もうすぐ、ゴールデンウィークですね。
GLAでは、緑輝くこの季節に、八ヶ岳いのちの里で、毎年青年塾セミナーが開催されています。八ヶ岳では桜が満開の季節です。
写真は、八ヶ岳いのちの里の大講堂と桜です
全国から1000名を超える青年が集い、三日間、寝食を共にしながら神理の研鑽を深めるのですが、自らの魂の元々の願いに触れるユニバース体験をされる方も多くいらっしゃいます。
私にとっても、毎年のセミナーはかけがえがなく、本当に奇跡のような先生との出会いを頂いてきたのですが、なんといっても忘れられないのが、青年塾の歩みが始まった1995年の青年塾セミナーです。
今思うと、私の人生の道行きを決定づけたセミナーとなりました。
1994年の1月にGLAに入会したばかりだったのですが、94年の5月に、青年プロジェクトメンバー研鑽合宿がありました。(この頃は青年塾セミナーとは呼ばれておらず、91年に開催されて3年ぶりの青年のセミナーだったそうです)
当時は年に一度くらいしか先生と出会える機会がなかったため、その翌年の95年に開催された青年セミナーに、先生と出会えることを楽しみに参加しました。
そして、セミナー初日の夜に先生のご講演がありました・・・。
先生のご指導の直前に、今世界で起こっている問題の映像が流されました。
戦争、環境破壊、飢餓・・・。初め、映像を見ていて、「一部の人間が自分の利益しか考えないから、これだけ多くの苦しみが世界中に生まれている」という不満の思いがわいてきました。
しかし、次の瞬間
「お金持ちも、貧乏な人も、人間にとっての本当の幸せとは何か知らずに、みんな苦しんでいる・・・」
という想いが溢れてきてしまいました。そして、世界中の人々の苦しみが自分の中に流れ込んできました。
そして、顔を上げると先生が壇上に立たれました。
そのとき、「人類を救うのは、先生の説かれる三論(基盤論、自業論、響働論)しかない」という直感に打たれました。
その後のご講演は、「私は人類を救済される方と出会っている」という、張りつめるような緊張感の中で進んでいったのですが、この講演の中で先生は、21世紀のリアリティーについてお話し下さいました。
21世紀に生じる問題に対して、君たちはどのように受けとめているだろうか、躍動感は、緊張感は、不足感は、圧迫感は、・・・、人間は受けとめているリアリティーに従った現実を作ることになる、何も感じていなければ、応えることはできないことを話されました。
そして、先生の中には21世紀に対する身もだえするほどのリアリティーがあり、それは、1977年に先生が19歳でGLAを背負われた時と同じくらいに、強いリアリティを抱かれていることをお話し下さいました。
(1977年のことについては、真創世記「地獄編」や、天涙に書かれていますが、この当時のことを、先輩の会員さんにお聞きすると、少し聞くだけでも想像を絶するほどの試練を、19歳の先生は乗り越えられてきたことを感じました。)
そのようなお話の後で、次のように青年に問いかけられました。
「21世紀に対し、私と同じ切実なリアリティーを抱き、覚醒して生きる青年の誕生を待ち望みます」
私は、直前に先生は人類を救済される方だという直感があった後だったので、先生と同じリアリティーなんて抱けるはずがないと絶望しました。
95年のセミナーについて語られるときに、青年が腰砕けになったと語られますが、私もまさに腰砕けになって、自分には無理だ、三日間のセミナーはもう耐えられないと絶望的になりました。
その後の講演の中で、魂に眠る六つの智慧の玉を引き出すならば、青年世代はまだまだ未熟を多く抱え心の力も弱いが、歴史に名を残す人類の先達が様々な試練を乗り越えていったように、私たちも使命を果たせるようになる道を示して下さいました。
「自分には何もできないけど、もしかしたら、智慧の玉を磨いたら魂の願いを果たせるようになるのかもしれない」というかすかな希望を抱いて八ヶ岳を後にしました。
そこから、智慧の玉を磨く6回の青年塾のシリーズセミナーが始まっていきました。
当初、先生がシリーズセミナーにお越し下さるかどうかも分からなかったのですが、とにかく今までの自分ではいけない、何とかしなければという焦りだけがありました。
また、青年塾セミナーの映像を反芻すると、訳も分からず涙が溢れ、魂の願いを果たしたい、先生との約束を果たしたいという願いがこみ上げてきてどうすることもできませんでした。
そして、全てを横に置いて、シリーズセミナーの鍛錬に飛び込んでいきました。
最終的に、先生は全てのシリーズセミナーにお越し下さり、毎回毎回智慧の伝承をしてくださいました。
その歩みは、レボリューションという著作にまとめられています。
未熟で何もできない私たち青年に対して、先生がどれほどの想いで、青年塾を開いて下さり、そして青年を育んで下さったのか、そこに計り知れない愛情を感じ、先生への感謝の思いが溢れてきます。
人生かけて、頂いた恩恵にお応えしていきたいと願っています。