2016年劇役者への挑戦 上海から波濤を超えて日本の唐招提寺へ

揚州の大明寺から上海に戻ってきて、翌朝、日本行きの船に乗ることになっていたのですが、少し時間があったので、上海の街中にある静安寺というお寺に行ってみることにしました。

Contents

上海の静安寺探訪

Seian out
静安寺という地下鉄の駅があり、地上に出ると街のど真ん中に、金色の建物がありました。

Seian out2

正面入り口近くですが、道路の向こう側には、大きなビルが見えます。

Seian inside

中に入ると、お寺の境内で祈っている方もいらっしゃいました。

Seian build

本堂は、丁度工事中でした。

Seian butsuzo

工事中だったからかもしれませんが、コンクリートの打ちっ放しの部屋に仏像が置かれていたりして、あまり風情が感じられませんでした。

Seian butsuzo2

また、揚州でもそうでしたが、仏像は新しく、金色で派手なものも多く、日本とは大分違う感じがしました。

日本も千年以上前に、仏像を作った当時はこんな感じだったのかもしれないですね。

Seian shop1

お寺を出て、お寺の周りを一周したのですが、お寺の建物の1F は、様々なテナントが入っていました。

Seian shop2

中には、金のお店や、健康食品のお店などもあり、仏教が現世利益とダイレクトにつながっていようでした。

お釈迦様は、正法、像法の時代を経て、やがて末法の時代となり、教えが廃れていくことを預言されていましたが、真の仏法に辿り着くことの困難さを感じました。

上海から日本への船の旅

お寺を見ていたら、出航の時間が迫ってきたので、フェリー乗り場に向かいました。

Shanghai port

上海の大都会の中心に、フェリー乗り場はあるのですが、そこから出港していきました。

Sea1

その日の夕方の太陽ですが、水平線への日没を見ることができました。

Sea2

その翌日のお昼の太陽です。船の中では、ゆっくりと時間が過ぎていったのですが、その間は、ずっと本を読んだり、ブログを通してGLA誌の反芻しつつ、自分のデストロイヤーへの発見を深めたりしていました。その取り組み自体が、出会いの深まりにつながっていくことになりました。

フランス→ロシア→中国→チベットと道を求めてきたフランス人Mさんとの出会い

船の中では、中国人とフランス人の青年が話しをしていて、チベット仏教の修行を見てきたことなども話されていました。

面白そうだなと感じ、その後、食堂で再開したので、思い切って話しかけたところ、色々と話を聞けることになりました。

Mさんはフランスでの仕事を辞めて、一年かけて放浪の旅に出られていました。

飛行機は使わず、シベリア鉄道を使ってヨーロッパからロシアを経由して中国に入り、その後チベットに行かれて修行している人たちを見て来られていました。

チベットでは、古い仏像の写真も多く撮られていました。

日本に来たら、日本の神社仏閣を回る予定もあることなど教えて頂きました。

私のことも聞かれたので、鑑真和上の劇をやっていて、和上がいたお寺である揚州に行ってきたことなどお伝えしました。

交通がこれだけ発達している現代でも大変だったので、当時の求道者達は本当に命がけで、人生かけて真実の教えを求めて旅をされていたことが感じられたことを話すと、共感されているようでした。

仏教に興味を持たれているようだったので、高橋先生の「明智の源流へ」の本を取り出して、一人一人の仏教の先人について話し、鑑真和上がもたらしたお経が、後の空海や最澄に伝わり、鎌倉仏教へとつながっていったことなど分かち合いました。

Mさんが撮られたチベットの写真の中に、千手観音の写真があったのですが、この本の著者である高橋佳子先生は観音様のような方であることをお伝えしました。

現代も偉いお坊さんはいらっしゃいますが、苦しんでいる人を救いに行かれる話しはあまり聞かれません。しかし、高橋先生は震災が起きたときに、現地にすぐ赴かれて、復興について具体的に指示を出され、親族が亡くなって苦しまれている方に同伴され、その痛みを癒していかれたことをお伝えしました。

そして、現在自民党の幹事長をされている二階先生が、偶然空港で高橋先生と出会い、高橋先生が現地で苦しんでいる方を救われている姿に接して感動し、政治家もなんとかしなければと志を立てられ、国連での世界津波の日の制定に尽力され、具現化されていった話しなどもさせて頂きました。

一億総自己ベストの時代
『一億総自己ベストの時代』 本の帯
https://www.sampoh.co.jp/books/best/

また原子力発電による汚染の危険を痛感された愛媛大学の脇本教授が、ゴミ焼却施設と火力発電所を融合した新しい施設を提案され、省庁間の様々なしがらみの中で挫折されそうになった時に、高橋先生のアドバイスを基に再度挑戦され、具現化されていった話しをさせて頂きました。

Imahari

Mさんは、元々電力会社で、Risc Assesmentの仕事を専門とされており、環境問題についても色々詳く、スエーデンにそのような施設があることなども教えて下さいました。

日本には半年間いらっしゃるということだったので、11/6に横浜で講演会があることを伝えると、東京にいるので参加できるということでした。

Mさんがずっと求めきた疑問への解答がもたれされるように、私も縁として出会いを深めていきたいと思いました。

Sensei lecture

2016高橋佳子講演会

が全国各地で開催されています。是非お近くの会場にお越し下さい。

東洋の文化史に精通さているJ先生との出会い

Mさんにお伝えした翌朝、出発間際に、奥にいた老紳士の方と話す機会がありました。お話しをお聞きすると中国の大学の先生で、仏教に精通されおり、チベットの大学でも8年教えられていました。

そのためチベット仏教にも詳しく、アジア圏全体の文化史を専門とされており、日本の有名な古典文学を中国語に翻訳をされていました。

日本語は読むのはいいけど、話すのは苦手と言われていたのですが、殆ど普通に話すことができました。

仏教には、認識論と方法論があるらしく、J先生は方法論を専門とされていました。

丁度「無知の壁」を読んだばかりだったので、最新の脳科学が到達した内容が、ブッダが説かれていた内容につながっていった話しをしたら、ドイツの脳科学者でもそのようなことを言われている人がいることを教えてもらいました。

仏教の専門家だったので「明智の源流へ」の本をお渡ししたら、中に書かれている仏教の先人のことは、ほとんどご存知で、日本の仏教にもかなり精通されていました。

次に、止観シートの説明をさせて頂いたのですが、非常に関心を持たれました。

仏教の止観に関するお経は、理解するのに一生かかるほど難しいらしいのですが、高橋先生は誰でも取り組めるように止観シートをお作り下さったことをお伝えしたら、非常に納得されている様子でした。

また、大阪のお手伝いさんが、煩悩地図を見ながら止観シートを取り組んでいたら、偉い和尚さんがびっくりされて、「高橋先生は如来だぞ!」と話されていたことなどもお伝えさせて頂きました。

煩悩地図にも非常に関心を持たれたので、説明させて頂きました。

その経緯で中国の話になり、乱開発によるゴーストタウンや、大気汚染で苦しんでいる皆さんを見てきたことをお伝えし、中国が快暴流の煩悩まま進んででいったら、繁栄則滅亡になってしまうとお伝えしたら、その通りだと言われていた。

中国は、国も、会社も心がなくなっていることを心配されており、これからは心の教えが必要になると言われていました。

何とか中国に心の大切さを伝えていきたいという切実な思いが伝わってきました。

方法論が専門と言われていたので、因縁果報の曼荼羅を見て頂き、具体的な取り組みとして、実際の仕事で取り組んでいる因縁果報ワークシートを見て頂いたのですが、そのことにも非常に関心を示されました。

止観シートも自分でやってみると言われていたので、セットで祈りの道があることをお伝えし、内容をお見せしたら、御自身で本屋さんで買うと言われていました。

年に一度しか日本に来られないという話しだったのですが、一応講演会のチラシをお渡ししました。

ブッダの教えを学び、日本の文学を探究されて、本当に真実を求めて旅をされてきた同志であることを感じました。不思議と、旧知の友人のように感じられたのですが、神理を深くお伝えすることになりました。

Sea3

熱く、神理についてお伝えしていたところ、日本が見えてきました。

デストロイヤーの発見と伝道の深まり

今回、思いがけず、このような神理をお伝えする出会いとなったのですが、このような深い出会いをしたいなあとずっと願いつつ、この十数年なかなかそのような出会いはできませんでした。

この秋の期間は、先生講演会があるので、毎年お伝えすることにもチャレンジしてきていたのですが、神理の内容について深くお伝えする前に、宗教と言うだけで拒絶されることが多く、挫折を重ねてきていました。

このブログを始めたきっかけも、神理を伝えたくても伝わらない葛藤がベースにありました。

今回は、出会いの直前にデストロイヤーの発見があり、相手の方が元々抱かれている智慧が目覚める御縁となることを願ってお伝えしたのですが、その結果、相手の方の中から神理を求める願いが引き出され、一緒に神理を発見していくような出会いになっていきました。

思い一つで、こんなにも出会いが変わってしまうのかと、驚いてしまいました。

「僕のお陰様デストロイヤー」発見 「実践哲学Ⅴ」反芻の深まり

ブッダの伝道の失敗から学んだこと

また今回、久しぶりに信次先生が書かれた「人間釈迦」も反芻させて頂きました。

Ningen shaka

ブッダが悟りを開いた直後に、道ばたで会った修行者に悟られた境地を直接言葉にして伝えられた結果、修行者がアッケにとられて立ち去ってしまうシーンがあります。

その時のブッダの心境が次のように書かれていました。

話し方というものは簡単なようでいて、むずかしい。思ったことをそのまま語っては、相手に戸惑いを与えるだけである。相手の立場、相手に考える余裕を与えるような話し方をしなければ、正しく語るとは言えなかった。

<もう少し、修行者の心になって話すべきだった>

と反省するのだった。

『人間釈迦①』 230P

私も、神理に感動して、その内容をそのまま伝えても伝わらない失敗を何度も繰り返してきていたのですが、お釈迦様のような深い反省に結ぶことができなかったんだなあと感じました。

人間釈迦の本も、何度かこれまで読んできてはいましたが、改めて内容を表面的にしか分かっていなかったことを感じました。更にお釈迦様は、この出会いから反省を深めていかれます。

「実る程に 頭の下がる 稲穂かな」

自然は、何も語らぬ、語らぬが、自然はその実感を、身をもって教えている。

悟ったからと言って、他人を見下ろすようなことがあってはならないのだ。謙虚な心とは、何もへりくだることではない。中身が充実し、その充実感が広く、深くなればなるほど、大宇宙のように無限の包容力を持って、万生万物を生かしつづける心であったのだ。

「宇宙即我ー」

『人間釈迦①』 231P

謙虚な心とはいかなる心であるのかが書かれていました・・・。

謙虚な心は、中身が充実し、深くなることであり、無限の包容力につながっていくとありました。

これまでの自分を振り返ると、中身が空っぽという不安があるから、知識を詰め込んで、防御を固めてきていました。そして、神理を知識として捉えて、自分の方が分かっていると傲慢な思いで伝えてしまい、反発されることを繰り返してきていました。

謙虚に生きることの極意を、教えて頂いたように感じました。

奈良の忍性展への参加

少し話しが脱線してしまいました。

こうして神理をお伝えしている最中に、無事大阪に到着し、電話もネットも使えて、お金もコンビニで下ろせる状態になりました。

お二人とは途中で別れて、私は波濤を超える旅の最終到達点として、奈良に行くことにしました。

普照と栄叡がいた興福寺、法進がいた東大寺、そして和上のお墓がある唐招提寺に行く計画を立てていました。

Kofuku temple

最初に興福寺に行って、阿修羅像等の芸術品や、仏像を見て回りました。

真夏の興福寺はとても熱かったのですが、普照、栄叡がいた時代に思いを馳せました。

その後、東大寺に向かおうとしたのですが、奈良の国立博物館で「忍性」生誕800年記念特別展が開催されていました。

Ninsho

東京の六本木ヒルズで、鑑真和上に関する講演会があり、その中でこの特別展の紹介がされていたのですが、奈良なので行くことはないだろうなと感じていました。

すっかり忘れていたのですが、ポスターを見て思い出し、行ってみることにしました。

「忍性」について様々な資料があったのですが、忍性は鑑真和上のことを非常に尊敬しており、鑑真和上の伝記を絵巻化した、東征伝絵巻を作らせた本人であったことが分かりました。

そして、なんとこの展覧会では、東征伝絵巻の実物も開示されていました。

Degital toseiden

写真はデジタル版です。

その場で、2冊ほど鑑真和上に関する本も購入でき、劇チームへの分かち合いにも活用させて頂くことになりました。

不思議な御縁を感じつつ、東征伝絵巻などを見ていると、東大寺に行く時間がなくなってしまい、仕方なく、一路、唐招提寺に移動することにしました。

唐招提寺訪問

Toshodaiji
電車で40分程移動し、その後歩いて唐招提寺に向かいました。

Toshodaiji2
閉館間際で人も少なかったのですが、御身代わり像を拝見することが出来ました。

Wajo grave1
そして、和上の墓所に向かいました。苔が非常に美しい林を通っていきました。

Wajo grave2
和上のお墓に到着し、しばし祈りの時を持たせて頂きました。

その時に感じたのは、和上はこの場所にいらっしゃらない、先生の傍で働かれているという思いでした・・・。

和上は日本に仏法を伝える使命を持たれていたんだと思いますが、今も、最もフロントで神理を伝える働きをされていることに思いを馳せました・・・。

Kaidan

時間ギリギリだったのですが、最後に戒壇院も見ることができました。現在も、授戒の儀式は執り行われているそうです。

こうして、奈良の旅をもって、波濤を超える旅は環に結ばれていきました。

外界に閉ざされた船の上での、集中した内省への取り組みによる後悔の深まり、大明寺での真実の教えを求めていたかつての伝道者達の願いとの遭遇、そして現在も道を求める同志との出会い・・・。不思議な御縁に導かれて、劇のいのちに迫る旅は続いていきました。

(続く)

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