春季特別御供養_祖母の癒やしと再結の歩みの深まり

春季特別御供養において父方の祖母の御供養に取り組むことにしました。

Contents

御供養取り組みへの反対からの始まり

父方の祖母の御供養は2度目だったのですが、当初、母から取り組みたくないと言われました。

確認すると、お祖母さんに対しては、嫌な思い出ばかりで、御供養に取り組む気持ちになれないということでした。

そのことを聞いて、だからこそ取り組む必然があるんじゃないかと感じ、説得して御供養に申し込んでもらいました。

それは、私自身が何度かご供養に取り組む中で、自分の亡くなった方に対する印象がまったく変わった経験があったからです。

実家での闇に対する恐怖

金曜日の夜中に、飛行機で実家に帰ったのですが、佐賀に着いたのは夜中の12時近くになっていました。

真っ暗な田舎道で、犬に吠えられるのを恐れながら、何とか家に辿り着きました。

本当は、歯磨きをして寝たかったのですが、家の真っ暗な空間が恐くて、居間から出ることができず、そのまま寝てしまいました。

GLAへの入会のきっかけとなったお化け屋敷だった実家

私の実家は、元々は画家さんが住まれていました。

中学の頃に、中古で購入されたのですが、購入時は荒れ放題になっていました。

そして、様々な霊的現象が起きる家でした。

誰も人がいないはずの2階で、人が走り回るような音がしたり、「ドスーン」と何かが落ちた音がすることもありました。(他の家族はあまり感じていなかったようです)

あるとき、金縛りに遭って、骸骨が出てきたこともありました。

実は、そのことが大きなきっかけとなって、このままでは悪霊に殺されるんじゃないかという恐怖心があり、救われる道を求めて様々な宗教を調べ、GLAに辿り着いた経緯がありました。

その後、家族全員が入会し、先生の御写真を居間に置かせて頂き、そして祈りと共に光を送り続ける中で、前のような怖い感じは大分なくなってきていました。

しかし、真っ暗闇の中に、霊がいることがビリビリ伝わってくる感じが、今でもしました。

外なる闇に降り注ぐ内なる光

今回の帰省においても、初めは暗闇から逃げていたのですが、「恐怖」「逃避」の煩悩で関わってきていたことに気づき、和顔愛語の行で、内側に光を満たし、その光が暗闇に届くように関わってみようと思いました。

内側に光を念じ、実在界からの助力によって光が注がれていることを念じ、真っ暗闇の中に入っていきました。

すると、暗闇の中にいる霊には、そうならざるをえなかった背景があり、痛みがあることが感じられてきて、いつの間にか恐怖心が消えてしまっていました。

昔から、お化けや、真っ暗闇がずっと恐くかったのですが、心の中の闇が外なる闇を見せていたことを感じ、初めて暗闇は暗闇として、等身大の姿を受け止められたように感じました。

先生のご講演拝聴を通して注がれた光

それから、外なる闇に光が注がれることを願って、先生のご講演のDVDを一緒に受けさせて頂きました。

2006年の青年塾セミナーのご講演の前半に、ニヒリズムについて先生がご指導下さっていました。

試練に対して、もうどうすることもできないと、エネルギーを湧出できなくなるのがニヒリズムであるとご指導下さっていたのですが、改めて外なる闇のエネルギーに対して、もうどうすることもできないと逃げ続けてきたことが意識化されていきました。

ご講演のDVD拝聴が終わってから、恐かった場所を通ってみると、清浄な空間に変わっていて、恐怖心も出なくなっていました。

九州本部への到着

家族4人で、父が運転する車に乗って、1時間程で博多の九州本部に到着しました。

御供養前の同伴者との出会い

同伴者の方と出会いの時を頂いたのですが、お婆ちゃんを中心とした親族の関わりについて、様々な思い出が語られることになりました。

これまで、知らなかったような、親族間のドロドロの闇が語られることになったのですが、人間不信になっても仕方ないなあと思えるほど、騙し合い、お金にまつわるトラブルがずっと起こっていたことが語られていきました。

司祭との出会いによる特別御供養の意味

抱えきれないと思えるほどの、ドロドロの闇を意識化することになったのですが、そのまま司祭の所に向かいました。

司祭からは、「恨みの思いがあったら、それも全部祖母さんに伝えてあげて下さい、そうすれば、全部光の天使が引き受けて下さって、お祖母さんの振り返りの介在となり、おばあさんがあの世で転換されたことは、光となって帰ってきますよ」とアドバイスを頂きました。

抱えきれないほどの闇であったとしても、御供養の場を通して光が注がれ、光転への道がつけられることへの希望を感じつつ、聖堂へと入っていきました。

司祭の祈り、先生の祈りによって開かれた実在界への扉

司祭が、御供養をされるお一人お一人の名前を呼ばれたのですが、その時点でお祖母さんが近くに来られたことが感じられてきました。

そして、先生のご指導をお受けしていったのですが、最初のお一人の対話の内容が、ずっと話していた父のお兄さんの生き様そのものであるように感じられてきました。

ご指導映像の中で、あの世の魂が特別御供養を通して、人生の振り返りをする話しをして頂いたのですが、お祖母さんも天使に同伴して頂いて、人生の光、闇を意識化する取り組みをされていたことが伝わってきました。

どろどろの試練の中心にいたお祖母さんは、理不尽とも言える試練の中で、相当葛藤されていた思いがが伝わってきました。

お祖父さんは糖尿病になってしまい、苦しみのあまり「殺してくれ」と訴えられるような状況。そして、子供達も喧嘩が絶えず、お互いを欺き、足を引っ張り合う状況が続いており、その試練に対して圧迫されて、手も足もでないように感じられていたようでした。

この理不尽とも言えるような、問題群に対して、お祖母さんは仏教系の宗教団体に入会し、多額のお金を喜捨していたのですが、それが父親の宗教不信につながっていきました。

その人生に起こった出来事と、心が初めてつながったようでした。

お祖母さんの中で、理不尽な試練と自分自身の心が結びついて、人生の謎が解けた部分が多くあったことが伝わってきました。

この世、あの世が響働しての学びの進化へ

先生から、これからはもっと、この世とあの世が一つになって、共に学びを深める道が開かれていくといったご指導を頂きました。

先生が仰る通り、これからこの世とあの世が響働して、一緒に進化していく道が開かれていく希望が感じられてきました。

御供養を通して頂いた変化

今回の御供養において、お祖母さんの人生の謎が解けた思いは、本当に光となって自分の心に流れ込んで来ることになりました。

ここ最近、理不尽な闇のエネルギーと表現していたのですが、これまで掴めなかった、自分自身の恐怖心がハッキリと掴めるようになり、この恐怖心が、相手の煩悩を強化して、「逆差別」の現実を生み出していたことがハッキリと見えてきました。

原因がわかると対策を打てるようになり、恐怖心が出始めた時点で、禅定のご指導の時に教えて頂いた複式呼吸をして、恐怖心のエネルギーを息を吐くときに、押し出すようにしてみました。

後で先生の御著書を確認すると、苦衰退に対する善我を育む5つの行の一つである、「喚起の行」をやっていたと思うのですが、恐怖心の拡大を止め、光を心に注いでいくと、「逆差別」の関わりが生まれなくなっていきました。

「忍土の自覚」の深まりによる人間関係の理解

こうして、心と現実の謎が解けていったことは、職場においても「忍土の自覚」の深まりへとつながり、具体的な仕事の結果にも影響していく事になりました。

「お前変わったな」上司から頂いた言葉

ドロドロの世界にあって、一本の白き道を切り開くのは不可能ではないかとさえ思えてきました。もし、開かれるとすれば、それは大いなる存在が動かれて、その力に導かれるように動いたときに、転換はもたらされるかも知れないと感じました。

元々それだけ厳しい世界だったのに、私自身も何と安易に快苦の振動に揺れながら、危うい判断を繰り返し、事態を混乱させてきてしまったのかという後悔が感じられてきました。

まとめの仕事のレポート作成においては、一本の白き道を切り開かせて頂こうと願いました。

改めて、そのような願いを抱いてお一人お一人の話を伺うと、かなり不満をぶつけられることになりました。しかし、そこであきらめることなく、何とか皆さんの意見を集約しようと試みました。

最後、上司の所まで持って行き、色々と不満を言われながらも、意見を集約していったことをお伝えしました。

すると上司から「お前変わったな、これまでだったら俺は正しいんだといって聞かなかったのに」と言葉をかけて頂き、テーマを次のステップに着実につなぐための表現方法等のアドバイスを頂くことになりました。

一年間の最終レポートへの評価の転換

翌日、最後のお一人にも話しを伺うと「すごくよくなったわね」と共感を頂いて、その方がこれまでご苦労されてきた話しを色々と教えて頂くことになりました。

そして、報告はスムーズに完了することになりました。

終わった後で、ある先輩から「最初からこうすればよかったのに、とても良くなった」と発表が上手くいったことを自分以上に喜んでくださいました。

また、今回のプロジェクトは、あるテーマのサポートという位置づけでもあったのですが、そちらの報告も聞きに行くと「Special Thanks」として、私の名前を書いてくださっていました。

忍土の自覚が深まって、その世界で、それぞれが心の鏡を歪めざるを得ず、お互い、傷つけ合うこの世界への共苦共悲の思いが引き出され、この関わりに光が注がれますようにと祈り心で関わったときに、これまでの捻れがほどかれて、関わりの再結へと導かれ、次なるステージが開かれていくことになりました。

この期間、「再結のための祈り(絆を結び直すために)」を、ずっと祈ってきていたのですが、関わりの再結とともに、心と現実のつながりの再結、お祖母さんと父との再結、あらゆる再結へと導かれていったことが後から気づかせて頂くことになりました。

劇を通して見えてきた忍土の現実

この忍土の自覚を深めている最中に、友人が出演している劇を見に行きました。

韓国で起こった連続殺人事件を題材として、どちらかというとホラーとして、描かれた内容だったのですが、事件に携わる警察官の心の地獄と、犯人の心の地獄が描かれているように感じました。

私は、元々はホラー映画がとても苦手で、今回も最初は恐怖心が出てきたのですが、見終わった後で、犯人の心の苦しみに思いを馳せていました。

犯人にもきっと、そうならざるを得なかった、人生の背景としての「3つのち」があり、連続殺人という現実を生み出さざるを得ない痛みがあったのかもしれないと感じました(もちろん、どんな理由があったとしても殺人ということが肯定されてはいけないと思います)。

そして、そのようにお互いに闇を引き出し合って、傷つけ合うのがこの世界であり、同じ苦しみを抱く者として、神理によってその呪縛から自由になり、光の心を育てて世界の痛みに応えていく願いを抱いている、自らの中心の魂願に思いを馳せることになりました。

3つの自覚を深めることで、煩悩から自らの魂を守ることができると教えて頂いていたのですが、忍土の自覚を深めることで、この世界の真相へと眼差しが開かれ、あるがままの光も闇も受け止め、世界をカオスと受け止める眼差しを引き出して頂けるように感じられてきました。

この記事を書きながら、御供養への取り組みが、ずっと連鎖していったことが見えてきたのですが、偶然のように起こっていた出来事が、また何気なく取り組んでいた取り組みが、必然の糸に結ばれていく不思議を感じつつ、合唱を通して更なる神理実践の歩みを深めていくことになりました。

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