2019春季八ヶ岳いのちの里研修:魂の中心にある約束によって導かれた現実
今年のゴールデンウイークも、2019青年塾セミナーがあり、春季八ヶ岳いのちの里研修が併設して開催されることになりました。 ...続きを読む
2019年8月14日
The Path to Bodhisattva, One GLA Member's Story.
生まれるならば、誰もが自らの魂の願いである「魂願」と魂の未熟である「カルマ」を忘れる。そして、両親、地域、時代からの3つの「ち」を吸い込んで、人生を始めることになる──。こうした人生の始まりを「宿命の洞窟」と呼びます。
私たちは、自らの魂がどうしても果たしたいと願っている「魂願」と、魂の未熟である「カルマ」という2つを抱いて生まれてきます。そして、生まれるならば、誰もが「魂願」と「カルマ」を忘れ、3つの「ち」と呼ばれるものを引き受けることになります。
3つの「ち」とは、両親や家族から流れ込む価値観やものの見方・考え方といった「血」と、地域から流れ込む価値観や風習といった「地」、そして時代の知識や気分といった「知」のことを言います。
この3つの「ち」は、自分がつくったものではなく、これまでの先人や人類がつくり出してきた発展途上の価値観や考え方、前提にほかなりません。ですから、私たちは誰もが、その発展途上のものを引き受けて、そこに埋没することになる──。こうした人生の始まりを「宿命の洞窟」と呼びます。
そして、「宿命の洞窟」の中にあるとき、「魂願」よりも、「カルマ」の方が優勢になってしまいます。「新しい生き方をしたい」と願っても、なかなかうまくゆきません。「何度も何度も同じような失敗をしてしまう」「たとえ人や場の条件が変わったとしても、同じような状況を繰り返してしまう」──。まるで大気圏から出ることができないロケットのように、「宿命の洞窟」は私たちを縛る重力を生み出しているのです。