2015年、青年塾セミナーが開催されました。
昨年青年塾は卒業したのですが、お世話同伴のはたらきの要請があり、ありがたいことにセミナーに参加できることになりました。
Contents
卒業時に抱いていた心残り
私は、昨年約20年の歩みを頂いてきた青年塾を卒業することになりました。
卒業するときに、自分の中には次の世代との価値観のギャップがありました。
卒業する間際の1,2年は敢えてはたらきのフロントを辞退し、次の世代がフロントを担えるようにしていました。
しかし、なかなか自分の中に設定した水準に達しないことも多く、本当に大丈夫だろうかと不安を抱えつつも、次なるステージに促されていることを感じ卒業することになりました。
そして、昨年と今年の青年塾セミナーは、1977年、1995年に続く、新たな約束の始まりのセミナーとなりました。
傲慢を砕き一人の弟子としての原点回帰
青年塾の卒業後は、IT等の専門能力を活かしてGLA共同体に貢献したいという願いがあり、そのための勉強と準備の期間を頂きました。
GLAのプロジェクトも長い年月やってきたので、自然とお世話する側で働きを担うことが多かったのですが、久しぶりに一メンバーとしてプロジェクトを担いました。
プロジェクトのチームの中に、かつて自分がお世話していたメンバーがおり、その指示で動くこともありました。
葛藤しつつも、いつの間にか、立場故に傲慢になっていたことに気づき、その思いを砕きつつはたらきに応えていきました。
その歩みの中で、名も無き先生の一人の弟子として歩ませていただく原点へと回帰していきました。
改めて成長した青年達との出会い
そして今回、青年塾セミナーの準備を通して、約一年ぶりにかつての青年塾の後輩との出会いを頂くことになりました。
一年の歩みを通して、一人一人が着実に成長し、青年塾を背負う側に回っている雰囲気が伝わってきました。
きっと、はたらきのフロントを担う中で、責任感が育まれ、人間としても成長するように導かれてきていたんだと思います。
青年塾は1995年に発足したのですが、それまでは共同体の中の青年層という枠組みだけで、独立性はあまり強くなかったとお聞きしています。
しかし、そのような体制の中では、青年が先輩に依存し、フロントに立つ機会が少なかったので、敢えて青年塾の独立世を強くしたとお聞きしたことがあります。
そのような背景を前提に、改めて自らの歩みを振り返ると、私自身も本当に未熟で、色々な人にご迷惑をおかけしてきましたが、先生の御心、そしてGLA共同体の諸先輩によってフロントに立つ機会を与えて頂き、辛抱強く育まれ見守られてきたことに改めて気付かせて頂きました。
また、この一年を通して、快暴流の傲慢さを砕く中で、ようやくお一人お一人の輝きが見えるところまで浄化の歩みを深めさせて頂いてきたことを思いました。
生命の余白に 人間の諸相との出会い
ゴールデンウイークになり、いよいよセミナーが近づいてきました。
八ヶ岳に向かう車中で、前回の合唱体験の記事を書くことになり、改めて「生命の余白に」の「人間の諸相」について反芻する機会を持ちました。
「生命の余白に」は「本然の諸相」「人間の諸相」「自律の言葉」が掲載されており、1982年6月25日の信次先生が御帰天された日に発刊されており、GLA会員のみが購入できます。
先日、先生のご指導の時に丁度ご紹介されていた記事が、GLAのHPにアップされています。(2021年12月時点では、削除されていました)
久しぶりに反芻する中で、様々な箇所が心に響いたのですが、人生に対して感じていた悲苦が、自分だけのものではなく、全ての人が同じ苦しみ悲しみを抱きながら歩んでいる真実が深く感じられました。
とりわけ次の一節が深く心にしみ入ってきました。
限られた人生の無知と迷妄の中 人工の理の中
人は価値を探し当てる
確かなもの 揺るがぬもの 色褪せぬものを
自らを築き 自らを証し 自らを讃えるものを
様々の価値に人は見いだす
しかし 飽くことなき渇きは 炎のように身を焦がし
不安を呼び 矛盾を孕み 苦悩の種子を蒔く
人は 不安と歓喜の波間に揺れ動く
価値を去って真実を求めながら いつしか自らの立場にとらわれる
あらゆる出来事 あらゆる価値が自身との同一視を誘うのである
「生命の余白に」より抜粋
あー、本当にこの通りになっていた・・・
私は神理と出会い、人生には目的と使命があると知ってからは、それまでの拝金主義の価値観を去って、魂の願いをこそ生きたいと願ってきました。
しかし、いつの間にか立場故に与えられる評価を自らと同一視し、自らを証すものを外に求めてきてしまっていました。
「価値を去って真実を求めながら いつしか自らの立場にとらわれる」
本当にその通りになっていました。
何か自分を永らく呪縛してきたものの正体が明らかになり、解かれていったように感じました。
青年塾セミナースタート
長坂からバスに乗り換えて、八ヶ岳いのちの里にに到着すると、満開の八重桜が迎えてくれました。
セミナーの冒頭は先生の衝撃的なメッセージから始まりました。
先生の現代という時代への洞察を教えて頂き、数百年というスパンで今がいかなる時なのか、世界情勢の本質的な理解へと短時間で誘われていきました。
こういった先生の世界情勢への洞察は、数年経って具体的な事件が起きて、ようやく理解できるようになることが多いのですが、今回も未だどの方も話されていないような深い内容の話しを頂きました。
そのような世界の変化を前提として
テーマ:未来は変えられる
サブテーマ:カオスの時代を駆け抜け、新世界創造の勇者となる
が発表されました。
こうして、先生の誘いメッセージをお受けしながら、今回のセミナーのために作られたシートへの取り組みが始まっていきました。
私たちのグループには、新入会の方も多くいらっしゃったのですが、このシートへの取り組みと、先輩の同伴者の方との出会いや、仲間との出会いを通して、人生大転換とも言えるような体験を果たされていきました。
地上の星での禅定とシートへの取り組み
今回は、グループのメンバーとしての参加だったこともあり、例年より多く自分を見つめる時間をとることができました。
そこで、朝早めに起きて、小雨がぱらつく中、地上の星へと向かいました。
地上の星は、先生がいのちの里のパワースポットに作られたと話されていたことがありました。
ここで禅定すると、実在界と現象界の境が解けていくような不思議な感覚があります。
祈りをして、作法に従って禅定に入ると、心が宇宙に開かれていき、聖なる光の中で清浄になっていくように感じました。
そして、光の天使が傍に来てくれて見守ってくれているような感じがしました。
地上の星での禅定を終えて、大講堂近くに降りてきたときに、自分の心にあったこだわりがハッキリと意識化されてきました。
それは、かつて一緒にセミナーを支える側にいた人達との関わりについてだったのですが、浄化したいと思い、GGPのシートに取り組んでみました。
シートへの取り組みを通して、祈りのみちの「劣等感に苛まれるとき」の祈りが心深くにしみ入ってきました。
わたくしは、自分を差別するのをやめます。
所有物や能力・立場とわたくし自身を混同しません。
私自身のかけがえのないいのちを見つめます。
わたくしは、自らへの心の差別を解くことによって
すべての存在に対する差別をなくしたいのです。
わたくしは今
「すべてを大切に」という呼びかけを聴きました。
わたくしはそのままに
すべての存在を大切にして
共に生きることを望みます。
「新 祈りのみち」 劣等感に苛まれるとき より抜粋
自分自身への差別心が根本にあり、そこからできる人に対しても、できない人に対しても差別心を抱き、心ががんじがらめになっていたことが見えてきました。
「一人一人のうちに計り知れない光が宿り、一つ一つの人生に果たすべき使命があることを信じさせてください。」 祈りのみちの言葉が自ずから溢れてきました。
そこから、とらわれこだわりを抱いていた人達にも、光があると祈り心で出会っていったときに、自らの心にも光が差し込んできて、心が自由になっていくのを感じました。
更なる禅定への取り組み 人生のトラウマとの対峙
翌朝のことです、また早めに起きて、地上の星へ禅定に向かいました。
今度は「自律の言葉」を読んで、禅定に入りました。
祈りを深めていくと、心の奥に封印されていた幼い頃の感情が蘇ってきました。
私は、幼い頃に母から虐待を受けていました。
もの凄く怖かった記憶はあるのですが、叩かれていた時の記憶はほとんどありませんでした。
たぶん、あまりに辛くて心の奥に封印していたんだと思います。
その時の感情が蘇ってきました、下を向いて、自分の気持ちをひたすら押し殺して、泣きながら耐えていました。
その一番苦しかったときに、光の天使が自分に覆い被さるように、祈るような思いで必死に守ってくれていたことが見えてきました。
自分も世界も信じられなくなる、最も苦しい思いの時にも、見えない世界の天使にずっと守られてきたことを思いました。
地上の星から戻ってきて、虐待を受けていたときに刻印した、他人への恐怖心を見つめていきました。
私の心の奥深くには、「殺されるんじゃないか」という恐怖心があります。
先生との出会いを通して癒され、克服してきてはいたのですが、その根本の原因は掴めていませんでした。
しかし、禅定を深める中で、その根本にあった体験に光が注いだように感じました。
それから「不安と恐怖を抱くとき」の祈りを深めることになりました。
はだかで生まれ はだかで歩き はだかで暮らし はだかで還る
人生の道を、いつも、はだかになって歩くことを思い出させて下さい
「新 祈りのみち」 不安と恐怖を抱くとき より抜粋
恐怖心に、祈りの光が注がれていきました。
ただ、この取り組みはすぐに解消しなかったため、セミナー後もしばらく続けていきました。
ブラックホールのような闇の塊が心の中にあって、そこから果てしなく恐怖心が出てくるような感覚がありました。
この闇の心を克服するには、圧倒的な光が必要だなと感じたのですが、どこに光があるんだろうと思いました。
そしてふと、だからこそ神の光の12のスペクトルとしての菩提心なのかなと思い、目の前に広がる空を見ながら「空の心」の菩提心に思いを馳せました。
空の心の菩提心の圧倒的なエネルギー
その日は丁度、台風一過の真っ青な空が広がっていたのですが、空から圧倒的な光のエネルギーが注がれているのを感じました。
そうして、菩提心を心に念じたときに、底なしだと思っていた闇が照らされていきました・・・。
空は24時間、365日自分の傍にあったのに、当たり前すぎてその存在を意識すらしていませんでした。
しかし、見えない存在からも見守られていたように、神様からずっと見守られてきたことを感じました。
丁度同じ時期に、12の菩提心による転換のイメージした、CGを作成していました。
最終日の先生との出会い 転生かけた魂願との邂逅
そうして、最終日の先生ご講演の時間となりました。
二日目のご指導で降ろされた神理の意味について、実はあまり理解できていなかったのですが、改めて別の視点からその神理を説いて頂きました。
こんなに深い意味があったのかと、大変な衝撃を受けました。
改めて先生とはいかなる御方であるのか、そしてGLA共同体の使命について深まっていきました。
そして、最後に、先生が瞑想中にある魂の存在を感じられたお話しをして下さいました。
その魂とはイエス様だったのですが、ガリラヤ湖で漁をしていた4人の弟子が、イエスに誘われるままに漁をやめてイエスについていった話しをして下さいました。
何の保証もなかったのに、ただただイエスにひかれてしまいました。そしてその歩みは、その後の二千年を超える人類史の大きな転換点となりました、
2000年前に、名も無き弟子達が歴史の巨大なカオスに形を与えていってしまったように、私も先生についていきたいという本当に純粋な思いが溢れてきました。
この期間、ひたすら自らの心の闇と向き合い、浄化の日々を重ねることになりました。
その果てに、自らの根本にあった「先生についていきたい」という純粋な魂願へと導かれていきました。
永遠に続く共同体の礎への確信
このセミナー直後のことです。
生活実践の場で、20代の青年の人生史の分かち合いが持たれたのですが、50代の会員さん達から、その考え方に対する批判が溢れてきたことがありました。
「何で経験もしたことがないのに、そんなに自信を持って語れるの?信じられない」
といった違和感が度々語られたのですが、現役の青年達からは、逆に共感したという声が多く聞かれました。
私はその間に立つことになったのですが、自分自身が卒業時に感じていた若手への違和感は、時代の「知」としての価値観の違いだったことをハッキリと掴むことができました。
そして、価値観の違いは条件だったんだなと改めて納得しました。
先生はご講演の冒頭に、この中から数名の未来を変える青年が現れるという天からのメッセージを受けたことをお話し下さいました。
三つの「ち」の条件を背負いつつも、今年の青年塾セミナーにおいて、魂はきっと先生、神様との強烈な約束を思い出されていたんじゃないかと思います。
そして、先生、神様との約束を思い出した一人一人によって、永遠に続く共同体の礎が作られていくことを、ようやく信じられるようになってきました。
これから始まっていく、2015年の約束の物語に思いをはせるのと同時に、私自身、あれだけボロボロの状態から、よくここまで歩んでることができたなあと思いました。
自分で言うのも何ですが、そのこと自体、奇跡的なことだと思います。
自分が考える以上に多くの助力を頂き、守られ、導かれてきたんだと思います。
今年のセミナーにおいて、約束を思い出した青年の中にも、強烈な魂の願いと共に、超えがたきカルマを抱えている青年もたくさんいると思います。
救われた私が、今度は支える側に回って、そのお一人お一人の約束が果たされていく御縁になっていきたいと思いました。
〇参考情報(95年の青年塾セミナーを振り返っています。私自身の起点です)
2014青年塾セミナー そして1995年、先生との約束の始まりへの回帰