この10年ほど、特別供養は実家に帰って家族と一緒に取り組んできたのですが、八ヶ岳の奉納も終わって東京で取り組むことにしました。
地域お世話の働きを担うことになり、私自身も供養の同伴の働きをいただくことになりました。
八ヶ岳の奉納をさせていただいた時に、一族を光の柱に結んでいただく体験をさせていただき、司祭のはたらきはとても尊い働きだなと感じ、自分もいずれ司祭の働きができるようになってゆきたいと、憧れを抱くようになりました。
供養の同伴の働きを深めることは、その一歩になるんじゃないかな?と感じ、一つ一つ働きに心を尽くさせていただこうと思いました。
Contents
供養同伴を通しての感謝の祈りの深まり
今回同伴させていただいたOさんは、これまで何度か一緒にプロジェクトを担ってきた友人でもありました。
同伴の働きを担うに当たって、『新 祈りのみち』 の 「感謝の祈り」を深め、ご供養される御霊とOさんに光を送らせていただきました。
「感謝の祈り」は様々の集いの最後に祈られることも多く、数千回は祈ってきたんじゃないかと思いますが、すっかり暗記していました。
しかし、今回はじっくりと書写に取り組ませていただくと、その一節一節が心に深く染み入ってきました。
『すべてが
生かされ
育まれ
見守られているように
私も
生かされ
育まれ
見守られ
そして、導かれています』
『新 祈りのみち』 「感謝の祈り」
改めて大いなる存在、神仏がすべての存在に愛を注ぎ、見守られていたことが意識化されてゆきました。
また、書写をしながら一言一言深めることで、改めて気づいたんですが、「そして、導かれています」とあり、私は見守られているだけでなく、更に導かれていたことに気づかせていただきました。
祈りの後半に
『私に注がれた光を
他に伝えることができますように
私にもたらされた恩恵に
報いることができますように
私を支えてください』
という一節があるんですが、私に光が注がれているから、その光を他に伝えることになるんだなと思いました。
黒は、光を吸収してしまい、周りに光を照らすことはありませんが、白は光を反射するなあと考えたんですが、内なる闇が浄化されて、光に転換していった時に、自然と頂いた光を世界にお返しするようになるのかな?と思いました。
「月の心」の菩提心の中に、回向返照について書かれていますが、神様の心に近づいてゆくと、自らが浄化され、自然と光を照り返すようになってゆくのかもしれないと思いました。
朝磁石を通して更なる功徳の意識化の深まり
この時期は同時に、朝磁石を開催していました。
私も、地域の朝磁石の発起人となっており、ZOOMを担当していたこともあって、毎朝必ず参加するようになっていました。
朝磁石のプログラムの中で、必ず「功徳の意識化」のミーティングに取り組んでいたのですが、ちょうどご供養の感謝を深める期間とも重なっていました。
毎朝、朝磁石で功徳を深め続けていると、その光が自分の内側に蓄積していくように感じられてきました。
朝磁石を始めた頃は、数回功徳を深めたらそれ以上は語れなくなってしまうんじゃないかな?という懸念もあったんですが、実際に取り組んでみると、功徳がずっと深まり続けることになりました。
先生から、功徳を頂きすぎていて麻痺している、とお聞きしていたんですが、本当にそうだったんだなと実感するようになりました。
このような歩みを深めつつ、ご供養同伴の取り組みを深めてゆきました。
ご供養の同伴を通しての「観音の心」の菩提心の実践
Oさんがご供養の場に参列されているときは、コロナの影響で同伴者は一緒に参烈できなかったこともあり、平日で仕事をしていました。
Oさんのご供養の時間が近づくにつれて、ここ数年、あまり経験したことがないような、非常にしんどい状況になってゆきました。
ちょうど、ご供養の時間が苦しいピークだったのですが、その時に自然とこれまで深めてきた、感謝の祈りの言葉をずっと心に唱え続けていました。
感謝の祈りが結界のようになって、自分の魂を守ってくれているように感じました。
後で、Oさんにお聞きすると、亡くなられた方の苦しみが感じられてきたといったことを話してくださったのですが、私も一緒に受け止めさせていただいていたのかなと感じました。
今年は、「観音の心」の神理カードを初めて頂いており、次のように書かれています。
『「観音」のごとき慈悲の心を育みます。
人々の苦しみを引き受け
その仏性を守るために』
「観音の心」の神理カード
神理カードは頂いていたものの、あまり自分に引き寄せることはできていなかったのですが、ご供養の同伴を通して、魂の仏性を守るために、苦しみを引き受けるということが、どういうことなのか深めさせていただいたように感じました。
特別供養の場を開いてくださった先生の御心へのアクセス
お一人の方を同伴させて頂くだけでも、ご一緒に痛み、苦しみを引受させて頂くことになり、大変なことなんだなと感じたんですが、その全体を引き受けてくださっている先生には、どれほどの重さを背負われているんだろうかと思うと、とても想像できないほど大変なんだろうなと感じられてきました。
かつて、先生が自ら命をたってしまい、地獄の深い所で苦しんでいた叔父さんを救ってくださるのを見せていただいた時に、大変なエネルギーをかけて地獄の底を探してくださったと、叔父さんの魂から伝わってきたことがありました。
また、特別供養が開かれる時に、先生が30日30夜、不眠不休で神様に祈り続けてくださり、ご供養の場を神様が開いてくださったとお聞きしたことがあったのですが、どうしてこの場を開くことがそんなに大変なことだったのかは、あまりわかってはいませんでした。
しかし、特別供養の場で、先生がどれほど深い闇を光に転換してくださっているのかが少し感じられるようになってきた時に、先生が不眠不休で祈り続けてくださった御心があって、初めて特別供養が開かれたことが引き寄せられてきました。
一回一回、特別供養の場でいただく体験を、ありがたく刻印し続けたいと思いました。
供養同伴を通していただいた功徳の意識化
また、今回の供養同伴を通していただいた功徳いついても改めて意識化してみました。
Oさんは、ご自身のミッションワークに向かうために、これまで勤めていた会社を辞めて、新たに学校に通われていました。
勉強が忙しいこともあり、プロジェクトにもあまり参加できなくなり、この選択で本当によかったんだろうか?と迷われつつ、ご供養に取り組まれていました。そして、自分の使命に確信が持てないという点は自分と似ているなと感じました。
私自身、かつて願いへの道が開かず、ずっと空回りしているように感じる期間が長くあり、このまま自分は何も果たせず終わってしまうんじゃないかという不安を抱いていました。そう思うと更に焦ってしまい、悪循環をしていました。
今回、Oさんは使命の働きに向かって着実に歩まれているなと感じられて、同時に私自身も、相対的に使命の働きへと導かれてきていることが感じられてきました。
特別供養は、供養をされるご本人だけではなく、同伴者も一緒に癒されるとお聞きしたことがあったんですが、本当にそうなんだなと感じられてきました。
次は、もっと同伴する側の必然があることを信じて、ご一緒に取り組みを深めてゆきたいと思いました。
供養同伴者との出会いの深まり
供養の同伴のはたらきを後智慧まで環に結ばせていただいた後で、私自身の特別供養の取り組みも深めてゆきました。
私自身にも供養の同伴者としてYさんがついてくださり、祖母の供養のことで同伴をいただくことになりました。
改めて、これまでの特別供養での体験や、八ヶ岳の奉納のことなどお伝えすることになりました。
3つの「ち」についても分かち合うことになり、幼い頃のことなども分かち合ったのですが、Yさんは武雄で仕事をされていたこともあり、先生から対話を頂いた時に、武雄の様子を話してくださったことも分かち合いました。
その流れの中で、自然と2006年の神理実践報告での先生との対話の映像なども見ていただくことになり、私自身も改めて映像を反芻することになりました。
家系図を振り返りながら、改めて私自身に流れ込んできている宿命の重さについて、深めさせていただくことになったんですが、映像を見返していて、改めて本当に重い宿命から使命への道へと導かれていることを実感しました。
また、2006年の実践報告から、20年近く経とうとしていますが、その後2014年前後に非常に大きな問題に巻き込まれて、大変に苦しむことにもなりました。しかし、ここ数年で大きく光転へと運ばれてきており、本当に導かれての歩みを頂いている実感を深めさせていただきました。
八ヶ岳への親族の奉納をさせていただいたことが、光転への大きなきっかけとなっているように感じていますが、それは、3つの「ち」の流れを転換することにつながっていたんだなと感じました。
Yさんのお仕事についても教えていただくことになったのですが、仕事の技術を活かして、GLA共同体の中での会場のレイアウト関連のプロジェクトも担われていました。
この10年ほど私の方でも技術を蓄積してきており、仕事でもデザイン領域で評価されるようになってきたことをお伝えしたところ、私の技術も役に立ちそうだったので、要望を頂いてから、試作品を作らせていただきました。
祖母の人生の背後にあった苦しみの引き寄せ
これまで、父からは祖母のことはあまり聞けていなかったので、ご供養の当日の午前中に、おばさん、おじさんに電話させていただいて、色々と教えていただきました。
戸籍を調べると、祖母のお父さんは祖母が10歳の頃になくなられていたんですが、なんでそんなに早く亡くなられたのかは謎でした。
そのことについても、祖母の父は事業で失敗し、それから一気に裕福な状態から没落してしまったことを教えていただくことができました。
そして、その苦しみから祖母の父は自ら命を絶たれていたことも教えていただきました。
父の死の原因について、祖母にも長い間知らされていなかったそうなんですが、あるご供養の時にそのことが明らかになってしまい、大変な修羅場になった事件があったことも教えていただきました。
祖母の一族にも、深い痛みがあったことが初めて見えてきました。
祖母の父は、昨年の八ヶ岳人生祈念館の奉納の際に、先祖代々の御霊の一人として奉納させて頂いていたんですが、まさかそのような背景があるとは、夢にも思っておらず、光の柱に結ばせていただいた時に、救っていただいたんだろうなと思いました。
またおじさん、おばさんからは、今も続いている親族間のゴタゴタについても、教えていただくことになりました。
父と父の兄の兄弟げんかが昔から凄まじく、その様子に祖父母も怯えていたことや、それだけ仲が悪かったにも関わらず、2人の共通点があることなども教えていただくことになりました。
改めて、私自身に流れ込んできた、3つの「ち」の重さを深めることになったのですが、その重さを感じつつ、2006年の神理実践報告を、祖母と一緒に受ける気持ちで改めて反芻させていただきました。
背負った闇が、神理実践によって光へと転換してゆく、カルマとしてのニヒリズムが、魂願としての同伴者となる願いへと転換してゆくのを見せていただきました。
改めて、先生と出会ってどれだけ救われ、願いを生きられるように導いていただいているのか、その恩恵を確かにしつつ、ご供養の場に望ませていただきました。
ご供養の場でいただいた「魂の尊厳」の発見
ご供養をお受けしながら、祖母から流れ出した影響によって、今も争いが続いていることに対して、祖母はどのように感じられているんだろうかと思っていました。
色々と問題があるけど、後悔されているんだろうか・・・、なにか重い現実を引き受けることができず、祖母を責めるような気持ちも少なからず抱いてしまい、悶々とした思いとなっていました。
しかし、ある所から、流れ込んできた「ち」の流れによって、未だに苦しみは続いているけれども、それを引き受けている、一人ひとりの魂の尊厳があるという思いがどこからか伝わってきました。
自分を振り返っても、確かに3つの「ち」によって、大変な苦しみを背負うことにはなったのですが、そのことへの恨みというよりも、私自身の魂は厳しい条件を背負うことを願って生まれてきたんだろうなと思うようになっていました。
人生=X x Y
苦しいことを引き受けることも魂の願いであり、そこには冒すことのできない、一人ひとりの魂の尊厳があることを、祖母に教えてもらっているような気持ちになりました。
そのような温かい気持ちで、今も生きている子供たちの人生修行の歩みを見守ってくださっているように感じられてきました。
更に、おばあさんにとっては、八ヶ岳の人生祈念館に奉納していただいたことが本当に歓びだったようで、その感謝の思いがひたひたと伝わってきました。
改めて人生祈念館に奉納させていただいて、本当に良かったなと、実感を深めてゆきました。
改めて、功徳を意識化し、世界に光を届ける使命の働きへ
東京で、一人でお受けすることになった特別供養でしたが、同伴していただく必然、また同伴する必然があったことが見えてきました。
また、この期間に同時に取り組んでいた朝磁石の功徳の意識化として、八ヶ岳の奉納の功徳についても、何度かお話ししていました。
ちょうど、この記事を書いている最中に、その時に出会っていた方から連絡があり、今年の夏に、先祖代々の御霊を、人生祈念館に奉納することになった喜びを伝えてくださいました。
朝磁石は、毎朝結構大変だったんですが、お1人の方が、親族を八ヶ岳に奉納される出会いにつながっただけでも、本当にやっていてよかったなと感じました。
更に神理実践を深め、功徳を意識化し、世界に光を届ける使命のはたらきに向かいたいと思いました。
目の前の現実って暗転でもなければ光転でもない、尽くすべき因縁が横たわってるだけのカオスです。鍛錬によって培われた境地、つまり因を整えて縁に対して「神対応」するだけです。煩悩地図の四つのゾーンのまま対応すると四つの現実になってしまう、それだけのことです。
神対応するのが、神の心の12の側面としての、12の菩提心ですね。私も菩提心を生きて、光転の現実を生み出したいですね。