2014青年塾セミナー そして1995年、先生との約束の始まりへの回帰


5月の八ヶ岳で開催された青年塾セミナーに参加させて頂きました。

青年一人一人の目覚めていく姿を間近に見せて頂いて、新しい時代が始まったことを感じさせるセミナーとなりました。

Contents

青年塾セミナーの準備プロジェクト

昨年末に、私は青年塾を卒業しました。
例年ですと、セミナーが始まる大分前から、準備をしていたのですが、今回はセミナーの直前に、裏方としてプロジェクトを支えさせて頂くことになりました。

その経緯もあって、フロントでセミナーを支える青年の皆さんとを応援し、これまで蓄積してきたプロジェクトの智慧を伝承させて頂きました。

先生はセミナーのスタッフを担う青年にご指導の場を持って下さっていました。
その場に参加していた青年にとって、本当にかけがえのない先生との出会いであり、先生との約束、魂の願いを思い出す場となったことを感じました。

また、先生はお一人お一人との深い出会いだけではなく、今の青年塾が抱えているテーマについてもご指摘下さっていました。

その中に、私自身もずっと青年塾のテーマであると感じながら、どうすることもできないと半ば諦めつつ卒業していったテーマについてもご指摘下さっているように感じました。

青年塾で解決できなかった課題

GLAのジェネシスプロジェクトでは、三つのアジェンダの一つ目として「ビッグクロスとの再結」がありますが、とても大切にされています。それはお一人お一人との神様との絆であり、神様につないで下さる先生との絆であると受けとめています。

しかし、最近の青年との間には、この感覚について埋めがたい溝があることを感じていました。

それはとりもなおさず、青年お一人お一人と先生との絆について、自分たちの世代が感じてきたものと、現在の青年が感じているものとの温度差があるように感じていました。

それはそのまま、神理を体得しようとする思いの強さ、そしてGLA共同体を支えていこうという思いの強さの差を生じているように感じていました。

その背景には、時代の価値観の変化や、人々のライフスタイルの変化があり、GLAの研鑽や青年塾自体のプロジェクトの体制も大きく変わってきているため、表面的にそのように見えていただけなのかも知れません。

ただ先生、神様との絆の感覚に溢れた共同体を千年の後までも伝承していきたいと願ったときに、私はわずか数年後の世代とのギャップでさえどうすればいいのか分からずにいました。

私にとっての先生との約束の始まり

先生との絆について、それは魂の次元で結ばれているものであり、私も多分全然分かっていないんだと思います。

また、信仰の歩みを深める中で、ずっと深められ続けてきているようにも感じますし、今回の人生ではなく、幾転生もの歩みの中で深められてきているように感じています。

多くの会員さんにとってそうであるように、私にとっても一つ一つの先生との出会いは一回生起であり、どれも心深くに刻まれていますが、その中でもとりわけ大きな結節点となった、95年の青年塾セミナーで感じた先生のと絆について改めてお話しさせて頂きます。

私は、95年の青年塾セミナーにおいて、ある直観を頂きました。
もう20年程前になりますが、改めてその意味を深めていきたいと思います。

95年の青年塾セミナーは、初日の夜に先生のご講演がありました。

その後20年学んできていますが、3日間のセミナーで初日に先生がご講演されたのは、あの時だけです。

そして、先生のご講演の前に、今世界で起こっている様々な事件の映像が流されました。

湾岸戦争の映像や、海に流出したオイルで真っ黒になってしまった鳥、飢餓に苦しむ子供達、そして環境破壊の映像が流されました・・・。

私はその映像を見ていて、ふつふつと不満が湧いてきました。

「一部の権力者が、自分たちのやりたいようにやっているから、力のない人達が苦しむことになっている、その人達が悪い」

と考えました。地球規模の問題の原因を、一部の権力者や富裕層の欲によって生み出されていると受けとめ、その人達への不満の思いで一杯になりました。

しかし、不思議なことに、このときは何故かこの思いに亀裂が入ることになりました。

そして、自分が恨んでいる人達の苦しみの思いが伝わってきてしまいました・・・。

「皆苦しんでいる。豊かな人も、貧しい人も、人間にとっての本当の幸せが何か分からず、魂の願いを忘れて快苦に奔騰されて苦しんでいる・・・」

そうして、豊かな人も、貧しい人も、世界中の人々の苦しみの思いが自分の中に流れ込んでくるように感じました。そして、その人類の苦しみに、どうしたらいいか分からないけど応えたいという思いが溢れてきてしまいました・・・。

そのような感覚を頂いている中で、先生が中央通路を通られて、舞台に上がられました。

次の瞬間、

「先生の説かれる基盤、自業、響働の三論なくして人類は救われない」という直観が訪れました。

それまでも、先生は人類救済の使命を持たれていることはお聞きしたことはありましたが、知識としての理解でした。

それが、リアルに人類の抱える深い深い苦しみと、先生の御存在がその瞬間リアルにつながってしまいまいた。

そしてご講演へと入っていきました。私は先生は人類を救われる方であるという確信と畏れを抱いた状態で、ご講演をお受けすることになりました。そのため、もの凄い集中力をもって、先生のご講演を受けとめようとしました。

そして、その時の先生のご講演は、先生の抱かれている21世紀への切実なリアリティーに関する内容でした。

先生の抱かれている21世紀への切実なリアリティー

先生はセミナー初日のご講演の中で、1977年に先生が19歳でGLAを背負われ、立ち上がられたときの事を話され、あの時と同じように、21世紀に対して身もだえするほどの切実なリアリティーを抱かれていることをお話し下さいました。

そして、先生と同じ21世紀への切実なリアリティーを抱き、覚醒して生きる青年の誕生を待ち望みますと呼びかけて下さいました。

先生の抱かれている圧倒的な21世紀のリアリティーについて、私は人類の命運を決する鍵を神様から托されている、先生の背負われている重圧であると受けとめていました。

そのリアリティーを先生とご一緒に共有し、覚醒して生きる青年の誕生を待ち望みますと呼びかけられました。

私はまだ、入会して一年足らずの青年であり、ただ先生と出会って神理を学べることが嬉しくて、セミナーに参加していました。しかし、セミナーの初日にお聞きしたのは、あまりに重すぎる、先生の抱かれている21世紀への切実なリアリティーのお話しでした。

もやしの心で、未熟で何も出来ない自分自身のとのあまりの乖離の大きさに、絶望的な思いになりました。

当時、まだ心の力を鍛錬していなかった青年の心を、「もやしの心」とよく言われていましたが、私も本当にその通りで、セミナーの初日で、あまりの重圧に耐えられなくなって、もう帰ろうかなとさえ思いました。

ご講演が終わった後も、しばらく席から立てずに、頭を抱え込んでいる青年の映像が残っています。
95年の青年塾セミナーは、参加した多くの青年にとって本当に衝撃的なセミナーであり、青年が先生の21世紀のリアリティーに触れて「腰砕け」になったセミナーでした。

ただ、もやしの心で、先生の抱かれているリアリティーをとても背負うことは出来ないという絶望感がありながら、何とか先生との約束にお応えしたいという願いも同時に溢れてきました。

20年後から見えてきたあの時のセミナーでの魂の事件

今思い出しても、あの95年のセミナーは本当に衝撃的なセミナーでした。

ただ、こうして20年経ってこの時の体験を振り返ってみたときに、当時分からなかったことが見えてきました。

この20年間、先生がずっと神理を説いて下さって、神理実践をするための様々なシートや書籍を整えて下さいました。また、神理実践報告も多く見せて頂き、煩悩を浄化して、菩提心に転換して生きることが自分たちでも少しずつできるようになってきました。

ただ、それも時に非常に苦労しながらの取り組みであり、時には数時間転換できないで苦しむこともあります。

しかし、このセミナーの時は、そのようなプロセスを経ずして、いきなり煩悩が打ち砕かれて、魂からの願いが溢れてきてしまいました。

それは、その難しさが分かってきた今だからこそ、あの時の体験は決してあり得ないことだと思いますし、そのような体験は後にも先にもこのときだけです。

しかも、このときの衝撃的な体験があり、その後の先生のご講演があったからこそ、私は20年以上にわたって一心に神理を学ぶことになっていきました。

セミナー修了後、九州に帰ってからも、何度もこのときの先生の映像を反芻させて頂きました。

「今始まる、約束の時」という映像構成だったのですが、その冒頭は、先生がセミナーの前に八ヶ岳に到着されて、夕日を前にしてセミナーへの思いを語られるところから始まります。

「古い時代が終わって、夜の次には必ず新しい時代が来ます。二千年紀が過ぎ、新たな千年紀が始まります。・・・どうぞ、過去から未来へ、過去に対する深い反省から生まれる智慧と、未来への希望と責任を持った新しい時代を背負う、若人達が目覚めますようにー」(95GLA誌7月号より一部抜粋)
夕日を前にして語られる先生を見ただけで涙が出て止まらず、映像を見る度に泣けて仕方がありませんでした。

私は九州男児なので、男が涙を流すのは恥ずかしいと教えられてきたのですが、それでも魂からの思いを止めることは出来ず、どうすることもできませんでした。

でも、何でそんなに泣けて仕方がなかったのか、今ようやく分かってきました。

あのご講演の時の、煩悩から一気に魂の願いを引き出して頂いた体験、それは先生の祈りによって起こして頂いた奇蹟だったんだと思います。

先生は「魂の所以に遡る瞑想」をして下さるときに、一人一人の瞬間最大境地を引き出して下さって、魂の願いを思い出させて下さることがあります。

それと同じような体験を頂いたんだと思います。

夕日を前にして、祈るような先生の御言葉に触れて、どうして涙が溢れて仕方がなかったのか。それは、私の魂に、先生からの切実な祈りが流れ込んできていたんだと思います。その祈りは奇蹟となって、あの瞬間、煩悩を砕き、魂の願いを思い出すことにつながっていき、その後の20年間の先生との歩みを頂くことになったんだと思います・・・。

先生が托して下さったバトン

ご講演が終わって中央通路を退場して行かれた後で振り返って、先生はメッセージを下さいました。あの時の先生の言葉は、今でもハッキリ覚えています。

「愛と勇気を持ちなさい。一人の人間が抱く本当の願いは誰も打ち砕くことは出来ないよ。
どんなに辛くても、どんなに苦しくても、それが本当の願いだったら必ず成就します。
そして、必ずバトンを継いでくれる人達が出てきてくれることでしょう。

私は、信じています。皆を信じています。」

先生は、自分の魂深くに感じていることを受けとめて下さっている。

魂深くに感じていた願い・・・。それは言葉にならない思いであり、また言葉にするのが恥ずかしいくらい大きな願いのようでした。

その魂の願いも、先生は全部受けとめて下さって信じて下さっている・・・。そう思うと魂深くからの思いが溢れてきて、涙が溢れて仕方がありませんでした。

出発 魂の目覚めへの階梯

そうして、何度も何度もこのときの映像を反芻し、その後始まっていく6回のシリーズセミナーで、このときに作られた「出発(たびだち)」という歌を歌う度に、先生との絆を深めていきました。

歌詞の中に以下のような一説があります

「光よ、恐れと孤独を打ち砕くものよ
光差し、時は巡り、今私は開かれた
光よ、いのちの力を呼び覚ますものよ
大地を踏みしめ、この手を伸ばして、今世界と結び合う」

当時の私は、自己不信、他者不信の思いが強く、常に緊張しているような状態が続いていました。

青年のセミナーに参加して、知らない人達と一緒にプロジェクトをすることは、非常に高いハードルでした。ましてや、大勢の人の前で話すなど、ほとんど不可能に近いような状態で、実際に何度も失敗してきていました。

しかし、この歌に励まされ、鍛錬に飛び込み続け、プロジェクトを通して本当に沢山のことを教えて頂き、かけがえのない転生の同志との絆を深めていくことになりました。

また、このセミナーで思い出した、先生との「約束」を果たすことは、私の魂にとっての最大のテーマとなり、最優先事項となりました。

あれから、もう20年近くも経ってしまいましたが、あの時に感じた魂の爆発のエネルギーがあったからこそ、様々な試練がありながらも、ここまで歩んで来れたんだと思います。

指導原理に導かれて魂の使命へと到る歩み

先生は、人間が指導原理に導かれて、進化成長していく歩みは二つあり、直観から始まる歩みを、以下のようなステップとして示して下さっています。

直観 → 爆発 → 鍛錬 → 托身

本当にこの通りの歩みを頂くことになりました。

そして、その歩みは、私の魂が憧れてやまなかった先生との出会いの物語となっていきました。(続く)

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