神への愛-フランシスコザビエル 謙遜と愛徳を生きる神理実践

二千年の祈り 4人目の先人は、フランシスコザビエルです。

Franciscus_de_Xabier

日本に初めてキリスト教を持ち込んだ人として、日本史の教科書にも出てくる有名な人です。中には、ザビエルの肖像画を覚えている方もいらっしゃるかと思いますが、どのような人物で、なんで日本に来たのを知っている方は少ないのではないでしょうか。

1506年、ザビエルはナバラ王国のザビエル城の城主の子として生まれます。しかし、ナバラ王国がフランスとスペインの戦争に巻き込まれて消滅し、父親は心労のあまり亡くなり、お城は取り壊されて没落していきます。

当時、貴族出身者には高位聖職者への道が開かれており、莫大な富と名誉をえることができました。そこで、ザビエルは家を再興させる手段として、聖職者への道を志します。

ザビエルは聖バルバラ学院で学び始めるのですが、イグナチウス・デ・ロヨラという学生が近づいてきます。ロヨラは元々は戦士なのですが、生死をさまようほどの負傷をきっかけに、苦行と黙想の巡礼を経て、魂の転換を果たしていました。そして、この世の栄達を捨てて、神の騎士としてともに歩む同志を求めていたロヨラの目にザビエルがとまりました。

この世的な成功を求めていたザビエルは、ロヨラをはじめ拒絶するのですが、何年もの時間をかけて、寄宿舎の同室にまでなって説得をされる中で、腐敗堕落している時代にあって、この道こそが自分がかけるべき道であると確信します。

そうして、ロヨラと仲間達とともに、様々な障害を越えてイエズス会を設立します。

その後、ザビエルは東方への伝道に旅立つのですが、想像を絶する過酷な旅となります。小舟でヨーロッパからアフリカを超えての航海は、7人中6人は確実に死ぬと言われていた時代であり、水の腐敗や、伝染病、船酔いなどの試練を超えていきます。

また、インドに到着してからは、言葉も文化も宗教も違う中に単身入ってゆき、様々に智慧を尽くしてキリスト教を伝えていきます。

赴く土地の中には、司教が殺されたようなモロタイ島といった土地もあり、周りの人に止められても、現地の人々を支えるために、全ての島を巡っていきます。

ほかにも、市民を助けるために、ポルトガル官吏による重税等の社会的な問題を解決したりしています。よく、西洋の支配力を広げるために、キリスト教が使われたようなことが書かれていますが、少なくとも当時の宣教師の皆さんには、そのような政治的な思惑はなかったようです。

また、現地の司教の人材の配置に関わったり、寝る間も惜しむほどの激務をこなしていかれます。

そのような、厳しい試練の中にあって、ザビエルは「謙遜」と「愛徳」を大切にされていました。

今回の反芻では、この部分に最も衝撃を受けました。というのも、今の自分にとって対極の考え方だと感じたからです。

最新刊の「魂の発見」の中で、高橋先生は人と人の間に生じるあらゆる主導権争いを「波動戦争」と説かれていますが、自分はこの波動戦争に思いっきり飲み込まれていました。

会社には、部署と部署の対立や、個人の評価を巡って一喜一憂するような関わりが、あたり前のように生じているのですが、自分の願っている方向にプロジェクトを進めようとすると、自然と主導権争いになり、波動戦争となってしまいます。

波動戦争をしていることに全く違和感がなかったのですが、謙遜と愛徳という言葉に触れたときに、自分はずれているんじゃないかと感じ始めました。

しかし、波動戦争の嵐が吹き荒れる会社の中にあって、謙遜と愛徳で、実際に結果を出せるのか、自信がありませんでした。そのような疑問を抱きつつ、ザビエルの人生を反芻しました。

ザビエルは、異境の地で、厳しい試練の中を歩んだからこそ、常に神を求め、イエスを求めていました。そして、神の声を聴くためには、謙遜をもって己を空しくすることを何よりも大切にされていました。ザビエルの生き様を深める中で、自然と大いなる存在は何を願われているのかを、私自身も求めるようになっていきました。

すると、自分を超えた大いなる存在のエネルギーが、このプロジェクトに注がれており、導いて頂いていると自然と思えるようになりました。

しかし、謙遜と愛徳という言葉を大切にしたときに、あたかも弱点を責められるように、これまで仲間だと思っていた人たちから急に責められるような事件も生じました。

しかし、それは元々問題が無かったわけではなく、波動戦争をとどめたときに相手の本音の思いが出てきたのであり、潜在していた問題が表面化したんだと受け止めました。問題が表面化したことで、具体的な解決策を講じることができ、プロジェクトが更に進展していきました。

謙遜と愛徳では波動戦争に負けてしまうとどこかで思っていたのですが、そうではなくて、波動戦争というエネルギーのロスが無くなることによって、本来やるべきもっと創造的な仕事にエネルギーが注げるようになり、本質的な問題を解決できるようになることが分かりました。

また、神様の願いを自分の願いにしようと思ったところ、急に難易度の高い問題を一緒に解決してくれる同志が現れたり、この数ヶ月ずっと自分に対して否定的なことを言っていた上司が、自分の仕事を高く評価してくれたり、多くの助力をいただいて、プロジェクトが進み始めるという果報をいただきました。

そして、昨日の会社の最終日の打ち合わせで分かったこと・・・。なんと、今一緒に仕事をしている大先輩が、十数年前に、私が取り組んでいる教育に関するプロジェクトのスタート時のメンバーだったことが分かりました。

しかも、そのスタート時の波動戦争によって、干された経験があることまで話して下さいました。スタート時点での混乱が、今の会社の混乱につながっていることを知ることができました。偶然のように一緒に仕事をすることになったのですが、深い必然があったことを感じました。

高橋先生は、エネルギーの争奪戦がなくなって、内なるエネルギーに根付いて生きることができるようになっていくと、魂の出力の増大のしるしが現れてくると説かれています。その中に
■助力者が現れる
■答えが向こうからやってくる

と書かれていますが、本当にそのような功徳を頂けたように感じました。

同時に、このプロジェクトは自分を超えた大いなる存在の導きの下に取り組ませて頂けていると感じられてきました。

ザビエルは、結果として日本の歴史を変えるほどの変化をもたらすことになったのですが、それも、自分でそのようなことをやろうとしていた訳ではなく、ひたすら神は何を求めておられるのかを求め続けた結果として、そのような偉業を果たされました。

しかし、今回の反芻を通して、ザビエルは境地の深みに触れるほどに、果たしてザビエルのような伝道者としての道を道を歩むことができるのだろうかと不安になりました。

高橋先生は二千年の祈りの最後の方にこのように書かれていました。
「しかし、このザビエルも、最初から偉大な宣教者だった訳ではありません。」
「毎日毎日、降りかかる試練に誠実に向き合う中で、その一つ一つを超えてゆく境地と智慧が引き出され、神への愛を深めていったのです」

ザビエルも、長い長い試練の連続の中でそのような境地を引き出していかれました。

日本はこれから、第三の国難という大変に厳しい試練を超えていかなければなりません。職場においても、多くの皆さんをボランティアで支えるGLAのプロジェクトにおいても、きっとこれまで以上の厳しい試練が訪れると思います。

ザビエルにとっての日本への伝道がそうであったように、21世紀の現代において、この国難こそ自分の魂が願って願ってやまなかった魂の修行への道だと思えてきました。そして、この道行きを高橋先生に導いて頂いていることがどれほどあり得ない奇跡をいただいているのかが改めて感じられてきました。

実在界に帰ったときに、私も、ザビエルから教えて頂いた謙遜と愛徳をもって神に托身し、多くの苦しむ人々を支える同伴者としての使命を果たて参りましたと答えられるように、2012年、更なる神理実践にむかって参ります。

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