10年間蓄積してきた恨みの浄化 こうだったからこそこうなれた人生への道

前回の記事は、稲造の人生を反芻を通して、自然と後智慧に取り組むことになりました。
というのも、仕事においては10年スパンでの大きな転機、GLAのプロジェクト活動においても、青年塾の卒業という20年来の大きな転機を迎えており、その振り返りをする必要がありました。
稲造にとって、教育はミッションワークの一つだったと思いますが、私にとっても教育はミッションワークの一つであり、稲造の人生を深めることを通して、自然と自分のこれまでの道のりを振り返ることになりました。

前回の記事の中で次のように書いていました。

『GLAで学んでいなかったら、敢えて損をかってでるような教育の仕事は、絶対にやらないと思いながら、それでもこの分野にきちんとエネルギーを注いで業務として確立することは、未来の発展を考えたときには絶対に必要であるという確信もあり、この十年間葛藤しつつやってきました。』

この部分がずっと引っかかっており、自分自身の境地の限界が如実に表れてしまったと感じ、恥ずかしくなりました。改めて、認めてもらえなかったことや、評価されなかった事への葛藤は、この十年、乗り越えられなかったテーマであるとハッキリしました。

何とか超えたいと思いながら、どう超えていけばいいのか迷いつつ参加した今年の講演会で、大きな発見を頂きました。

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ご講演の理論の詳細は、12月に発刊予定の新刊にご執筆下さっているのではないかと思います。発刊が本当に楽しみですね。
ご講演において先生は、果報側人類から因縁側人類への転換の道を、非常に分かりやすく説かれました。

その中で、果報側人類と因縁側人類では、意識の中で回すカウンターが異なっており、「してくれなかったカウンター」をどんどん回す果報側にたいして、因縁側人類は「してあげられなかったカウンター」の方が早く回っていました。

このご講演をお受けしていて、果報側人類の姿は自分自身そのものであると感じました。
こんな未熟な自分では恥ずかしいと感じていたのは、果報側人類としてしれくれなかったカウンターを回し続ける生き方そのものであったことを思いました。

超えるべきテーマは明確になったものの、どのように浄化しようかと考えていたところ、会社である事件が起こりました。

それは、組織に関する発表だったのですが、個人的にはあまり納得できない内容でした。
この事件を通して、神理実践シートに取り組んで、自分の心を見つめていきました。

シートに取り組むことを通して「分かってくれない」「認めてくれない」というカウンターが非常に分かりやすく現れました。
そこで、感謝のカウンターに転換するために、シートの裏側に、これまで頂いてきたことをずっと書いていきました。

具体的には、以下のように書き連ねていきました。

・様々なITツールを短期間で習得できるようになり、ツールの普及という難事業に対しても、様々な智慧と技術を持って対応できるようになってきた。
・教える人が一番スキルアップするという理論があるが、ある意味で、だれよりもスキルアップできる環境を与えて頂いてきた。
・国難の中にあって生じる様々な組織の矛盾を一手に引き受けさせて頂いた。
・蔑まれ、辱められ、痛めつけられ、それだけ理不尽な環境にあっても投げることなく、神のまごころを証す生き方をさせていただいた。
・不信感と恨みのカルマを浄化していくための、最高の修行の場を与えて頂いてきた。
・神様から惜しみなく与えて頂いた試練は、私の魂を磨くために、神様が境地を短期間で上げる為に、私に与えて下さったオーダーメードの修行場。
・自分のスキルを上げるために最高の環境を与えられ続けてきた。だめだめな〇〇、だめだめなコンピューター部門、だめだめなシステム会社の三重苦の環境の中で、自分で何とかせざるを得なかった。いい出会いやシステムに恵まれ続けてきた。
・未来になすべき仕事、果たすべき使命がある、その使命を果たせる自分へと成長していくためには、たくさんの理不尽な忍土の現実にあってもひるまず、果敢に道を開ける人を育てる必要があった。この試練を頂いたのは神の愛そのもの。使命成就に向かってその御心に応えていきたい。

ここまで書いてきて、とうとう恨みの思い以上に感謝の思いが溢れてきました

今回のご講演でも人生進化の三段階についてお話し下さいましたが

こうだったからこうなってしまった人生
こうだったけれどもこうなれた人生
そして、こうだったからこそこうなれた人生

と進化していきますが、こうだったからこそこうなれた人生を開いていける希望が感じられてきました。

今回、どうしてこのような気づきが起こったのか改めて振り返っていて、実家に帰って家族で取り組んだ行のことを思い出しました。

今回の講演会では、同族経営の親族間の恨みを超えていった方の実践報告だったので、私は父にどうしてもこの話を聞いてもらって、恨みを超えていって欲しいと願っていました。

そうして、家に居た三日間は、「憎しみ、恨みにとらわれるとき」の祈りと、「他人を許せないとき」の祈りを、毎日家族で祈っていました。

父が恨みを超えるためにと願っての取り組みだったのですが、図らずも私自身の恨みの浄化をすることになったようです。
他人を救おうとする愛念は、自らを救うことになるのかなと思いました。

こうだったからこそこうなれた人生への転換、この人生進化の三段階の神理は、御著書サイレントコーリングの中に書いて下さっていました。

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サイレントコーリングには、こうだったからこそこうなれた人生について以下のように書かれていました。

「この段階は、魂として人生を受けとめ始める段階のことなのです。自分の魂の進化のために、この人生を自ら望んで引き受けてきたという心境であり、自分を超えて人生を動かしている大きな意志とのつながりを思い出すことと言ってもよいでしょう。
・・・
自分の人生がどんな理不尽なものに見えても、つまらないものに思えても、それを受納するところから人生の意味があらわになってくる。人生全体に働く指導原理は、私たちの人生の仕事や人生のテーマを、その機根に応じて徐々に明らかにしてゆくものです。」(サイレントコーリング 第四章 進化する魂 人生の3ステップ オンリーワンへの道より一部抜粋)

改めて読み返してみて、本に書かれている通りの発見を頂いていたことに驚きました。

また、前回「魂の所以に遡る瞑想」を頂いた体験を書きましたが、先生の祈りによって瞬間最大境地へと一気に引き上げて頂いた時に感じた魂の感覚にもつながっていると感じました。

それこそ入会当初、20年前に初めてこの本を読んで衝撃を受けたのですが、自分の人生を受納できず、強烈な自己嫌悪と恨みを抱いていた自分にとって、ずっと憧れの境地でありました。

今回、10年間蓄積し続けてきた理不尽さの奥にあった神様の御心を感じられたときに、その境地へと到ることが出来る希望が感じられてきました。

この気づきを超えて、魂のミッションへとアクセスしていくために、新渡戸稲造の人生と自分の人生の歩みを更に深めていきました。

「10年間蓄積してきた恨みの浄化 こうだったからこそこうなれた人生への道」への2件のフィードバック

    1. 止観シートは、基本行となっていますが、取り組むほどに発見が深まりますね。
      GGPのシートが多いのですが、止観シートにも、もっと取り組もうと思いました。

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