八ヶ岳の奉納が終わって、しばらくホテルで過ごし、その後、両親は豊心大学セミナーに参加しました。
私も、豊心大学セミナーに、両親の同伴を兼ねて、プロジェクトとして参加させていただいたのですが、今回は配膳チームのサブリーダーの働きを担いました。
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豊心大学セミナープロジェクトの条件
ご供養にかなり意識を集中しないといけなかったこともあり、プロジェクトの準備にはあまりエネルギーがかけられない状態となりました。
そこで、これまでとは異なるプロジェクトへの関わり方を模索してみました。
これまでのプロジェクトを振り返ると、願いを妥協なく追求してきた側面があったのですが、その根底には、世界が悪くなっていってしまうという世界不信や、自分の願いを邪魔してくる人が現れるという他者不信、そして、どうせ自分の意見は聞いてもらえないという自己不信があったんだと思います。
しかし、今回は自分の願いや、こうすべきにこだわりすぎず、相手の願っていることを尊重して、受け入れるような関わりをしてみました。
ウイズダム取り組み時点での再結
今回のプロジェクトは、これまで体験した中で超短期のプロジェクトだったのですが、一緒に取り組んだのは、20年ほど前、青年時代に、かけ橋セミナーでアトラクションチームを担っていた、B君や、Kさんでした。
ウイズダムの作成時に、ちょっと違和感を感じる箇所がありました。
いつもだったらその内容を「拒絶」して、波動戦争になってしまい、なかなかお互いがスッキリと納得できる願いが定まらないことを何度も経験してきていました。
それこそ青年の時代は、ウイズダムを作るだけでも、あーでもない、こーでもないと、1ヶ月位かけていたんじゃないかと思います。
しかし、今回はあまり細かいことは指摘せず、まずは「受容」することに重きを置くようにしてみました。
すると、他の方から、この部分を変えたいという意見が出てきて、それに応えるように、改善案を提案すると、皆に歓ばれるような形で願いがスッキリしたものに進化してゆきました。
「昔だったらこんなに短期間でウイズダムを完成することはできなかったよね」と口々に語り合いながら、お互い成長していることを実感してゆきました。
プロジェクトに生じた問題の数々
ここ数年は、コロナのために八ヶ岳での層別セミナーは開催されなかったり、かなり縮小した規模での開催となってきました。
今回のプロジェクトは、3年ぶりの本格的な八ヶ岳での層別セミナーとなり、新たにコロナ対策なども様々実施する必要がありました。
また、今年竣工したばかりの宿泊施設も使い初めのセミナーとなり、どのように対応するのか、決まっていない部分も多くありました。
プロジェクトの条件だけでも、非常に難易度が高く、更に準備期間もかなり短く様々な問題が起こることが想定されました。
天候は、セミナー期間中は雨になることを心配されていたのですが、3日間ほとんど雨はふらず、恵まれた天気をいただくことになりました。
しかし、今度は逆に想定以上に熱くなってしまい、熱中症でダウンするメンバーが出てきてしまいました。
飲み物の配布量の混乱事件の沈静化
こうして事前の調整不足によって生じた問題もいくつかあったのですが、特に大きかったのは、飲み物を配布する時間と数が記載されているシートが、現場のニーズとマッチしておらず、記載通りに実行すると、飲み物が足りなくなる問題が発生しました。
リーダーからは、別の方針が共有されたのですが、それも現場のニーズと合っておらず、メンバーの不満が更に増幅される状態となりました。
いつもだったら、私自身も不満に飲まれて、その思いを他のメンバーに共有して愚痴の響き合いとなり、より大きな問題にしてゆくようなことを繰り返してきていました。
しかし、今回のセミナーでは、不思議と「不満」の思いに飲み込まれることなく、自分にできることはないかな?と探して、現場のニーズに応えるように「献身」的に働いた所、歓ばれる結果となってゆきました。
いつもだったら、火に油を注ぐような関わりをしてしまい、不信感が蔓延するような状態になることも多々あったのに、そのような関わりになるどころか、感謝される結果となることを不思議に感じていました。
青年層の立ち上がりの感動
熱中症でダウンした青年のAさんは、一瞬復活してまた寝込んでしまい、大丈夫かな?とずっと心配していたんですが、休憩の時に、少し話せる時間がありました。
最初は、快・暴流で、頑張りすぎてしまったと言われていたんですが、その背景をお聞きしてゆくと、長年の深い痛みがあることを教えて下さいました。
同時に、今年の夏、どうしてもこれまでの自分を超えて成長したいという願いを抱かれていることを、涙ながらに分かち合ってくださいました。
熱中症でダウンしたことも、Aさんにとっては必然があり、そこから人生を通して果たしたい、魂の願いを引き出してゆかれるように感じました。
同じチームに、ご縁のあるもう一人の青年のBさんがいたのですが、Aさんの深い本心が溢れるような場となった時に、BさんがずっとAさんの傍らに寄り添われて、Aさんを励ますようになってゆかれました。
元々Bさんは、人との関わりの課題を抱え、果報側になってしまう弱点を超えたくて、プロジェクトに参加されていたんですが、AさんがBさんの可能性を引き出しているようにも見えました。
今回のプロジェクトの願いとして、「共同体の次なるフロントを背負う一人ひとりとして立ち上がる。」を定めていたんですが、20代前半の若手の立ち上がりを見せていただいて、密かに感動していました。
最終日の振り返りでもたらされた不信感からの転換
八ヶ岳でのプロジェクトの最終日に、今回のプロジェクトで頂いた功徳を分かち合う場が持たれたんですが、お一人お一人にとって、大きな転換が起こっていったプロジェクトであったことが分かち合われてゆきました。
そして、最後にリーダーさんからも感想が分かち合われたんですが、リーダーもメンバーさんの転換に感動されたようで、サブリーダーがメンバーの同伴をしてくれて、支えてもらったと、男泣きに感謝の言葉が語られることになりました。
プロジェクトの条件も厳しく、事前にあまりエネルギーを注ぐこともできなかったのに、長年の波動戦争に飲まれることもなく、光転した結果を頂くことになってゆきました。
改めて自分自身の因の転換を見返すと、「一切を導いてくださっている、先生、神様を信じ、魂願を果さんとしている自らの魂、約束の同志の魂を信じ、皆で使命を果たします」と定めていました。
不信感からの転換を願ってのプロジェクトだったのですが、「する」を連ねる取り組みを続けた結果、信頼と絆によって結ばれたマイティーコミュニティーを体験させていただいたのかな?と思いました。
父と先生との出会いへのチャレンジ
プロジェクトの最中も、父とはばったりと会うことが、何度もあったのですが、「魂の交差点人生観」と、先生に教えていただいていますが、父ともよっぽど深い縁があるんだろうなと思いました。
また、4年ほど前に父がセミナーに参加した時に、Tさんが友達になってくださっていたんですが、今年も色々と父に関わってくださっていました。
4年前に、2人の出会いを撮っていた写真があったので、見せた所、覚えていなかったらしく、初対面だと思っていたということでした。
Tさんは、普段自分がお世話になっている、東東京の地域の皆さんに、父をつないでくださり、最後のご講演は、父は東東京の皆さんと一緒に受けていました。
最後に、何とか父と先生をおつなぎしたいと思ったのですが、先生がご退場される時に、父は外に出てきて休んでいました。
先生のところに行こうと声をかけたのですが、「自分はいいや」と言っていたのですが、先生が外に出てこられたタイミングで、もう一度「行こう」と言うと、移動してくれました。
父の背中を押して先生のところに行かせて頂き、私は父の背中に隠れながら、見守っていたんですが、父は先生と肘タッチをすることができました。
心なしか、父も喜んでいるように見えました。
待ち時間に起こった奇跡
その後、先生は更に、プロジェクトのお世話役へのご指導の場を持ってくださいました。
私も参加できることになったのですが、そのご指導の間、両親には待ってもらうことになりました。
そして、この時に奇跡が起きました。
何と、父の方から「待っている時間に一日一葉をやろう」と母を誘い、一緒に取り組むことになりました。母も、かなり驚いているようでした。
あれだけ反発していた父が、楽しみながら神理を学んでいる、まさかこのような日が来るとは、、、セミナーで導かれた光転に驚きつつも、先生のご指導の場に向かいました。
プロジェクト集会でもたらされたユニバース体験
先生は、新しいお世話の体制をこれから作ってゆくことを誘ってくださいました。
魂の所以に遡る瞑想をお受けしたような、先生との永遠の約束に回帰するような時を頂くことになりました。
八ヶ岳の奉納が終わったら、もっと直接的に共同体に奉仕することになるんだろうな?となんとなく思っていたのですが、願いを生きる道を、先生に開いていただいたように感じました。
「宿命の洞窟を超えることができました、どうぞお使いください」という使徒見参の境地への憧れの思いが呼び覚まされてきたのですが、後日、願いの書を認めて、提出させていただきました。
「人を心に住まわせる」の深意へのアクセス
大きな感動とともに、色々な意味での転換に導かれたセミナーだったのですが、後智慧会において、もう一つ大きな発見を頂きました。
今回のセミナープロジェクトは、「一日一葉」特別セミナーの、「人を心に住まわせる」の章に取り組みながらのプロジェクトとなっていました。
プロジェクト中に、止観シートに取り組んだ後で、チームの中なから様々な改善提案が出てきて、ゴミ袋の種類を見やすくしたり、パンの種類が分かるようにするプレートを作っていただいたことがありました。
後智慧の時に、そのような工夫をしたことで、改善されたことが分かち合われ、あるメンバーさんが、最初「私が改善した」と言われたのですが、その直後に、アートチームの皆さんが資料を作ってくださって助かったと言い直されました。
その気持、よく分かるなと共感して、「自分がやったって言いたくなっちゃいますよね」と伝えたところ。
「そーなのよ、でも、そうしちゃうと人が心に住まなくなっちゃうからね」とさらっと言われました。
その一言が心にぐさっと突き刺さったのですが、心に人が住んでおらず、自己主張すればするほど、孤立してきたんだなあと後悔が湧いてきました。
「僕のお陰様デストロイヤー」というデストロイヤーが心の中にいて、「歪曲―独尊」の受信発信の回路で、何でも自分の手柄にしてしまって関わりを壊してきたのですが、人を心に住まわせる智慧によって、この繰り返しから自由になれるのかもしれないと思いました。
「2つの扉」一日一葉特別セミナーによってもたらされていた功徳の意識化
後智慧会の時も深められたのですが、豊心大学セミナー期間中に、2つの扉「一日一葉」特別セミナーが行われており、セミナー期間中は丁度、第4章の「人を心に住まわせる」に取り組んでいました。
少し前に取り組んだ、「第2章 本心を知る」の「『本音』と『建前』の奥にある『本心』が鍵を握っている」に次のような記載がありました。
「本音」は、しばしば自分勝手な想いや露悪的な想いに傾きがちです。「本音」は、きれいごとではすまない気持ちを指すことが多い。つまり、自分本位でわがままな気持ちがそこには入り込む。少し考えてみれば、それは明らかでしょう。
「本音」には、「悪」がすぐに入り込んでくるということです。
『2つの扉』68Pより抜粋
それまで、建前ではなくて、本音で話せるのが仲間と考えていて、本音を話し合うような関わりを積極的に作ってきていました。でもその結果、いつの間にか場がどんどん暗転して、不満の巣窟のような状態となり、手に負えなくなるようなことを繰り返してきていました。
この2章の反芻を通じて、改めて、「本音」によって、暗転を生み出してきた後悔が深まってゆきました。
そのこともあったからだと思いますが、プロジェクトで「飲み物の配布量の混乱事件」が起き、「不満」の思いが場に溢れそうになった時も、「愚痴」の響き合いに陥ることなく、「受容」しつつも、自分にできることはなにかないかな?と「献身」することにエネルギーを注ぐような受信発信を生きることになっていました。
プロジェクトの最中は、2章で後悔が深まっていたことを忘れていたんですが、いつもだったら、もっと暗転する関わりをしてきたのに、何でそうならなかったのかな?と思い、改めて振り返った所、本音と建前を超えて本心で生きる智慧を学んでいたことによって、自然と受発色が転換に導かれていて、光転する結果に導かれていたことが見えてきました。
そう考えると、会社でも通常だったら愚痴の響き合いを起こしていたような状況があったのですが、そのような関わりが生まれないような選択を自然としており、信頼関係が深まるような関わりを結ぶようになってきていました。
プロジェクトにおいても、地域のお世話の基盤整備をすることになり、たくさんの問題と向き合うことになったのですが、魔境にあまり陥ることなく、問題を解決し続けるような関わりをしてきていました。
改めて、『2つの扉』の7つの智慧を深めることで、カルマによる繰り返しにストップがかかるように、導かれていたのかもしれないなと感じました。
自分が思っている以上に、『2つの扉』のご著書の、7つの智慧を頂いたことは、人生全体を変え、転生の軌跡をも変えてしまうような、本当に大切な智慧を頂いているんじゃないかと思いました。
どうも、自然と功徳を頂いていて、自覚できていないことが結構ありそうなので、改めて頂いた恩恵をたしかにしつつ、さらなる神理実践に向かってまいります。
先生が中道についてお話し下さったことがありました。道(タオ)に中(あた)るためには、ちょっと待てよと止観する。動機・志を問う。物事の相関関係を良くみる。etc。と当時大変興味深かったことを思い出します。プロジェクトや職場で「これは何のためにしようとしてるの?」と自分に問いかけるのが癖のようになってたことを思い出しました。
Junjinoさん、中道について、様々ご指導くださっていましたね。
>プロジェクトや職場で「これは何のためにしようとしてるの?」と自分に問いかけるのが癖のようになってたことを思い出しました。
私も、ウイズダムで、動機や志を明確にすることに取り組んできました。
ただ、なかなか現実が変えられない葛藤もあったのですが、神理の深まりとともに、本当に神理は現実を切り開く力をもっていることを実感できるようになってきました。
頭の理解から、胸に落とし、丹田にまで落とし、境地としてゆくには、時間がかかりますね。