人生史セミナー、卒活講座が終わって、その2週間後が春季の特別供養となっていました。
父の母(私の祖母)のご供養をすることにしていたのですが、この1ヶ月ほどの期間が、父にとっては大切な転換の期間になるかもしれないという思いを抱きつつ、ご供養の取り組みも深めてきていました。
Contents
コロナ禍におけるリモート会議の厳しいコメント
この旅の直前に、ある意味でご供養の期間とちょうど重なるように、会社ではここ数年なかったような厳しい人間関係のいざこざが続いていました。
コロナ禍にあって、リモートでの会議が続いていたこともあると思いますが、すぐに会議で自分のアウトプットに対して、厳しいコメントをいただくということが続いていました。
なんでこんなに理不尽な状態になるのか、なかなか受け止められない気持ちを抱えつつ、実家への帰路につきました。
飛行機で帰ったのですが、テレーズの反芻から始まった、『二千年の祈り』の霊的読書にじっくり取り組んでゆきました。
テレーズが自分を小さくすることで、神様の巨大な愛に触れていった歩みへの憧れを深めていったのですが、他の先人の歩みはどのような歩みだったのかな?と思い、その視点で読み返してみました。
アシジのフランシスコ 所有の断念による神とつながる道
最初に、アシジのフランシスコを読み返したのですが、冒頭の隠者の物語の後に次のような言葉がありました。
「神の畑に散り、それを耕し、清貧と愛と平和の種子を播きなさい。崩壊しようとしている世界を、もう一度強固にし、あなた方の魂を鍛えなさい。心を高め、怒りや野心や嫉妬を超えなさい。『私が』といつも言うのをやめなさい。『私』というこの恐るべき、飽くことなき獣を神の愛に従わせなさい。『私』は天国には入れない」
『二千年の祈り』 まったき托身-アシジのフランシスコ P38
このフランチェスコの言葉の中に、「嫉妬を超えなさい」という言葉があったことに気づきました。年初から嫉妬心のテーマに取り組んでいたので、改めて嫉妬心を超えるのはかなり難しいんだなと思いました。
更に次のようなことが書かれていました。
所有の断念、放棄によって、自分を世界に向かって完全に開き、世界とつながる道―。フランシスコが切り開いたその道は、簡単なようで誰も思いつかなかった道でした。世界とつながり、受け入れられるために、人は所有を求め、獲得に奔走するわけですが、それとは真逆の放棄によって無力となり、そのことによってかえって世界と深く結び合い、つながっていったのです。
『二千年の祈り』 まったき托身-アシジのフランシスコ P53
何も持っていない人でも、求めるなら、今すぐにでも神と直接つながることのできる道―。この小さな一すじの道が、やがて奢侈と堕落で退廃していた中世のキリスト教会に大きな影響を与えることになるのです。
ここを読んでいて、テレーズの自分を小さくすることで、神様とつながっていった歩みと、フランシスコの所有の断念によって、神様とつながっていった歩みはつながるように感じました。
フランシスコ・ザビエル 謙遜による神の偉大さを知りゆく道
更に、フランシスコ・ザビエルの歩みも深めてゆきました。
そして、何よりもザビエルを支え続けたものとは、まさに神、そしてイエスへの限りない愛と信であったと私は思います。
『二千年の祈り』 神への愛-フランシスコ・ザビエル P136
一人だったからこそ、彼は一層深く強く、魂の親としての神を求めずにはいられなかった。異郷の空を仰ぎ、神に語りかけ、神に尋ねた。試練多き人生だったからこそ、幾度となく神の名を呼びました。自分はいかに生きるべきか、いずこに赴くべきか-。すべての指針をそこに求める以外になかったのです。
そして、神の声を聴くためには、謙遜をもって己を空しくすることが何よりも不可欠でした。危急のとき、苦難のとき、あらゆるときに神が傍らにいらっしゃることを、彼は自らの身をもって実感してゆきました。神との信と応え-それが彼の宣教のすべての礎だったのです。
そして、いと小さき者としての自覚―謙遜の心の深まりはますます神の偉大さを知りゆくものとなり、霊的な深化への強い内的必然を呼び起こすものとなったのです。
『二千年の祈り』 神への愛-フランシスコ・ザビエル P137
ザビエルも謙遜を深めることを通して、神の偉大さを知る歩みを連ねられていました。
年末の「幸せな王子」のメッセージを通して、恩恵の自覚を土台として、愚かさの自覚を深めることが大事であることを、高橋先生に教えて頂いていたのですが、自分の中ではどのような感覚なのか、掴みかねている部分がありました。
しかし、テレーズマルタン、アシジのフランシスコ、フランシス・コザビエルの3名の生き様は、愚かさの自覚を深められていった歩みじゃないかと感じました。愚かさを深めるからこそ、神の偉大さを知ることができるんだなと思いました。
一見すると、愚かさの自覚を深めるというのは、自分のマイナスの面ばかりを見て、自己否定、自己嫌悪につながってゆくような印象があったのですが、そうではなく、神の偉大さを知るためには不可欠の歩みだったことが分かり、自分もそのように生きてゆきたいと憧れが深まってゆきました。
厳しい論争の中でも波動戦争に飲まれなかった先人への憧れ
更に、マルティンルター、ジャンヌダルク、内村鑑三と深めていったのですが、この方々は厳しい論争の試練の中にあっても、神との絆を確かにし続けられ、奇跡のような応えを導き出して行かれていました。
3名の姿に感動しつつも、同時に、自分はこの期間の試練の中にあって、こういった皆さんとは程遠く、人間関係のいざこざに飲み込まれた未熟な対応しかできてこなかったことが思い出されてきました。
それまで、会議の厳しいコメントという試練に対して、神理を学んできたのに、このような状態を起こしてしまって情けないと思っていたのですが、この試練こそ神との絆を深め、自分自身を鍛えるチャンスだったのかもしれないと後悔を深めました。
先人の生き様に触れ、試練の中にあっても、煩悩に飲み込まれることなく、一本の白き道をきり開けるようになってゆきたいと思い、試練を引き受ける覚悟が定まってゆきました。
そのような後悔と願いを深めつつ、実家に到着しました。
八ヶ岳 人生祈念館奉納の書類準備
今回のもう一つの目的として、八ヶ岳の人生記念館に、一族を奉納するために必要な、書類を完成したいと考えていました。
最初は戸籍の書類を入手したものの、見方が全く分からず、途方に暮れていたのですが、同じ生活実践のAさんは戸籍の専門家で、その見方を教えて頂き、父方は江戸時代の先祖まで遡ることができていました。
しかし、母方の方の戸籍は取り寄せていたのですが、まだ整理ができておらず、先祖代々のどこまで名前を書くか決めていませんでした。
また、最終的には早く亡くなった叔父も入れて11御霊になったのですが、それぞれ資料を書いて、父にもたくさんハンコを押してもらう必要があり、家にこもって資料の準備をしてゆきました。
ファミレスでの功徳シートの取り組み
ちょうど、GGP(グローバルジェネシス・プロジェクト研鑽)の功徳の意識化の期間であり、母も提出しないといけなかったのですが、なかなか書くのが苦手で取り組めていませんでした。
一緒にファミレスに行って、功徳の取り組みをすることになり、かつてはこうだった、今はこうなれた、なぜそうなれたのか、という視点で功徳を意識化してゆきました。
母も、人生史セミナーに参加できたことで大きな功徳を頂いており、ずっと恨んできたおばさんへの思いが感謝に変わっていました。しかし、そのことを功徳とは捉えられていませんでした。
何度も、何度も書き直しながら整理をすることで、人生史セミナーで転換した思いを、功徳として認めることができ、とても喜んでくれました。
父との実践報告の拝聴、先生のお言葉の謎の解明
功徳の取り組みが終わったところで父に連絡すると、既に家に帰ってきていました。
かつて先生が私にしてくださった実践報告を一緒に見たかったのですが、既にお酒が入っており、翌朝朝4時に起きて一緒に見る約束をしました。
そして、ご供養の日の朝、4時に起きて、一緒に映像を見ることにしました。
事前に、先生がボードに貼ってくださった言葉を、一緒に振り返っていったのですが、「親のことは許せない」というのはお父さんの思いであり、それが自分自身にも流れ込んできていたことを話しました。
そして、神理実践報告の映像を一緒にお受けしました。父が、外資系の商社で働いていたことは、最近教えてもらったのですが、先生は父を紹介するときに、「お父さんは商社で働いていた」と紹介くださっており、自分よりも先生のほうがお父さんのことを知っているねと話しました。
また、幼い頃のエピソードで、ずっと下を向いて歩き、電信柱にぶつかって足を怪我していたことを先生がお話くださっていました。
当時の自分は、あまりにも真っ暗な心だったため、 自分でも電信柱にぶつかっている自覚がなく、気づくと足にあざがいくつもできている状況でした。父は怪我をしていたことは知らず、母は、頭が大きいから、ぶつかっていると思っていたそうです。父と母、そして他ならぬ自分より、先生のほうが自分の幼い頃の気持ちも分かってくださっているねと話しました。
最後まで実践報告を一緒に見ることができ、自分の魂は、もともと「ニヒリズム」や「自分がいないほうが世界のため」という闇を抱えていて、その浄化を願って、あえて厳しい家庭環境を選んで生まれてきたことが実感できるようになったことを話しました。
また、対話の最後の方に、先生があたかも情景を見られているように、家の周りの風景や保育園のことなど話してくださったのですが、その中で「硫黄の匂い」とおっしゃっている所がありました。その言葉の意味がずっと分からなかったのですが、「硫黄の匂いって何?」と聴くと、絵を書いて説明してくれました。
自分が住んでいた武雄市は、温泉街で、温泉のお湯が通る水路が、家の下を流れていたそうです。それゆえ硫黄の匂いがしていたと教えてもらいました。自分は、生まれたときからずっとその環境だったので、硫黄の匂いがする自覚がなかったのですが、先生には武雄の硫黄の匂いまで伝わっていたんだと思いました。
父は、「なんで分かるんだろう」と不思議な思いになっていたのですが、先生が過去の記憶を読み解かれる、特別な力を持たれていることが初めて分かったようでした。
こうして、家族の気持ちが一つになったところで父にお願いしたところ、人生祈念館への奉納の書類を、一気に完成することができました。
ご供養する祖母の人生の引き寄せ
書類を書きながら、今回ご供養する父の母の親族についても話すことができました。祖母の父は、祖母が10歳の時に亡くなっていました。
その後、祖母の一族が没落し、裕福な状態から一転して厳しい環境に変わったことが引き寄せられてきました。
また、祖母は9人兄弟の6番目であり、多くの養子の兄弟もいました。
祖母の、父への差別的な関わりも、背景には多くの兄妹の中で愛されなかった、祖母の痛みがあったのかもしれないねと話しました。
こうして、家族との取り組みを終えて、九州本部のご供養の場に向いました。
九州本部での特別供養による恨みの浄化
九州本部には、1時間近く早めに到着してしまい、時間が余ることを心配したのですが、ご供養の書類を提出すると、九州本部で書かなければならない資料があることが分かりました。
待っている間に、手分けをして書いたのですが、ご供養の場に移動する直前にピッタリと書き終わることができました。
見えない次元に導かれている不思議を感じつつ、ご供養の場に向かいました。
今回、自分自身の中でちょっと今までと違ったなと感じた部分があったのですが、霊的な特別な体験がもたらされることを求めるのではなく、禅定の心で、雑念を流して神との一致、先生の身心との一致に意識を向けるようにしました。
すると、祖母が近くに来てくださっていて、何か温かいものが伝わってきているように感じました。そして、その愛情の光が父に届きますようにとずっと傍らで祈るような気持ちへと誘われてゆきました。
そうして、ご供養が終わって部屋を出るときに、インタビューを求められました。自分よりも父の思いを聞きたいと思い、父にインタビューを受けてもらうことにしました。
とてもニコニコしながらインタビューに応えていたのですが、「息子がおばあちゃんもあの世で後悔しているって言っていたから、母を許してあげようと思いました」と語っていました。
父にとってはとても大きな転換の機会になったんだなと思いました。
人生史セミナーで、モデルのKさんが親への後悔を語られる姿に触れて、父からも後悔の思いが引き出され、更に私の実践報告を見て、先生がボードに「親のことは許せない」という父のつぶやきを貼ってくださるのを見て、そして特別ご供養の場を通して、恨んでいた親を許す気持ちに導かれたようでした。
特別ご供養を受けたおばあさんも、あの世で、光の天使に同伴してもらって、人生を振り返り、後悔を深められていたと思うのですが、おばあさんにとっても深い救いと癒やしへと導かれたんじゃないかなと思いました。
闇の中でこそ輝く月の光 魂願との邂逅
帰りのフライトは、丁度夕暮れ時で、夕方から夜に変わってゆく様子の写真を収めることができました。
それまで月と太陽を比較すると、やっぱり太陽の方が良くて、月は地味で目立たない印象があったのですが、夜に変わってゆくグラデーションはとっても綺麗でした。
そう思うと、陽光の下での美しさもいいけれども、闇の中でこそ光の美しさは際立つんだなと思いました。
そういえば、お月さまも、お昼に白っぽく薄ぼんやり存在するときもあるけれども、夜の闇の中でこそ、輝きが増すことへと思いを馳せました。
闇の中でこそ輝きを増す月の光、それは苦しみの底にあって、ともにある人々を支える同伴者の心じゃないかなと思いました。先生は私の魂の願いの部分に、「同伴者として生きる」と貼ってくださったのですが、月の心と魂の願いが、ピタッと一つにつながってゆきました。
これまで一番多く頂いた神理カードは、「月の心」の神理カードだったのですが、陰徳が嫌すぎて、入会当初は別のカードを貰いに行ったことまでありました。
しかし、父に光が届きますようにと祈る心は、自然と自分自身にも光を注ぐことになってゆくんだなと気づいたのですが、ともに光へと向かうことこそが、陰徳で支える「月の心」の深いいのちなんじゃないかと思いました。
最も嫌だったカードが、魂の中心にある願いに20年かけて変わってゆきました。
普段の3つの「ち」に染まった心とは、真逆のような所に、魂の願いってあるんだな・・・、しみじみと感じられてきました。
同伴者として生きる願いが生まれてきた転生を超えた物語
旅が終わって東京に戻り、最後に『二千年の祈り』の冒頭の箇所に立ち返りました。
そこにはイエス様と弟子たちの思いのすれ違い、そしてイエス様の願いが書かれていました。
イエスの言葉が人々の心を打てば打つほど、イエスが起こす奇跡が評判になればなるほど、イエスを指導者として待望する声は高まりました。
『二千年の祈り』 礎となる魂-ペトロ 18P
しかし、イエス自身が見つめていたものは、違っていました。イエスは、そうした政治的な次元とは異質の解決を求めていたのです。
イエスはあくまでも魂の救いを念じ、神の心に応えることを考えていました。どうしたら人々は本当の神の心を理解するのか。どうしたらその心に応えて生きることができるのか。本当の神のすがたとは、当時の人々が思っていたような裁きの神、怒りの神ではなく、すべての存在を極みまで大切にする愛の神―。その神の愛に人々が目覚めることによって、魂の救いが現実となる。そのような現実を導くことこそ、自分の使命であると受け止めていたのです。イエスは、ユダヤの民をローマから解放する指導者ではなく、神に見放された存在と見なされていた貧しく虐げられた人たちを含むすべての人々の傍らを伴い歩む同伴者になることを願っていたということでしょう。
このご文章の中に、イエス様は本当の神の心を伝え、魂の救いを現実にしようとしてくださっていたことが書かれていました。そして、神様の本当のすがたとは、当時の人々が思っていたような、「裁きの神」ではなく「愛の神」であることを伝えようとされていました。
私の実践報告の最後の部分で、かつて様々な宗教を求めたがどこも「裁きの神」だった、しかし『祈りのみち』と出会い、『祈りのみち』に書かれている「愛の神」に触れて癒やされ、GLAに入会したことを高橋先生は話してくださっていました。
かつて先生に、魂の所以に遡る瞑想をしていただいたときに、イエス様に魅かれてついていったことが思い出されてきたのですが、かつてもイエス様と出会い、「裁きの神」ではなく「愛の神」を教えてもらって、救われた魂の一人なんじゃないかなと思います。
そして、今生も高橋佳子先生と出会い、かつてと同じように救われたんじゃないかなと何となく思っていました。
『二千年の祈り』に書かれているイエス様の物語と、先生が実践報告で私にお話くださったことが相似形のようになっている不思議を感じました。
そして、最後の方に、イエス様が同伴者になることを願っていたと書かれていたことを発見しました。先生は私の魂の願いとして、「同伴者として生きる」という言葉を貼ってくださっていました。自分自身の魂はきっと、イエス様の心が分からず、裏切ってしまった深い後悔と共に、ほんのかけらでもイエス様のように生きたいという願いを抱くことになったのではないかと思わずにはいられません。
そしてイエス様に憧れる思いが、今生の高橋佳子先生との出会いへとつながってきたことを感じました。
かつて、自分の働きは同伴者なんじゃないかと言われたときに、自分の専門性を否定されたように感じて執われていたことがありました。
でも、その執われた心こそ、イエス様の本当の願いが分からなかった愚かな心であり、その奥にイエス様、そして高橋佳子先生に憧れを抱き、同伴者として生きることを願う魂があることがつながってゆきました。
人生祈念館 奉納の書類の提出完了と思いがけない光転
東京に戻って、母と姉は早速ご供養の費用を振り込んでくれたのですが、先祖代々々で命日がわからない方が何名かいらっしゃり、父とやり取りしながら、命日も全部調べてゆきました。
全部の情報が揃って書類を提出することができたのが、ちょうど自分の誕生日と同じ日になってしまいました。
東京本部に提出させて頂いたところ、人生祈念館の奉納担当をされているUさんに、奉納の前後で大きく転換される方が多いことを教えていただきました。
なき親族が光の世界につながって、その光が届くのかな?と思い、人生祈念館に一族を奉納させていただくことは、それほど大切なんだと感じました。
実は、会議の厳しいコメントはその後もずっと続いており、年末からすると3ヶ月以上に渡って続いてきていたのですが、この東京本部への提出を境にピタッと治まってしまいました。
そして、ずっと願いながら、この10年、開かなかった道が、仕事においても、GLAのプロジェクトにおいても開かれてゆくことになりました。
こんなにもあからさまに変わってしまうのかと、驚くばかりだったのですが、3つの「ち」の「血」の浄化に直接的に関わる取り組みが、人生祈念館への奉納であることを実感しました。
奉納自体は、コロナが落ち着くと思われる1年後の豊心大学を目処に、取り組もうと考えているのですが、人生の栞への取り組みなど、家族で深めながら、八ヶ岳でのご供養へと向かって参ります。
もし、先に八ヶ岳の人生祈念館の奉納に取り組まれて、功徳をいただかれた方がいらっしゃいましたら、よかったら教えて下さい。お願いします。
私は「太陽の心」の神理カードを頂いくといつもガッカリします。人を愛することが苦手だからです。今回も「太陽の心」です。伝道も同伴者も特別供養も苦手です。私が「魂の学」を学ぶのは自分を愛する気持ちが強いからです。どんな転生だったのでしょうか?
がっかりする神理カードが何度もくるのは同じですね。本当に神理カードは一人ひとりに必要なカードが届けられるんですね。
junjinoさんにとって苦手なことも、きっと「太陽の心」の深まりとともに転生の物語の必然が明らかになり、変わってゆくんでしょうね。
今回、自分は「月の心」が魂願とつながり、最近も「月の心」がないから、ずっと失敗してきていたんだなーと思うことがあり、これからはずーっと「月の心」でもいいなと思うようになったのですが、引き続き「月の心」が高確率で来続けるのかどうか?続きが楽しみですね。
神理カードで一喜一憂するのは止めた方がいいと思います。私は他人から講演等後に神理カードを受け取るのを善しとしません。受け取った過去も無いです。
それよりも、これからはどう生きるかと自分で決定し人生を設計するべきだと考えます。こんな事主張するとブイヤンさん始めGLA会員から否定される場合もあるかも知れませんが、ミカエルナイズされない為にも、12の菩提心に囚われず、自分の目指すべき真実は、自分で探していく事が後悔しない生き方ではないでしょうか?
勿論GLAの思考は大切な人間としてあるべき主軸を有しています。だから持て余す過った性格を持つ人間には多大な反省を強いる接点にはなりうるし、もしくは活用し得ます。
「それでは心に人が住まないのよ」と言われ、ドキリとしてしまう位では、菩提心が何がいいかと考えるより、その競争心、もしくはそれを発言した嫌味人間を、心から退治する方が先決と考えます。
ハーツ ヘブンさん、コメントありがとうございます。
神理カードをもらって一喜一憂する、快苦の振動に飲まれる心は卒業してゆきたいですね。
菩提心への理解が少しずつ深まるにつれて、計り知れない叡智が一つ一つの菩提心の中にはらまれていることが少しずつ深められてきている道の途上です。
私も昔は自己流で、自分を変える方法を求めてきましたが、全然道が開かれない時代が長くありました。しかし、菩提心を深めることで、現実が大きく変わった経験があり、こちらの方が早道だなと感じています。