2019春季特別供養:救われたお祖父さんとの響働による人生祈念館への道

3月は、大きな試練から始まったのですが、2019春季特別供養を通して大きな気づきをいただきました。

その一ヶ月ほどの歩みを振り返らせていただきます。

Contents

後悔の深まりと生き直しへの願いの深まり

これまで、The GATE SRSのセミナーに参加させていただいてきたのですが、セミナー以外にも、地方会という登録制の研鑽があり、参加してきていました。

各タームの最後に総括研鑽があるのですが、参加した際に 先生のご教材シートに改めて取り組ませて頂いたときに、自分は事態をカオスと受けとめていなかったんだなあと、後悔が深まった部分がありました。

その気持で、総合本部本館で開催された陽春の集いで、先生ご講演をお受けすることになりました。

H社長の神理実践報告をお受けしていて、H社長が倒産して路頭に迷う社員を見た時に、自分にもっとできたことがあったんじゃないか、申し訳ないと後悔を深められていたのですが、そこから転換が起こっていったように感じました。

後悔を深めることの大切さを改めて教えていただいたのですが、振り返ると、それまでグループのメンバーが問題で、自分は悪くないと思っていたのですが、皆の可能性を引き出さなかったのは自分の責任だったんじゃないか・・・、本当に申し訳ないことをしてきてしまったという後悔の思いが初めて感じられてきました。

皆が悪いと思っている間は、MBSEを会社の中で推進する側に回れてきていなかったことが感じられてきました。

そのような気づきがあり、生き直しをしようと願った翌日に、会社で立て続けに大きな問題が発生しました。

職場で同時多発的に発生した4つの問題

はじめに、一緒に仕事をしてきた方が、打ち合わせの途中で切れてしまって、そのことが上司にまで伝わってしまって、そもそも私の仕事のスタンス自体がなってないんじゃないかという話になってしまいました。

その他にも導入したシステムに対する課題、MBSEに対する上司の不理解の問題など同時多発的に表面化してしまいました。

地方会に参加し、陽春の集いでこの5年間の仕事における後悔が深まって、生き直しに向かおうと願いを立てた翌日にこのような問題が一気に勃発し、一体何の呼びかけだろうと当惑しつつ、夜の合唱団の発足会に向かいました。

プロジェクトの誓願で定められた中心の願い 先生だったらどうされるかに倣う

合唱団のプロジェクトは、GLAの聖日で演奏の機会がある時に結成されることが多いのですが、今回の合唱団は、GLA50周年の善友の集いに向けての発足となりました。そして、このプロジェクトに参入するにあたっての誓願の書に取り組むことになりました。

会社の試練の中で重い気持ちとなり、頭痛までしてきて、重い足取りで会場に着いていたのですが、これは善友の集いに向けての一ヶ月ほどの期間を通じて、この困を願に運びなさいという呼びかけだなと感じました。

でも、これまでの自分の具現力では、この重い問題群を願に運ぶことは不可能だなと思いました。

そこで、「先生だったらどのようにこの試練に対して道をつけていかれるか、徹底して先生に倣い、抱える困を願へと運ぶ神理実践を果たしてまいります」と誓願を定めさせて頂きました。

更なる試練の発生と転換の始まり

その翌日、職場では、上司との面談があったのですが、更に厳しい指摘をいただくことになってしまいました。

問題が起こる度に、「先生だったらどのように、この問題を解決していかれるんだろ。きっといくつもの問題を一気に解決するような手を打たれるんだろうなあ」と先生の御心を求めつつ、GGP(グローバル・ジェネシスプロジェクト研鑽)で降ろされたご教材シートに取り組んでいきました。

すると、いくつかコミュニケーション・ミスが重なって、誤解されていた部分もあったのですが、誤解が解消するようなことが続いていきました。

更に、問題の解決に地道に向かう歩みを通して、技術者としての私への不信感も解消していくことになりました。

切れてしまった方に対しても謝罪させて頂き、相手が願われていたことを誠実に対応させていただくことを通して、逆に信頼関係が深まり、新しい技術領域に一緒にチャレンジする関係に変わっていきました。

こうして、先生だったらどのように解決されるだろうかと求め続け、先生に倣う挑戦を深めつつある中で、春季特別供養に参加することになりました。

父方祖父への春季特別ご供養への取り組みスタート

父方の祖父のご供養は、数年前にさせていただいていたのですが、改めて春季特別供養で取り組ませていただくことになりました。

「GLA特別御供養。神様と先生の御心によって開かれた光の場の中での奇蹟の救い」参照

40日ほど前から、毎日祈りの時間を持ったのですが、これまで以上に光が注がれている感じがあったのですが、佐賀の母も一緒に祈りを続けてくれていました。

また、この期間は「月の心」の菩提心の書写行が深まってきたこともあり、いただいてきた神理の光を回向返照することを願って、取り組んでいきました。

実家での母への神理実践の同伴スタート

ご供養は日曜日だったのですが、金曜の夜に佐賀に帰省しました。

母は、50年近く年勤めてきた靴屋を辞めたばかりで、これからは是非GLAのプロジェクトをやってほしいなあと願ってはいたのですが、でもそれは難しいかなと諦めかけていました。

しかし、先日、佐賀で行われた陽春の集いのプロジェクトがあり、初めてはたらきを担ったことを教えてもらいました。

本当に良かったと感動しつつ、食事をしてからしばらくして、GGPの修了式が間近に迫っていることもあり、GGPのシートに取り組むことになりました。

仕事を終える時の話を聞いたところ、最後裏切られるような形で「顔も見たくない」とぶつかって終わっていたことが分かりました。

そのため、もう働きたくないという思いになってしまい、次の仕事を探すことも進んでおらず、家に引きこもって体調も悪くなってきていました。

このままではまずいと思い、仕事のやめる時の出会いについて、母と一緒に先生のご教材シートに取り組むことになりました。

シートを通して見えてきた「天との勝負」というつぶやきの発見

カルマの繰り返しを見つめていったのですが、「こんなに頑張っているのに分かってくれない、裏切られた」という思いが、母にあったことが見えてきました。

母の煩悩は、苦・衰退、苦・暴流だったのですが、今回初めて、快・暴流の祈りの中の「孤立するとき」の祈りを一緒に読ませて頂いたところ、この通りになっていました。

一緒に取り組んでいた姉も、全く同じ気持ちがあるとことが分かりました。

私も、冷静に聞いていたのですが、内心、自分も全く同じつぶやきがあり、痛い痛いと思いつつ、話を受けとめさせていただきました。

私自身のつぶやきの「頑張っても認めてもらえない、評価してもらえない」のルーツはここにあったのかと思いつつ、これは母の転換を通して一緒にテーマを超えることになるのかもしれないと思いながら、転換の方法を探していきました。

母と姉と私のつぶやきのルーツが、母方の祖父にあるか、祖母にあるか聞いたところ、たぶん祖母じゃないかということでした。

更に、孤立している原因を訪ねていったのですが、つぶやきの中に、「天との勝負」という言葉が出てきました。

母は、昔から真面目で、地道に裏方で支えるような働きが好きだったらしいのですが、お天道さまが見守ってくださっているから、人との比較競争で一喜一憂するのではなく、天との勝負と思って頑張ってきたということでした。

でも、「天との勝負」だと、「天に負けないように頑張る」となってしまい、「天が手伝ってほしいと願っていることに応える」ことはできないんじゃないかという話になりました。

そこで、天との勝負を、天との響働に転換していくことを提案させて頂きました。

そのために、感謝の思いをもって仕事を環に結ぶことを提案させていただきました。

取り組み始めたときは、惨めな思いをしたくないから、もう二度と会いに行きたくないと言っていたのですが、シートの取り組みを通して、これまで関わりを壊してきたカルマが意識化され、 『新・祈りのみち』 で浄化されて、感謝に結ぶ必然が明確になり、一緒に感謝の想いを伝えに行くことになりました。

実家のお仏壇で分かったお祖父さんの宗教心

また、もう一つのミッションとして、実家の仏壇に行く挑戦をしました。

佐賀に帰る度に、実家にお参りに行きたいと伝えるのですが、親族間のごたごたがあって難しいと断られてきていました。

今回は流石にお爺ちゃんのご供養なので、お参りに行きたいと伝えると、おばさんの予定を調整してくれて、母と一緒に行くことになりました。

佐賀駅で「最高の人生のつくり方」のご著書を買って、実家に行くと、おばさんが待ってくださっていました。

仏壇の前で、ご供養の祈りをすることになったのですが、一緒に祈ってほしいとお願いするとすんなりと聞いてくださって、母とおばさんと3人で 『新・祈りのみち』 を見ながら、一緒に祈りをさせていただきました。

祈りの後で、お祖父さんとの思い出について、色々と話すことができたのですが、今回新たにわかった事実として、お祖父さんが亡くなられる直前に、自分で戒名を京都のお寺に、もらいに行かれていたことを教えてくださいました。

父がGLAに反対していた大きな原因として、お爺ちゃんは宗教に頼らなかったから、自分にも宗教は必要ないと言っていたのですが、父が尊敬するお祖父さんが実は宗教心を持っていたことが初めて分かりました。

また、実家の仏壇について、このままでは無縁仏になってしまうという話がありました。だったら、八ヶ岳の人生記念館に奉納できたらいいんじゃないかな?とふと思いました。

最後に、親族間のぶつかりを生じている煩悩について、おばさんとご一緒に煩悩地図で隈取らせて頂き、先生のご著書をプレゼントしてお別れしました。

神理実践の成就と功徳シートの完成

次なるミッションとして母の職場での再結として、母の勤めていた職場に一緒に行かせて頂いて、菓子折りと、先生のご著書をプレゼントさせていただきました。

母も、最後の出会いを謝罪することができ、感謝の言葉をお伝えして、スッキリした気持ちでけじめをつけることができました。

こうして、ちょうど丸一日かけての神理実践となったのですが、シートに取り組んでカルマを発見し、つぶやきを浄化して関わりを変えたところ、新しい現実が生まれることになり、その歩みをGGPの最後に提出する、功徳シートにまで結ぶ事ができました。

シートに取り組んで現実が変わる体験ができたことが、母にとっては大変に嬉しかったようで、GGPもシートが難しいからもう無理と言っていたのですが、その気持も転換することになりました。

救われた祖父はどうなったんだろう?疑問から始まったご供養の取り組み

神理実践と、ご供養の取り組みを深めつつ、父と母と三人で、ご供養の場が持たれる、福岡の九州本部に向いました。

今回同伴してくださった方は、九州時代にお世話になった、Yさんだったのですが、お話をお聞きすると、親族でお茶屋さんを経営されてきており、親族経営の難しさをよくご存知で、祖父や父の気持ちも深く理解してくださいました。

同伴者の方との出会いを通して、今回のご供養に向かう願いを認める時間がありました。

数年前に、祖父をご供養をさせていただいた時に、ご供養の場で病気が治っていかれた姿は見せていただいていたのですが、その後どうなったんだろう、という疑問がありました。

あれから、お祖父さんは実在界でどうなられたのか知りたいと思いながら、先生・神理をお伝えする願いを定め、ご供養の場に望ませていただきました。

お祖父さんから届けられた強烈な願い

特別供養の場では、先生の祈りをお受けして、その後ご供養の場で行われた、先生の対話映像をお受けさせていただきました。(農業プロジェクトでご一緒させていただいている方が、対話を頂かれていたのですが、後日、先生との出会いで話された内容について、詳しく教えていただくことになり、一つ一つの先生のお言葉に深い意味があることを感じさせていただきました)

最後に、亡き祖父の思いを尋ねる時を頂くことになったのですが、お祖父さんに思いを馳せると、お祖父さんが光の世界にいらっしゃって、ずっと光を送ってくださっていることが感じられてきました。

回りの温度が何度か上がったんじゃないかなと思うくらい温かくなってきたのですが、具体的な思いとかは伝わってこず、今回はこれで終わるのかなと思っていました。

最後に、先生がお祈りをしてくださって、御霊が実在界に帰還していきました。

ご供養の場が終わった後で、最後のプログラムとして人生記念館の映像をお受けすることになりました。

その時に、お祖父さんからの強烈な思いが衝突するように伝わってきました。

それは、「あの場の光の柱の一つになりたい」という願いでした。

魂を強く揺さぶるような強烈な願いだったのですが、お祖父さんも特別ご供養を通して先生に救っていただいて、光の世界に帰ることができ、頂いた恩恵をお返ししたいという願いを強く抱かれているように感じました。

それまで、人生祈念館に親族を奉納させていただきたいと願ってはいたのですが、どこかで難しいんじゃないかと諦めていました。

なので、父にも母にも伝えてはいなかったのですが、お祖父さんからの強烈な願いが伝わってきたことを、ご供養の場が終わった後の円居の場で、率直に伝えさせていただきました。

お祖父さんの魂の願いと、私自身の魂の願いが一つになってしまったようで、涙とともに溢れる情動をそのままお伝えさせていただきました。

すぐには実現できないけれども、数年かけてお金を貯めて、奉納させていただきたいと願いを伝えました。

すると、その思いは否定されることなく、了承してもらえることになりました。

八ヶ岳いのちの里 人生祈念館前の地上の星

魂の根源にあるテーマと必然としての両親との出会い

特別供養の場の終了後の同伴者の出会いでは、同伴者の方も涙ぐまれながら、率直にアドバイスを下さったのですが、 「天との勝負というのは、裁きの神だったんじゃないですか?」と話してくださいました。

「あーそういうことだったんだ」と深い納得がありました。

私が、GLAに入会したきっかけは、1993年に本屋さんで発刊されたばかりの『祈りのみち』のご本と出会ったことが直接のきっかけだったのですが、立ち読みしながら『祈りのみち』を読んでいて、大変な衝撃を受けました。

いくつか伏線はあったのですが、そのことが直接的な原因となって、入会することになったのですが、その内容こそ、神様は裁きの神ではなく、愛の神という内容でした。

2006年に私が頂いた神理実践報告の最後に、先生はその根源の部分について触れてくださいました。

実践報告の内容は、事前には全く分からないので、先生がどのようなお話をされるのか予想できないのですが、ボードに貼っていかれるカードを拝見しながら、心の準備をしながらお応えしていました。

ただ、最後に貼られた「自分がいない方が世界のため」というカードは、先生が話されるまで全く見ておらず、先生がその言葉を発された瞬間に、かつての苦しみが思い出されてきて思わず泣き崩れてしまったのですが、崩れそうになる私を先生が支えてくださいました。

そして、改めて神の愛について話してくださったのですが、神の愛とは先生の愛そのものであり、先生に救っていただいてきた感謝を思わずお伝えしていました。

私自身の信仰の歩みにおいて、裁きの愛が、愛の神に変わったことは魂の根幹に関わる大切なテーマであると感じているのですが、そのルーツとしての痛みが、「天との勝負」というつぶやきとして、母から流れ込んできていたことを気づかせていただきました。

改めて、魂のテーマとしての魂願とカルマがあり、必然として、この両親のもとに生まれてきたことが感じられてきました。

「天からの意図に応えたい」魂願を生きる次元へ

最後に、「お父さんと、お母さんはもちろん、人生祈念館に奉納するからね」と自然と伝えたのですが、父も母も快く受けとめてくれていました。

「願ってもどうせ叶えられない、分かってくれない」というニヒリズムが、私自身の根深いつぶやきとしてあるのですが、天の意図に応えたいという素直な願いが、すっと通る体験をいただいたように感じました。

今回の帰省を通して、天との再結を深めさせていただいたことは、親族を人生記念館に奉納させていただく転換へと結ばれていき、この世とあの世が一緒になって、修行を深める時代が来たんだなあとしみじみと感じさせていただく、ご供養の旅となりました。

ご供養の出会いを通して、今年も八ヶ岳の豊心大学セミナーに両親に来ていただく約束ができたので、八ヶ岳の地で先生におつなぎしていきたいと願っています。

2 thoughts on “2019春季特別供養:救われたお祖父さんとの響働による人生祈念館への道”

  1. 精神と現象を融合する道は本当に素晴らしいと思います。1994年の鹿児島講演会の演題は「色即是空 空即是色」でした。私の現実には、これまで見ないようにしてきた「痛み」がたくさんあります。buyanさんのように誠実に一つひとつ解決していきたいと思います。ありがとうござます。

    1. Junijo さんも、鹿児島講演会いらっしゃったんですね!
      私にとってもとても記憶に残る講演会で、講演会終了後のプロジェクト集会で、高橋先生の真ん前の1、2メートルの場所でご指導をお受けして、ユニバース体験をいただきました。当時は、先生にお会いする機会が少なく、如来には百千万劫会いがたしといって、かなり行に取り組んでいました。
      痛みを抱いて、浄化できるのも、この世に生まれたからこそできる恩寵なんでしょうね。

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