GLA創立50周年記念劇「高山右近」 馬の宿命から使命への物語

GLA50周年記念の劇、高山右近において、先生より霊操への取り組みを降ろしていただいて、かけがえのない宿命の洞窟くぐりの鍛錬の時をいただきました。ご一緒に歩ませていただいた皆様、先生、神様への限りない感謝を持って分かち合わせていただきます。

Contents

馬の試練のはじまり

今年の劇チームのウイズダムづくりが始まった時に、たとえ台詞のないお役であっても、先生から頂いた大切なお役のいのちを生きたいねと話し合っていました。

本当にそうだな、どんな役も尊いと思って臨んだ劇チームだったのですが、自分の想定を超える試練をいただくことになってしまいました。

それは劇チームでも、最も担いたくない働きであった、馬の後ろ足のお役でした。

当初、劇チームに参入したのは、CGの働きを担うことを想定しており、専門応力をもってお応えしたいと考えていました。劇チーム参入の誓願にもこれまで以上に、専門能力でお応えすることを書かせていただいていたのですが、馬のはたらきは専門能力とは最も遠い働きであると思いました。

お役を頂いた時から、いきなり手を抜きたい衝動に駆られ、その後もずっと葛藤が続きました。

馬の宿命の洞窟からの脱出

流石にこのままではまずいと思い、馬のチームの皆でウイズダムに取り組んだのですが、他のみんなも、卑屈な思い、投げやりな思いが山のように出てきました。

それを、一つ一つ菩提心へと転換していきました。宿命の真っ暗闇の洞窟の中で、ウイズダムに取り組んでいったのですが、願いを深めていく中で、あるヴィジョンが見えてきました。

それは、真っ暗闇の洞窟の中にいる馬が、使命の地平に向かって飛翔していくペガサスに変身するイメージでした。絶望的な思いに飲み込まれつつ、何故か絶望の底で、希望の未来が開かれていく不思議なヴィジョンが感じられてきました。

試練の中でアクセスしたペガサス(3Dモデルから画像取得)

ただ、ウイズダムを書いて、因の転換をしたものの、その後も事あるごとに、卑屈な思いが数カ月間引き出され続けることになりました。

まだ、馬の格好をして、馬の着ぐるみの中に入っている時は、自分の姿も隠れて、それなりに役に立っている感じがしていいのですが、馬のきぐるみもなく、馬をやっている想定で役者さんの演技のそばで下を向いている時は特に恥ずかしい気持ちになりました。

本当は、馬の中に入っているときのように、腰を曲げたほうがいいのかなと思っても、そのような格好になることが恥ずかしくて、そのまま突っ立っているような時もありました。

前足の人は、首の部分に入るため、そのまま立っていればよく、前足で感情を表したり、頭を動かして表情を出したり、鳴いたりできます。また首の部分には窓が空いていて、外の様子を見ながら、立ち居地をコントロールするはたらきもあります。

しかし、私が担った後ろ足は、地面しか見えません。
動きもかなり規制されていて、前足に合わせて動くくらいしかできません。
しかも、姿勢としては、腰を曲げて、頭を下にずっと向けているために、長時間入っていると頭に血が上ってきて、フラフラ倒れそうになります。

嫉妬のテーマの浮上

肉体的苦痛もさることながら、精神的な苦痛は遥かに大きくありました。

同じ集中部門の仲間と比較することもあったのですが、元々担いたかったCGに対する葛藤は馬の惨めさとセットで現れてきました。

ここまで仕事でも20年以上3D作成の専門能力を高め、個人でも時間もお金も投資して技術を蓄積してきたのに何でと不満と卑屈さを噛み締め続けることになりました。

つぶやきとして
「こんな働き誰がやってもいいんじゃないか、一生懸命やることなんてどうせ誰も求めていない」

「自分は必要とされていない、嫌われているんじゃないか」

「辱めを受けているとしか思えない、晒し者にされる惨めさに耐えられない、早く終わってほしい」

「何でこんなにバカにされる働きばっかり与えられるんだろう、悪意があるとしか思えない」

「惨めになるだけだから、関わらないでほしい、放っておいてほしい」

そのような思いに飲み込まれ続け、すがるように神理実践シートに取り組み続けることになりました。

善我を生きる挑戦起動

カルマの繰り返しとしては、「卑屈-愚痴」になっていたのですが、合同セミナーで降ろしていただいた、「素直―懸命」の善我を生きる手がかりに何度も回帰し続けました。

「これはきっと助力が働いている、嬉しい、ありがとう」と口に出し、日常の行動から変えていきました。

善我を育む行と共に役者チームの皆で取り組んだ光を送る行にも無理やり取り組みました。

結果として劇プロジェクトの間中、ほぼ毎日のように取り組むことになったのですが、自分のことを低く評価していると思う皆さんや、CGチーム、御縁のある皆さんに光を送っていきました。

光を送っていると、不思議ととらわれる心が少しずつ小さくなっていくように感じました。そしてある時に、自分が被害者だと思っていたけど、嫉妬の炎によって皆さんを傷つけていたのは自分の方だったという後悔が深まったことがありました。

こうして馬の宿命の洞窟の中で苦しみながらも、そこを脱出するための行に取り組み続けていきました。

宿命の洞窟に飲み込まれていた馬が、使命の地平に向かって飛び立っていくペガサスとなっていくヴィジョンに向かって馬のチームでも展開終了後に、未来地図に取り組む時間を持ちました。卑屈さを抱えつつも未来に思いを馳せ、1年後、5年後、10年語の未来の青写真にアクセスしていきました。

自分自身の専門能力の再評価の始まり

卑屈さを転換する歩みの中で、当初あきらめていた、専門能力での共同体への貢献についても変化が起きてきました。

これまで、約20年ほど、会社では3Dモデル作成のエキスパートとして、仕事をしてきていたのですが、会社のCADは高級車が買えるくらい高価なので、個人での導入を諦めていました。

しかし、最近登場してきたFusion360は、個人とスタートアップは無料で使えることがわかり、この20年仕事で鍛錬してきた技術が、ほぼそのまま活かせることが分かってきました。

共同体の中で最初にこの技術を活かしたのが、他ならぬ馬でした。

最初に鍛錬合宿で馬を動かしたときに、何度もひっくり返りそうになりました。

Fusion360の静解析を使い始めていたこともあり、会社で私の隣の席のCAE解析のエキスパートの方に、馬の解析方法について相談したところ、具体的なアドバイスを頂きました。

その内容とともに、3Dプリンターも導入して実物で検証し、レポートとしてまとめて提案させていただきました。

結果として、提案が受け入れられて、簡単にはひっくり返らない、安全な馬へと生まれ変わることになりました。

先日、ご生誕の集いの時に、先生が馬に乗られていたことが初めて分かり、安全な馬に改修しておいて本当に良かったなと思いました。

この提案を通して、他のアートの方からも、3Dプリンターのニーズが他にもいくつかあったことを教えていただくことになり、お手伝いさせていただく可能性が広がっていきました。

同時に、Fusion360と3Dプリンターを調べる中で、3DプリンターはAIと相性がよく、自動設計の領域が欧米ではかなり進んでおり、量産開発にも使われ始めていることなど、仕事にも役立つ情報を得ることができました。

先生から「仕事でやってきたことが、共同体にも役立ちます」とお言葉を頂いたことがあったのですが、自分のやってきた仕事内容に対して、自分自身が卑下しており、本来の価値が分かっていなかったことを改めて感じました。

仕事における専門能力の再評価への連動

この5年ほど、3Dモデリングの上流のMBSEの技術を習得し、業務での適用先を探してきたのですが、相性のいいシミュレーションの領域が見つかって、コラボレーションすることで、仕事で役立つ成果が実証でき、そのプレゼンが評価されることになりました。

仕事においても、プロジェクトにおいても、「卑屈-愚痴」を「素直-懸命」へと転換する中で、再結されていく歩みが、連鎖して起こっていくことになりました。

右近の信仰の謎の核心へのアクセス

ちょうどこの時期、これまでもやってきた、東京の音楽教室の皆さんが東北の震災を受けた子どもたちを励ますボランティア活動で大船渡に行きました。

幼くして幼児虐待を受けて保護されてきた施設の子どもたちと手をつないで歌おうとすると、子どもたちの体験した苦しみが自分の心に流れ込んで来るように感じ、嗚咽するのを必死に堪え、祈るしかない心境に導かれました。

私自身、幼い頃母から折檻を受けて食事を食べることができず幼稚園で倒れことがあり、2006年の神理実践報告の中で、先生はその時の情景をお話くださったのですが、なぜそのお話をされたのかずっとわからずにいました。

しかし、この子たちにがつらい目にあっているときも、自分がそうだったように、見えない次元の天使たち、神様はずっと見守ってくださっていた、あの時、先生がもう一つの次元のことを教えてくださったのは、13年後のこの出会いに向けて、一切の存在が神様、イエス様に愛され、見守られていることを教えてくださっていたんだ。改めて先生の御心と出会い癒され、同時に右近が忍土の中でイエス様との絆を深められたことが引き寄せられ、右近の歩みについて書いてくださっていた「階梯」の信仰の深まりの謎が解けていきました。

嫉妬心の謎の解明へ

また東北に行ったことで、25年間続いてきた青年塾の歩みで、初めて青年塾にいけなくなる試練を頂いたのですが、その呼びかけを受け止めて行った所、自分の中に青年塾で蓄積されてきた嫉妬心、比較競争の心があったことが見えてきまし。

そこで劇だけでなく、青年塾に対しても浄化のために光を送る行に取り組んでいったのですが、馬を担う恥ずかしさも、かつての青年塾時代の自分と比較し、周りの眼差しを気にしていたことが見えてきました。

こうして、ようやく嫉妬心の根本にあった原因が明らかになってきた頃に、霊操の提出の呼びかけをいただきました。

イエス様の受難の引き寄せ

劇の期間に、道具チームのSさんとの信仰というテーマでやり取りをさせて頂いていたのですが、右近の霊操を通して、イエス様の受難についても深めていきました。

「イエスが訴えたのは一人ひとりと神との再結(絆の結び直し)であったにもかかわらず、宗教的な異端者ですらなく、一人の政治犯として、すなわち国家転覆を企てる反ローマの犯罪者として裁かれ、死刑を宣告されました。人々から見捨てられ、蔑まれた、人生の終焉だったのです。」

高橋先生のご著書『二千年の祈り』 のこの文章を読んでもイエス様の受難を引き寄せられなかったのですが、馬の試練の中で、弟子に裏切られ、宗教者ではなく国家転覆の政治犯として処刑されたことが引き寄せられ、そんな試練の中にあっても神への揺るぎない信仰を貫かれ、自らの命を奪うものに対しても愛を注がれ続けていかれたイエス様のことが引き寄せられていきました。

そして、イエス様の受難に比すれば、馬を担う恥ずかしさなんて、本当に小さな試練であったと思うようになり、馬の試練は、主の苦難を引き寄せるために、自分にとって必要な試練と思うと恥ずかしさが消えていきました。

そして、右近もかつてイエス様の弟子として、後悔を深めていった歩みがきっとあり、高山右近として生まれてきてからも、信仰者として後悔を深められていったんじゃないかなと思いました。幾転生も続いてきた、右近の信仰を深め続けてきた歩みが自分自身に引き寄せられていくことになりました。

13枚目の神理実践シートによってもたらされた転換

こうして、どうせ馬だからと諦めていた専門能力で共同体にお応えする道も、馬の強度解析レポートの提出を起点として、3Dプリンターでの検証とともに、先輩との響働へ導かれていくことになりました。

仕事においても右近の貫かれた信仰を実践しようとチャレンジした結果、チーム内での響働、チームを超えた響働によって、何度も失敗してきたプレゼンが成功に導かれることになりました。

こうして迎えた伝研の劇だったのですが、劇の上演の直前に、13枚目の神理実践シートに取り組みました。

これまで、カルマのつぶやきがあふれるように出てきていたのですが、暗転のつぶやきを書くべきところに馬の修行を与えていただいた感謝の思いを思わず書いていました。

馬の働きを頂いたからこそ、光を送る行に取り組めたし、右近の歩みの霊操、イエス様の受難を引き寄せることができ、そして未来地図の青写真へのアクセスし、仕事においても、プロジェクトにおいても願いへと導かれていきした。

そのような思いが溢れてきて自分でも驚いたのですが、馬の試練はいつの間にか、恩恵へと転換していきました。そして、劇の上演となったのですが、これで最後だと思うと名残惜しさを感じつつ、最後の舞台を淡々と終えることができました。

宿命の洞窟から使命の地平へ運んでくれていたペガサス

翌朝、早く起きて地上の星に向かいました。到着して、祈りをしようと思い、ふと『新・祈りのみち』 を開くと、「大自然・生きとし生けるものへの祈り」が開かれました。

これもなにかの呼びかけと思い、読んでみました。

「今日このとき
決して生きとし生けるものの
在りとし在るものの
かけがえのなさを忘れないように
わたくしの心深く刻んでください。」

いのちのかけがえのなさに思いを馳せていくと、天上の楽園のような世界で馬が神様の愛に包まれている様子が伝わってきました。一切の魂を抱くいのちが、神様の愛に包まれて、大切にされていることが感じられてきて、涙が溢れてきました。

馬に注がれている神様の愛を感じた時に、馬の働きを差別していた自分の心の闇が感じられてきました。

宿命の洞窟の中で、差別していたのは自分の方だった、馬は神様の使者、ペガサスとして、一切は神様に愛されていることを教えに来てくれていたんじゃないかなと感じました。

そうして、ふと空を見上げると、真っ白い大きな鳥が、人生祈念館の横の森の上を飛んでいくのが見えました。ほんの2~3秒の出来事だったのですが、八ヶ岳にこんな鳥いるんだ?と思いつつ、その瞬間、「私はここにいる、ずっと見守っているよ」そのような思いが伝わってきて、神様の愛に包まれていきました。

そして、宿命の洞窟の中で苦しんでいる自分のことをずっと神様が見守ってくださっていて、その自分を救うために、神様の使者としてのペガサスが、神様の御心の次元へと運んでくださっていたことが感じられてきました。

涙とともに、宿命の洞窟から救っていただく、特別な鍛錬の時を与えていただいていた感謝の思いが溢れてきました。

この劇の期間、先生が命がけでシナリオを改定され続け、指南書を書き続けてくださっているのに、私自身は自分の試練にとらわれている申し訳無さを感じていたのですが、そんな愚かな弟子であったとしても、先生は宿命の洞窟を超える道へと導き続けてくださいました。

高山右近が自らの未熟と対峙し続け信仰を貫かれていったように、どこまでも師の御心にお応えできない後悔を深め、信仰を深めて参ります。

先生、神様、神の使いのペガサス様この期間のお導き本当にありがとうございました。

劇終了後にアクセスしたペガサス

4 thoughts on “GLA創立50周年記念劇「高山右近」 馬の宿命から使命への物語”

  1. 私は職場の中では馬のような立ち位置です。働かない気の利かない愚鈍な馬を長いことやってきました。ところがハンドクが仏陀に出会ってからのように、素直で一生懸命な馬になれたんです。いつか心塵脱落の境地をもって心を込めて生きる人となりたいと思っています。

    1. Junjinoさん、ハンドクが仏陀と出会ったように、Junjinoさんも高橋先生と出会って人生が根本から転換していかれたんですね。
      私も先生と出会っていなかったらと思うと、5年前の自分と比較しても、全く変わっていて、最近そのことに気づいておそろしくなったのですが、25年前となると、本当に大変なことになっていると思います。それこそ、殺人鬼のアングリマーラーがお釈迦様に救われた位、救われていると思います。GLA 周年50年を経て、お返しすることに心を尽くしたいと思います。

  2.  近頃、男児を出産した数えで22の娘がこう言うのです。
    「父ちゃんの仕事(設備、冷凍機、医療機器のサービス)をする人がいなくなったら世の中大変なことになる。なのにスポーツ選手や芸能人のほうがはるかに高収入なのって何?スポーツ選手や芸能人がいなくなってもすぐには困らない」
     但、娘は両親からの3つの「ち」を須く盛大に吸い込んでいるだろうし、おそらくそのうえでの物言いでしょう。

    1. もりさん、娘さんから仕事の事で、そこまで尊敬されているのは素晴らしいなあと思いました。
      私もずっと陰徳の仕事をやっていて、評価されない理不尽さを感じることもあったのですが、それでも先生の神理に従って、人生最高峰カオスへのチャレンジに向かった時に、陰徳の仕事も、魂にとっての必然に少しずつ変わってきています。
      3つの「ち」の中には、唯物主義、拝金主義もあると思いますが、娘さんが魂のことを深くご存知になると、考えも変わられると思いました。

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