Contents
「稲穂の心」によって見えてきた既に与えられてきた恩恵の深まり
2025年は入会してから初めて、かけ橋セミナーに行かない予定になっていました。
40周年の記念となるかけ橋セミナーで、花火もあるのに参加できないことに葛藤する気持ちもあったのですが、その思いを客観的に見つめていったときに、ふと「認められたい」という思いがあって、プロジェクトに参加していたことが見えてきました。
「認められたい」という思いと表裏一体としてある「こんな自分じゃダメだ、足りない」というとらわれを客観的に受け止め、「稲穂の心」に転換していった時に、今与えられている環境は非常に恵まれていたことが見えてきました。
私の会社は 2 輪では世界一であり、デザインの皆さんは世界一のバイクメーカーという自負を持たれています。
その世界最高峰の場所で、デザインの皆さんに最先端の技術を導入する働きをさせていただいていました。また GLA でも、TL アートの先輩と響働しながら、GLAに永く残ってゆくオブジェのデザインのはたらきをさせていただくようになりました。
足りない足りないという飢渇感のために見えなくなっていたのですが、既に世界最高の環境の中で、恵まれた人間関係を頂き、大変に重要な働きを頂いていたことに気づかせていただきました。
そう考えると地域お世話での働きでも、中央地域という GLA の様々な中心的な施設がある地域の起動に関わらせていただき、姉の病気を通しての神理実践においても、多くのTL医療のお医者さんたちに見守られながら癒しをいただいてきており、本当に奇跡のような導きを頂いていたことが見えてきました。
菩提心御守として「稲穂の心」を頂いたものの、最初は頭を垂れる「稲穂の心」に抵抗感があるところから始まっていますが、書写行にも取り組み始める中で、実はたくさんの恩恵をいただいていたことが少しずつ感じられ、飢渇感が少しずつ解消されてゆきました。
かけ橋セミナーに行けない試練の転換
今回の発見を更に深めようと思って、かけ橋セミナーに行けないことについて、神理実践シートに取り組みました。
改めて「稲穂の心」によって、導かれている感謝を深め、透明で美しい志をもって、求められている要請にお応えする願いが深められてゆきました。
そうして、1年後に成果物が具体的な形となり、5年後に志のネットワークの中で響働による具現をし、10年後に先生、神様に直接的にお応えしているヴィジョンにアクセスし、すっきりした気持ちになりました。
そのような気持ちで、セミナーへの呼び出しのための、青年とのミーティングの場に臨んだのですが、ミーティングが終わった時に、「buyanさんはかけ橋セミナーで何の働きをするんですか」と言われて、「今回は働きないんだ」と答えると、「えーじゃあ手伝ってください」となり、最終的にフィールドチームのお世話をすることになりました。
先生への感謝不足の意識化
ただ、改めて考えると先生への感謝の思いがあまり感じられていないことが意識化されてゆきました。
「感謝」がすごく大事なことは、頭では分かるのですが、心が納得しておらず、これはなんとかしなければと考えるようになりました。
かけ橋セミナー準備のための神理実践シートの取り組み
急な要請であったため、ウイズダムの取り組みもなく、心の準備が全然整ってない状態でのセミナー参加となったのですが、行きの電車の中で神理実践シートに取り組みました。
セミナー中に訪れる試練に対して、「試練を背負うのは損、もっと自分のために時間を使ってもいいんじゃないか」というつぶやきがあることを意識化しました。
その上で、『新 祈りのみち』のご著書から、転換するための祈りを探してみたところ、「比較・競争にとらわれるとき」の祈りがピッタリでした。
改めて、比較競争して一喜一憂していることが見えてきたのですが、そこから私だけに与えられる人生の仕事(使命)にエネルギーを注ぎ、その仕事を通じて共にある多くの人々との絆を深めてゆく願いが深まってゆきました。
一つ一つ頂いた要請に対して誠実に心を尽くし、絆を深めてゆくことが、やがて使命の働きにつながってゆくことに思いを馳せ、心構えを作ってゆきました。
工業デザインとして最先端の職場の意識化
最近は小淵沢駅を使うことが多かったのですが、久しぶりに長坂駅で降りて、いのちの里に向かいました。
行きのバスの中で、かつてCA(チャレンジングエンジェルス)としてお世話してあげていたH君と一緒になりました。東京芸術大学にチャレンジしていることは聞いていたのですが、入学試験がかなり難しく、何回か浪人されていて心配していました。その後、入学できたと聞いてホッとしてはいたのですが、入学後は出会う機会はありませんでした。
今は大学院にまで進み、映像系の仕事に就きたいと言われており、東京芸術大学生という肩書きで、ちょっとしたデザインの仕事もしているということでした。
私の方も、会社で担当しているデザイン領域の話もさせていただいたのですが、改めて工業デザインとして最先端の領域をさせていただいている今の立ち位置を、客観的に理解することになりました。
リーダーの拝命
前泊でのフィールドチームの展開が終わって、リーダー会にも参加しました。
お聞きすると、全体調整の働きを担うメンバーの多くが、登壇者になってしまい、かなり危機的な状況になっているので、私にもリーダーを担ってほしいと依頼されました。
まずはリーダー陣のグループラインに入れていただいて状況を把握するところから始めたのですが、いざチーム展開が始まってみると、なんともう1人のリーダーはその日の夜からの参加となっており、私が1人で背負わなければならなくなりました。
これは、お手伝い感覚ではとても引き受けられないなと思い、チーム展開を主体的に進めてゆきました。
「稲穂の心」の菩提心の深まり
「稲穂の心」実践として、お一人お一人に「ありがとうございます」という感謝の言葉を伝えることにしたのですが、ある抵抗感があることが感じられてきました。
抵抗を感じた時のことを、「止観シート」(心の動きを自覚的に捉えるために、高橋佳子先生によって考案されたメソッド)に取り組んでみると、認められたい、負けたくない、わからせてやりたい、という思いがあることが見えてきました。
その心を転換するために、祈りを探していったところ、「執着と欲望から離れられないとき」の祈りに辿りつきました。
それまで意識が朦朧として、倒れそうになりながらなんとか取り組んでいたのですが、
私に与えられ、用意された「もの」と「こと」を
恩寵の導きとして
人生の道を歩む何よりの糧とさせてください。
という「新 祈りのみち」の一節にたどりついた時に、まるで憑きものが取れるように、一気に朦朧とした意識が吹き飛んでしまいました。
あまりにも急激な変化で驚いてしまったのですが、逆にそれだけこの煩悩に飲まれていたんだなとはっきりと掴むことができました。
そして、改めて普段はずっと「快・暴流」がベースになっているために、「稲穂の心」が生きられないんだなと刻印しました。
そう思って改めて祈りの言葉を読み返すと、『恩寵の導きとして』という一節があり、「稲穂の心」につながるような言葉が書かれていました。
普段の欲得の心を離れて、「稲穂の心」に転換することが本当に大事なんだなと実感することになりました。
翌朝、シャワーを浴びてスッキリした時にふと「自分はずーっと快・暴流の欲得の心で生きてきていたんだな、そのエネルギーを止めて、感謝の心をエネルギーの土台とすることは根本的な転換になるのかもしれない」という思いが湧いてきました。
人生の大きな転換点に遭遇していることが感じられてきました。

フィールドチームでの感動体験
子どもたちとの出会いは、2時間と大変に短かったのですが、非常に密度の濃い、充実した時間となりました。
段取りが不安なところもあったのですが、お1人お1人が菩提心に転換し、最善を尽くす中で、CAにとっての忘れられない川での体験を重ねてゆきました。


川のプロジェクトが終わった後で、帰る途中にそれぞれの功徳を分かち合ったのですが、高校生のHさんは人前で話すことが苦手で、50文字の感想を語るのに5分くらいかかる方でした。
そのHさんが、子どもたちにイベントの説明する働きを担われていました。
かなりのチャレンジだったと思うのですが、川の心を念じながら「周りにどう思われているんだろうか」という、とらわれこだわりを洗い流された結果、スムーズに話せるようになったと言われていました。
本当に別人のように、短い時間で自分の思いを語られるように変わってしまわれて驚いたのですが、涙を流しながら変わることができた感動を分かち合ってくださいました。本当に奇跡が起きたんだなと実感したのですが、お1人お1人にとって大きな転換が起こっていたことが分かち合われてゆきました。
私の中に起こった「稲穂の心」の深まり
私の中でもこのプロジェクトを通じての転換が起こってゆきました。
作業を分担する過程で、北九州にいるOくんと、熊本のWくんと同じチームを担うことになったのですが、いざ子どもたちがやってくると、色々とうまくいかないことが多くあり、その場で修正してゆきました。
お2人にもやり方を修正してもらうことになったのですが、自分の中から「ダメだな、分かってないな」という思いが引き出されてきました。
イベントが終わった後でも、「Oくんはこんなにダメダメだったので、自分がこうゆうふうに修正してあげた」という思いがどんどん湧いてきました。
でも、「これは稲穂の心じゃないよなあ、でもどう転換したらいいんだろう?」という葛藤が深まり、なかなか答えが見つからない状態となりました。
そこで、最初は無理やり、「ありがとうございます」という思いを抱くようにしてみました。
すると、Wくんが深い心の痛みを話してくれるようになりました。Wくんはずーっと上から関わられることで嫌な思いをされてきており、心を閉ざしてきたことを話してくださいました。
それで、営みでも試練があり、GLAでも地域のお世話役と距離をとってしまう痛みを抱えられていました。
Wくんは、こういう話はほとんどしてこなかったと言われたのですが、もし自分が「稲穂の心」への転換をしようとしていなければ、Wくんはいつものように、私にも上から関わられる抵抗から心を閉ざしていたんじゃないかなと感じました。
同時に、これまで快・暴流の煩悩によって、出会いの限界を生み出してきてしまっていた後悔も感じられてきました。
これまで私は、お世話役や相談員などの働きを担うことも多かったのですが、与えられる立場によって引き出される煩悩もあり、「優位→支配/差別→枯渇/反感」の受発色をずっと繰り返し続けてきたんだろうなと後悔が深まりました。
そのような後悔を深めながら出会ってゆくと、更にWくんは心を開いて色々と話してくださり、より深い転換へと自然と向かって行かれました。
本当に「稲穂の心」とは真逆の生き方をずっとしてきてしまった後悔が深められてゆき、同時にお1人お1人の仏性の光が生まれてゆく姿を見せていただきました。
ガンジーの劇への衝撃と「稲穂の心」の菩提心発掘の深まり
営みに戻ってからも、さらに「稲穂の心」の菩提心を深めてゆきました。
それまで、自分を差別してくるような人や、攻撃してくる人に対して、そのことはあまり考えないようにはしていたのですが、感謝の心までは抱いていませんでした。
しかし、かけ橋セミナーで観たガンジーの劇では、ガンジーが自分を裏切ったイギリス人の役人に対して、獄中で自分の中にある恨みを浄化されながら草履を編んでプレゼントをされ、そのことによって、インドとイギリスの不平等な関係が解消してゆきました。
私も感謝の心を抱くところまで転換しないといけないんじゃないかと思えてきました。
感謝をしようと思うと、恨みの心があることが改めて意識化されてきたのですが、この思いまで浄化しないといけないんだなと思いました。
どんなに理不尽な目に合わせた人であったとしても、感謝の心が抱けるところまで、さらなる菩提心発掘の歩みを深め、わたしたちのネットワークを広げてゆきたいと思いました。
かけ橋セミナーから半年経過しての振り返り
かけ橋セミナーにおいて、「優位→支配/差別→枯渇/反感」の受発色の転換、それと理不尽に感じた人への恨みの浄化と感謝の深まりに取り組み始めました。
その後、「稲穂の心」の菩提心は深まり続け、恨みの浄化も深められていったときに、恨みの心が消えていってしまう奇跡を頂くことになりました。
恨みを抱いていた試練に対しても、感謝の思いへと転換していった時に、この試練があったからこそ本当に願っていた働きへと導かれてきたという思いを頂くことになりました。
12の菩提心のご著書に「稲穂の心」について次のように書かれています。
そのようにして恩恵の自覚を深める人は、必ず、世界に対する透明なまなざしと美しい志を得て歩むことができるようになります。その歩みは、さらに多くの実りをもたらすことになるでしょう。そして、その実りによってますます多くの恩恵を自覚するようになり、感謝の念を深めてゆきます。実りと感謝の循環を深めてゆくのです。
本当に、そのような状態に導かれ、人生の大きな選択をすることにつながってきていることを感じています。
具体的には、菩提心御守を頂いての神理実践が、ここまでの変化をもたらすことになるとは思いもよらなかったのですが、「稲穂の心」の菩提心を実践することで、先生がご著書に書いてくださっている「絶対にいけないゾーン」へと導かれているんじゃないかと感じています。
その歩みについてもお伝えさせていただく予定ですが、菩提心が開く無限の可能性を開花させるチャレンジに向かって参ります。
自分を差別してくるような人や、攻撃してくる人に対して、必ず思い知らせてやると思う時もあります。そしてその自信もあります。だけど宇宙はその人を通じて私の欠点を知らせていることを知ってしまったら、その欠点を探すことの方が重要です。欠点を見つけて修正することに励んでいると、その人は感謝したくなるほど味方に変貌します。具現のパラミタです。