だめだめ反省を超える道を模索してきましたが、何となく超える事ができてきたように感じていました。しかし、まだまだ全然分かっておらず、ミッションワークを起動するために、今こそ超えるべき時が来ていることを痛感することになりました。
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私の神理実践シート取り組みのスタイル
そのきっかけとなったのが、先生が降ろして下さってきた神理実践シートでした。
これまで先生から、溢れるように様々な神理実践のためのシートを降ろして頂いてきました。
私が入会した直後くらいだと思いますが、止観シートを降ろして頂きました。
その後、因縁果報ウイズダムのワークシートや、ウイズダム基本篇と、少しずつ取り組むシートを降ろして頂いてきました。
そして、ここ数年は、セミナーで先生がお作り下さったシートに取り組ませて頂いてきました。
Nexstage SRS でも毎回のようにシートが準備されており、毎回のように深い気づき、発見を頂いてきました。
また、セミナーに参加できなくても、グローバルジェネシスプロジェクト(以下GGP)では先生が毎回の御講義でシートを降ろして下さっています。私はGGPのシートのストックを常に持ち歩いており、特に大きな転換が必要なときには、じっくりと何枚もシートに取り組む時間を持っています。
その数は、大体、年に200枚近く取り組んでおり、取り組んだシートはスキャンしています。
思い返せば、入会してからずっと先生がお作り下さったシートに取り組んできており、そのためシートに対する思い入れはかなり強く、日々、シートによって試練を超える道を開いて頂いていることを実感しています。
神理実践シートへの取り組みを通して頂く功徳
先生のシートに取り組むことで、以下のような功徳を頂いてきました。
なお、シートの種類によって発見できる内容に違いがありますが、おおよそ以下のような転換が起きることは共通しています。
・現状の問題点がスッキリと整理されてくる
・問題を生み出している煩悩を掴むことができる
・煩悩を浄化して菩提心に転換することができる
・問題を生み出していたのは自分であった事に気づき、後悔と願いが深まる(主導権奪回)
・行くべき方向をスッキリと描けるようになる
その結果として、指導原理の風に乗ることができ、以下のような転換の道が毎回開かれていきます。
「同志が現れ」
「思わぬところから道が開かれる」
このような転換を導くシートを、溢れるようにお受けしてきましたが、今思うと、どこかでシートを頂くこと自体が当たり前になり、慣れが生じていたように思います。
職場での試練、だめだめ反省の限界
職場においても、神理実践を深め続けてきていますが、最近になって大きな転換が起こってきました。
まさに、「同志が現れ」、「思わぬところから道が開かれる」という転換が起こり続けた結果、今後の20年の会社の発展を支えるようなシステムに関する仕事を任させることになりました。
そのスタートに当たって、この20年間の失敗の繰り返しについて後智慧し、レポートをまとめてきているのですが、ある先輩に見て頂いたところ「批判が強すぎて、これではプロジェクトに対して共感してもらえない」とアドバイスを頂きました。
後智慧としてのレポートが、いつの間にか苦暴流になっており、だめだめ反省から抜けられていないことを突きつけられてしまいました。
改めて先生のシートのいのちへの接近
しかし、どのように超えていけばいいかも分からないまま、打つ手なしの状態でいたのですが、今回のセミナーのスタッフワークを通して、改めて過去の先生が降ろして下さったシートを振り返る機会を頂きました。
振り返ることでいかに先生が降ろして下さっているシートが奇蹟のようなシートであったのかを改めて発見することになりました。
前回、「新 いのりのみち」の、「反省に向かうとき(自らを振り返るとき)」が深まっていったのですが、改めて「新 祈りの道」には以下のように書かれています。
「反省とは 大宇宙を貫き支配している慈悲の心に自分を立ち還らせ、愛の器たる自ら自身に少しずつ、うまずたゆまず戻ってゆく、心行(心と行い)です。
生かされ、支えられている自分の姿に目ざめるならば、たとえ言葉でわからなくとも、魂の透明なはたらきによって、往くべきところに赴き、避けるべきものを拒むように、必ず導きが与えられます。
・・・」
しかし、具体的にどうすれば、このような高度な反省ができるのか、分かりませんでした。
今回、改めて先生のシートを振り返らせて頂き、先生のシートは「反省に向かうとき」に書かれている高度な反省が自然と起こるような構成となっていることに気づきました。
それはいわば、自分の境地の段階よりも、遙かに高い段階の光の天使に同伴して頂いて、気づき発見が深まるような内容であったことが分かりました。
先生のシートは如来の智慧の結晶なんですね
今回、一枚一枚の神理実践シートが、どれほど先生の深い智慧の結晶として降ろされていたのかを痛感することになりました。
先生は、御自身ではシートの素晴らしさなどをお話しされることはあまりないため、そのことに甘えていたんだなと思いました。
これからは、一枚一枚のシートへの取り組みを、一回生起、一回生起と刻印し、これまでの人類の先達が求めて求めても決して得ることができなかった智慧を頂いていることを深めながら、取り組ませて頂きたいと改めて感じました。
ミッションワーク始動にあたって、改めてだめだめ反省克服への挑戦
ゴールデンウイークに開催された青年塾セミナーにおいて、ミッションワークを始動するとはいかなることか、先生より詳しく教えて頂きましたが、これから取り組もうとしている仕事のテーマは、ミッションワークとして訪れていたことに改めて気づかされました。
その大切な始動の時にあたって、だめだめ反省を超える事は、どうしても必要な智慧であることを痛感しました。
GLA誌で連載されている「魂の学」序説において、最新の4月号では先生は苦暴流の煩悩についてかなり詳しく書いて下さっていますが、苦暴流の私は、あまりにもあたり過ぎていて、見るのがつらくなります。
しかし、だめだめ反省を超える事と、苦暴流を超える事が一つにつながってきており、先生に手取り足取り導いて頂いているように感じています。まだまだ、道の途上ですが、ミッションワークを始動するためにも、だめだめ反省の克服、苦暴流の浄化に挑戦します。
職場での実践・速報
早速ですが結果が出ました。
会社でも苦暴流を浄化していった結果、毒が抜けてレポートがどんどん読みやすくなっていきました。
そして、改善途中のレポートを見て頂いた先輩からアドバイスを頂きました。
「これまでとはもう違うんだから、これからは、取締役の視点で書類を書くように」と・・・。
そこで、実際に取締役の視点で更に改定していったところ、部署間の対立の構造からどうしても自由になれなかったレポートが、取締役というもっと高い視点から見ることで、客観的に問題を把握したレポートへと進化していきました。
きっと、本物の取締役に読んで頂いても、共感を得られる内容になったと思いますし、ご一緒に進めていける希望を感じています。
ミッションワーク起動にあたって、更なる神理実践を果たして参ります。