「菩薩への道」への遙かなる憧れ、先生の祈りによって頂いたユニバース体験


今年の善友の集い、参加された方も多かったと思いますが、本当に素晴らしかったですね。

個人的には、「菩薩の祈り」に深く感動し、改めて魂の情動が溢れてきました。

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私は、入会したのが1994年1月だったのですが、初めて先生が「菩薩の祈り」をしてくださったのが、入会直後の善友の集いでした。

GLAでは、1994年の善友の集いで初めて先生が菩薩の祈りをしてくださった時に、祈りの後に全会員が自然と立ち上がりました。この弟子が立ち上がった日を、弟子の「菩薩宣言」として、大切にされています。

弟子の立ち上がりを受けて、先生はニュープロジェクトという研鑽の場を開いて下さいました。

94年の善友の集いでは、九州にも先生が来られて、祈りをして下さいました。
私はプロジェクトでカメラアシスタントをしていましたが、カメラの配線をしながら感動して涙を流していました。

ちなみに、入会日は新年の集いだったのですが、そのときに頂いた神理カードは、今はありませんが「一切の出会いに感謝できる心を育みます どんなときも菩薩道を歩むことができるように」というカードでした。

このカードの菩薩道という言葉にひかれてやまず、大学の授業中に、ノートに隠れて書写していたことを覚えています。

そういえば、このブログのタイトルも「菩薩への道」としていますが、私の魂にとって菩薩への道を歩むことは、魂の中心にある遙かな憧れです。

入会直後にお請けした菩薩への祈りでも、訳も分からず、涙が溢れてきたのですが、近年になってその理由がより明確になってきました。

ずっとあるのが、先生に苦しみの底にいた自分を救って頂いたという思いであり、祈りをお享けしていると先生の深い御慈愛が魂に流れ込んできます。そして、私の魂からも先生にお会いしたかったという願いが溢れてきます。

また、もう一つの思いとして魂が感じているのは先生にお応えしたいという願いです。

私自身もかなり絶望的な深い闇の底にいましたが、先生はその苦しみの一切を背負って光へと転じていって下さいました。

それだけでも大変に申し訳なく、ありがたいのですが、先生は私一人だけではなく、本当にたくさんの人々の苦しみを背負って歩んで下さっています。

私の魂は直感的に、先生がいかなる苦難を背負って歩んで下さっているのかを知っており、先生の苦難を、そのかけらでもご一緒に背負わせて頂きたいと願っているようです。

そのことともつながるのですが、私の魂は過去世、師に救われながら、眠りに落ちてしまい、師の人々を愛する切実な思いに応えられなかった後悔を抱いており、転生を超えて師に応えたいという願いが溢れてきます。

こういった、言葉にならない後悔と願いが一つになって、自分でも驚くほどの強い意志を持って先生にお応えしたいという魂の底からの熱い思いが溢れてきます。

先生の菩薩の祈りをお享けしていると、そういった普段は隠れている魂の深い情動が、引き出されてきます。

会員の中でも、祈りをお享けして感動されている方もたくさんいらっしゃると思いますが、それぞれ異なる思いを抱かれているんじゃないかと思います。

よかったら、感動されている方は、どのような思いを抱かれているのか教えて下さい。

また中には、そこまで感動をしなかったと感じられている方も多くいらっしゃると思います。私も、94年から毎年行われてきた祈りに途中で慣れてしまって、魂深くにまで先生の祈りが届かない時期もありました。

そして、周りの感動している人に比べて疎外感を感じたこともありました。

また、セミナーの中で「魂の所以に遡る瞑想」を頂いても、魂がほとんど反応せず、過去世の後悔と願いを思い出している仲間と比較して、寂しい思いをした時期もありました。

しかし、神理実践の歩みを深める中で、魂の感覚としてのユニバース体験に恵まれるようになってきました。

今は、神理実践を深める歩みの中で、煩悩が取り払われ、霊道が確かになる中で、ユニバース体験を恩寵としてもたらされるのではないかと感じています。

また、先生は第五段階になると、過去世の言葉を理解できるようになると言われていましたが、まだ理解できないことからも、まだまだ道の途上です。

先生はユニバース体験を頂いても、それはあくまで一里塚でしかないと誘って下さっています。

私も、頂いたユニバース体験を大切にしつつ、皆様とご一緒に、更なる菩薩への道の深みに向かっていきたいと願っていますので、どうぞよろしくお願いします。

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