障害もなく、比較的にマイペースで課題をこなしているような状態でした。
ブログの古いフォーマットの最新化も、ようやく完了したのですが、過去の記事を振り返っていると、どうやったらニヒリズムを克服できるのかに、ずっと取り組んでいました。
また、この期間は神理カードも4年連続で「川の心」を頂いており、いつまで経っても終わらない試練が続くような、そこはかとないニヒリズムに侵食されているような状態となりました。
そのためだったのかはわかりませんが、セミナーの最初に先生のオープニング映像をお享けするところから、意識が朦朧としてしまい、なにか大事なことを仰っているのは何となくわかるけれども、しっかりと受けられないまま、スタートしてしまいました。
連歌発想法による試練の客観的な受容へ
オープニングメッセージの後で、セミナーがスタートしていったのですが、まずは神理実践シートに取り組むことになりました。
シートには、会社で来週会議が予定されている、事業所を超えたコラボレーションに関する内容と、20年越しに見えてきたデータの問題に関する内容について、取り組み始めてみました。
モデルの方のシートの分かち合いをお受けしながら、取り組みを深めていったのですが、モデルの方は「侮るとき」の祈りを深められていました。
私自身にとっても、本当にこの祈りがぴったりきて、「侮るとき」の祈りを深めてゆきました。
ただ、家でお受けしていると、セミナーを受けているような感覚があまりしなかったのですが、ミーティングの時はZOOMでつないでくだいました。
途中から会場の様子を映像で送っていただくようになり、プリンスホテルの様子を見ていると、科学の皆さんとセミナーに参加している実感が湧いてくるようになりました。
連歌発想法でミーティングに取り組むと、科学のみなさんがそれぞれ大きな試練を抱えられていることが、身に迫るように感じられてきました。
私自身も試練を抱えているけれども、それでも導かれてきているんだな-と客観的に受けとめることへと誘われてゆきました。
侮る心の浄化によりもたらされた新たな心境
また、シートの取り組みを深め、侮る心が浄化されていった時に、100年に一度の変革期と言われるこの時に、「する」を連ねる取り組みを与えられていること自体が恩寵であり、この取り組みを誠実に続けていった時に、やがて使命の働きへと自然と導かれていくんじゃないかという気持ちに変わってゆきました。
また、侮る心を浄化していった時に、これまで研究所のあるシステムを作ってきた人に対して、蔑むような、気持ちを抱いていたんですが、今はガラパゴス化してちるかもしれないけど、その当時は一生懸命夢を抱いてチャレンジしていたんだろうなあと感じられてきて、その歩みを愛おしむような思いが引き出されてきました。
今まで感じたことがないような不思議な感覚を頂きながら、3つ目のCADの課題に対しては、まだ手も足も出ないような感覚をいだきつつ、初日のシートの取り組みは終わってゆきました。
今の境地では、まだ取り組めないんだろうなあ、巨大な問題だから無理することはないかもしれない・・・と思いつつ、初日の取り組みは終わってゆきました。
改めてオープニングメッセージの衝撃
一日目の取り組みが終わって、オープニングの映像をちゃんとお受けできなかった後悔があり、なんとか受けられないのかなと思っていた所、夜中の12時から海外向けのフォローの映像をお受けする機会がありました。
改めてお受けすると、本当に目の覚めるような、衝撃的なことをいくつもお話くださっていました。
「まさかの時代」にあって世界がどのように動いているのか、専制主義対民主主義の攻防や、東アジアの安全保障についても触れてくださっていました。
そして、「まさかの時代」にあって、ただルールを破る人に翻弄されるだけでなく、自ら新しいルールを作り出すこともできることをお話くださっていました。
私自身も、何十年と変わらない会社の仕組みやシステムの課題に対して、もうどうすることもできないと諦めそうになってきたのですが、「まさかの時代」だからこそ、逆に新しい原因を作って変えることができのかもしれないと希望が感じられてきました。
そして、「まさかの時代」だからこそ、本心を知り、人生の目的に回帰することが重要であると教えていただいて、深く納得するところがありました。
こうして、改めてセミナーの起点に込められた先生の御心に回帰させていただき、今がいかなる時なのかが引き寄せられてゆきました。
また、先生が映像の中で紹介くださった、報道番組をネットで調べたところYouTubeにアップされていたので見ることができ、改めて世界への危機感をもって2日目のプログラムに向かいました。
祈りの深まりによる境地の限界の壁の消滅へ
2日目のプログラムでは、経営の分科会をお受けすることになり、『新 祈りのみち』のおなぞりにじっくりと取り組ませていただきました。
他の科学の皆さんは、医療の分科会に出られておりミーティングをすることもできなかったので、『新 祈りのみち』を深める時間をずっと持たせていただきました。
他にも該当する祈りがないか、探してみたところ「優越感・特別意識を抱くとき」の祈りがぴったりきました。
わたくしに
何か優れているものがあるとしたら
それはそのことを使って
しなければならないことがあるからです
わたくしに
何か恵まれているものがあるとしたら
それはそれを通じて
果たさなければならないはたらきがあるからです
どうぞその道を歩ませてください
私を導いてください
『新 祈りのみち』 「優越感・特別意識を抱くとき」より抜粋
自分を超えて、神様が表されようとしている青写真があり、その具現のために使われるものになりたいという願いが深まってゆきました。
そう思うと、前日までは、これより先は境地がないから行けないなと思っていた壁が、なくなってゆくように感じました。
人生の目的へのアクセス
そして、「人生の目的」にアクセスしてゆくと、これまでバラバラに取り組んできた技術が、つながってゆきました。
システムエンジニアリング、3Dモデリングがアルゴリズミックデザインに集約し、それがSDGsの取り組みとつながって、神様の究極の美しさを具現したいという願いとつながってきていることが感じられてきました。
昔から、密教の曼荼羅に憧れていたこと、物理の法則の美しさ、ソースコードの美しさに惹かれていたこと、それらが全部必然としてつながってゆくように感じました。
そして、究極の神様の美しさを表現した時、あらゆる痛み、混乱、停滞、破壊が、歓び、調和、活性、創造へと運んでゆく力が生み出されるんじゃないかという希望が感じられてきました。
そのような転換をいただきつつ、先生のご講演に向かいました。
先生のご講演、困難から宝を取り出して使命の働きへ
高橋先生は、7つの智慧のうちの、第6章の「困難から宝を取り出す」についてご講義くださり、今回は、岩手県の福祉施設の所長さんの実践報告をしてくださいました。
ご講演の前に、願いは非常にはっきりとしてきていたんですが、具体的にどう歩めばいいのかについては、少しモヤッとしていた部分があったのですが、困難から1つ1つ智慧の宝を取り出し続けることによって、使命への道を開いてゆくことができることがスッキリとつながってゆきました。
これまで、たくさんの試練を頂いてきたことに対して、どこか被害者意識のような、損をしてきたような感覚があったのですが、たくさんの試練を頂いてきたということは、実は恵まれていたのかもしれないとさえ感じられてきました。
それだけ、人生の使命へと導かれていたのかもしれないと思うと、感謝の心に転換してゆくように感じました。
困難を与えて頂いていることに感謝し、同時に「する」を連ねられる環境を与えていただいていることに感謝しつつ、使命への道を歩み深めてゆきたいと思いました。
ニヒリズムを超えて使命の働きへ
今回の冒頭に、ブログの修正が全部終わったことに触れさせていただきました。
修正の内容としては、カテゴリーの見直しや、タグの追加、最新のフォーマットの適用など、改めて全体の最適化をさせていただいたのですが、ブログの修正が終わった時点では、試練の重さが意識化されるのと同時に、自分の気持ちも落ち込んでしまっていました。
2018年は、「川の心」の神理カードを4年連続で頂いた最後の年であり、ずっとニヒリズムの浄化に取り組み続けていました。(その後、空、月、空と続くので、苦・暴流の浄化に取り組み続けていたことになります)
私は、2006年に神理実践報告を青年塾セミナーで頂いた時、先生から魂の中心に「ニヒリズム」という言葉を貼っていただいたこともあり、このニヒリズムは幾転生かけても超えられなかった、深い闇なんじゃないかと思っていました。数年かけて取り組んでも、一向にニヒリズムを超えて行ける感覚がなく、途方にくれていました。
10月号のG.誌に、高橋先生は「時の羅針盤」の連載として、「ニヒリズムと闘う」という記事を書いてくださっています。
コロナや、ロシアによるウクライナへの侵攻、安倍首相の暗殺によってニヒリズムが強められてきていることが書かれていました。
ただ、私自身はどうなったかというと、コロナの期間に以下のような転換へと導かれていました。
(1)TLのSRSで『ゴールデンパス』のご著書の128Pの、テーマカオスを作り出すための3つのステップとして、「弱点の克服」、「前提の点検」、「挑戦の起動」に取り組むことで、もともと願っていた働きへと導かれた。
(2)「一日一葉」特別セミナーへの取り組みを通して、いくつもの深い発見、転換が起こり、またGGPのシートへの取り組みを通して、「建前」「本音」から「本心」へと転換し、人生の目的へと導かれた。
(3)人生祈念館での八ヶ岳への奉納、特別供養を通して、先祖を救いたいという魂願の成就と、「血」の流れの浄化へと導かれた。
本当に大きな転換へ、この「まさかの時代」の中で導かれていました。
そして、今回SRSのメッセージを通して、「まさかの時代」にこそ開かれる可能性があることをお聞きして、この時にこそ開かれる使命への道があることを実感しました。
現実の会社の業務としても、そのような変革のお仕事が様々来ています。
「ブログの修正が終わったら、使命への働きに導かれるんじゃないかな?」と何となく思っていたんですが、先生、神様がお作りくださった環境の中で、時代の流れと逆行するようにニヒリズムの闇から救われてきたことは、まさに奇蹟のような出来事じゃないかと思いました。
先生、神様に先に救っていただいた者として、「まさかの時代」にニヒリズムの闇で苦しむ人々に、先生、神様の光をお届けする使命の働きへと向かって参ります。
「弱点の克服」で思い出しました。私のようにほめられて育つと「めんどくさい」とか「不安です」とか言えないのです。言えないから感じてないように曖昧にしてしまうんです。そうやって放置してきたことで混乱という現実を引き寄せてしまいます。「面倒」「不安」を感知したらすぐに「挑戦」「調査」をするようにしました。