先生と同行二人の歩みによる親族間の恨みの浄化へ_ペイフォワードへの挑戦2


お正月に帰省したときに、遺産相続の問題を回避するために、父とGLAの弁護士さんの所に行くことを約束しました。

でもこれまでそのような相談をしたことがなく、どうやって、誰に、いつ相談するのか、全く見えないところからのスタートでした。

Contents

GLA会員をサポートするネットワーク

九州のGLAの弁護士さんとして、Mさんがいらっしゃることは実践報告などで知ってはいたのですが、お話ししたことはありませんでした。

そこで、一緒に青年塾でプロジェクトをやっていた仲間の弁護士のお二人に相談して、Mさんを紹介して頂けないか、お願いしました。

すると、すぐにMさんにつないで下さり、更にMさんに相談したところ快く引き受けて下さって、早速父に電話して頂くことになりました。

しばらくして父に電話したところ、「電話はかかってきたけど・・・」と曖昧な返事でした。

心配になったので、直接M先生にお電話させていただきました。すると、きちんと相談せず、表面的なことしか話していなかったことが分かりました。

そこで、私が父に代わって、これまでの問題の経緯と、現在の親族の状況、更にこれから起こりうることを説明させて頂きました。

私が一通り話すと、M先生は深く理解して下さいました。というのも、M先生御自身も親族間で同じようなトラブルを経験されてきており、いかに親族間の問題が大変であるのかを身をもって体験されていたことを話して下さいました。

そして、理解をして下さっただけではなく「一番の願いは、おばあさんを兄弟仲良く送り出すことですよね」と元々あった願いを引き出して下さいました。

心の中ではそのように願っていたのですが、あまりにもハードルが高いので諦めていたのですが、改めて自らの願いも確かにさせて頂きました。

そして、帰省するタイミングを調整し、福岡で開催される新年の集いの後で、時間をとって下さることになりました。

早速帰省して神理実践スタート

お正月に帰省した直後ではありましたが、前日に再度帰省して、神理実践をスタートしました。

まずは、最新のGGPで学んでいる、受発色を見つめるシート(苦・暴流篇)に取り組みました。

すると、問題に引き込まないで欲しいと受信し、距離を置いた関わりをするという発信をしていたことが見えてきました。

そこから「川の心の菩提心」で一切のとらわれ、こだわりを洗い流すように、受信発信を転換しました。

更に、現実の転換への願いとして、「この問題に先生の智慧の眼差しが注がれて、真の問題解決へと道をつけることができますように」と定めました。

更にどのような先生の神理で同伴しようかと準備し、以下の三つの神理で出会う作戦を立てました。

・過去、現在、未来 ・・・ 未来の時間が、現在の受発色を通して光と闇に分化し過去となっていく曼荼羅
・認識の歪み(受信、発信) ・・・ 煩悩地図への取り組み
・正しさの進化 ・・・ 先生の御著書 「人間のまなざし 正命」の一節の輪読

Mandara
使用した神理の曼荼羅と御著書

そして、タクシーの仕事から父が帰ってくるのをひたすら待っていました。

同伴作戦失敗

夜9時過ぎに母が帰ってきて、食事をとり、更にずっとまっていたのですが、一向に父は帰ってきませんでした。

そして12時を過ぎ、そのうち寝てしまいました・・・。

気づいたときには4時過ぎに父が帰ってきて、既に晩酌を始めていました。

すっかり酔っ払って、とても神理の同伴が出来るような状況ではありませんでした。

そのうち、話しは裁判の話しになっていったのですが、母は「どうせそうやってお金を取っても、ろくな事には使われないから、お金を取ろうなんて考えない方がいい」

といつもの話になり、それに対して父が反発し、怒り出していつもの夫婦げんかになってしまいました。

その後、母はいつの間にか過去の親族間の様々な事件について語りだし、蓄積した恨みの思いが次々に出てきました。

そして父も過去の様々な事件への怒りが改めて深まり、散々酔っ払って、不機嫌なまま寝てしまいました。

母の積年の恨みの浄化への同伴

結局何もできなかった・・・、諦めの想いと共に横になって眠りに落ちそうになりました。

しかし、ここでもう一踏ん張りしければならないという思いが心から離れませんでした。
そこで、起きて思い切って母に一緒に取り組むことを提案しました。

そうして、さっき起こっていた出会いについて一緒に振り返っていきました。

母の気持ちを深く受けとめながら、煩悩地図でその時の心を確認していきました。

すると、不満→荒れ→破壊の現実になっていたことが見えてきました。

次に、祈りの道の苦暴流の祈りを一緒に読んでいきました。

・憎しみ、恨みにとらわれるとき
・不満を募らせるとき
・他人を責めたくなるとき
・・・

「憎しみと恨みは、長い間に怒りが心に根を張ったもの。
認められなかった想い、辱めを受けた心が敵意を育ててしまったのです。・・・」

こういった「新 祈りのみち」の一節一節を一緒に読み、そのときの心を確認していきました。
母は、本当にこの通りになっていると何度も深く頷きました。
先生の祈りの言葉が、心深く、魂深くにまで届いていきました。

shin-inori
https://www.sampoh.co.jp/books/shin-inori/

そうして、今回の親族間の問題は、単純に父の問題だけでは無く、お母さんの恨みの浄化が呼びかけられていることをお伝えしました。

というのも、二人の夫婦げんかを見ていると、母の積年の恨みのエネルギーが、父の怒りを焚きつけているように見えたからです。

母にとっては、晴天の霹靂で、裁判を起こそうとしている父が悪者で、それを止めようとしている自分は正しい人だと思っていたようですが、まさか、自分にも原因があったとは全く考えてもいなかったようでした。

しかし、心の深いところでは納得したようで、御供養の祈りに取り組んできたけど、これからは、苦暴流の祈りに取り組むことを行として定めることになりました。

父への神理による問題理解への同伴

その後、しばらくして父が起きてきました。そこで、父の同伴にも取り組むことを提案しました。

まず、一緒に今回の弁護士さんと出会う願いについて確認するために、一緒にウイズダムに取り組んでいきました。

これまで起こってきた事件について一つ一つ確認すると、そのときのことが思い出されて、積年の恨みの想いが次々に出てきました。

それに対して、願いを確認すると、それとは真逆とも言えるような「親族で仲良く、おばあちゃんを温かく送り出したい」という願いも同時にあることが分かりました。

問題から願いへと道をつけるために、神理で問題への認識を転換していきました。

まず、過去、現在、未来の神理について話しました。

父と話していると、ことある毎に過去の恨みの話しが延々と出てくるけど、過去の事件は今から変えることは不可能であること。ただ、現在の心と未来は、主導権を持って変えることができることを話しました。恨みにとらわれない、未来の選択があることを改めて確認しました。

次に、認識の歪みについても話しました。

父から見ると、非常に理不尽な目に一方的にあってきたと受けとめているけど、他の親族は全く異なる受け止め方をしている部分があることを伝えました。

自分は正しいと思っている認識自体が歪んでいる可能性があり、そういった自分の心の弱点を発見して、真の問題解決力を育んでいく学びがGLAの学びであることを伝えました。

そうして、私自身があるGLAのプロジェクトで体験した、自分自身の認識の歪みを発見し、世界観がガラッと変わった後智慧での出会いについて話しました。

手短に言いますと、私はずっと周りの人から責められていると思い、それが真実であると思い込んでいたけど、後で皆さんの思いを伺ったときに、責めているのではなくて心配して見守って下さっていたことが分かった出会いがありました。

本当に真逆とも言えるほどの認識の歪みのために、本当に人生を壊し続けてきたことを発見することができ、そこから人との関わり方が大きく変わっていきました。

福岡先生講演会参加 (一回のプロジェクトは一転生 人生の基盤の転換)

同じように父も被害者意識で過去の出来事を受けとめているけど、認識の歪みによって、誤解をしている可能性が高いことを伝えました。

父への更なる同伴_永遠の生命の人間観への転換

こうして、GLAの学びが、心を発見し、立て直していく実学であることを話したのですが、半分は共感していそうでしたが、GLAのことを話すと、いつも出てくる話がまた出てきました。

それは、おじいちゃんの宗教に対する受け止め方なのですが、宗教に頼るのは弱い人間であり、おじいちゃんは最後まで宗教に頼らなかったという話です。

そこで、特別御供養の時に現れたおじいちゃんのことを伝えました。

おじいちゃんは最後、病気になって非常に苦しみながら亡くなっていきました。

GLAの特別御供養の時に、そのおじいちゃんの御供養をさせて頂いたときに、先生の祈りの場の中でおじいちゃんが現れました。

おじいちゃんは死んだ後の世界なんてないと信じて亡くなったため、おじいちゃんの魂は死んだ事実が理解できず、ずっと亡くなった直後の病気を抱えた苦しい状態が続いていました。

特別御供養の光の場の中で、先生、神様の光が注がれる中で、おじいちゃんの魂が癒され、病気も癒され、若くなっていったことを伝えました。

GLA特別御供養。神様と先生の御心によって開かれた光の場の中での奇蹟の救い

今は、おじいちゃんもきっと「死んだら終わりというのは間違いだった」と後悔していると思うよと伝えました。そして、おじいちゃんも親族の問題をもの凄く心配して、見守ってくれていることを話しました。

師との同行二人の歩みへの憧れ

こうして、両親の抱えるそれぞれのテーマを受けとめつつ、同伴を深めていきました。

同伴の初めに、「この問題に先生の智慧の眼差しが注がれて、真の問題解決へと道をつけることができますように」と願いを定めて望んだのですが、その願いに導かれるように、親族間の問題の根本にあった、両親の抱える魂のテーマに対して少しずつ道がついていきました。

途中で諦めそうになったところから、ここまで道が付いたことを不思議に思っていたのですが、先日、先生が会員さんの幾つかのグループに同伴されている姿を見せて頂きました。

それぞれが抱える重い課題に対して、一緒に受けとめられ、解決へと導かれていく姿を見たときに、先生は私たちの親族のことも心をかけて下さっており、出来れば同伴してさしあげたいと願って下さっているのではないかと感じました。

それはもちろん私たちの親族だけではなく、全ての会員さんに対する先生の愛情だと思うのですが、そう思ったときに、今回同伴し根本の問題に対して道をつけることが出来たのは、ずっと導いて下さっている先生の御心に導いて頂いていたのではないかと感じました。

私は昔の生活実践の手引きに書かれていた、先生と同行二人で歩むというところに、もの凄く引かれる思いがあります。

「営みの中で、皆さんが生きている場所が私が見ている場所。私を背負って頂いてそこへ一緒に行きたいのです。皆さんの心の中で相談しながら、考えながら、一緒に歩みたいのです。」と先生のお気持ちが書かれていました。

本当に先生は、会員さん一人一人とご一緒に歩んで下さっているだと感じます。

ならば私も先生の弟子として、親族間の問題も、会社の重い問題も、先生に相談しながら、真の問題解決へと向かっていきたいという願いを、改めて確かにさせて頂きました。

(続く)

Leave a Reply

Your email address will not be published.

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.