かけ橋セミナーを経て、伝研セミナーに向けて、更に劇の青写真にアクセスする歩みは続きました。
劇を観た皆さんからは、感動したという多くの声を聴かせて頂くことになりました。
看護師を仕事としているある青年は、泣きすぎてふらふらになってしまい、劇が終わった後まっすぐ歩けなかったそうです。
それだけお一人お一人にとって、魂の願い、神様との約束を思い出す、特別な劇だったんだと思います。
Contents
長年超えがたかった再結のテーマとの対峙
昨年の劇において、一世代上の先輩との再結の歩みを頂くことになりました。
そして今年の劇は、同世代の仲間との再結の歩みを頂くんじゃないかという予感がありました。
今から5年以上前に、一緒に青年塾を背負っていた仲間の多くが、ここ数年、劇チームの中心メンバーとなっていました。
当時、そのメンバーと響働できず、波動戦争を繰り返す度に、総合力が低下していったことがありました。
私はその波動戦争の中心にいて、苦暴流、快暴流で壊してきていました。
具体的には、困惑の現実を見ると過度に危機感を募らせて、極端な行動に出てしまい、周りからの理解が得られないまま強引に進めようとして、絆が切れていきました。
一時期、自分の意見を押し通して、思い通りにできたと思えても、最終的には絆が切れたところは暗転していくことになりました。
「あの時の、絆を切った判断は間違っていた、でも一体どうしたらよかったんだろう・・・」
響働できなかった痛みは、時が経って判断の末路が見えることによって、更に深まっていきました。
そして、昨年の最後の後智慧会で、かつての青年塾の仲間が、劇チーム内で波動戦争をしていたことが分かち合われました。
あの時の、青年塾の場で響働できなかった後悔の生き直しのチャンスを与えて頂いているように感じました。
劇の下支えの働きの中で
かつての青年塾時代との違いは、今回のはたらきは道具チームの黒子であり、見えないところで人知れず支える働きになりました。
しかも、道具チームは、最も早く会場について準備して、最後まで残って作業するはたらきです。
なんの立場も無く、最も低きところで、全体を支えさせて頂く厳しい働きを担わせて頂くこと。
ある側面では、それがこの2年間の私の劇チームにおけるチャレンジでもありました。
担い始めたときは、人目を気にして、恥ずかしいと感じたこともありました。
しかし、砕かれ続ける歩みの中で、魂の中心にあった願いは深まっていきました。
召し出しに応える フローレンスの霊操の深まり
劇の展開中に、これまで何度か霊操を深めてきたのですが、最後のフローレンスが亡くなるシーンだけは何故か深めてきていませんでした。
そこで、伝研の劇上演前の最後のMTGで、皆で最後のシーンの霊操に取り組み、このシーンの背景や、込められたいのちに少しずつアクセスしていきました。
今年のセミナーの場で、先生は「召し出し」に応えるということを何度かお話し下さり、「私に仕えなさい、そしてあなたにしかできないことをなすのです」という神様からの声に応えたフローは、そのモデルでもありました。
しかしあまり深まっておらず、「召し出し」についても、自分自身と深くつながっていませんでした。
皆で霊操を深める中で、神様の呼びかけに応えたフローは、使徒見参の境地を生きられた方なのかなと思い、ふと「悟りの九段階」の曼荼羅を取り出しました。
その瞬間、魂の内側から深い情動がこみ上げてきました。
「使徒見参」について、先生から「宿命を乗り超えることが出来ました、神様どうぞお使い下さいという境地です」と教えて頂いたことがありました。
この「使徒見参」という言葉と、フローのひたすら神様からの声に応えんとされた生き様がつながったときに、魂に刻まれた遙かな願いが引き出されてくることになりました。
それは、先生に「魂の所以に遡る瞑想」をしていただいた時に思い出した、「先生にお仕えするために生まれてきました」という魂の願いそのものでした。
この期間の道具チームとして砕かれ続ける歩みは、宿命を乗り越えるための鍛錬の歩みであり、私たちは劇チームとして召し出しに応えて生きたフローの境地をフロントで学ぶチャンスを頂いていたことが深まっていきました。
カオスの先に立ち現れた奇蹟の現実
その後の劇の上演、そして、最後の後智慧発表会の発表会まで、一瞬たりとも気を抜けないような厳しい試練は続きました。
かつての青年塾の仲間との関わり、CGチームと美術ターミナルの関わり、役者チームと道具チームの関わり、そしてお一人お一人の抱える御自身の宿命との対峙、次から次に生じる問題に対して、カオスと受けとめて真剣勝負で立ち向かっていきました。
そうして神理実践し、試練を乗り越えていった先に、これまで経験したことがないような光転の連鎖を見せて頂くことになりました。
お一人お一人が頂いた功徳は本当に大きく、営みにおいても抱えていた長年の関わりの課題を解決し、ミッションワークへの具体的な歩みを深めていかれました。
例えばある方は兵士の役を頂かれていたのですが、苦暴流で世界不信を強く抱いていた兵士が、ナイチンゲールとの出会いを通して癒される役と御自身の人生を深くつなげられていきました。
そして、先生との出会いを通していかに人生を救って頂いていたのかを意識化され、再結の歩みを深めて行かれました。
そういった、お一人お一人の神理実践の歩みが連なって、かつての青年塾の同志との関わりも大きく改善し、波動戦争を収束させて再結へと導かれていきました。
かつて、波動戦争がずっと続いていたときは、何をやっても暗転の流れを止めることはできず、未来への希望を見出すことはできませんでした。
しかし、波動戦争を乗り越えた先に、召し出しに応えんとするお一人お一人の魂の輝きによって、未来は変えられる希望を見せて頂きました。
特に若手の目覚めは大きく、短期間にここまで人間は成長することができるのか!と本当に衝撃を受けました。
カオス理論の実践による功徳
こういった全体の光転の流れと呼応するように、個人としての神理実践の歩みも深まっていきました。
特に、最新のカオス理論を教えて頂いたことは大きく、問題への受け止め方を全く変えて頂きました。
具体的には、問題を苦として受けとめるのは、カオスを固定化することであり、そこから闇の現実を生み出してしまうことが理解できるようになってきました。
当初、お世話の体制を提案しようとしていたのですが、問題をカオスと受けとめたときに、計画に無理があることが見えてきて、強引な提案はしないことにしました。
その後、お世話への呼びかけと感じる事件が何度かあり、少しずつはみ出して関わる中で同志が現れ、一緒にウイズダム実践していくことになりました。
そうして、先生が劇チームに与えて下さっていた公案に応える形で、道が開いていくことになりました。
青年塾の同志との再結も、カオス理論なしではあり得なかったことを思うと、カオス理論を教えて頂いたことは決定的な差を生むことになりました。
カオス理論に関しては、最新刊「未来は変えられる」に詳しく書かれています。
実は、この期間に仕事においても、10年来の関わりの捻れを歌詞賞することになったのですが、劇チームでの再結の歩みと連動していました。
転換の背後に見えてきた先生の御心
またもう一つ、もっと長期的な視野から見えてきたことがありました・・・。
2002年頃に、青年塾に危機感を感じている同志と、夜な夜な集まっては青年塾の未来について語り合っていた時代がありました。
ただ、苦暴流も強かったため、非常に危うい側面もあったのですが、ちょうど八ヶ岳に大講堂ができて、ルネッサンスアートシアターとして新たな劇が始まるときに、先生の御心でそのメンバーをごっそりと劇チームに入れて頂くことになりました。
その後、お一人お一人は劇チーム、青年塾の中で鍛えられ、それぞれのミッションワークのはたらきへと配置されていくことになりました。
今年の劇においても、青年塾時代のなかなか響働できなかった仲間と、再結集することになりました。
偶然たまたまあの時のメンバーが集まったと思っていたのですが、もしかすると先生の御心によって、生き直しのチャンスを与えて頂いていたのかも知れない・・・。
そう考えると、色々と納得いくところがあります。
2002年の時も、また今年も、先生の御心によって、劇を通して再結の歩みを頂いていたことが改めて見えてきました。
先生の側に立って生きる 黒子のミッションワークへ
伝研セミナーの劇の準備中に、先生が八ヶ岳に到着されて、楽屋にお越し下さったことがあったのですが、メンバーへの様々な対話が終わって帰られる際に、名前を呼んで頑張りなさいと声をかけて下さったことがありました。
一瞬の出会いだったのですが、先生は私の歩みを全て受けとめて下さって、更なる挑戦へと向かうように励まして下さっているように感じました。
その後、劇も終わり、伝研セミナーの三日目のご講演が終わった後で、隣に座っていた友人と声を掛け合って、扉の外で先生をお見送りさせて頂くことにしました。
この時は、だいたい2時間近く先生はお一人お一人との出会いを重ねられていたのですが、しばらく待っていると先生が会場から出てこられました。
拍手をもってお見送りさせて頂こうとしたところ、なんと先生は外で待っていたお一人お一人と、更に深い出会いを重ねて行かれました。
思わず、私も先生に近づいていって握手をしていただこうとしたのですが、先生は隣にいたある海外の青年の抱える家庭の困惑について、詳しくお話しされました。
来月、そのお宅に伺うことになっているのですが、この困惑に対して道をつけなさいと促されているように感じました。
握手はされずに立ち去られていったのですが、先生に愛されることを求めるのか、先生の側に立って愛する側に回るのか・・・。
自分の中にあった甘えがはっきりと見えてきて、もう先生の側に回らないといけないという思いを強くしました。
十数年の歳月を超えて見えてきた神様に使って頂く遙かな道
今回の劇を通して、黒子として生きること、それは先生の側に立って見えないところで支えさせて頂くことが深まったことを、生活実践で話したときに、当時一緒に劇をやっていた友人から、2002年の時に先生に誓願させていただいた内容と繋がっているんじゃないかと言われました。
2002年に、ルネッサンスアートシアターの劇が始まった年に、伝研セミナー後に誓願させて頂く機会がありました。
劇のエンディングに流れていた曲の一節に「流れ遙かな神理の大河、一筋の水となり、千年を超えていこう」とあり、その歌詞に深く感動していたのですが、先生から次のような対話を頂きました。
「今回分かったじゃない、名もなき一人として、黒子として、劇の中であーそうか、羽岡さんのあの歌の一節を、最後の一節を聞いたときに、いつも手応えがあって、そして出来る自分をやっていたい。どうだみんな俺はできるだろうと。一番でいなきゃ何かスッキリしない気持ち、認められなければスッキリしない気持ちではない気持ちが、あの瞬間、あー顔が見えずとも誰でもいい、支えさせて頂きたい。やっと一歩目まで来たのよ、ねー、これが捨てられなかったんだもん、やっとここまで来ることが出来ました。始まりの一歩につくことが出来ました。ならばもう後は、砕いて砕いて砕いて、私達が愚かさの自覚を知って、後は神様に使って頂きましょう。」
改めて、今年の歩みは、まさにこの通りになっていて、砕いて砕いて砕いて、愚かさの自覚を深めて、召し出しに応えて神様に使って頂く道へ誘われて行きました。
実は、2002年にこのご指導を頂いた時に、心の中で「えー、まだ始まりの一歩ですか?大分歩いてきたと思っていたのに」と、先生の御言葉に深い情動を感じつつも、自分の努力が否定されているように感じ、ショックを受けたことを覚えています。
しかし改めて、あれから13年経って、この言葉を振り返ったときに、本当に始まりの一歩を頂いていたことを実感できるようになってきました。
まだまだ、始まりの一歩から少ししか進んでいないかも知れませんが、これからも神様に使って頂く歩みを深めていきたいと思います。