地上の星での祈り 内なるテーマとの葛藤
こうして、様々な気づき、発見が深まる中で1日目が終了し、翌朝、朝早くに地上の星という祈りの場に向かいました。
朝の精妙な空気の中、地上の星に座って、祈り、禅定の時を持たせて頂きました。
禅定を深めていて、自分の内側にある抵抗感があることが感じられてきました。
それは、前日の気づきともつながっているようだったのですが、あるとらわれ、こだわりが、内なるテーマとしてあることが感じられてきました。
禅定を終えて、準備を整えて、午前中のプログラムに参加したのですが、途中から頭痛がしてきました。
「疲れがたまっていたからかな?まあそのうち直るだろう」と放置していたのですが、更にひどくなってきて、とうとうプログラムが受けられなくなってしまいました。
なくなくシンポジウムへの参加を断念し、部屋に戻って横になりました。
プログラムが受けられなくなるほど、頭痛がするのは初めての体験だったのですが、シンポジウムが終わっても更に痛みはひどくなっていきました。
プロジェクトの皆さんに迷惑をかけたくないと思い我慢していたのですが、とうとう限界を超えてしまい、諦めて保健室に行ったのですが、吐き気までしてきてしまいました。
保健室には、TL医療の整体師さんがいらっしゃって、頭痛を治すための治療をしてくださいました。
そのお陰様で、ギリギリの所で、先生のご講演を受けられることになりました。
二人の神理実践報告 人間不信のニヒリズムへの亀裂
先生は、今の時代の青年が抱える困惑を象徴するような表現を使って、新たな視点でカオス理論について説いて下さいました。
講義を受けている青年の中で、このままではいけないという後悔と願いが深まってきた所で、お二人の神理実践報告予告編をして下さいました。
いつもの神理実践報告と違って、今回は10年後の神理実践報告の予告編という位置づけだったのですが、二人はまだ結果を出してはいないけれども、煩悩によって現実を壊してきた深い後悔を抱かれていました。
お二人は、私も青年塾時代に出会ってはいたのですが、あまり深くは出会えていませんでした。
お二人の人生も、「3つのち」という条件に飲まれる中で沢山の壁とぶつかり、葛藤し苦しまれてきていました。
それでも、神理実践の歩みを深める中で、魂の願いは明確になり、ミッションワークへと導かれ始めていらっしゃいました。
先生は、その歩みを分かち合われながら、実践報告予告編をされた青年に向けて「私の誇りです」と話されました。
その言葉をお聞きして、自分の中では衝撃が走りました。
私は青年塾を卒業する時に、後に続く後輩達の魂の光を見出すことが出来ず、また青年塾にかけられている共同体の巨大なエネルギーもあまり感じることが出来ず、葛藤を抱えたまま卒業することになりました。
その後、この2年半の歩みを通して、自らを徹底して砕き、浄化し続ける歩みを頂くことを通して、お一人お一人の中に魂の光があることが少しずつ感じられるようになってきました。
「私の誇りです」という先生の御言葉に触れた時に、先生がその青年の中に圧倒的な魂の光を見出されているように感じました。
同時に、青年塾時代に青年達の魂の光を見出せなかった、自らの未熟への後悔が深まっていきました。
先生のご講演が終わった時には、あれほど苦しんでいた頭痛がすっかり治ってしまっていました。
あの頭痛は何だったんだろうかと思ったのですが、先生のご講演をお享けしながら人間不信のニヒリズムが浄化され、その過程で頭痛の試練が呼びかけとして来ていたんじゃないかと感じられてきました。
先生のご講演が終わった後で、小学生の頃にかけ橋セミナーに来ていて、それからずっとGLAから離れていたある青年と十数年ぶりに出会うことになったのですが、それもその転換点を象徴しているように感じました。