「無知の壁」からの呼びかけ 2500年を超えて開示された「魂の学」

上海と日本を往復する間に、丸4日ほど時間があり、これまで読もうと思いながら読めなかった本を、じっくりと読むことができました。

それが、帰りの船での仏教について関心がある方との出会いに繋がっていくことになったのですが、その本とは、「無知の壁」でした。
副題として、「自分」について脳と仏教から考える、と書かれていました。

Wall of muchi2

テーラワーダ仏教という初期仏教の瞑想法などを教えてくださっているアルボムッレ・スマナサーラ長老と、『バカの壁』という、400万部を超えるベストセラーを発刊された脳科学者の養老孟司さんの対談がまとめられていました。

Contents

お釈迦様が実践された科学的アプローチ

長老御自身は、かなり厳しい修行を重ねた結果、常人が到達できない領域にいらっしゃるようで、人間の本能に打ち克つ修行をこそ仏教の修行とされていました。

長老は、私たちの五感は限定的な世界しか認識できないが、お釈迦様は神通力によって、五感を超える世界を認識されていたと紹介されていました。

・どこまでも遡って自分の過去を見る力
・人間の耳の範囲を乗り越えた音を聞く力
・人間の視覚範囲を超えたものを認識する力

そして、お釈迦様は修行によって、智慧を完成され、正覚者として、人間を超える存在になったと言われていました。

また、お釈迦様は人類初の科学的アプローチによって、心のはたらきについて調べられており、「生きるとは何か、どう生きるべきか、何を目指して生きるべきか」という問いに対して到達された人間の真理は普遍的なものであり、お釈迦様と同じ実験をする人は、お釈迦様と同じ真理を発見する、とされていました。

「バカの壁」と「無知の壁」

一方で、養老先生の話される「バカの壁」とは、「強い枠組みができてしまうと、枠の外側の事柄を理解しなくなる」という脳の仕組みを「バカの壁」と名付けられていました。

長老の話と、脳科学者の養老孟司先生の対談という形で、進められていくのですが、無知の壁と、バカの壁の一致点について語られていきました。

前提知識として、仏教用語には「自我」という言葉があって、何事に対しても色眼鏡をかけて判断しており、「自分は世の中を知っている」と思っても、本当は何も知らないのが人間の「自我」とされていました。

「自我」が認識する知識には限界があり、それを「無知」とされていたのですが、3段階でリミットがかけられていくとされていました。

一段階目のリミットは誰にでもある「自我」の錯覚らしいのですが、次のようなステップがありました。

・眼耳鼻舌身から入ってくる情報を認識し、それを判断して知識とする。
・認識情報を一つにまとめる際に、脳が「自我」という錯覚概念を使う。
・エゴの妄想概念に基づいた知識や概念を現実と関係なく一本化することで、悩み、苦しみ、怒り、嫉妬、憎しみ、欲、傲慢などの感情に支配される。

そして、二段階目のリミットは、「自我」の錯覚によって作り上げた「知識」に執着し、認識過程が固定化することとされており、それが「バカの壁」に相当するということでした。

三段階目になると、「バカの壁」に衝突して粉々に壊れた状態で、邪見とされていました。

お釈迦様からの神理のバトン

長老も話されていましたが、お釈迦様は傑出した覚者であり、お釈迦様だからこそ、人間の真理(悟り)に到達できたことが書かれていました。

お釈迦様の歩みについては、高橋信次先生、高橋佳子先生、お二人とも様々にお書き下さっています。

お釈迦様(釈尊)が悟りを開いて行かれたプロセスについては、高橋信次先生の御著書「人間釈迦」に、その人生の始まりから非常に詳しくお書き下さっています。仏典を超えた、究極の釈迦伝であると感じています。

Ningen shaka

また、高橋佳子先生の御著書「天の響 地の物語」の「源流」の章にも、般若心経と釈尊の悟りへの歩みについてお書き下さっています。

釈尊は釈迦族の王子として生まれ、母親の死を一つのきっかけとして生老病死の苦しみと出会い、そこから内なる平和を求めて修行し、悟りを開いていかれます。

そのときの心境について、高橋佳子先生は次のように書かれていました。

「そして自らが厳しい苦行と深い瞑想の果てに得た悟りもまた言語を絶するもので、とても人に伝え得るものとは思えませんでした。」

『天の響 地の物語』 源流 129P

道を伝えることに絶望していた釈尊に対して、梵天が関わられるのですが、その結果、釈尊は万人を救う心から一人の救いを願う心に転換し、道を説かれるようになります。

釈尊ほどの覚者が絶望的になられた背景として、当時の様々な条件もあったんだと思いますが、ほとんどの衆生が無学文盲で、論理的な思考能力も今よりも大分劣っていたそうです。そのため、釈尊は分かりやすいたとえ話を使って、法を説かれました。

こういった厳しい条件故に、神理のごく限られた部分しか釈尊は説かれなかったんじゃないかと推察されます。

そうだとすると、その全体はいつ、誰が、どのように説かれるのかという問題になるのですが、私は、高橋佳子先生が説かれる「魂の学」こそ、2500年を超えて開示された、真の仏法であると確信しています。

仏教の三大煩悩と煩悩地図

佳子先生が、釈尊の時代よりも詳細にお説き下さっている神理として、人間の内なる闇としての煩悩があると感じています。

「無知の壁」の巻末は、長老が三毒シリーズを発刊されており、仏教の三大煩悩である貪瞋癡に対して、「バカの壁」は癡に相当することが書かれていました。

養老先生が「バカの壁ってこれかな?」と帯に書かれていたのですが、お釈迦様と同じ実験をする人は、お釈迦様と同じ真理に到達すると長老が言われていた通り、養老先生も科学的なアプローチによって探求した結果、2500年を超えてお釈迦様と同じ真理に近づかれたのかな?と感じました。

三大煩悩としての貪瞋癡と煩悩地図の関係については、御著書「グランドチャレンジ」の中に、お書き下さっていました。

煩悩地図は外因としての快・苦の軸と、内因としての暴流・衰退の軸によって、四つの閾へと区分され、煩悩の総体を現していると書かれており、その普遍性を示されるために

・喜怒哀楽
・八つの軍隊:欲望、不満、飢渇、妄執、睡眠、恐怖、疑惑、強情
・五蓋:貪欲の蓋、瞋恚の蓋、睡眠の害、掉悔の蓋、疑の蓋

といった仏教の伝承の中で説かれてきた煩悩が、全て煩悩地図の中に包含されていることを書かれていました。

そして、貪瞋癡については、天台智顗が書かれた天台小止観というお経の中に、五蓋について書かれているのですが、五蓋と貪瞋癡、そしてソウルコンパスとしての煩悩地図との関係について、次のように書かれています。

仏教では、貪瞋癡(むさぼりといかりと無知)を三毒と呼び、人間のあらゆる煩悩の根本にある無明であるとしています。そして、この第四の「掉悔」はその三毒が入り交じったものであり、「貪欲の害」は「貪」の毒と、「瞋恚の害」は「瞋」の毒と、そして「疑の蓋」と「睡眠の蓋」は「癡」の毒と等しいとしています。その上で、三毒が混じり合った一つの蓋と、その回りに分化した残りの四つの蓋を除けば、一切の不浄を除くことになると説いているのです。
ここでも、分化した「四つの蓋」ー貪欲、瞋恚、睡眠、疑ーのそれぞれに対応するものが≪ソウルコンパス≫が示す≪四つの偽我≫と同じものであることが分かります。

『グランドチャレンジ』 181P〜182P より抜粋
Gogai

改めて、内因と外因という二つの軸によって、煩悩の総体が網羅されているということが、どれほど凄いことなのかが感じられてきました。

地獄滅消の法としての煩悩地図

高橋信次先生は、亡くなられる直前の蔵王での講演会において、これから地獄滅消の法を説かれることを宣言されました。

そして、信次先生が亡くなられて、23年たった1999年の善友の集いにおいて、佳子先生は地獄滅消の法として、煩悩地図の中に108つの煩悩の総体が包含されていることを、論理的にお説き下さいました。(詳細の内容については、99年善友の集いのご講演映像を確認下さい)

そのことにどれほど深い意味があるのかは分かりませんが、神理伝承のフロントを佳子先生が切り拓き続けてきてくださっていることは確かだと思います。

私が感じる「魂の学」の魅力① 論理の一貫性

その「魂の学」において、私がもっとも引かれる所は、論理の一貫性と、実践可能である点です。

まず論理の一貫性という点ですが、長老も、お釈迦様が到達した人間の真理は、普遍的なものであると語られていましたが、「魂の学」も、人生を魂の次元から捉えるまなざしであり、人間の魂と世界を貫く真理=神理の体系とされていますが、普遍的な内容だと感じています。

「魂の学」の内容は非常に広く、それこそお釈迦様が説かれなかったような、人間の魂の転生の仕組みや、現代の最新の医学の知見を超えるような心と現実の関係への智慧、そして、時代のフロントで闘う各分野のトップランナーが実践する具現論と多岐にわたっています。

それだけ広い分野の内容を包含しながら、その理論に一切矛盾がなく美しく体系化されています。40年前に説かれていたことと、今説かれている内容の矛盾がなく、論理が一貫しているのは、本当に神業としか思えないと感じます。

私が感じる「魂の学」の魅力② 実践可能

論理の一貫性でも少し触れましたが、現在「魂の学」は各業界のトップランナーの人たちが実践されています。それこそ、カンブリア宮殿やクローズアップ現代等のドキュメンタリー番組や、各種メディアに登場される方の中に、実践されている方も多数いらっしゃいます。

医療、教育、経営の3分野以外にも、芸術、福祉、科学、宗教・・・、とあらゆる分野の皆さんが実践されて、結果を出されています。

専門分野で活躍されている方達には、TL人間学の学びがあり、現在は年1回のTL人間学セミナーと、年3回のネクステージシリーズセミナーが東京のプリンスホテル等で開催され、週に一回、地方会の学びもあります。

また、一般の方達のためにGLAの学びの場があり、それぞれのライフスタイルに合わせて、様々な研鑽の場が用意されています。

なんとなく分かったような、分からないような抽象的な話しではなく、一つ一つ実践し、確認し、一歩一歩、着実に歩みを深めていくことが出来ます。

そして、それぞれが背負った宿命を転換することが、それぞれの人生の願いを果たし、使命を果たすことつながり、時代社会の限界を超えていく道にもつながっていきます。

名も無き一人一人が目覚める時代へ

1991年に発刊された「サイレントコーリング」のはじめにの最後に次のようにお書き下さっています。

一切を記憶し
一切を知り
一切を見はるかす宇宙の叡智から
一人一人に届けられているサイレントコーリング
その響きに耳を傾けながら歩む道
今こそ、その道を歩み始める時が来ています

一部の傑出した覚者だけが目覚める時代はもう過去のものです
平凡な一人一人が呼びかけに応える時代が来ています
あなたが応え始めるその時を時代は待っているのです

『サイレントコーリング』

既に、高橋先生の下で学ぶ人の中には、サイレントコーリングを聞いて、応え始めている人が多くいらっしゃいます。

この運動は、これから更に加速度的に広がっていくと思いますが、是非一人でも多くの方とご一緒に神理を学び、実践し、新しい時代に応えていきたいと願っています。

こうして、「無知の壁」を通して、改めて先生のお説き下さっている神理への確信を深めつつ、旅の出会いを深めていくことになりました。

(続く)

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