愛の使命-テレーズ・マルタン 幼少期の痛みと私の救われの物語

二千年の祈りの6人目はテレーズ・マルタンです。

テレーズは、最も厳格な修道院の一つとされているフランスのカルメル会の修道女です。

Therese_Jesus

これまで「二千年の祈り」に出てきた5人の先人との違いとして、5人は歴史を大きく転換させるような変革を起こしておられましたが、テレーズに関しては死ぬまでの間ほとんど知る人もおらず、24歳の若さで結核で亡くなられています。

しかし、テレーズが亡くなった後で、テレーズの日記が、『ある霊魂の物語』という自叙伝として家族によって出版されたところ、驚くべき反響を引き起こし、17年で35カ国に翻訳され、80万部以上が売られました。

日本でも、カトリック教会関連では、最も読まれている書籍の一つだそうです。

テレーズの人生はかなり過酷な幼少期から始まり、そこから15歳でイエスとの回心を経て、そこから深い霊的な深化の歩みへと導かれていきます。

子供は神さまからの賜り物であり、教育は子どもの心に神の存在を浮き彫りにする芸術であるという心情に沿って育まれていくのですが、4歳の時に愛情を注いでくれていた母親が亡くなってしまいます。

そのことは、周囲の大人が考える以上の打撃を彼女に与え、鋭すぎる感受性のために、自分を保てないほどの孤独と不安の中で「ママ、ママ」と泣き叫び、悪寒と頭痛と痙攣の発作を繰り返すようになります。

しかし、10歳の時に起こった聖霊降臨の祭日の時に働いた超自然的な力、そして、15歳の時に父親からクリスマスのプレゼントを渡されたときに感じたイエスの愛による回心によって、魂は深く癒され、神との絆を顕わにしました。

その後のテレジアの信仰を深める歩みは次回に譲るとして、テレジアが神との断絶から、神との絆に目覚めていく歩みは、私自身の歩みとも重なりました。

私は幼い頃から、かなり厳しい家庭環境の中で育ちました。

実家は靴屋を営んでいたのですが、元々母親は商売が嫌で、サラリーマンだった父と結婚していました。

しかし、父が実家の家業を手伝うことになり、母は靴屋を手伝うことになってしまいました。

更に、おじさんが大量の借金を抱えることになり、おじさんの代わりに数千万円の借金を肩代わりすることになりました。

しかし、そのおじさんからは靴屋を乗っ取られたと恨まれることになり、骨肉の争いへと発展していきました。

それだけ厳しい状況であるにもかかわらず、父はまともに働かず、夜中まで遊び歩き、元々人前に出るのが嫌だった母が一身にお店を引き受けることになりました。

その厳しいストレスが、私たち姉弟に向けられました。

元々母も、おじいさんから折檻を受けていたということもあり、物心つく頃から、母親から人前で折檻を受けるようになりました。

何を言っても受けとめてもらえず、「へりくつを言うな」と否定される中で、「自分は馬鹿なんだ」と強烈な自己嫌悪と、自己否定を抱えるようになりました。

世界は真っ暗になり、いつも下を向いて歩いていたため、電信柱にぶつかって足は青あざだらけになっていました。

そして、いつの頃からか、自分の心の中に真っ黒い塊ができました。そこから常に圧迫を受けるようになり、自分は生きているだけで周りの人に迷惑をかけていると思い込み、こんな自分は死んだ方が世界のためになると思っていました。

そのような真っ暗な絶望の底をさまよい歩く中で、私は高橋佳子先生と出会いました。直接お会いしたことはなかったのですが、先生のお心が伝わってきました。

たとえ世界中の人が自分を否定したとしても、この方だけは自分を信じて下さるという思いが溢れてきました。

そこから、高橋先生が自分を信じて下さっているから、私も自分を信じてみようと初めて思えました。

2006年の実践報告の時に、高橋先生が自分の人生を一緒に振り返って下さいました。

高橋先生は生まれた場所の詳細な状況などを語って下さり、その全てを記憶している次元があり、どんなときも神さまに見守られてきたことを証して下さいました。

一切の苦しみも、悲しみも、先生、神さまに既に見守られていた・・・。

魂は深く癒され、先生、神さまとの絆を確かにさせて頂きました。

この場を借りて報告しますが、このときに先生は、私の幼き日の風景としてバロンという床屋さんのことを話されました。

このとき「バロン?」と不思議な顔をしたため、会場の皆さんからは笑われてしまったのですが、全く覚えていませんでした。

その後、一度生まれ故郷に戻って、バロンという床屋さんを探して回りました。

そのとき一緒に回ったT君は、私の家の真ん前で床屋さんをやっていた家の息子さんだったのですが、一緒に分からずに探し回り、少し離れたところにバロンという床屋を見つけて、ここではないかという話になりました。

その後、実家に帰り、母に話しても分からなかったのですが、父に聞いたところ、真実が分かりました。

私の家の真ん前のT君の床屋さんの裏手に、そのおばあさんが床屋さんをやっていて、そこがバロンという床屋だったそうです。

そして、どうもそのおばあさんにかわいがってもらっていたようです。

地図にも残っていない、近くに住んでいた人すら覚えていないような床屋さんのことを先生はお話しされていました。

これも、先生とはいかなる御方かを証す一つの真実だと思います。

テレジアの魂に起こっていたイエスの魂と出会うという奇跡の体験が、今、GLAで高橋先生と出会う多くの方の魂に起こっています。

そして、奇跡のような救いが至るところで起こっています。

この闇深き時代だからこそ、照らされる光がある。21世紀魂文明が、高橋先生によって開かれていく確信は深まるばかりです。

先日、高橋先生から、自分にとっての苦しみの体験は、神理によってどれだけ人間が救われるかを知るためには、いい体験だったとお話し下さいました。

2世会員で、生まれたときから神理と出会っていると、そのような神理による救いをなかなか実感できないということでした。

本当に、苦しい体験をしてきたからこそ、その苦しみさえも救う、高橋先生と神理への確信を深めることができました。

こうだったからこそこうなれた人生深化の歩みを、これから深めていきたいと願います。

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