GLAに入会してから、20年近くゴールデンウィークは八ヶ岳で青年塾セミナーに参加してきたのですが、今年はここ数年同時開催されている、春期八ヶ岳いのちの里研修にプロジェクトとして参加することになりました。
プロジェクトの働きとしては、ドライバーズ&場外誘導プロジェクトを担うことになり、5/2のセミナー前日から八ヶ岳いのちの里に到着しました。
ドライバーズと場外誘導チームは、これまで別々のプロジェクトだったのですが、諸事情があり一つのチームにする試みをすることになりました。
セミナー参加者は100名程で、チームメンバーも3名という小規模のプロジェクトとなり、次に東京本部が運営を担う豊心大学セミナーの模索的な位置づけでもありました。
Contents
「一回のプロジェクトは一転生」の深意へのアクセス
セミナーの初日、少し早めに起きて、バンガローで禅定に取り組みました。
瞑想を深めていると、内側からエネルギーの塊のようなものがあることが感じられてきたのですが、転生の物語が何か立体的な空間の中にいくつもあるようなヴィジョンが感じられてきました。
そして、今回のプロジェクトでしか越えられない、過去世のある特定の転生の物語があるのではないかと、ふと感じられてきました。
これまで、「一回のプロジェクトは一転生」ということは先生からお聞きしてはいたのですが、具体的なある過去世の転生が、プロジェクトにつながっているように感じたことはありませんでした。
しかし、よくよく考えてみると
「過去世で同じ後悔と願いを、一緒に体験した仲間とも、巡り合っているのかもしれないな・・・となると、今回のプロジェクトの一転生は、○○千年前の転生の後悔の生き直し、といったこともあるのかな?」
と、転生の物語に思いを馳せていきました。
朝のミーティングの場で、禅定で感じたことを分かち合わせて頂いたところ、共感が深まり、この一転生でしか越えられないテーマに皆でチャレンジしようと話し合いました。
誘導プロジェクトにおける試練の発生
事前のチーム展開には参加できなかったため、現地で教えてもらいながら働きについたのですが、資料には非常に細かく情報が書き込まれており、文字の内容をあまり理解しないまま働きを担いました。
その結果、車の出入りや、人の移動の経路が予想以上に複雑で、対応が後手に回ってしまい、十分に働きに応えられないまま、一日が終わってしまいました。
後智慧の場での更なる試練
一通り働きが終わった後で、後智慧に取り組んだのですが、率直にはたらきが理解できずに十分に応えられなかったことを、少し不満気味に分かち合ってしまいました。
すると、「このまま分からないままで終わったら、過去世のテーマを越えられずに終わるんじゃないか」と切磋琢磨を受けることになりました。
そんなことを言われても・・・、と様々な言い訳が心に浮かんできて、不満に飲み込まれそうにもなったのですが、ここで投げたら、大きな後悔を残すことになるだろうなあと客観的に見ている自分もいました。
カオス受発色融合ウイズダムによる転換への挑戦
そこで、GGPの最新の神理実践シートである、カオス受発色融合ウイズダムに改めて取り組んでみました。
すると、仕事でも同じような繰り返しがあったことが見えてきました。
「別にいいや、どうせ自分は必要とされていないし」と拗ねて投げやりになった心で取り組んだ結果は、責任放棄していると責められ、エネルギーをかけた所は、成果が出て、皆と協力して結果を出すことができていました。
このままでは、同じ結果になってしまうと後悔を深め、今年頂いた神理カードである「川の心」の菩提心によって、浄化再生の流れを生み出し続けるよう因を転換しました。
そして、ウイズダムに取り組んだ後のスッキリした心をもって、マニュアルの作成に着手し、自分にとって分かりやすい情報とするために、夜遅くまでシステムに関連する情報を、文字から絵へと置き換えていきました。(この後智慧は豊心大学セミナープロジェクトの先智慧につながりました・・・)
もう一つのプロジェクト 八ヶ岳農業体験
二日目のプログラムは、地元のワイナリーや、展望台に行ったり、八ヶ岳いのちの里に残って人生祈念館を拝観したりといったいくつかのチームに分かれることになったのですが、私は誘われて農業チームに入ることになりました。
前日にプロジェクトの準備があり、昨年参加された方が、農業プロジェクトでの感動的な体験を分かち合って下さいました。
事務局の方も分かち合いに入られており、感想を聞いて下さったのですが、皆さんは感動されていたのですが、私だけは感動しなかったことを率直にお伝えしました。
何で感動しなかったのか?と問われて、そこから農業に対する自分の痛みと向き合うことになりました。
農作業、草むしり・・・ 働くことへの嫌悪感
私の出身は佐賀県であり、沢山の田んぼの中で育ちました。
もの心つく頃から、家の手伝いをさせられてきたのですが、庭仕事は特に苦痛でした。
佐賀はクリークという川に囲まれているために蚊が多く、何カ所も蚊に刺されながら作業をしていました。
また、雑草を根っこからとらないといけないのですが、なかなか取れず、刈っても刈っても生えてくる雑草は理不尽そのものでした。
庭掃除をしていると、自分でも分からない怒りさえ生じることがありました。
自然に対する、恨みのような感覚があり、農業に感動できなかったことが見えてきました。
農作業研鑚 スタート
このような痛みと向き合いつつ、大講堂の傍にある、農場へと向かいました。
農業での作業を始めるに当たって、皆で『新 祈りのみち』の「大自然・生きとし生けるものへの祈り」に取り組みました。
その中に、次のような一節がありました。
人々は自然を自分の外に見、切り刻むことのできる存在とみなしてきました。
人間の文明は、歴史は、その積み重ねです
その結果が、今、様々な形であらわれてきています。
環境破壊、砂漠化、食糧危機、資源の枯渇・・・・・・。
私たちはこの事実をどのように受けとめているでしょう。
高橋佳子先生著『新 祈りのみち』 604P
私の中にあった、自然への怒りのルーツが見えてきたように感じました。
自然に対する怒りや理不尽さも、自然の脅威に対抗する形で築かれてきた文明の流れの中で、人類が共通して抱いている思いの一部であったことに気づかされました。
更に次のように誘って下さっていました。
ここでは
あなたは、あなた自身の生命の根を想ってください。
そして確かめてください。
あなたは、あなた以上に、現実に
大地から生まれ、海から生まれてきたのです。
高橋佳子先生著『新 祈りのみち』 605P
敵だと思ってきた自然が、自分自身の根であり、自然によって生かされてきた・・・。
自然との関わり方について、大きな亀裂が入ったように感じました。
八ヶ岳管理チームの方からの伝承
さらに、この畑を管理して下さっている、八ヶ岳管理チームの方から、植物と人間の関係について教えて頂きました。
人間が二酸化炭素をはき出して、植物はそれを吸い込んで光合成しており、人間と植物はつながっていてお互いに生かし合っていることを教えて下さいました。
知識としては知っている内容だったのですが、管理チームの方が先生から神理を学ぶ中で深く受納されたことをお聞きする中で、元々人間と植物は生かし合う関係にあり、お互いにかけがえのない絆に結ばれていた存在であったことが心深くに伝わってきました。
植物の力への感動
こうして一つ一つ心の準備を整えて、具体的な作業に入っていきました。
畑は、種を植える直前の状態まで準備して頂いていたのですが、土に穴を掘って、一粒、一粒、種を埋めていきました。
一緒に農作業をしている皆さんは、種に愛情を込めて声をかけられ、立派に成長しますようにと祈りを込めて、埋めていかれていました。
私も改めて、種をまじまじと見てみたのですが、こんなにも小さな一粒の種が、やがて成長して実をならせていくというのは、改めて不思議な感じがしました。
そして、皆さんと一緒に種と向き合い、大地と向き合って作業する中で、自然と種を大切に扱う心が育まれていきました。
植物との心の交流の歓び
種を一通り埋め終わり、苗も植えた後で、皆で水やりをしました。
先に水をあげた方から、「苗が歓んでいるように感じた」という声がありました。
本当かなあと思いつつ、自分も水をまいてみたのですが、水をあげると本当に植物が活き活きと輝き出すように感じられました。
植物の歓びが自分の心にも伝わってくるように感じ、本当に植物と人間はつながっているんだなあと思いました。
そして、この苗の数ヶ月の一転生がここから始まることを、応援するような思いが湧いてきました。
網かけ作業における響働
作業の最後に、霜対策として、網をかけることになりました。(八ヶ岳いのちの里では、5/20くらいまでは、霜が降りるそうです。)
骨組みを設置してから、網をかけ、最後に土をかぶせて固定していきました。
私は先の分かれた、鋤を持っていたのですが、それでは網の上に土をのせることはできず、この鋤じゃあ何の役にも立たないと落ち込んでいました。
作業をしながら「どうせ自分は役に立たない、必要とされていない」というつぶやきがふつふつと心の中から湧いてきました。
ただ、何の作業もしないのも申し訳ないので、てきとうに土を耕していたのですが、スコップ作業をしている方から、鋤で耕されているとスコップが楽になるから、もっと耕して欲しいと依頼されました。
「こんな自分でも役に立っているんだ」と思うと、急にやる気が出てきて、どんどん耕していきました。
こうして、鋤とスコップの響働作業によって、スムーズに網かけ作業が進められていきました。
どうせ自分は役に立たないという諦めへの亀裂
単純な作業だったのですが、自分にとっては非常に大きなインパクトがありました。
というのも、会社においても3年間かけて新しい技術を修得してきており、GLAのプロジェクトにおいても、役立つと思う技術を修得してきていたのですが、なかなか具体的なはたらきとつながらず葛藤をしている部分がありました。
しかし、今回の体験を通して、自分にしかできないかけがえのない働きがあり、そのことを通して皆さんとつながって、喜ばれる結果を生み出せることを体験させていただきました。
心深くにあった「どうせ自分は必要とされていない」というニヒリズムに亀裂が入ったように感じたのですが、現実もこのように変えていける希望が感じられてきました。
春期八ヶ岳いのちの里研修で見えてきた超えるべきテーマ
作業を通して癒されるのと同時に、その奥に「どんなに頑張ったって、どうせ認めてくれないじゃないか」という心の叫びが自分にはあって、それで会社においても葛藤し、心のエネルギーを使っていたことが見えてきたのですが、それは、母方のお爺さんがよく言っていたつぶやきと同じではないかと思い、お爺さんの御供養の必然へとつながっていきました。
また、この農作業研鑚で「大自然・生きとし生けるものへの祈り」が深められたことは、人間として生きる根底にある自然や植物との関わりの再結が深まっていったのですが、そのことが豊心大学のプロジェクトにおける、更なる根本的な転換へとつながっていくことになりました・・・。
(続く)